元長崎市長 本島等氏死去10月31日 21時20分
被爆地の市長として世界に核兵器の廃絶を訴え続けたほか、昭和天皇に戦争責任はあるとする発言で右翼団体の幹部に銃撃されたあとも平和運動に関わり続けた長崎市の元市長、本島等さんが31日夕方、肺炎のため亡くなりました。92歳でした。
本島さんは長崎県新上五島町の出身で、昭和54年から4期16年にわたって長崎市長を務めました。昭和63年には長崎市議会の一般質問で昭和天皇の戦争責任について問われ、「天皇の戦争責任はあると思います」と発言したことで、平成2年、右翼団体の男に銃撃されて大けがをしました。本島さんは、日本が起こした戦争を謙虚に反省しアジア諸国に十分謝罪し、償う姿勢を貫く必要があるとしたうえで被爆地の市長として世界に核兵器の廃絶を訴え続けました。
本島さんは、ことしの元日も核兵器廃絶を願って長崎市の平和公園で座り込むなど、90歳を超えても精力的に活動を続けてきました。本島さんはこの夏ごろから体調を崩し、入退院を繰り返していましたが、31日夕方、肺炎のため92歳で亡くなりました。
被爆者の支援活動を通じて本島元市長と親交が深かった「全国被爆二世団体連絡協議会」の前会長、平野伸人さんは「突然の訃報で、驚いてことばになりません。最後に本島さんとお会いしたのは2週間ほど前で、元気にしていました。そのときも原爆や平和について熱心に話をしていたのが印象的でした」と述べました。そのうえで「本島さんが取り組んできた平和への取り組みを引き継いで後世に原爆や戦争の悲惨さを伝えていきたい」と話していました。
本島元市長とともに平和を訴える活動を行ってきた長崎原爆遺族会の顧問を務める被爆者の下平作江さんは「2か月ほど前に本島さんにお会いしたときは元気な様子でした。本島さんとは、二度と戦争がなく、被爆者を作らない世の中にしようと、これまで一緒に取り組んできたので、亡くなったと聞いて残念でことばになりません。もう少し一緒に活動したかったです」と話していました。