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1ヶ月以上放置していたblogにコメントをいただきまして、急に執筆?意欲がわきました。
単純至極な管理者で申し訳ありません(苦笑)

ここまで色々書いてきましたが、そもそもSMって何?という最も根本的な問い(であろうと思われるもの)について、全く触れていませんでしたので、その辺りを述べられたらな、と思います。

縄で縛る、蝋燭を垂らす、鞭で叩く、目隠しをするetc...
これらの行為は「SM」を連想させるものではあります。
しかし例えば縄で縛られているのが警察などに捕まった犯人であれば?(まぁ、それでも亀甲縛りなどはしないでしょうけど(笑))
鞭で叩かれているのがいわゆる封建時代以前の(例えばピラミッドを建築している最中の)「奴隷」であれば?
これらは決してSMと呼ばれるものには当たらない、というのはご理解いただけようかと思います。
つまり、SMとは行為によって大別できるものではない。これが私の大前提としての立場です。

では「警察と犯人(使役させる者とする者)」と「SM愛好家としてのSとM」の間にあるものとは何か。
多少異論はありましょうが、ざっくり書けば、「本人たちが望んでその行為を行っているかどうか」ということに尽きようかと思います。

では、いわゆるノーマル性癖のカップルが居て、裸になり、愛撫しあって、挿入して、発射して、ピロートークなんか楽しんじゃったりして、それでいて「僕たちはSMしてます!」と言った場合はどうか。
お互いが望んで行っている行為ですが、これに違和感を覚えてしまうのは私だけではないはずです。

このようなカップルさんとSMカップルとの間にあるものとは何か。
これもまたざっくり書きますが「虐め」の要素の有無ではなかろうかと思います。

そもそもSMを辞書で引きますと、「加虐性愛と被虐性愛」とあります。
「加虐」とは「他人に苦痛や屈辱を与えること。しいたげ、いじめること。」とあり、「被虐」とは「残虐な扱いを受けること。しいたげられいじめられること。」とあります。
また「性愛」とは「性欲に根ざした愛着や肉体的接触」のことですから、加虐的(被虐的)行為を通じて(性欲的な物を含め、)愛を感じあうことがSMの根底であろうと思われるわけです。

では、加虐と被虐とはそもそも何なのか。
この辺りについては次回以降、ちょっと触れてみたいと思います。

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本日、仕事をしながら人間観察を行っていました。
そのときに、ふと「ああ、だから露出はSMなのか」と思いつきましたので、書くことにします。
(断じて、普段の仕事中からSMのことばっかり考えているわけではありません。)

これまでのSM論をお読みいただいた方であれば、

「露出はいやらしいからSMだ!」

なんてことは書かないだろうと予測していただけるでしょうし、もちろん私もそんな結論で済ませるつもりはありません。露出にまつわる支配と被支配のお話です。

さて、我々人間一般は、どのようにして相手から情報を得ているのか、ということが問題です。相手との直接的な会話というのが最も一般的ですが、会話を通じずとも相手から情報を得ることができます。それは、

「相手を見る」

という方法においてです。相手が言葉を発さずとも、その表情や態度、身振りや手振りなどを見ることによって相手から情報を得ることは可能です。そしてこの「相手を見る」という行為が成立するのは、一方的な関係において、です。お互いが視線を交わしあいながら相手から情報を得る、ということはほとんど起こり得ません。見る側が、見られる側を一方的に眺める(そして相手と視線が合って気まずい思いをする(笑))ということで、この関係は成り立ちます。

例えば電車の中で綺麗なオネーサンがいたとして、そのオネーサンの「綺麗さ」という「情報」は、そのオネーサンが余所見をしているときに「一方的に見る」から得られるであって、オネーサンが自分の方に視線を向けたら、自分はオネーサンから視線を外ずはずですから「綺麗さ」という情報は得られないことになります。
このように、相手から会話以外の手段で情報を得るのは、相手がこちらを見ていない時、という図式はご理解いただけるかと思います。

そしてここには一方的な情報のやり取り、いわば「視線における支配-被支配」の関係が成り立っています。
「見る側」は自分が見ていることを知っており、相手は自分が見られていることに気づいていないわけですから、相手を支配している状態にある、と言えます。一方「見られている側」は自分が見られていることがわかりませんので、(本人が自覚しているかどうかはともかく)支配されている状態にあるわけです。

そしてこの「見る側=支配者」「見られる側=被支配者」の関係をそのまま露出行為に当てはめてみましょう。露出行為とは自分の恥ずかしい行為や服装を曝け出すことで、相手から一方的に見られることになるわけですから、露出行為を楽しむ?Mは被支配の状態を楽しんでいる、ということが言えるわけです。

これは何も露出行為だけに当てはまるものではありません。例えばSMで使われる小道具のうちに、「目隠し(アイマスク)」がありますが、これは視線を奪うための道具です。視線が奪われると言うことは、相手を支配する手段を失うことになるわけですから、残されているのは一方的な被支配の状況のみです。羞恥プレイにおける「視姦」もまたその類でしょう。「見る側」は相手の状況(しかも恥ずかしい状況)を一方的に見るだけ、かたや見られる側は見られるだけ、ですから、ここにも「支配-被支配」の関係が成立していると言えます。

ちょっと変わったところでは、「マスク」などもその一部でしょうか。
img63485048.jpg
マスクをしている相手であれば、見つめることができます。つまり、「支配している」感覚に陥るわけです。ところが実際は、マスクをしている側もまた、自分の視線を隠しつつ相手を見ることが可能です。自分の視線を隠しつつ相手を見る、ということは「支配している気になっている相手を一方的に見る=支配する」ことですから、素顔で向き合う以上にひどいことなのかもしれません。

もちろんマスクには別の効用もありますが、それは今回とはお話がずれてしまいそうなので、また別の機会に。

前回、勘違いS男について書きましたが、今回は勘違いMについてです。
※ 今回は男女両方に当てはめて書いていきます。

先日、あるチャットを眺めていたら、こんなログがありました。

M男「女王様、僕のお○ん○んを舐めてください」

・・・こらこら、女王様は君の性欲処理の道具ではありません(笑)
女性の場合なら

M女「ご主人様、私のお○んこに指を入れてください」

といったところですかね。
もちろん女王様なりご主人様なりが「こうやって言いなさい」と指示したのであったり、女王様なりご主人様なりが前述の行為が大好きだということを踏まえた上で申し出たりしているのであれば、立派なM的行為といえます。しかしそうではなく、Mの立場にある人物が、自分の満足のために発言しているだけだとすれば、とてもとてもM的行為とは呼べません。

この手の勘違いMさんは、何を勘違いしているのでしょう。

一つ目の勘違いは、受け身=Mというものです。
確かにM側は命令をされ、支配をされ、受け身的な立場にあります。しかし「単に受け身であるだけ」ということと「Mである」ということには微妙ながらも決定的な違いがあります。
「単に受け身であるだけ」というのは、いわゆる「マグロ」状態のことです。自分は横になって、相手がしてくれるままに気持ちよくなろうというわけですから、表面的にはMのように見えますが、中身(気持ち)の面では「M」とは程遠いものになります。
一方、「Mである」ということは「支配される状況に『喜び』を感じる」ということであり、「支配してくれるご主人様が好き(ここまでいけたら最高なのですけどね)」ということですから、「マグロ」とは雲泥の差があります。
このように、見た目従順で受け身であっても、それが必ずしもM性と結びつくわけではありません。

二つ目の勘違いは、淫乱=Mというものです。
イヤらしいこと、普通では考えられないようなはしたないことをしたがる人、というのは少なからず存在します。しかしそういう人がそういう行為を望むのは、その人が「淫乱」「変態」だからであって、「M」だからではありません。もしも「淫乱」と「M」がイコールで結ばれるのであれば、例えば自分から男の上にまたがって腰を振って雄たけびを上げる(笑)ような「痴女」も「M」だということになり、これはおかしなことになる、というのはご理解いただけるかと思います。

さて、勘違いMさんと勘違いSさんでプレイをするとどうなるか。
ちょっとご覧いただきましょう。

M「ご主人様、縛ってください」
S「ああ、いいぞ」
M「ご主人様、蝋燭を垂らしてください」
S「ああ、いいぞ」
M「ご主人様、ク○ト○スを触ってください」
S「ああ、いいぞ」
M「ご主人様、お○んこを触ってください」
S「ああ、いいぞ」
M「ご主人様、お○んこにお○ん○んを入れてください」
S「ああ、いいぞ」

これでは、どっちがSだか分かったものではありません。
こんな悲しいSM(いや、そもそもSMと呼んでいいのかも微妙ですけれど)にならないように、勘違いMにも用心しなければなりません。

Mは全てのSの従属物である、というような勘違いS(私はこれを"自称S"と呼んでますが)が矢鱈と多いのは何故なのでしょう。
これはひとえにメディアによるSM普及による弊害であると思います。

メディアにおけるSMと言えば、もっともポピュラー?なのはエロDVDでしょう。
当然、エロDVDの目的は「観た客に抜かせる」ことですから、性的な絡みに関する描写に割かれる時間が多くなります。
M役の女優がいきなり出てきたS役の男性に縛られていたり、言われるがままに恥ずかしいポーズを取らされていたりします。(そして多くは喜んで感じていたりします)
するとSMをエロDVDでしか見たことのない自称Sは「M女は命令されることで感じるのだ」と思うようになるわけです。

もちろん、これ自体は間違いだとは思いません。
命令されること、或いは屈服させられたり支配されたりすることに喜びを感じるのがM女の本領であろうと私は思います。
ただし、この「命令→被命令」や「支配→被支配」の関係が成立するのには、一つの重要な条件があります。
それは(陳腐な言い方になりますが)「信頼できる相手」による命令であるかどうか、ということです。 ※ この辺はSM論1で述べているのでそちらでどうぞ。

一組の男女がSMという行為に至るまでには、深くて大きい人間的な絆の存在が欠かせません。
(何しろ一歩間違えば社会的に抹殺されたり、ひどい場合は命を落としたりするわけですから)
そしてこの「人間的な絆」を構築するまでのプロセスを欠いたものをSMだとは私は思いません。

だったらメディアでこのプロセスを書けば良いのではないか?という考えもありますが、残念ながらヌキ産業としてのエロDVDとして考えると成立はしないでしょう。
2時間のアダルトDVDで1時間50分は人間的絆の構築(非プレイ)、10分だけSMプレイ、というDVDが売れるとは、やっぱり思えませんからね(笑)
写真ばっかりアップしてるのも何だなー、と思いまして。
徒然にSMについて思うことなど書き記していこうかと思います。

ネットをはじめとする各種メディアによってSMの裾野が広がったのは喜ばしいことです。
また、ネットを中心とするメディアによって、SMに特化した出会いのチャンスが広がったことも喜ばしいことといえるかもしれません。

その一方で、SMに対する勘違いであるとか思い込みみたいなものも蔓延しているように思います。

いや、こんなことを書いている私も主観で物を申していますから、「これが絶対の正義。それ以外は認めん!」などというおこがましいことは言えません。
ただ、多少なりともSMの世界に身を置いて、多数のSM愛好家の方々と接してきた中で、「これは違うんじゃないかな」とか、「SMってこんなもんじゃないかな」というのは少なからず感じておりますので、その辺りを書いていけたら良いかな、という程度のゆる~いものです。
お読みいただく方もゆる~い気持ちで読んでくださいませ。

最初のお題はSMそのものでも良いんですけど、私が一番気になっていることを書かせてもらいます。
(あ、私がS男性なので基本的にS男とM女の関係のことで書かせてもらいます)

リアルの世界でS男性がM女性をナンパしている場面に遭遇したことはありませんが、ネットの世界ではそういう場面によく遭遇します。

「今日のパンツは何色?」
「オナニーしたことある?」

といった言葉に始まって、

「写メ見せて」
「電話エッチしよう」

となります。
で、まぁたいていの場合、この手の口説きは失敗に終わるわけですが、男性側の捨て台詞は

「Mの癖に生意気な!」

だったりします。
この手の口説きを行っている(自称)S男性は、M女性を淫乱で、誰に対しても股を開くような女性だと考えているわけです。

しかし前述の台詞を普通のナンパの台詞に置き換えて考えれば、

「キスしよう」
「ホテル行こう」

と言っているのと同じようなものです。
こんな口説き文句を用いて成功することはまずありません。(ジョークの一種で変化球的な使い方ならアリかもしれませんけれど)

「男だからと言って誰でも良いわけではない」

おそらくこれは大多数の女性に当てはまることでしょう。
もちろん一般の女性の中にもSEXが出来れば相手は誰でも良い、という嗜好の方がいるのは事実ですし、そういう考え自体を否定はしません。しかし、それはごく一部のことであって全ての女性に当てはまるわけではありません。
そしてこれはM女性にも同じことが言えます。
Sであれば(命令してくれれば)誰でも良い、というような女性がいないとは言いませんが、決して多数ではありません。
つまり、

「Sだからと言って誰でも良いわけではない」

ということです。

まずは(自称)S男性がこの辺りの認識を変えていかないと、せっかくSMの入り口に立った貴重なM女性をSMから遠ざけてしまうことになりかねないような気がしています。

なぜ、このような勘違いが生まれてしまったのか。
次回はその辺りを書いてみたいと思います。

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