享保の改革を模範とした定信の厳しい政治は…歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(フランシスの鼻歌)こんにちは。
(小日向)こんにちは。
お久しぶりでございます。
いらっしゃいませ。
今日はちゃんと歴史の話をしにここまでやって来ました。
はいカレーの歴史?そうなんです今日はね…。
カレーの歴史?そんな歴史の時間はありません。
「古代インド」の回に引き続き再びインドの歴史を話しに来てくれた…
今回はいつごろのお話なんでしょうか?
今日のお土産はこちらでございます。
はいどうぞ。
わあきれい!柔らかい。
ですよね。
これはねターバンの布なんですよ。
ターバンに使う布?そうなんですよ。
今日はムガル帝国の話をしたいなと思ってるんですけどね。
ムガル帝国の?あっ分かった。
じゃあ今日はムガル帝国とターバンの関係について?そうなんですよ。
ムガル帝国の時はねインド人全員ターバンを巻いて…違います!この綿…この木綿の話なんですけど……という時代ではあるんですけどね。
あそうなんですか。
本日のナビゲーターを紹介したいと思います。
はい。
こちらの方でございます。
出ました!ムガル帝国のアクバル様でございます。
(アクバル)そう我が輩がアクバル。
ムガル帝国の第3代皇帝である。
アクバルとはアラビア語で偉大という意味だ。
その名のとおり我が輩こそが世界に大きな影響を与えたムガル帝国を代表する偉大な皇帝なのだ。
ムガル帝国は16世紀前半から19世紀半ばまで300年以上続いたイスラーム国家である。
我らの安定した支配の下人々は繁栄をおう歌しさまざまな産業も発達した。
中でも木綿産業は当時……といわれるまでになった。
世界中の人々がインドの木綿を求めた。
例えばなんじらの国日本では衣料革命と呼ばれる大きな変化を引き起こした。
そしてイギリスで起きたかの産業革命もインド木綿が原因の一つだったのだ。
世界史上の大変革を生み出した我がムガル帝国の歴史。
なんじらも興味が湧いてきたであろう?わっサニーさん!ターバンを巻きましたね。
しかし今久しぶりに見るとやっぱりインド人みたいやな僕。
いやインド人や!もともと僕は。
あっもともと。
ムガル帝国のころ日本は戦国時代から江戸時代。
はい。
その江戸時代にインドから木綿が来たんですね。
しかもイギリスの産業革命にまで影響を与えてたなんてすごいですねムガル帝国。
本当にいろいろ興味湧いてきたでしょ。
はい。
ここからいろいろ話を聞いてみたいと思いますので・「おぉ〜アクバル〜」・「そう〜ムガルのぉ〜始まりは〜」あっうっうん…オホン。
こちらは我が輩の祖父バーブル。
かつてユーラシア大陸を席けんしたモンゴル帝国に連なる末えいである。
すなわち中東から中央アジア一帯を支配してイスラーム教を受け入れたモンゴルの一派が我らの祖先という事だ。
1526年バーブルは中央アジアから北インドに進出していった。
そしてデリー郊外で行われた戦いでこの地を支配していた勢力に勝利し帝国の礎を築いたのだ。
この時ムガルの軍勢は僅か1万2,000人でしかなかったが10万人を擁する敵軍を圧倒した。
なぜそんな事が可能だったかって?モンゴルの流れをくむ我が軍は騎兵の機動力と鉄砲などの火器を利用した戦術にたけていたからだ。
ちなみにムガルという国名がモンゴルからきている事はいうまでもない。
その後我が帝国はインド亜大陸全域に領土を広げていった。
それはインドの外から進出してきたムガルがヒンドゥー教徒をはじめとする異教徒の民といかに戦いいかに従わせるかという闘争の日々だったといってよいだろう。
祖父バーブルがムガル帝国を建国して30年後第3代皇帝に即位した我が輩もさまざまな改革を施しながら支配の拡大と安定を実現していったのだ。
小日向さん。
はい。
この番組やって僕も一つ今ものすごくありがたく思ってるのはね知らないもんもあるんですよ。
まさかモンゴルモンゴル…ムガルばんざ〜い!アハハ。
モンゴルからムガルができたんですね。
そうなんですよ。
いや〜それはインド人の僕も知らなかったんですけどね。
ところでアクバルさんはどういうふうに国を治めていったんですか?これは気になりますよね。
もう本人に聞いてみたいと思うんですけどね。
はい。
・「アクバル〜ジャハ〜ップナァ〜ハァゼルホォ〜」・「お任せあれサニー」アハハハゴッホン。
我が輩が第3代皇帝に即位したのは1555年の事。
父親が急死したため僅か13歳での即位だった。
我が輩は成人するころまでに独裁的な権力を得てさまざまな制度改革を行っていった。
まず領土を広げるためになくてはならない軍事力。
我が輩が定めた軍事制度はマンサブ制と呼ばれている。
マンサブとは官位の事だ。
我が輩は帝国の役人に官位を与えその階級に応じて維持すべき騎兵などの数を定める制度を作ったのだ。
何と言っても馬は我が帝国軍の基本だからな。
騎兵を維持するには金がかかる。
そこでジャーギール制という制度も作った。
役人たちには官位に応じて土地から税金を取り立てる権利を与えたのだ。
こうして強力な軍隊を得た我が輩は北インド一帯に領土を拡大した。
この軍事力は民衆の反乱を抑える力にもなっていた。
ただし我が輩が目指していたのはより平和的な支配だった。
そのためイスラーム教徒以外に課していた税ジズヤを廃止したり優秀な人材なら宗教に関わりなく役人に登用した。
我が輩は万民との平和を掲げ安定的な支配体制を築き上げたのだ。
我が輩は新たな都の建設にも着手した。
そのうちの一つファテープル・シークリー。
勝利の都シークリーという意味である。
この壮大な都をつくるにあたっても我が輩は万民との平和を実践したぞ。
インドで採れる赤い石を使い屋根や柱にインド古来の建築様式を取り入れたのだ。
そして随所にヒンドゥー教の神々の姿を見る事もできる。
ハヌマーンは古代インドで生まれた叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する猿の神だ。
現在は宮殿の建物しか残っていないが周辺にはさまざまな職人も移り住んできてにぎやかなものだった。
実は我が輩は職人たちの手仕事を見るのが何よりも好きだった。
彼らが美しい絵や金細工織物などを生み出す様は一日中見ていても飽きる事がない。
今なんじらが見ているこの絵もそうした職人の手によるものだ。
ミニアチュールと呼ばれていてムガル帝国の文化を代表する芸術品なのだぞ。
このように我が輩が宮殿の周りに職人の仕事場を建てさせたのでにぎやかな城下町が出来上がった。
木綿産業も更に発展し世界中に大きな影響を与える事になったのだ。
アクバルさんってみんなに平等で公平ですごい名君だったんですね。
インドでは今でもムガル帝国っていうのがやっぱり決して皆さんがね記憶にまだまだそのまま残っていると思うんですけど。
中でも…ムガル=アクバルといってもいいぐらいですけどね。
それぐらい今でもみんなから親しまれてるんですか?そうなんですよね。
自分の周りには芸のある人をたくさん集めたいっていう願望が強かったみたいですね。
ペルシアからのアーティストを招いたりとかね。
絵を描く人ね。
VTRの中でもすごくきれいな絵画が出てきましたね。
絵画出てきましたよね。
それだけでなくていろんな宗教を平等に見ようっていう話があったじゃないですか。
なんとアクバル様はイスラーム人でありながら一番最初に結婚した相手はなんとヒンドゥー教の人だったんです。
「こんだけ私は各宗教を平等に見てますよ」とか「平等に扱おうじゃないか」というメッセージでもあったんですね。
日本には同じ3代目なんですけど室町幕府の3代将軍足利義満さん。
この方もすごく文化を手厚く保護した人で北山文化っていうふうに呼ばれているんですよ。
ほう。
ちょっとそんなアクバルさんの話を聞いて日本の3代目の義満さんの事も思い出しました。
ムガル時代発達したさまざまな産業の中で代表的なものが木綿産業。
原料の綿からとても細い糸を紡ぐ技術があってその糸で織られた布は絹のような光沢を持っていたそうです。
インドを訪れたヨーロッパ人はその高い技術に目をみはりました。
彼らはインドの木綿を取り引きしてばく大な利益を得るようになります。
インド南部の東海岸に位置するチェンナイ。
この近辺にはオランダやイギリスの貿易会社東インド会社が拠点を築きました。
街の一角にはサントメと呼ばれた地域があります。
この地名は初期のキリスト教にまつわる伝説からきています。
イエスの弟子聖トマスが布教のためにインドまでやって来てここで亡くなったというのです。
市街地の南に建つ聖トマスにちなんだサン・トメ聖堂が地名の由来になりました。
さてインドの木綿製品は17世紀江戸時代の日本にも運ばれてきました。
細い縦縞が入った布は積み出し港の地名にちなんで桟留縞と呼ばれ特に人気があったそうです。
当時日本にはあまりなかった縦縞柄の着物は「粋な人」の象徴として浮世絵の題材にもなりました。
その後日本でも綿栽培が盛んになると桟留縞の人気にあやかった類似商品もたくさん作られます。
庶民の着物といえば麻がメインでしたが安い綿織物を手にできるようになり衣料革命が起きたのです
ムガル帝国と江戸時代の日本は木綿でつながっていたんですね
先生こんにちは。
(水島)こんにちは。
いらっしゃい。
はい。
失礼します。
ムガル帝国と日本の江戸時代のつながりを知ってすごいムガル帝国に興味が湧いてきました。
インドの木綿製品っていうのはとっても人気があったもんですからヨーロッパから17〜18世紀にかけてですね続々と東インド会社っていうのがインド市場に入ってきます。
ところがインド製品が入ってきますとそれまでの毛織物を中心とした産業がですね大きなダメージを受けてしまう。
ですからヨーロッパのあちこちの政府がインドの木綿製品の輸入を禁止したりあるいは着る事さえ禁止したりする国もあらわれたんですね。
ただしですね禁止するだけじゃなくてそれに代わる製品をつくる努力をした訳です。
なるほど。
まず最初はいかにまねるかという事でいろんな技術革新をする訳ですね。
それから更に大量生産する。
この大量生産は糸とか布とか。
それからそれを動かす機関…動力ですねエネルギー。
この3つをさまざまに革新していった。
これが全体としていわゆる産業革命という言葉に対応する動きだった訳ですね。
なるほど。
インド製品を目標にしてやってきたヨーロッパ世界がインド製品に勝るものを大量に作ってそれが19世紀以降世界に流れていくという大きなつながりがある訳です。
インドの木綿がなければイギリスの産業革命も起こらなかった…。
私はそう思いますね。
それはすごいですね。
ありがとうございます。
はいどうも。
さまざまな産業を発展させ平和的な支配を実現していた我がムガル帝国に暗雲が忍び寄ってきていた。
第6代皇帝アウラングゼーブの時代領土は最大になり最盛期を迎えるのだが皮肉な事にそれが衰退の始まりでもあったのだ。
先ほども話したとおりムガル帝国の軍隊ではそれぞれの軍人が騎兵を維持していた。
そしてそのための経費として税金を取り立てる権利を与えていた。
しかしインドのほぼ全域を領有した事で新たに権利を与えられる土地がなくなり軍事力も頭打ちになってしまったのだ。
またアウラングゼーブは熱心なイスラーム教徒だったので我が輩が廃止した人頭税ジズヤを復活するなど万民との平和という政治理念を放棄してしまった。
そのため異教徒の反乱が度々起こるようになり帝国の求心力は弱まっていった。
やがて各地で独立の動きが活発になりアウラングゼーブの死後帝国の力はデリー周辺にしか及ばなくなった。
地方勢力はそれぞれ領地の拡大をねらって争ったがそこにつけ込んだのがイギリス東インド会社だった。
軍事や財政の援助を与えるのと引き換えに税金を取り立てる権利を得て単なる貿易会社ではなく政治的な力を持ちインド全域を支配するようになったのだ。
1857年にはイギリスに対する反感が頂点に達し大きな反乱が起きた。
この時反乱の象徴としてムガル帝国の皇帝が担ぎ出されたが反乱が鎮圧されるとともにその地位を追われてしまった。
300年以上続いたムガル帝国の歴史に幕が引かれたのである。
その後イギリスは東インド会社を解散して直接統治に乗り出してきた。
1877年ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任する事となりイギリス領インド帝国が成立したのだ。
アクバルさんすごい大政治家ですっかりファンになっちゃいました。
宗教とか変わっていたとしてもこういう柔軟性のある人がいるとね何となく平和につながっていきますよね。
あんまり考え方が硬いとやっぱりどこかで火花が散ったりとか。
ほかの宗教の方にも平等だしみんなで仲良く暮らしていて今の私たちもちょっとまねしたいなって思うところがいっぱいありましたね。
本当ですよね。
安定した支配の下さまざまな産業が発展し中でも木綿は世界中で取り引きされる人気商品であった。
18世紀以降ムガル帝国の力が弱まって地方勢力が相争う状態となりやがてインドはイギリスの植民地となった。
2014/10/17(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ムガル帝国〜繁栄から植民地化へ〜」[字]
歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つゲストが訪れ、歴史上の人物のメッセージを届ける…産業革命の引き金になったインドの大帝国
詳細情報
番組内容
「インドを300年支配したモンゴルの末裔(まつえい)のイスラーム教徒!?」「“世界で最も進んだ製造業”だったムガルの木綿産業」「インドの木綿が江戸時代の日本にファッション革命を起こした?」。学習ポイントは「支配のシステムと富…軍事制度と徴税制度」「壮麗な都市建設」「ムガルの衰退と継承国家…地方勢力、イギリス」【司会】小日向えり【ゲスト】サニー・フランシス【講師】水島司(東京大学教授)【語り】関智一
出演者
【講師】東京大学教授…水島司,【ゲスト】タレント、DJ…サニー・フランシス,【出演】小日向えり,【語り】関智一
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:17316(0x43A4)