後、1人でいるところを襲われたとみられます。
また、清水さんが玄関から入った奥の廊下に倒れていたことや、家の中に物色された形跡がなかったこともわかりました。
これらのことから、警察は、顔見知りによる犯行の可能性もあるとみて捜査しています。
(黒柳)今日のお客様は俳優生活40年です。
この写真は文学座にお入りになる時のなんか試験を受ける時の写真だそうでございますけれども。
今現在大活躍でいらっしゃいます内藤剛志さん今日のお客様です。
こんにちは。
よくいらしてくださいました。
来年60におなりだとかって?そうです。
還暦でございますよ。
あっという間ですよね。
みんな若いわねこの頃ね。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
さてさて。
お願いします。
奥様がお帽子をお作りになる方なんで私も持ってるっていうことで一応ちょっとお帽子を…。
いつもありがとうございます。
なんだか気を使っていただいて。
いえいえ。
でも奥様お帽子作ってらっしゃるとね他の人が作る帽子を見るのは面白いかと思って…。
そうですね。
これはねあれです。
どなたが?ロンドンのね古着屋みたいなところで洋服作ってる女の人がいて洋服作っててこれと同じのを帽子も作ってたんで。
こんなのって非常に珍しい感じなんで。
髪飾りみたいな感じでもあるんですかね?これ一つのね。
とても上手なの。
ヘアバンドみたいのにくっついてるだけですぐかぶれるっていう感じで。
ですごく古着屋だから安かったんで。
今日考えたらそうだこれ着てないからねお洋服と一緒に着ましょうと思って。
すいません。
ありがとうございます。
まあそんなわけで来年60歳?そうなんですよ。
これ還暦って言葉が重いですね。
還暦って言葉がね。
だって…暦還すんですよね?赤ちゃんになるわけでしょ?僕。
うーん。
まあね。
っていいませんか?なんか。
赤いちゃんちゃんこは赤ちゃんになるから…。
赤ちゃんになるからなの?赤いちゃんちゃんこ。
らしいですよ。
僕はそう聞いてまして。
っていうことは何やってもいいのかと思って…。
そんなことはないですかね。
違うんだけど何だかさ…。
暦を還すっていうことはちょうど…つまり折り返し地点っていう意味ですか?でも昔は50年ぐらいしか生きないのにね還暦で折り返したら120になっちゃう…。
そうですよ。
いいの?そんなので。
そうですよね。
120ぐらいがでも…人間のぎり。
あっそういいますね。
ちゃんと生きてれば…。
生物は…。
120ぐらいまでは生きられるって。
でも120まで生きてどうですかね?そうですね。
世の中の色んなものを見なくちゃいけないのはつらいこともあると思いますよね。
僕60ですけど二十歳の朝と一緒です今でも。
あっ本当?感覚的には。
すごいね。
二十歳の朝。
だからさっきもちょっとお話ししましたけどお芝居をするのにも今別に自信があるわけじゃないしもう40年やってますけど別に慣れたわけじゃないし今日初めてセリフを言いますしね。
ですから何にもうまくもなってないしですからまた二十歳の朝劇団に行く前にドキドキしてて今日うまくできるかなというのとあんまり変わんないですよ。
今発見したんですけどあなたちょっと違うけども頭の感じといいこのおでこの辺りってノーベル賞のあの先生に似てらっしゃるのね。
あのiPSの…。
ああ言われます。
あっよく言われる?言われますよ。
眼鏡が今日似てるでしょ?眼鏡が似てるのかな?賢い感じがしますか?うん。
ちょっとしますね。
それで関西弁だっけ?山中先生。
私もうあの先生の顔がね大好きなの。
じゃあ僕も大丈夫ですか?そう。
言ってみれば。
今気がついたの私。
こうやって見てて。
言われたことあります。
あっそうなの?何かがちょっと違うんだけどモノマネしようと思ったらすぐにできると思いますよ。
わかりました。
じゃあ研究しておきます。
でもあれなんですってねなんか文学座にお入りになってちょうど40年?そう19歳。
日大藝術学部の映画学科に先に入ったんですよ。
僕監督になりたくてですね。
父もNHKでしたから。
あっそう。
あなたのお父様ね。
たぶんそのまま行くんだろうと思ってちょっと芝居の勉強もしてみようと思って文学座の養成所を受けたら入れちゃったんで。
そのうちにだんだん出ることが多くなってですね。
ちょっとこの役やってくれない?とか。
そのうちに気がついたら俳優になってたという…。
ですからなんか適材適所って…自分で言うのも変ですけどなんか自分でそれほど望んだわけでもないんですけどここに来てしまったっていう感じしますね。
でまたあなたのようなタイプの方って俳優さんで少ないじゃんちょっと。
そうですかね。
でもあなたドラマお出になったらば記録お作りになったんですって?びっくりした私。
日本一です。
なんか27クールぐらい…。
1クールっていうのは3か月ですから7年間ぐらい働き続け…。
だから全然お休みなく次々とドラマが続いていって…。
そうなんだそうです。
だから必ず年に4つやらないとつながらないわけですから。
でドラマの最後のほうと頭のほうが…収録が重なっちゃうんですよ。
ですから髪形が変えられなかったですね。
気がついたらもう25〜26クールになっててちょっとこれはあんまりだと思ってそこでちょっと辞退させていただいて…。
あっそうなの?それ続けちゃうとなんか…。
その数字を目指したわけじゃないんですよ。
でもちょっとそれを言われるようになっちゃって。
もう今度やると25クールだねって。
僕はそうじゃなくてやっぱり大好きな仲間とやりたいから呼んでもらったからうれしいからってやってたら続いちゃったんですね。
なんか6年9か月ぐらいになるんですって?そうですね。
ちょうどそれくらいになりますかね?でもどなたもいらっしゃらないそうです。
それだけね続けてドラマが次々次々…。
その間中…。
そう。
だからよくプロデューサーの皆さんが何ていうか…誘っていただいたと思ってうれしく思います。
だってそれがないと…。
それとあなたさ何だっけ?『ホテルウーマン』?『ホテルウーマン』。
それから『家なき子』とかああいうのを全部ずっと続けざまに…。
「同情するなら金くれ」みたいなのとかね。
そう祐実ちゃんですね。
あれはもう40歳になってからですけどもやっぱりあんなに…何ていうんですかね?役者って代表作ってなかなか持てない…。
あれは三十何パーセント…40パーセント近かったんですよ。
あの『家なき子』ではいじめる…。
そう。
お父さんの役でしたからね。
すごい…。
いまだに代表作みたいなこと言われるんですけど。
ちょっと嫌だなと思ったこともあるんです実は。
固定されるのは。
なるほどね。
でも逆に言うと俳優ってなかなか代表作って自分で持とうと思っても持てませんもんね。
持てるもんじゃない。
それと人に…。
私がこの『徹子の部屋』の時なんでドラマをそれまでやってて6本も7本もドラマをやったのを全部やめたかっていうとやっぱりそういうイメージがこの私につくと悪い女をやった時に悪い女があなたに聞いてるようになるといけないので。
確かにものすごいイメージがつきます。
そうでしょ?だからそういうお父さん…そういう『家なき子』のいじめてるさ。
そう。
だから…それがやっぱり今30歳ぐらいの女性だと大体「怖い」って言いますね。
やっぱり。
ちょうどね子供の頃見てたらこの顔で見てたわけですから。
そうそうそう。
嫌な顔なんでしょうねこれは。
山中教授。
本当はそうじゃないのにね。
うん。
役にすぎないんですけどね。
「僕はノーベル賞に似てるんだ」。
そうですよ。
それでとにかく初めて『徹子の部屋』に出てくだすった時には写真なんかいっぱい持ってきてくださったんですけども。
16年前に初出演っていうことなんでそこをちょっと皆様に見ていただきます。
そうですか。
三十いくつですか…。
「さて内藤剛志さんは小さい時ちょっと問題児…」「どんな問題児だったの?」「一人っ子なんですよ」「一人っ子でですねちゃんとものが喋れないとか乱暴であるとかっていうようなそういうちょっとこう…“何?こいつ”っていう感じの子供だったみたいですね」「自分の世界に閉じこもってる子だったような気がしますね」「へえー。
この子そう?」「あっこの子」「この子ね…」「どうですか?」「そう見えませんか?」「何にも見えませんけど」「目が細いですねなんかね」「でもまあ…そう言われてみるとね」「これはもう随分陽気になったの?」「いやもっと若い時期でしょう。
若いって言いませんね」「小さい時?」「そうですそうです」「別に陽気になってるわけではないのか」「頭にあれですね…」「何か暗い影がないですか?」「5月5日のものを頭にかぶって…」「かぶとをかぶってますこれ」「やんちゃにしてみるけど心の中はなんかこう…割り切れないものがある?」「そういう感じしませんか…?」「しますね」「ピアノはちっちゃい時からやってて?」「そうですね。
母が弾きましたんで何か楽器やりなさいみたいなことで」「でもあなた本当に可愛がられて育ったのね。
ピアノを弾いてる時に今ベレー帽かぶってませんでした?」「あれはね幼稚園のね制服です」「朝日新聞の運輸部」「はいはい」「プレスライダーっていうやつですかね」「プレスライダー?」「記者クラブをですね…うわっ…痩せてますね」「はあー…こんなにも変わりますか顔が」「ちょっとねこの顔と今の顔と同じ人だと思えと言われても…」「どうでしょうか?」「ちょっと…」「そして文学座の研究所に入る?」「はい。
二十歳…大学に行きながらなんですけどもちょっと行ってみようと思って受けたら通っちゃったんですよ」「私すごいと思うの。
あなた何だって取っておく人なのね」「こういうものを…色んなものを。
今のプレスセンターのですけど」「これも文学座の…」「違うんですよ」「これしかないんです。
僕の人生の中にあるのは今日お持ちしたものが全てです」「これも同一人物に見えませんか」「これちょっとね…」「さっきの写真と同一人物と言えれば…子供の時の…」「子供の時のには似てるかもしれませんけどね」「でもまあ随分あの頃に比べれば顔は柔らかくなってますよね」「よかったです」そうなんですよ。
まあ問題児と言ったのはあれです。
転校したんですね。
ですから小学校4年生の時にちょっと郊外から本当に…東京でいうと銀座のようなところに転校してきたんでちょっとうまく友達とできなかったということが問題児というか。
それでまあ劇団に入ったということでね。
お父様NHKのテクニカルディレクターでいらっしゃいまして…。
それで大阪のほうに転勤なさって?はい。
大阪のNHKにおりましたのでそこの劇団に僕はいまして。
で高校までそこにいました。
あっそうなの?じゃあ関西弁得意…。
全然いまだに関西弁。
いまだに関西弁。
でもあなた何かの最後の時に「ちょっと関西弁でやってみようか」って言って沢口靖子さんか…。
『科捜研の女』っていうのをもう15年やってますけどあれで…。
やっちゃんも堺の人なんですね関西。
僕も大阪ですからじゃあちょっと最後のシーンだけ…事件が解決してからエピローグみたいなのがあるんですよ。
「そこをちょっと関西弁でやってみようか」って言って。
例えば「大変な事件やったな」って「お前何とか…せえや」「ちゃんとなやらんとあかんで」って言ったらものすごい評判悪くて。
そうですってね。
やっぱり沢口靖子さん…やっちゃんっていうのはクールビューティーなんですよね。
そうですね。
僕はクールビューティーじゃないけどゴツっとした刑事の役なんでそれが…。
突然?「えらい大変やったな今回の事件」って言うのはなんかちょっとこう…ものすごい不評で。
「そうやったな」ってね。
1クールで駄目になりましたけど…。
そうですってね。
初めからその関西の…初めからやればよかったんですけどね。
最後だけやるのはちょっと…。
思いつきが…。
ちょっと駄目でしたね。
なるほどね。
お母様は元気な方ですごい昔に車の免許をお取りになって。
そうです。
昭和30年代に…。
すごい!もう免許を持ってたんですよ。
えー!お母様?そしてついに免許返上と。
やめたの?80代中盤になりましたんでそろそろ…。
お母様?うんお母さん。
母ですけども。
えーと30代…。
だから僕が幼稚園の頃に免許を取りまして。
すごいお母様ですね。
そうですね。
30年代に免許を持ってた人そんなには…。
それはもう私わかります。
私その頃取りに行きましたけど女なんてほとんどいなかった時代ですからね。
ギアですもんね…。
もちろんギアだし。
でもお母様はあなたを命と引き換えみたいにして産んでくだすったとかって。
どうしたんですか?まあもう…おなかが大きくなってからですね婦人科系の病気があるっていうことがわかったんですね。
それで2択があると。
つまり「子供を諦めてちゃんと手術をしなさい」。
これがまあありますね。
もう1つは「麻酔を使わないで手術をしなさい」。
子供は生まれる?生まれる。
で母はその後者を選んだんです。
すごい。
ですから大学病院でそれもその生徒の前で表面の麻酔だけをして無麻酔で手術をして僕は助かって生まれたんです。
だから母がもしかしてその全身麻酔で手術をするっていうことならば僕はその…いなかったんですね。
ですから僕は母の命をもらって。
すごい。
でもお母様強いですね。
強いですね。
痛かったでしょうね。
痛かったと思いますよ。
僕はもうそれを…。
それもそれこそ随分あとになって聞いたんです。
悪かったというんじゃないですけどやっぱりこう芝居とか何とかそういう時に…東京出てきてからも大学も行かなくなったりしてそういう時に母がある時に実はこういう話があるんだけどって聞いてそれ以来頭が上がりません。
そうだね。
だって僕もらった命です。
そうですよね。
本当にいただいた命ですね本当の意味でですね。
本当だわね。
だって母が優先してもよかったわけですもんその手術というものをね。
母の人生っていうか…。
いくら何だってそんなとこまでの手術をするのにね麻酔なしだったらどんなことになるだろうって思うじゃないですかね。
痛かったと思うし。
だから本当にもうなんかこんなに命って大事だって…。
だからもう本当に感謝です。
そんなあんまり…面と向かって恥ずかしくて言えないんですけど。
僕が健康で頑張ってることが…。
そりゃそうね。
本当に両親にはそれを感謝します。
僕50歳まで虫歯なかったんです。
本当に?50歳ですよ。
なんか虫歯になった時大変だったんだって?だから。
そうです。
49歳の時に京都で…。
顔が痛かったんですよ。
あっ顔が痛いと思ってホテル帰って顔が痛いから顔が痛いほうを下にしてこうやって寝てたんですよ。
撮影中ですけど。
それである時マネジャーに「顔が痛いんだけど何だろう?これ。
病気かな?」って言って「それ虫歯」って言われて。
それで初めて歯医者さん行ったの49歳でした。
あっそう。
珍しいですよね。
僕だから49歳まで1個も虫歯がなかったんです。
要するに丈夫だっていうことですよね。
丈夫だっていうことです。
へえー。
お母様すごい。
そうです。
僕の努力じゃなくてこれは完全に父と母が僕にくれたものですから。
この何だか…何だ?性能のいい体っていいますかね。
そうですよね。
精巧にできてるんですもんね。
ありがたいですね。
色々撮影してらっしゃると雨男とか雨女とか晴れ男とか色々あるんですけど。
あなたやっぱりそういう目に遭ったことあるんですって?僕ね晴れ男なんですよ。
あっ本当?ずっとほとんど…。
自分さえよきゃいいんですけど。
自分さえよきゃいいと思ってるんですけども絶対晴れるんですね。
例えば大阪にロケに行きまして京都から。
せっかく大阪行った…。
普通は通天閣なんかを撮って部屋の中だったら別に合わせてしまえば行ってなくてもわからないわけですよ。
なんですけどたまたま行った時に通天閣があると。
ソースをつける串カツ屋さんありますね。
あそこで食べ…電話がかかってくるんですね。
外へ出て刑事ですから何々って話をするんですけど。
「せっかくだったら後ろに通天閣があるから入れ込もう」って言ったんだけど雨が降ってたんですね。
ですが「まあとりあえずやってみようか」って言って出た瞬間に晴れるんですよ。
ピーカン。
ピーカンになる。
で僕が「はいカット」って言ったらドーッて降るんですね。
そんなことがいくつかあるんですね。
そうするとたぶんスタッフはそこを覚えててくれてるんですね。
いや雨のこともあったと思うんですよ。
ですけどなんかこうハッピーオーラが出るんじゃないですか?そういう時って。
こいつが来たから晴れたっつって。
そこだけの記憶になるから内藤は晴れ男って言ってくれるんですね。
いいね。
やっぱりうれしいです。
書いてあるんでしょどこかにきっと晴れ男ってね。
「内藤さん呼べ」とかってよく言われますね。
そうすると…晴れたりするんです本当に。
いいわね。
さてその晴れ男の方がですねなんか大変な映画?あっ映画。
映画ですね。
戦争。
そうなんですよ。
満蒙開拓団に…。
要するに日本から開拓に行ってる人たちが…。
日本が…何ていうんですか?そういう…向こうへ行ってね開拓せよと。
食糧を作るためそれから国境を守れっていうこともあったんでしょうね。
それでですね1945年。
ですから終戦の年の5月に行ってる人がいるんですよ。
長野県の阿智村っていうとこなんですけど250名ぐらいが…国策ですから行くわけですよ。
ですが3か月ですぐ終戦になりましてみんな逃げてくるんですけどもう…10人ぐらいしか戻ってこなかったんです。
向こうで亡くなったり。
そして子供たちをせめてもっていって預けてるわけですね。
その子たちがいわゆる残留孤児になるんです。
僕はその山本慈昭さんっていうお坊さん。
自分の家族…。
実際にいらっしゃった方…?いらっしゃった方なんですね。
阿智村の長岳寺っていうとこのご住職なんですけど。
自分の奥さん子供たちを亡くすんですけど日本に帰ってきて生涯その残留孤児を支援して会いに行ってる。
第1号に会いに行った方なんですね。
その方の戦争のその終戦のところから亡くなる約80代までの40年間ぐらいをやらせていただいて。
だから…やっぱりね戦争のことは風化させるなといいますし今の子供たち…知らないほうがいいのかなと思うこともあるんです。
ちょっと思うんですよ。
「アメリカと戦争したんですか?」って子供言うでしょ?それでもいいのかなってちょっと思うんだけど。
でもやっぱりストーリーっていうのは…。
戦争をひと言で語るのは難しいと思うんですね。
ですから色んなストーリー。
小説だったり映画だったりがあって様々な人たちが戦争のことを語っておくべきだと。
それを見る人は選択すればいいんだと思う。
なので僕はまあ…それこそ80代を超えられた監督なんですけども山田火砂子…。
女性の方なのね。
女性の…。
山田火砂子監督。
僕はその彼女の思いも…あったんですね。
やっぱりその戦争に関しての。
そりゃそうでしょう。
ですから僕はそれに協力させていただいて。
これを見てどう考えるのかは見られた方が自分で考えていただければいいと。
だから色んなストーリーを残しておくべきだっていうふうに思ってねやらせていただきました。
ちょっとその映画見せていただいていいですか?
(堀越栄介)「五族協和の精神を向こうで実現する学校の教師は先生様しかおらんたい」
(原田宗之)「皆さんを教えてくださる山本慈昭先生のお話があります」
(山本慈昭)「見てのとおりこの学校以外は何もかも焼けてしまいました」「ソ連が参戦!ソ連が参戦しました!」
(冬子)「お父ちゃん!」僕はシベリアに抑留されるんです。
これからシベリアの捕虜になる。
そうなんです。
ですから命は助かったんですね。
「私はついにお前たちを故郷に…この伊那谷に連れて帰ることができなかった」「本当の両親に会いたい」「ひと目でもいいから会って父と母に抱き締めてもらいたい」「生きてるじゃないですか!生きてるじゃないですか!」要するに死亡してないんですけど行方不明になってる人間は戦争が終わった時点においては死亡とされてるんです。
そうね。
戦死とかね。
戦死となってる。
ですから残留孤児の方がああやって手紙を送ってきて。
で僕は色んなところへ…厚生省とか色んなとこへ行ってああやって何とかしてくれっていうふうに…まあそういうシーンですね。
実際についこの間それこそ70年前ぐらいにあったことですから。
そうですよね。
何ていう映画です?もう一回…。
『望郷の鐘』といいます。
『望郷の鐘』。
そうですよね。
故郷を望む鐘ですね。
なんかもうね涙が止まらないんですやってて。
僕もっとね…。
なるべくやめようと思ったんですよ泣くのを。
そりゃそうね。
俳優は泣かないほうがいいと。
なるべく泣かないほうがいい…。
だってストーリーが悲しいわけですから。
なのにやってたら止まんないんですよ。
まあいいやと思って。
「監督ごめんなさい」「涙出るからしょうがない。
ごめんなさい」って言ってぼろぼろ泣いてて。
あっそう。
なんか本来ならば演技プランって…変な話ですけど演技プランとしては無表情にやりたかったんですけど。
冷静に。
やりたかったんですよ。
だけどもうね…。
人間としてねやっぱりね。
でその頭…坊主に本当になさったんだけど。
そのあと違うドラマにお出になった時あれだったんだって?はい。
この『科捜研』…。
あっそうですね。
『科捜研の女』というねもう15年やってますけど。
うんずっと…。
これだから第1話第2話僕坊主ですなぜか。
あっそうなの?もう撮り終わって今3話4話撮ってますからちょっと伸びましたけど。
沢口やっちゃんの横に坊主が立ってます。
じゃあその『科捜研の女』のほうをちょっと見ますね。
その剃っちゃったどんな頭か。
若干坊主が残ってると思いますよ。
(榊マリコ)「男性の変死体だって?」
(土門薫)「ああ。
第一発見者は廃虚の写真を撮るためにこの倉庫に許可なく入り込み偶然見つけたそうだ」「指の大きさの皮下出血も見られるからやく殺の可能性が高いわね」「何をたくらんでるのかがわかるといいんだが」「たくらんでるって?」
(嵯峨根田輝)「ハハハ…」「フフフ…」完璧に坊主ですね。
「やめろ!襲撃犯は付近にいるはずだ」「確実に確保できるまで手は出すな」本当にね…。
これどう見ても坊主ですね。
そう。
帽子かぶるわけにいかないしね。
「榊!しっかりしろ!」あら沢口さん大変。
そうなんですよ。
これが大変なことになるんですよ。
第1話のおしまいに…。
やっちゃんは大丈夫なのか!大変?フフフ…。
これは…申し訳ないってプロデューサーさんにお願いしてどうしてもちょっと…。
1週間しかなかったんです終わってから。
なので思いっ切り伸ばしますからって…。
結構剃るぐらいの感じでやってたんで。
せめて6ミリまで伸ばしますから待ってくださいって。
6ミリで入ってるんですね。
でまあ…坊主ですねどう見てもね。
実は沢口靖子さん。
担当の者があなたに関してアンケートを。
はい。
ちょっと読ませていただきます。
えー!そうですかはい。
まず質問。
はい。
「内藤さんはどんな方?」「知識が豊富でとても楽しい方です」「また以前打ち上げの時に披露してくださったエレキギターを弾く姿がかっこいいのです」ギター弾くんですよ。
「内藤さんのここが好きってありますか?」「組織や上司の意見に逆らっても信念を貫く役柄を…凛とした姿の内藤さんも好きですが普段の関西人気質のざっくばらんな面白いところも好きです」ありがとうございます。
「びっくりしたエピソードは?」「ご一緒しているドラマ以外にレギュラーの番組もお持ちでお忙しくしてらっしゃいますがどんなに朝早くても夜遅い撮影の時でもいつも変わらない健康的な精神状態でいらっしゃることにびっくりしています」ああそうですね。
変わんないですね僕。
あっそう。
それは素晴らしいことだと思いますよ。
で「黒柳さんへのメッセージ」。
はい私ですねはい。
「黒柳さんお元気ですか?」はい私元気です。
「今夜から始まります『科捜研の女』は更にブラッシュアップしております」「よろしければぜひご覧になってくださいね」「よろしくお願いいたします」はい。
ありがとうございました。
沢口靖子さんありがとうございました。
本当うれしい。
拝見させていただきます。
ありがとうやっちゃん。
じゃあ一応お渡ししますね。
ありがとうございます。
いいことばっかり書いてくれた。
うれしい。
やっぱり一緒に出てらっしゃる…それだけ長くやってらっしゃる方からそういうふうに信頼をされているということは随分よかったと思いますね。
同志ですね。
そうでしょ。
15年間一緒にやってらっしゃる。
すごいですよね。
そうです本当に長く…。
そうそうそうそう。
本当にそうですよね。
沢口さんっていうのはどういう方ですか?もうね真っすぐな人ですね。
そうね。
で逃げない。
絶対逃げない。
あっそう。
僕そこがすごいと思う。
だからその『科捜研』の魅力は彼女のパワーですね。
ああなるほど。
それは天才パワーじゃないんですよ。
秀才が頑張る。
僕ねやっぱり逃げない人が大好きです。
うん。
やっぱりそこが人間として魅力だと思いますね。
それにみんなが圧倒されるのとやっぱりこう共感をするから番組がよくなってくるんですね。
キュッて。
あいつのためにやろうっていうのありますね。
それはありますよね。
だから僕朝も夜も機嫌がいいんです。
いつどんな時でも機嫌がいい。
どんな時でも機嫌がいいんです。
でもそれにしてもあなたのさっきの『望郷の鐘』。
ああいうことが本当にあったんだとするとその間に亡くなった方とかつらい思いをした方たちは大変でしたよね本当にね。
今度のその『望郷の鐘』若い方が見てくださるといいと思いますね。
はいぜひですね。
それをきっかけにしてほしいです何かの。
そうですよね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
橋本さん!2014/10/16(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 内藤剛志[解][字]
〜49歳まで虫歯知らず!?命がけで僕を産んだ母へ〜内藤剛志さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
俳優生活40年!俳優・内藤剛志さんが登場。
◇番組内容
49歳になるまで虫歯が1本も無かった内藤さん。初めて虫歯になった時“虫歯で痛い”ということが分からず、ずっと「顔が痛い」と悩んでいたことを明かす。また「自分は生まれてなかったかもしれない」という成長してから聞いたある事実と、命がけで産んでくれた母への想いを語る。
最近、内藤さんが打ち込んだ作品『望郷の鐘』は“戦争と中国残留孤児”をテーマにした映画。毎日泣きながら撮影に挑んだという、その思いとは…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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