(小谷)「介護百人一首2014」。
岡山県の柏悦子さん66歳の作品です。
「久しぶりに母と車椅子で散歩しました。
ススキやコスモスがやさしく揺れていつもは無表情の母が思わずほほ笑んでくれました。
元気だった頃の母といるようでした」。
大阪府の杉本千枝子さん71歳の歌です。
「夫のベッドの横に大きな地図を貼り楽しんでおりました。
『ここがいい。
あそこがいい』と空想旅行をしておりました」。
「介護百人一首2014」。
今年も1万1,000首もの中から選ばれた珠玉の100首。
その三十一文字に込められた介護を巡る思いを訪ねます。
(毒蝮)介護は明るく楽しくかっこよく。
全国の介護家族の皆さんご機嫌いかがですか?「ハートネットTV」今日と明日の2日間は「介護百人一首」をお送りします。
全国から寄せられた1万1,606首の歌の中から選ばれた100首を春夏秋と一年にわたって紹介してまいります。
今回は「秋編」という事になりますね。
もう秋だよな。
秋は毒蝮の秋。
あっ読書の秋だ。
「読書の秋」。
「どく」つながりで。
それでは早速今日のゲストはこちらの方です。
どうぞよろしくお願い致します。
歌手のペギー葉山さんです。
ありがとうございます。
よろしくどうぞ。
この歌ですよね。
あの歌を歌ってもう半世紀ですから。
こんなに長く歌えると思いませんでした。
歌手のペギー葉山さんですが実はご主人夫の根上淳さんを7年間介護されたという事ですよね。
とにかく夢中の闘いの日々でしたが今考えるとやっぱり何かその一日一日がいとおしいというか。
もう苦しかったんですが今になってみると頑張ったな。
自分を褒めてあげたいと思うし。
当時は大変だったんでしょうけどね。
まあね。
夫ですからしょうがありません。
お話を伺ってまいりたいと思います。
まずは「介護百人一首2014秋編」ご覧下さい。
山口県の村田百合恵さん73歳の作品です。
「娘の摂食障害から始まった化学物質過敏症。
無農薬野菜と玄米食のスープをなんとか飲み込めるという状態です」。
長崎県の神田小夜子さん86歳の作品です。
「母は家でかわいがっていた猫の幻影を時折見るようでいるはずもないのに見に行くふりをしていました」。
沖縄県の上地洋子さん65歳の作品です。
「介護士たちを褒め『何でも上等』という姑の口癖です。
介護士たちは大喜びです」。
大分県の西部玖珠郡九重町。
山に抱かれたこの小さな集落にも介護百人一首の詠み人がいます。
歌を詠んだ後藤信子さん87歳です。
信子さんは戦後夫と共に開拓農家としてこの地に入りました。
夫の晴治さんは13年前に亡くなりました。
あの〜運びが悪いんです。
脚の。
膝が悪いので。
もうここが背が縮みましてねこういう段を作ってもらってこれでちょっとできるようになりました。
頂きます。
信子さんの長男…独り暮らしとなった母の畑仕事を助けるため晴一さんは会社を辞めここで一緒に暮らしています。
湯布院の家族のもとには行ったり来たりです。
(取材者)晴一さんは何年ぐらい前からここに来て畑やるんですか?13年です。
(取材者)13年になりますか。
やっぱり帰ってきてよかったと思います。
(取材者)そうですか?晴一お茶あるよ?はいはい。
家族がここに入植した当時は大変な苦労があったといいます。
(取材者)大変でした?そのころ。
はい。
大変でした。
本当に大変でした。
入ってみたらもう雨漏りが。
家の中で傘を差さんと食事もできない。
NHKドラマの「おしん」ってあったじゃないですか。
あんな状態でしたね。
もうこの上ない貧乏でしたからね。
家族を守るために頑張ってくれたんやと思います。
信子さんは昭和2年近隣では比較的大きなシイタケ農家の長女として生まれました。
日本が戦争へと向かう坂道を転げ落ちていく時代。
女子挺身隊にも駆り出されました。
晴治さんと出会ったのは戦後間もない頃です。
復員して職を求めていた晴治さんが信子さんの家に働き手としてやって来たのです。
実直さが見込まれ2人は昭和22年に結婚しました。
風呂敷包みを1つ持って作業着だけ持って私のうちのシイタケ業のところに来てくれました。
信子さんには男兄弟が3人いました。
親は一緒にシイタケ業を継がせるつもりでしたが晴治さんはそれに頼らず開拓農家の道を選びました。
自分が中入ってやっぱり財産を分けてもらうのは忍びない気持ちで。
なんとか何か自分で生計を立てなくちゃと思った時にここの開拓地が一口空いたという事を聞いてここに入らせてもらいました。
昭和30年信子さんたち家族が入植したのは国有林の払い下げを受けたこの山あいの地でした。
文字どおり一からの出発でした。
ここが晴治さんと信子さんが原野を切り開いて作った畑です。
実家から独立しまだ小さな子どもたちを連れてやって来ました。
まずは一面に広がる切り株を夫婦2人で掘り起こす事から始めたといいます。
木を掘って根っこを掘り返して。
私もしましたよ。
唐鍬振ってね。
主人の半分しかできません。
できないけどするのが当たり前と思ってました。
入植当時草刈らせられたんです。
ここに小豆まくからって。
もう私死にそうだって言うたんです。
1週間ぐらいたって。
「今やめたら駄目。
そんな事をしたら続かん」って怒られたんです。
そうしてそれから横へもせんでまた仕事したんです。
晴治さんが特に力を注いだのが梨の栽培です。
苗木から育て実をつけるまで10年。
収入の柱になるようにと丹精込めて育てました。
57年たったこの梨の木は今年もたくさんの実をつけました。
信子さんが短歌を始めたのはようやく梨作りが軌道に乗ってきた頃だといいます。
畑仕事の合間に詠んだ歌がたくさんあります。
私はこれの幹に隠れてね。
ポケットから出してメモ帳を出してちょこちょこっと書いたりして。
主人に見せんように。
分かるのは分かると思うけど隠れたつもりです。
梨の木の陰に。
フフフッ。
2人で植えた梨の木は今でも毎年1万個ほどの実をつけます。
息子の晴一さんはそれを絶やさないようにと手伝っているのです。
夫婦2人して畑を開き家族を養ってきた晴治さんにがんが見つかったのは亡くなる1年ほど前の事でした。
すぐに手術になったんですが開けてみたらもう方々に転移してました。
もう取るのは無理だって。
でもうそのまんま閉じたっていうんです。
主人が目が覚めて麻酔が醒めてから「どうだったか?取れたか?」ってこう言うんです。
「見たか?」。
「いいえ晴一が見ました」って。
言うたんです。
長男がね晴一が見たからって言って。
「そうか」って言ってもうそれだけ。
あとはもう何も聞きませんでした。
その後退院し家に戻った晴治さんと過ごした半年余りの日々。
晴治さんが信子さんにかけた言葉があります。
今考えると3日前ぐらいでしたでしょうか。
「ここに座れ」って私に…。
何か晴れ晴れとしたような顔をして私に言うから何となく「あら?」って直感したんですけど。
そしたら「お互いによう働いたのう」。
「ああこれは何か言うんだな」と私は思いました。
もう次を聞けません。
急いでもう部屋を出ました。
「ありがとう」とかもうそういう言葉は必要ではありません。
「さようなら」もいりません。
「お互いによう働いた」。
私も働いたんだって認めてくれた事がもう何よりの私の…私に対して…喜んでくれた言葉だと思って。
(信子)できれば私の骨をここにも少し埋めてね。
ハハハッ。
(取材者)まだ早い。
(笑い声)大分の山深い畑に実る収穫の秋です。
すごいな。
「言葉はいらない」って言うけどねう〜ん。
確かにそうですね。
これがご主人の晴治さんからの一番の最大の感謝の愛情のある言葉だったんでしょうね。
後藤信子さんのお顔を拝見してるとあの皺一つ一つがねとても美しくて。
何かそしてお作りになった梨を頂きたいわ。
本当食べてみたい。
きっとおいしいだろうなって思いながら拝見してました。
私も同じ世代ですから。
「お互いによう働いたのう」というのがもう一番の妻に対する労りの言葉だったと思いますが。
温かい言葉ですよね。
根上さんは何かありました?主人は普通は何か知らんぷりしてるんだけどある日部屋を出ていく時…その言葉がやはり私の背中にば〜んと当たってね介護頑張らなきゃって思いました。
お前が頼りだよっていう事をその乱暴なひと言で。
乱暴だよね?そう。
乱暴よね。
そうか。
「お前がいなかったら俺は死ぬよな」。
私もぱっと振り向いて「そうよね」って言って行ったんですけど。
私もその言葉聞きたかったわという気持ちも込めてね。
後藤信子さんどうぞおいしい梨を息子さん晴一さんと一緒に梨も短歌も作り続けて頂きたいと思います。
ありがとうございます。
そしてペギーさんほかに気になられた短歌はありましたか?私ねこれを狙っておりました。
私も同感です。
「イケメン」に今力が籠もってましたけれども?はい。
イケメン大好き。
(笑い声)いいね。
根上さんもいい男だったね若い時に。
妻が言うのはおかしいですけどいい男でしたね。
今頃喜んで。
ありがとうございます。
それでは「介護百人一首2014秋編」続きをご覧頂きましょう。
岡山県の久保千代さん73歳の作品です。
「夫は爪がよく伸びるのですが嫌がって切らせてくれません。
なんとかごまかしながら一日一本ずつ切る事にしています」。
愛知県の岡田銕夫さん91歳の作品です。
「病棟最上階の窓から見る名月がとってもきれいでした。
寝返りを打つ事も難しい妻に見せようと手鏡の角度を調整しました」。
島根県の岡ケイ子さん67歳の作品です。
「夫は病院でもう歩けないと宣告されましたがリハビリをして1歩2歩と歩く主人の姿を見てうれし涙があふれて止まりませんでした」。
この町の横山圭子さんの歌も介護百人一首に選ばれています。
歌を詠んだ横山圭子さん76歳です。
圭子さんが歌に詠んだ夫の茂夫さんは6年前に亡くなりました。
今は独りで静かに暮らしています。
自分の好きなテレビを見て自分の好きな食べ物を食べて自分の好きな缶ビールを飲んですごく至福の時というか楽しい時に何気なくふっと写真を見たりするとその時の目線によってはいろいろに見えるんですね。
例えば「俺も飲みてえな」と言ってるように見えると飲ませてあげられないもんなと思って。
皆さんとにぎやかにしてる時は忘れてるんだけども独りでのんびりとしてる時悲しくなったりとかありますけども。
茂夫さんは腕のいい大工だったといいます。
15年ほど前から認知症の症状が徐々に現れました。
入退院を繰り返す時期もありましたが亡くなる前まで圭子さんが自宅で介護していました。
子どもはいなかったので40年余り2人きりの暮らしでした。
昭和13年旧満州の大連で生まれた圭子さん。
終戦を迎え家族は母の郷里山形に引き揚げてきました。
母の実家に住まわせてもらったりそのあとはあちこちの知り合いの方の2階をお借りしたりそしてやっとここが昭和26年に町営住宅として建ちまして引き揚げ者のための。
その時やっと住まわせて頂いて。
圭子さんは中学を卒業すると電機工場で工員として働きました。
結婚したのは25歳の時です。
知り合いの紹介で見合いをしたのが3つ年上の茂夫さんでした。
(圭子)何しろさだまさしの「関白宣言」じゃありませんがとにかく私が夫が仕事から帰ってきた時にうちに待機してちゃんとごはんがぱっと出るっていうのでないと駄目。
仕事の都合で早く帰ってる時もある訳でもう私車を見るとどきどきしてきたんだよね。
そうすると案の定帰ってくると「どこに行ってたんだ!」ってどなられてね。
そんな茂夫さんでしたが働き者で頼りになる夫でした。
平成11年茂夫さんは軽い脳内出血を起こしそれが原因で認知症が始まりました。
仕事も辞め自宅で2人ゆっくりと過ごす日々が続きました。
平成16年の冬の事でした。
雪下ろしをしていた茂夫さんが屋根から落ち胸を強く打つ事故を起こし入院しました。
何日も何日も麻酔をかけられた状態とか口がきけなくなった状態とかいろんな事があるとああいう脳血管性は進むんだそうですね。
私と対話しながら「圭ちゃんどこに行ったんだ?」って言うもんで愕然として「私圭ちゃんだべしった」。
「べしった」っていうのは山形弁ですけど。
「私圭子じゃないの」って言ったら「お前じゃない」というふうな事を言って。
そのころ圭子さんは短歌を小さなノートに書き始めました。
「麻酔より醒めし夫の一言は『私わかる?』『クソババアだべ』」。
「病棟の小春日和の昼下り認知の夫とぬり絵楽しく」。
そういう認知症って変わるんですよね。
私はやっぱり昔の印象が強いので買い物とか用を足しに行って夫がうちにいるとやっぱり「何か言われるかな?」って胸がどきどきして帰ってくるんですがそして「ただいま。
遅くなったねごめんね。
すぐごはん出すからね」っていうふうに。
そうすると私を見てうれしそうに目が輝いてうれしそうに見上げて。
ちょうど私は小さい子どもがお母さんが帰ってきたのを待ってたそんな雰囲気なんですね。
症状は進んでいきましたがこんな事もありました。
(圭子)私は人一倍雷や地震はおっかながりなもんでそういう時はしがみつくとそういう時は優しいんですやっぱりね。
「大丈夫だ大丈夫だ」っていうふうな感じで。
その時は口は重くなってましたのであんまりしゃべらなくなってたので。
だけどもやっぱりこうなでてくれたから「ああ私を労ってくれてる反省はあるんだ」って思いましたけども。
圭子さんはお茶の先生をしています。
今日は老人会の仲間とお茶会です。
老人会ではお互い得意なものを教え合うのです。
いいですね。
幸せです。
月謝も払わないで教えて頂ける。
本当に幸せです。
茂夫さんが残してくれた穏やかな暮らしです。
一年に何度か圭子さんは茂夫さんのお墓に参ります。
「お父さんね私思いがけなく『介護百人一首』で入選させて頂いたんです。
だから今日お参りに来てね今読みますから聞いて下さいよ」。
千の風だからあっちかな?「そのとおりの事やったでしょ?だから詠んだんですよ」。
聞いているかな?茂夫さんの思い出を胸に独り暮らす圭子さんの秋です。
よっ圭子!かあ〜!もう名女優だよ。
ねえ〜これ。
うまいね。
すてきな。
頼りがいのある夫だった訳ですよね。
情感が出てるよね。
乱暴だったけどね時々ね。
ペギーさんはこのご夫妻どうご覧になりました?写真をご覧になってねその目線がその時その時で自分に何か思いを送って下さるという。
私も毎晩寝る前はちょっと写真にひと言今日のあった事を報告して写真に語りかけるっていうのをすごく身につまされます。
でもこの「クソババア」というのは面白いわね。
私大好きこれ。
「クソババア」という事は結局ほれてる奥さんなのよ。
そうそうそう。
亭主関白の方の最大の愛情表現が?本当愛情表現。
だけどやっぱり…やっぱりすばらしい旦那であってすばらしい介護だったっていう。
今悔いがないんですか?あの日々はちょっとつらかったけれどももしも神様が往復切符をくれるんだったら1日ぐらいね一年に1回戻ってきてほしいなと思う。
その時「どんなわがままを言っても私許してあげるから」って言いたいのね。
今往復切符っていうのがいいね。
また帰ってほしいのが。
そうね。
お話もまだまだ尽きませんが明日もこの時間「介護百人一首2014秋編」ペギー葉山さん明日もよろしくお願いします。
明日もご覧下さい。
2014/10/15(水) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV 介護百人一首 2014「秋編 その一」[字]
介護にまつわる出来事や思いを詠んだ「介護百人一首2014」今回は秋編その一。「お互いによう働いたのう」死に近き夫がはぢてねぎらひ言ひき ほかの歌をご紹介します。
詳細情報
番組内容
介護する人される人、日々の介護生活の中でふと心に浮かんだこと、ある出来事の情景を詠んだ介護百人一首、今回は秋編その一。 「お互いによう働いたのう」死に近き夫がはぢてねぎらひ言ひき 戦後、開拓農家として懸命に働いたご夫婦。重篤の夫がもらした一言が妻の宝です。 雷や地震によわき私ゆえ認知の夫にひしとすがりぬ 認知症のご主人にさえしがみついた歌の詠み手、その夫も今は亡く…介護短歌の世界に触れて下さい。
出演者
【出演】毒蝮三太夫,小谷あゆみ,ペギー葉山
ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者
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