(拍手)
(アナウンサー)いよいよその時です。
TOKYO!
(歓声)
(アナウンサー)オリンピックが再び東京へ!2020年の開催が決まった東京オリンピック。
停滞する時代の空気を打破するきっかけにと日本中の期待が高まっています。
ちょうど50年前に開かれた東京オリンピックは今の日本をつくる礎となりました。
その中心とも言えるのが「夢の超特急」と呼ばれた新幹線です。
日本の発展を世界に印象づけました。
その誕生を支えたのは山口県にある工場の職人や技術者たち。
世界初の高速鉄道。
誕生の裏にはさまざまなドラマがありました。
それから半世紀。
最高の車両をつくり上げるために技術者たちは挑戦し続けています。
最新型の新幹線にも時代のニーズに応えるためさまざまな技術が。
新幹線に込められた職人や技術者の思いをたどりニッポンの今そして未来を見つめます。
瀬戸内海に面した工業地帯の一角山口県下松市。
大正時代町の造船工場が蒸気機関車を製造。
以来この町では鉄道車両をつくり続けています。
町には30を超える新幹線の部品工場が集まっています。
強い振動にも負けない特殊なボルトをつくる工場。
車内の壁やドアを美しくしつらえる内装工場。
この鉄道の町の中心が日立製作所の車両製造工場です。
国立科学博物館の研究者鈴木一義さん。
江戸時代のからくり人形から最新型の宇宙ロケットまでものづくりの歴史が専門です。
開業から50年を機に新幹線の歩みを見つめたいと下松にやって来ました。
(鈴木)おぉ〜すごい…。
新幹線の歴史を知ると日本のものづくりが見えてくるといいます。
(アナウンサー)近代オリンピック史上最大の規模をもつ東京大会の開幕です。
戦後日本の発展を世界にアピールした東京オリンピック。
東京では首都高速や地下鉄など開発が急ピッチで進められました。
こうした中新幹線に求められたのが世界最高のスピードを達成し日本の技術力を世界に示す事でした。
今回の取材で50年ぶりに見つかった開発当時の図面。
新幹線の象徴とも言える流線型のボディーはどうつくられたのか?まずはそのドラマからひもときます。
まだ箱型の車両しか走っていなかった当時前代未聞の流線型のボディーづくりを任されたのが下松の職人たちでした。
彼らが得意としていたのは「打ち出し板金」という技術。
金属の板をハンマーでたたいて複雑な曲面をつくり出す工法です。
山下清登さん。
初代新幹線の先頭部分を打ち出した職人です。
当時自動車の修理などをしていた山下さん。
バンパーの曲面を美しく仕上げる腕前が評判になっていました。
その腕を見込まれての依頼でした。
(山下)ようこんなのがあったね!当時はほんと…驚いたんじゃがね。
はぁ〜!と思って。
すごい流線型じゃと思ったんじゃが…。
一番驚いたのはスピードだったね。
スピードの話を聞いて。
これは将来的には250キロぐらい出すんだと…。
ただ何とかこういう形のものをつくり上げてくれ打ち出してくれっていう話だったから。
世界最速の鉄道が実現できるのか?その成否は山下さんたち板金職人の腕に懸かっていました。
巨大な先頭部をおよそ30枚の板に分けてたたき出す事にしました。
微妙な流線型をつくるためには僅かな誤差も許されません。
曲面をミリ単位で捉える能力と正確にハンマーを打ち下ろす技術が必要でした。
下でコチコチたたいては木型にのせてみては…。
これ木型にほんとに沿うようになるまでピタッとなるまで打ち出さにゃいけんのだからね。
降りたり上がったり降りたり上がったりしてね。
大変大変。
すごい重たいしね…重量が。
その当時鉄じゃからね。
与えられた時間はおよそ1年。
集中力を保ちながらの精密な作業が昼夜を問わず続きました。
重労働とプレッシャーに耐えかね仲間たちが次々とやめていきました。
10人入ってね…3人ぐらい止まればいい方ね。
10人入って3分の1残らんじゃろうね。
僕の右腕になってくれたんがいよいよおったんじゃがねその彼もね体の方がもうもたんっちゅうんでねやめさせてもらうっちゅうてやめた。
その子はね。
工場を代表する職人の一人藤井洋征さんです。
当時17歳。
学校を卒業してすぐにチームに加わりました。
「はぁやれんど。
やめるか」というような話は何回もしましたから。
もうほんと何十回ってやめたいと感じましたね。
ある日下宿を飛び出して東京へ行ってしまった藤井さん。
夜行列車で迎えに来てくれたのは山下さんでした。
「おいそろそろ出てこいよ」って迎えに来て…。
やっぱり周りの人のおかげというんですかね気持ちっていうんですかね…。
その気持ちを分かってもらえるというんですかね。
やっぱりそれが一番うれしかったような気持ちがしますね。
(アナウンサー)東海道新幹線もオリンピックを目指して走りだしました。
昭和39年オリンピックの9日前新幹線が美しい流線型でさっそうと風を切り走り始めました。
まあほんとに走りだしたんだと思った。
走りだしたんだね。
その時お客さんもずっと乗せてたからね。
お客さんをね…乗せて走ってね。
あぁ〜すごかったよあれは。
あの時だけはね何となく「あぁやってよかったな」というようなそんな感じがちょっとだけあったね。
工場では今も若い職人たちがハンマー1本で最新の新幹線のボディーをつくっています。
厳しい時代の要求に腕で応える。
日本のものづくりの心意気が受け継がれています。
新幹線の先頭車両をつくっている工場にお邪魔しております。
私たちの後ろにも今その新幹線の顔の一部がドーンとあるわけですけれども。
打ち出し板金のハンマーの跡がまだ残ってるんですよね。
感動しますねやっぱりたたいた跡があって最先端の新幹線の頭が人がたたいた…それで出来てるっていうのはやっぱり「う〜ん」と思いますね。
本当の最先端は人間の手でつくり出されるっていうのが…。
まさにこの現場にいるわけですからね。
現場で感じる事ができますよね。
ええ。
ちょっとうれしいですね。
ものづくりの日本の歴史の中で0系新幹線が生まれた事とはどんな意味を持つんでしょうか?戦後すぐのプロジェクトですので当時日本の国力だとか技術力から言えば世界のトップの…世界にない高速鉄道をつくろうというその行為自体がある意味無謀ですよね。
それに対応してそれをつくり上げてしまった。
それはその後のいろんな日本の技術だとか私たちの精神的にも「やれるんだ」というそういう勇気も与えてくれたという意味で0系新幹線は戦後日本の代表すべき…。
そう言っても過言じゃないんじゃないかと思いますね。
これまでにないものをつくれと言われた時の各町工場ごとの気持ち気質はどんなものだったんでしょうか?日本の職人気質というのは誰でもできるものはやらない。
他でできないものを持ってこいと。
できないものにチャレンジする。
大学を出たエンジニアたちだけがすばらしいのでは技術って良くならないんですね。
0系新幹線っていうのは100万点の部品があるとすれば1本のネジが駄目でも結局新幹線は走らないわけですね。
ですからここで新幹線の頭がつくられてるっていうだけでこれは何のためにつくってるかをたたいてる人たちがある程度理解しなきゃいけない。
そういう体制づくりが新幹線の一番の苦労だったんじゃないかと思いますしそれが実現できたのが新幹線が実現した事になると思いますね。
時代が進むと新幹線はより速くより安全にと進化を迫られます。
1980年代著しい経済成長を遂げた日本。
ビジネスや観光に新幹線はより身近な存在になっていました。
遠距離恋愛の象徴になったのもこのころです。
・「きっと君は来ない」・「ひとりきりのクリスマス・イブ」
(CMナレーション)帰ってくるあなたが最高のプレゼント。
しかしこのころ新幹線は深刻な課題に直面していました。
スピードアップのための軽量化で構造が弱くなり天井に亀裂が入る不具合が相次いでいたのです。
原因は全区間のおよそ3分の1を占めるトンネルです。
トンネル内では新幹線の周囲に気圧の高い部分と低い部分が複雑に発生します。
気圧が高くなると車体は強い力で押し込まれます。
逆に気圧が低くなると車体は膨張するように外側に引っ張られます。
トンネルを通過する際これらの力を繰り返し受け鉄板や柱に亀裂が入ったのです。
軽量化によるスピードアップは限界に達しているかに見えました。
こうした中で注目されたのがアルミニウム合金。
重さは鉄の3分の1です。
しかしアルミは強度も鉄の2分の1程度とされています。
強度をどう確保するかが最大の問題でした。
その難問に挑戦したのが下松の工場で働いていた設計士服部守成さんです。
軽量化30%以上やってかつこういう固い構造にして。
非常に難しいとは思いましたけどできない事ではないと思いましたね。
強度を上げるためにまず考えられるのは柱の数を増やす事です。
しかし柱を増やせば十分な軽量化はできません。
悩んだ末にたどりついたのが加工しやすいアルミの特性を生かす方法でした。
熱したアルミを加工してつくった板です。
10cm置きにT字形の出っ張りをつくりました。
(服部)これは一つの骨組みと考えたらこういう…面をこういう方向に反らせる方向こういう方向には強いですねこれエの字の骨です。
それまでは平らな鉄板でつくられていた新幹線。
立体的なアルミの板を使う事で軽くてゆがみづらい車体構造を実現したのです。
軽くて強度が強くてかつコストが安い低い。
重量もこの構造を使う事によって37%100系よりも軽量化ができたという事でノルマも達成できました。
こうして生まれたのが50キロものスピードアップに成功した300系新幹線「のぞみ」です。
服部さんたちが考えた立体的なアルミの板は今もより進化した形で使われ続けています。
「のぞみ」ですね。
やっぱり速度が速いから音も大きいですね。
自信を持って送り出しています。
考えてる事は間違いがなかったなというふうに思ってます。
300系に見られる鉄からアルミへの技術革新。
それ技術者はつくるのが大変だったんじゃないですか?
(鈴木)大変です。
ただ技術というのは新しいものを常に取り込みながら3歩進んで2歩下がるぐらいのやり方でやっていきますから常に新しいものをチャレンジして安全だとか快適だとかいわゆる守るべき最低のものをベースにしながらそこに新しいものを付け加えていかないとどうしても陳腐化していきますし…それはもう技術じゃなくなりますので。
50年間乗客の車内での死亡事故なしってほんと奇跡ですよね。
日本というのはそういう意味では地震が多かったりだとかいわゆる人間が住んでる所が実は…日本は山がほとんどなので周辺なんですね。
海側という事で非常に屈曲したまっすぐな部分がないという事で…
(鈴木)50年間無事故できてるというのはもう奇跡というか「より快適により安全に」というのを確保しつつ…この新幹線をはじめとした日本のものづくりの未来はどのように描いてらっしゃいますか?新幹線は50年間まさに無事故でやってきたっていうのは世界に「私たちはこういうものをつくってきたんだ。
みんなのために安全にこういうものをやってきたんだ」という事を証明する一つのほんとにいいものだと思うんですね。
そういう人たちがいるからこそ日本はものづくり大国でいられるしこれからも先へ進んでいける。
今下松にある日立の工場では最新の東北新幹線E6系の製造が進んでいます。
(鈴木)あ〜これはまさにおもてなしの雰囲気の…。
へえ〜。
時代時代のニーズに応えてきた新幹線。
今重視されているのは「快適さ」です。
あっ固さもちょうどいい…。
更に工場には3月にデビューを控えた最新型車両が。
北陸新幹線E7系です。
(鈴木)いい格好ですね。
いかにも速く走りそうな雰囲気の…。
より快適性を追求したぜいたくな車内。
トイレも広々とし洗浄機能まで付いています。
半世紀にわたり磨かれてきた新幹線の技術。
今海外へのインフラ輸出の柱の一つとして期待されています。
イギリスで2009年から走っているのは新幹線の技術を応用した高速鉄道…安全性や正確な運行システムなどが評価され導入されました。
この車両をつくっているのも下松の職人や技術者たちです。
50年前「夢の超特急」として誕生し時代とともに進化してきた新幹線。
日本人の暮らしを変えそして経済を牽引してきました。
職人や技術者一人一人のものづくりの情熱がニッポンの未来を切り拓いていきます。
2014/10/12(日) 17:05〜17:30
NHK総合1・神戸
YAMAGUTIC「超特急が拓くニッポンの未来〜新幹線を作る男たちの半世紀」[字][再]
開業50年を迎える新幹線。支え続けてきたのが、“鉄道の町”山口県下松市の職人や技術者だ。開発秘話や進化の歴史をたどり、日本のものづくりの今、そして未来を見つめる
詳細情報
番組内容
日本が誇る世界初の高速鉄道・新幹線が、ことし開業50年を迎える。その半世紀に渡る歴史を支えてきたのが、“鉄道の街”山口県下松市の職人や技術者たちだ。進化を続ける新幹線は、時代時代の最高レベルの技術が結晶化した、まさに日本の“ものづくり”の象徴。初代新幹線・0系の開発秘話や、最新型車両まで“進化”し続けてきた歴史をたどることで、日本のものづくりの今、そして未来を見つめる。
出演者
【出演】国立科学博物館理工学研究部科学技術史グループグループ長…鈴木一義,【キャスター】塩屋紀克
ジャンル :
ニュース/報道 – 報道特番
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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