(お囃子)岩手県の沿岸大町の秋祭りです。
1年で最もにぎわうこの時期に大きな決断をした夫婦がいます。
岩間美和さん46歳。
妻敬子さん51歳。
町ではちょっと名の知れた夫婦です。
「復興食堂」。
2人が営むこの仮設店舗は震災後いち早く営業を始めた復興のシンボルでした。
去年12月土地のかさ上げ工事が本格化。
食堂は立ち退きを迫られました。
新たな場所で食堂の再開を目指した2人。
実現は思っていた以上に困難でした。
被災地では建築資材や人件費が高騰。
食堂の建設には見込んでいた額の倍の費用が必要になったのです。
妻の敬子さんにはどうしても食堂を続けたい訳がありました。
震災から3年半。
移りゆく被災地の現実の中で夢の実現に懸けた夫婦の物語です。
22mを超える津波に襲われた大町。
復興食堂を閉店した今妻敬子さんは被災地ツアーのガイドの仕事に就いています。
町にツアーを受け入れているのは被災者の雇用創出などに取り組んできた社団法人。
敬子さんはこの仕事で家計を支えています。
食堂の閉店後も敬子さんが大切にしているものがあります。
復興食堂ののれんです。
洗濯してあれしても汚れが全然取れない。
震災から8か月の空き地が目立つ町の中心部でどこよりも早く営業を始めたのが復興食堂でした。
おらが大復興食堂開店しました。
町の復興を支援しようと社団法人が助成金を利用して立ち上げました。
雇われたのは被災して家や職を失った人たち。
看板メニューは地元の海の幸が満載の「おらが丼」。
1杯800円で支援に駆けつけた人たちをもてなしました。
復興食堂には多くの人々が集まり自らの夢や町の将来を語り合いました。
店長として食堂を切り盛りしてきたのが岩間美和さんです。
震災前は水産加工場に勤めていましたが被災し職を失いました。
そんな時食堂の話を耳にし新たな挑戦をしてみようと自ら店長を引き受けました。
妻敬子さんは接客を担当。
慣れない夫を支えようと工場でのパートをやめ食堂で働き始めました。
オープンから1年後。
食堂の運営を支えてきた助成金が打ち切られる事になりました。
2人は決めました。
美和さんが経営者となり夫婦で食堂を続けていこう。
オープンから2年転機が訪れます。
町の中心部で始まった土地の「かさ上げ」工事。
はいお疲れさんでした。
食堂が建っている場所もその対象となり移転せざるを得なくなりました。
去年12月多くの人に惜しまれながら食堂は営業を終えました。
町が大きく変わり始める中美和さんは今後を考えました。
復興食堂は大町のシンボル。
期待に応え店を再開させる事が店長としての自分の務め。
夫婦は新たな場所で店を再開させる事にしました。
広さ60坪。
座席70の新店舗の設計図です。
店の真ん中には暖炉を置き向かいには人々が集えるオープンスペース。
建設予定地は地元の地主の厚意で200坪を借りられる事になりました。
もうちょっとこの辺か。
この辺玄関で。
…というか大きな場所。
ところが今年になって思わぬ事態に直面しました。
復興に向け住宅建設などの工事が増える中資材と人手の不足が深刻化。
建設費が高騰し始めたのです。
食堂の建設費は想定の2倍へと跳ね上がりすぐに着工するのは難しくなりました。
美和さんは新たな職探しをせず食堂の再開に奔走してきました。
じゃあやだ。
2人の将来を考えるとこのままでいいのだろうかという思いが胸をよぎるようになりました。
この日夫婦は食堂で使っていた機材を預けている倉庫を訪ねました。
コンロや冷蔵庫。
どれも大切に使ってきました。
新しい食堂でもまた使う事ができるか。
一つ一つ確認していきます。
保管している時間が長引いた事で機材は想像以上に傷んでいました。
(三上)これはちょっと崩れてる。
それは水抜きしてるんで使えるけどぶっちゃけ一冬越えているんで点検してから。
さび付いてしまった作業台や大型の冷蔵庫など3分の1は廃棄する事になりました。
着工が遅れるにつれ夫婦が描いていた設計図は思いどおりの形にならなくなっていました。
徐々に厳しくなっていく現実。
美和さんは食堂再開の計画を根本から見直す事にしました。
妻の願いは実現させてあげたい。
でも家族の将来も考えなければならない。
やっぱり…敬子さんはガイドの仕事のかたわらある事を始めました。
町の水産加工品の試食会。
新しい食堂でどんなメニューをそろえるか再開を心に決め考え始めていました。
結局これから自分たちが…何かそうだよなあ…敬子さんがここまで食堂再開にこだわるのには訳があります。
(鈴の音)子供たちがまだ小さい時…敬子さんの父勝一郎さんは自宅で津波にのまれ行方不明。
敬子さんは食堂で働き始めるまで人と話すらできないほど落ち込む毎日でした。
美和さんには敬子さんの気持ちが痛いほど分かっていました。
しかしいつまでも結論を先延ばしにするわけにはいきません。
(インターホン)はいよ!この日商工会の若生剛さんを招き食堂を再開できるか話し合う事にしました。
若生さんは食堂の収支や帳簿の作成など店の経理を手伝ってきてくれました。
(若生)12月はだって20日までだったですもんね。
(若生)そうそうそれが1月までいったから。
1月まで給料払ったし。
食堂の経営は閉店までの4か月間赤字に陥っていました。
震災から時間がたちボランティアの数が減るなど客足が落ち込んでいたのです。
再開しても経営を軌道に乗せるのは難しいかもしれません。
だから結局何もそういうのなければね…それでも敬子さんの思いは変わりません。
できねえわけじゃねえからって…
(若生)えれぇよな。
何を元に…会いたくて来る人…
(若生)さっき言ったけどほんとにシンボルみたくなってましたからね来る人たちの。
(美和)実際はこんなだったけどさ。
(美和)そういう事になってしまう。
(美和)ありがとうございました。
ありがとうございました。
でもほんとにどうもありがとうございました。
(敬子)ありがとうね。
(若生)どうも〜。
(若生)それじゃお邪魔しました。
(美和)ありがとうございました。
(敬子)どうも!美和さんは決断しました。
30日にすぐ東京行かなきゃなんねえんで。
来年度町に新しく出来る水産加工場に就職する事を決めたのです。
工場が出来るまでの間は富山県など各地へ赴き研修を受ける事になります。
家計も厳しくなっていく中選択肢はこれしかありませんでした。
(敬子)どうすんの?髪を。
髪やる。
美和さんの決断。
家族は反対しませんでした。
こうなんだよって言われればあっそうなんだっていう…聞く感じだったから。
(お囃子)震災後も絶える事なく続けられてきた大町の秋祭り。
その準備が今年も始まりました。
祭りの主役は勇壮な虎舞。
(お囃子)美和さんたちは家族そろって毎年参加してきました。
(お囃子)ヨイヨイヨッセー。
(お囃子)祭りが終わると美和さんは新たな仕事のためふるさとを離れます。
とにかく今何か手が離せないって言うから…。
旅立つ前に美和さんには敬子さんと話し合っておかなければならない事がありました。
新たな店舗を建てるために借りていた土地の事です。
これ?例えばね。
そうすればこうこうでこうかかるでしょ?でこれ5つ?…だと123。
(美和)とりあえず今の状況だば向こうに行ったとしてもなんぼかやっぱり俺向こうでかかると思うからその分の差っ引いた分がまあ子供たちにというか家のお金としては残るんだろうけど…。
結局店って言っても今の流れ的な雰囲気だば…食堂再開の夢は白紙に戻りました。
借りていた土地は契約を解消してもらう事にしました。
佐藤さんがどう考えてるかあれなんですけどその辺も電話で話しする事でもないので一応いつか…解約の手続きがふるさとを離れる前の最後の仕事となりました。
(お囃子)一年で最も大町がにぎわう秋祭り。
それぞれの地区が自慢の山車を繰り出し壮麗さを競い合います。
(お囃子)食堂が閉店してから9か月。
再開に向け全力を尽くしてきた日々でした。
(お囃子)支えてくれた人たちに感謝と別れの挨拶です。
ちょっと出しゃばったとこもあったと思うんですけども…。
まず頑張って。
ありがとうございます。
何分になったら来んだべほんとに。
敬子さんは遠方からの訪問客を待っていました。
お〜い!おかえり。
(敬子)おかえり〜。
ただいま!
(敬子)おかえり〜!復興食堂の常連客です。
ボランティアで大町に来る度に敬子さんに会いに来ます。
(敬子)おかえりおかえり。
(お囃子)ボランティアの数がぐっと少なくなった今もこのグループは東京から通い続けています。
(お囃子)お疲れさまで〜す。
は〜い!最初はボランティアで来てたけど…。
敬子さんを「母」と呼んで慕っているみんな。
復興食堂の再開を気にかけていました。
(敬子)じゃあね!また。
何にもねぇんだよほんとに。
夜祭りのクライマックス。
伝統の虎舞の奉納です。
新たな仕事に就き家族を支えていくと決めた美和さん。
自らの選択を信じ前へ進んでいこうとしていました。
(掛け声とお囃子)お疲れさんでした。
お手を拝借!いよ〜!
(手拍子)
(一同)お疲れさまでした。
(拍手)お疲れお疲れ。
みんなお疲れさまでした!9月28日。
どうもどうもすみません。
御無沙汰してました。
借りていた土地の持ち主と話し合う事になりました。
いろいろとどうもありがとうございます。
夫婦で支え合い再開を目指した復興食堂。
何度も話し合いたどりついた結論。
(佐藤)今月いっぱいという事で。
地主の佐藤さんは「必要になったらまたいつでもどうぞ」と答えてくれました。
美和さん旅立ちの夜。
研修先は富山。
とりあえず生活に必要なだけの荷物を車に積み込みます。
ちょっと詰め込み過ぎましたね。
箸入れてけた?そういえば。
使ってんじゃん。
ハハハ!
(美和)ママだけで十分だ。
姉ちゃんまで。
(鈴の音)じゃね。
また来るよ。
じゃあね気を付けろよ。
バイバーイ。
美和さんが旅立ったあと敬子さんはかつて復興食堂があった場所を訪れました。
この場所も年内にはかさ上げ工事で土の下に埋もれます。
すごいね。
最初はね白いテントから始まったんだもんここ。
でプレハブになって。
たとえ食堂の再開はかなわなくてももう一度この町に人が集える場所を作りたい。
そう考えるようになりました。
いろんな事をね。
すごい思ってる。
そうしながらいろんな人たちと…復興食堂の閉店から10か月。
これから進むべき道を夫婦は少しずつ見つけようとしています。
震災から時間がたつにつれて再建された住宅や高台移転の進捗状況を見ると復興は進んでいるように見えます。
でもその一方でご覧頂いた夫婦のように食堂の再開を断念せざるを得ない事態が起きている事にしっかりと目を向けていかなければなりませんよね。
さて東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」を皆さんに歌って頂く「100万人の花は咲く」。
これまでに2,000組およそ8万人が参加しています。
海外からも寄せられています。
フランスのパリ・アブリコ合唱団の皆さんです。
フランスで音楽活動をしている日本人が結成したアマチュア合唱団で日本人とフランス人がメンバーです。
ホールはもちろん駅の構内などさまざまな場所で歌声を披露しています。
その中で「花は咲く」も歌っているんですが今後はお客さんにも一緒に歌ってもらおうと企画しているそうです。
・「誰かの歌が聞こえる」・「誰かを励ましてる」続いては福島県から三味線の伴奏での「花は咲く」です。
藤本流秀建会の三味線に合わせて歌っているのは郡山市熱海町石筵地区の皆さんです。
秀建会の皆さんはボランティア活動で市内の介護施設などを訪れて演奏会を開いています。
2年ほど前から「花は咲く」の演奏を始めました。
これからも三味線による「花は咲く」の輪を広げていきたいそうです。
・「花は花は花は咲く」・「わたしは何を残しただろう」もう1つは神奈川県からです。
4つのグループがそれぞれ歌う「花は咲く」を一つの映像に編集して送って頂きました。
まずは港北区で子育ての支援活動をしているどろっぷの皆さん。
続いて英語で歌っているのは大倉山うたごえサロンの皆さん。
そして地域の交流の拠点となっているまめどspace結の皆さん。
最後に大倉山英会話サークルの皆さん合わせて100人です。
ふだんは横浜市の大倉山で地域活性化のための活動をしていますがこれからも「花は咲く」を歌って復興支援につなげたいという事です。
「100万人の花は咲く」皆さんの参加をお待ちしています。
詳しくはこちらのホームページをご覧下さい。
では被災した地域で暮らす皆さんの今の思いです。
宮城県岩沼市の皆さんです。
うちは津波で家も流され田んぼも流されました。
3年たってようやく田植え稲刈りができます。
親の代々の土地を諦めず全部失ったからこそ…Dialogue:0,0:47:2014/10/12(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「夫婦の味をもう一度〜岩手県大槌町・復興食堂ものがたり〜」[字]
岩手県大槌町で人々に親しまれてきた「復興食堂」。去年の冬に始まった土地のかさ上げ工事により、閉店することになった。新たな場所で再開を目指す夫婦の日々を追った。
詳細情報
番組内容
東日本大震災の津波で中心部が壊滅した岩手県大槌町。まだ街灯すらない中、いち早く営業を始めた食堂がある。岩間美和さん・敬子さん夫婦が営む「復興食堂」だ。大勢の人々でにぎわう町の復興のシンボルだったが、去年の冬に始まった土地のかさ上げ工事により、閉店することになった。夫婦は別の場所での再開を目指しているが、建設費の高騰など様々な困難に直面。道のりは険しい。再開の日を夢見て奮闘する夫婦の日々を追った。
出演者
【キャスター】畠山智之,【語り】鹿島綾乃
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
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