ETV特集「沖縄 島言葉(しまくとぅば)の楽園」 2014.10.11

今から37年前沖縄の94歳のお年寄りが親族を集めて開いたお別れ会での言葉です。
話しているのは沖縄本島北部のある集落で使われてきた言葉です。
しまくとぅばで話している沖縄には集落ごとに異なる800を超える多様な言葉があります。
世界でもまれな多様性を誇る沖縄の言葉「しまくとぅば」。
世界の言語学者たちが今注目しています。
このまま対策がなされないと2050年までにしまくとぅばは消滅してしまう。
ユネスコは警鐘を鳴らしています。
今しまくとぅばを記録して継承しようと研究者らによる地道な取り組みが続けられています。
言葉を失う時人は何を失うのか?しまくとぅばに込められた沖縄の豊かな世界観を見つめます。
沖縄本島北部国道58号線を北へ走ります。
那覇から車で3時間。
ようやくその集落は姿を現します。
海の向こうに鹿児島県の与論島を望む国頭村奥です。
森と海に囲まれた小さな集落です。
かつては林業今は農業。
やんばるの豊かな自然を利用した暮らしを長年育んできました。
この集落のお年寄りたちは他の地域の人たちが理解できない独特の言葉を話す事で知られています。
ウクムニーで話している今年3月奥出身のお年寄りが85年の生涯を閉じました。
その書斎から貴重な資料が見つかりました。
(取材者)これは何ですか?奥の言葉ウクムニーの単語9,300以上の発音と意味を記した手書きの語彙集です。
20年以上の歳月をかけて書き綴られたものでした。
書いたのは上原信夫さん。
故郷の言葉が失われていく事を深く嘆いていました。
誰かがしないとできないという事で書き留めていたんです。
自分が残さんと誰が残すかという事しか考えて好きか何かしらんけどあんな事は言っていたんです。
この語彙集に心を動かされた言語学者がいます。
琉球大学で言語学を教える狩俣繁久教授です。
沖縄各地の言葉を記録し続けてきました。
(狩俣)10年かけて琉球列島の全部の集落を調査して記録に残そうと10年がかりで調査をした生のデータですね手書きの。
狩俣教授は上原さんが残した語彙集の存在を知り改めてウクムニーの調査を始める事にしたのです。
故郷に強い思いがあったんだなと書き残されてるものの量を見てすごく思いましたね。
たくさんの方言があるわけですね。
そうすると研究者が全てにわたって記録を保存する事はできないんですけどもああいう故郷の思いを形に残しておくという事が記録にも残らないで消えていく方言というものを思った時にすごく重要だろうなと。
この日狩俣教授は学生たちと共に奥での聞き取り調査に訪れました。
上原さんの語彙集をもとに正確な発音と意味を確認しウクムニーの辞書の編纂を目指しています。
こんにちは。
こんにちはお願いします。
この日協力を依頼したのは70代から80代の4人のお年寄り。
昔ながらのウクムニーを話せる人は75歳以上のお年寄りだけです。
話者の数は50人を切りました。
じゃあよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
役に立つかどうかしらないですけど…。
左上の「ピル」から教えてもらいたいんです。
(狩俣)豆腐やる時上にあるやつ何て言います?
(狩俣)もう一度。
ウクムニーではパピプペポの「P」の音が多く使われます。
これは今は消滅した古い日本語に見られる特徴です。
畑は那覇では「ハル」と言いますが奥では「パル」になります。
沖縄ではこうした違いが長い時間をかけて積み重なり集落ごとに違う言葉が生まれたのです。
奥の言葉でやったら奥の言葉独特だから通用しないからそういう通用しないものは全部標準語でヤマトグチで。
ヤマトグチならどこでも通用するから。
奥の方言使ってもほんとに通じないですよ。
上原さんの語彙集のうちこれまでおよそ2,000語が確認されました。
言葉っていうのがそういうものだっていう事はフィールドに来ないと分からないんですよ。
紙だけで見てると想像できない事を実際に来て本人たちから聞くという事にすごく意味があるのでそれが継承なんじゃないかなと思いますけどね。
多分あと2〜3年通うでしょうね。
だって6,000あるとして今2,000ぐらいですからあと4,000残ってるわけですよね。
そうすると2年はかかりますよね。
時間との勝負だしそれは実は奥が時間との勝負なんだけど実は他の地域も時間との勝負ですよね。
ユネスコが発表している言語のレッドデータブックです。
世界に6,000ある言語のうち2,500が消滅の危機に瀕しています。
2009年ここに琉球列島の複数の言語グループが新たに指定されました。
孫の世代が既に話せなくなった言語は「危険」とされました。
鹿児島県の奄美語沖縄本島北部などで話される国頭語中南部の沖縄語そして宮古語です。
八重山語と与那国語はお年寄りしか話せず重大な危険とされました。
従来日本語の方言とみなされてきた沖縄の言葉を独立した言語として認めその存続に警鐘を鳴らしたのです。
我々専門家はユネスコの発表以前から琉球列島の伝統的な言葉は消滅の危機に瀕しているという事に警鐘を鳴らしてずっとそういう記録保存の仕事はしてきたんですけれども一般にはなかなか認識されなかった。
そういう意味では我々が100遍言ってようやく理解してもらえるところをユネスコが1回言ってみんなが認識したという意味ではすごく重要だったと思いますね。
固有の言語であるという事は重要な考え方だと思いますね。
それは一方には日本語の方言である。
だから一段劣った言葉であるというそういうコンプレックスを払拭するという意味では重要な役割を果たすと思います。
今沖縄ではしまくとぅばを改めて学びたいという人が増えています。
各地で自治体や市民団体が主催する講座が開かれています。
皆さん私の顔を見てねどっかの西洋人とかアメリカ人とかね…。
南城市で開かれていたこの講座教えるのは民謡歌手の…アメリカ人の父親と沖縄出身の母親の間に生まれ基地の町コザで育ちました。
アメリカと沖縄2つのアイデンティティーに揺れ動いた少年時代。
高校卒業後ロサンゼルスに渡りました。
英語を習得したもののアメリカ人にはなれない自分に気付きます。
沖縄に戻った光龍さんは民謡歌手を目指します。
そしてしまくとぅばを徹底的に学びました。
特にこだわったのが琉球王朝を支えた士族たちが話した首里の言葉でした。
組踊や古謡など沖縄の芸能には欠かせないものです。
光龍さんは沖縄がかつて琉球王国として独自の言葉を持っていた事に強い誇りを感じています。
ユネスコが琉球には6つの言語があるというふうに発表しました。
これらの言語はただし日本国内では方言として扱われているのを知ってると。
でも国際的世界の基準に照らし合わせるとこれは独立した言語というふうに発表しました。
だから皆さん今まで方言というふうに当たり前に言ってるかもしれないけど方言ではありません。
沖縄の言葉は言語です。
というふうに皆さん認識してもらいたい。
沖縄の人としてのアイデンティティーをずっと私のもしかしたら将来の子供たちであったり孫にそのまま継承したいなというのが一番の理由ではあります。
やっぱり自分たちの誇りを持っている。
自分たちの事に対して積極的に関わろうとするという事は今学力最下位ですよね所得も最下位いろんな意味で無気力だというその結果が出てるんですよ。
大学進学率も沖縄は最下位なんですね。
だからいろんな面で日本語に対してももうちょっと自分たちの言語を自由に使えるようになれば自分たちの言語も大切にしながら日本語もバイリンガルでやっていこうと。
勉強とか社会に対しても積極的に関わっていこうという気力をその何ていうかな…養う事にもつながると思いますね。
「日本語と共に自らの母語であるしまくとぅばも習得してほしい」。
沖縄で多言語社会を目指す光龍さんの願いです。
ユネスコがしまくとぅばを独自の言語と認めた理由の一つはその歴史的成り立ちにあります。
しまくとぅばも日本語もかつて九州で話されていた古い言葉を祖先としています。
最新の学説では8世紀以前に九州から近畿に人々が移動し言葉も変化を遂げこれが日本語となります。
九州に残っていた古い言葉は日本語の影響も受けつつ11世紀頃沖縄に伝わり「しまくとぅば」となりました。
やがて九州にも日本語が伝わり古い言葉は消えていきました。
しまくとぅばは島の風土や気候を反映して独自に変化を遂げ6つの言語グループに分かれていったと考えられています。
15世紀に誕生した琉球王国は首里の言葉を公用語とし離島や僻地を支配しました。
しかし集落ごとに違う地方の言葉を禁じる事はありませんでした。
こうして沖縄には多様で豊かな言葉が残される事になったのです。
古くから港町として栄えた那覇にも独自の言葉が生まれました。
各地の人々が行き交った那覇では人々をつなぐ言葉が必要でした。
首里とは違う庶民の言葉です。
下町那覇の言葉うちなーぐちを残そうとしている市場があります。
栄町市場は戦後すぐに造られ地域の人々の暮らしを支えてきました。
大型店に押され活気を失いつつあった市場をうちなーぐちを使って盛り上げようとする人がいます。
栄町で生まれ育った…市場を盛り上げるためにラップグループを結成するなど率先してうちなーぐちを話すように努めています。
うちなーぐちで市場の事を「マチグー」と呼びます。
「マチ」は人が集まる場所「グー」は日本語の「ちゃん」に相当する親しみを込めて付ける接尾語。
人々の愛着が表現されています。
マチグーでは店主とお客の間に自然に会話が生まれやがて家族のようなつながりが生まれます。
マチグーならではのうちなーぐちがあります。
「シーブン」買った品物とは別に添えられるおまけです。
このシーブンはやっぱり沖縄のククルっていうんですかねそれを表したものがこのシーブンというものになるんですけど。
気付かれないようにそっと忍ばせる事も多いシーブン。
沖縄の人々の優しさが込められた言葉です。
沖縄大学で植物学を教える盛口満教授です。
奥の人々が周囲の自然環境をどのように利用して生活してきたのか聞き取り調査を続けています。
奥では今さまざまな分野の研究者が共同で生物の多様性と言語や文化の多様性の関係について研究を進めています。
これは生物の多様性を表した地図です。
色が濃い熱帯地域ほど多様な生き物が暮らしています。
赤い点は言語を表します。
生物が多様な地域ほど言語も多様である事が分かります。
国頭村には20の集落があります。
海が豊かな集落森が豊かな集落地形の違いにより自然環境は微妙に異なります。
環境の違いで漁業や農業林業など集落ごとに暮らしぶりも変わります。
自然の利用のしかたの違いが言葉の違いを生んでいったと考えられています。
盛口教授が注目したのは50年以上前に途絶えた奥独特の漁ブレーザサです。
植物の毒を珊瑚礁にまいて魚をとる伝統の漁法でした。
森が豊かだった奥ではブレーザサにさまざまな植物が利用されました。
これがイジュの木です。
毒はイジュと呼ばれるツバキ科の木からとったといいます。
奥では多様な植物に全て名前が付けられていました。
暮らしに必要なものは自然から手に入れていました。
魚がエラから吸収すると呼吸が苦しくなったり溶血成分で赤血球が壊されてそれでフラフラになって浮いてるのをとるっていう。
盛口教授は調査を進めながらブレーザサに関わる言葉を収集しています。
かつてブレーザサに参加した崎原英秀さんです。
(盛口)この葉っぱは何になります?名前は。
これはマニっていうんですが。
魚を追い込むためのオドシはウクムニーでマニと呼ばれたクロツグの葉で作ったといいます。
これどれくらいの長さのものを昔は作ったんですか?ずっと100mぐらい一人で担いでいってこうして巻いてるからこっちに掛けてから泳いで。
掛けとったから海へ流されてよ。
海の潮が動かすからこれ真っ白になってあっちに動いたりこっちに動いたり。
(盛口)魚が驚く。
獲物を入れる籠や珊瑚礁を歩くための草履は海辺に生えるアダンで作りました。
アダンアシ。
こうして歩いていくから。
アダンの繊維が水に強いという特性を奥の人々は古くから知っていました。
ダナーと呼ばれる浜です。
ここでかつてブレーザサが行われました。
ザサをやるとしたらこの中の一部をロープで仕切るの?あっちからず〜っとこっちまで。
何人ぐらい村から出てきてやったもんですかね?奥の人全部だから相当な人が出たんじゃないですかね。
(盛口)それくらいいないと逆にやりきれないわけですね。
ブレーザサは1955年を最後に途絶えました。
戦後効率を求めて強い毒物を使ったため海への影響を危惧する声が高まったのです。
「ブレーザサ」という言葉も同時に失われていきました。
最初はイジュという木の皮使ったの。
これは手間もかかるし毒の効き目も弱いんですが逆に言うと資源の維持としてはちょうどいい範囲なんです。
それが戦後外来のデリスという非常に毒性度の強いのが来ると有効にはなるんだけどとり過ぎてしまう。
そういういろんな意味での自然の変化社会の変化が合わさってブレーザサというのも消えていく。
そうすると今度ブレーザサに関わっていた知識がなくなっていったりブレーザサに限らないと思うんですが島の言葉が消えていく。
そういうのが重なり合っていくのがブレーザサという事を逆に言うと聞くと復元できたりある程度昔の姿が見えてくるのかなっていう思いでいます。
奥で独特の言葉が生まれたもう一つの理由に共同体の絆の強さがあります。
奥は沖縄各地にある共同店が100年以上前に誕生した地です。
共同店は住民が共同で出資し運営します。
利益は分配され集落の行事にも使われます。
売店で全部帳簿管理してるんですよ。
(取材者)区の?はい事務所でしょ。
こういうふうに団体帳というのがあるんですよ。
区の事務所とか成人会老人会いろいろなお金の出はいり。
そこがまた他の売店と違うところですかね。
年金がおりるまでお金が足りない時は貸したりもしてます。
ずっと前からそういう形でやってます。
人々は共同体の団結を何よりも大切にしました。
人と人の絆を強めるため他の集団とは異なる独自の言葉を作り出してきたと考えられています。
聞き取り調査に協力している崎原さん夫婦です。
2人が一番好きな言葉があるといいます。
ユーエー。
お祝いの事ユーエー。
(掛け声)奥で2年に一度行われる行事…村の長老を桶に乗せて練り歩き豊作を祈願し長寿を祝う。
ユーエーです。
長老への敬愛の念自然観や死生観。
それらは言葉と同様奥独特のものです。
人間は自然とずっとつきあう中で多様な文化が必要でいろんな言葉がそれに応じて作られてきてそれをつい数十年前まで当たり前のように保持してたのがそれが要らなくなったよ共通語で大丈夫だよ知識とか必要ないよとなって僅か逆に言うと数十年。
これで大丈夫だって言い切る事ができない。
だからやっぱり今まで人間が営々と培ってきた数万年にわたる知識や歴史というのをどっかでつないでおかないと危ないかもしれないというのが言える事なのかなっていうふうに思ってます。
ウクムニーの調査を続ける狩俣教授のチームです。
お年寄りたちが教えてくれた日々の暮らしに根ざした言葉を丹念に記録していきます。
「クチワンデーシムヌカマランドー」で「口内炎だから食べ物が食べられない」。
(狩俣)これ「口内炎で」です。
生活の変化の中でしまくとぅばは失われつつあります。
狩俣教授は子供たちが楽しみながら学ぶ事ができるウクムニーの音声教材を作ろうとしています。
(パソコンからの音声)「方言のあとにチャイムが流れます。
続けて練習してみましょう。
『あなたの名前を教えて』。
『ウラナーナラシバ』」。
(一同)ウラナーナラシバ。
異なる言葉を互いに認め合い多様性と独自性を保ってきたしまくとぅば。
その寛容な在り方を残そうという地道な取り組みが続いています。
みんながそれぞれの方言で作ればいいんだよね。
ここではウムクニーのペーサナレーを作るけどみんながそれぞれ自分のものを作って自分で聞けば。
それを周りの人に配れば。
(笑い声)効率でいうならばコンビニの食べ物お握りは全部1種類の方が捨てる数も少なくて済むし服もみんな同じものを着れば安くて済むし無駄になる服もないですよね。
だけどみんな今日はカレーライス食べたい明日はイタリア料理あさっては中華料理と言っていろんなの食べたいですよね。
人間自身が実は一人一人違うものを求めているんだと僕は思うんですね。
そうすると言葉も共通のものもあってもいいんだけれども他と違う言葉があってもいい。
両方が今共存可能ですよね。
言語によって思考方法とか認識のしかたというのは違うんですけどもそうすると多様な認識とか多様な思考方法というか…。
要するに言葉に影響を受けた思考の方法というのがあると思うんですけどもそれが多様であればあるほど人間は豊かになれるんじゃないかなという考え方があるんですけどもまさしくそうなんじゃないかな。
しまくとぅばで遊んでみましょうね今日もね。
いいですか。
じゃあ配ります。
那覇市内の小学6年生のクラスです。
授業が始まる前の朝の15分間しまくとぅばを学ぶ時間を設けています。
(取材者)もうちょい勉強したいっていう気持ちはある?はい。
あります。
何かかっこいい。
暗号みたいでかっこいい。
那覇市では去年しまくとぅばを学ぶための教本を作り配りました。
ところが多くの学校で十分活用されていないのが実態です。
義務教育では文部科学省が決めたカリキュラムを守らなければなりません。
地域総合学習の時間などを使って教える事はできますが人材が足りないなどさまざまな課題があります。
教育課程っていうのは文部科学省が定めていてどういう事を教えなさいって時数は何時間ですっていう決まりがあるんですがその中で教えないといけない要件がいくつかあるんですね。
それを教えないといけないのでその中に方言の部分は入ってないので教えるのは時間を生み出すのが難しいかなと思います。
8月国連の人種差別撤廃委員会は日本政府に対し沖縄の人々は先住民族であるとしてその権利を保護するよう勧告しました。
この中で消滅の危機に瀕する言語を保護するために沖縄の人々がしまくとぅばでの教育を受けられるようにする事を求めました。
政府はこれまで沖縄の人々は日本民族であるとして人種差別撤廃条約の対象にはならないと主張してきました。
今回の勧告に対する意見はまだ出されていません。
沖縄キリスト教学院大学で英語やしまくとぅばを教える新垣友子准教授です。
ユネスコが固有の言語と認めたしまくとぅばは学校教育に導入されるべきだと考えています。
言語の復興を考える際に方言なのと言語なのと生き残りの確率が全然違いますし政府がどれだけ援助しないといけないとか。
私たちは日本の枠組みに今いますから日本語を学ぶ事は保障されてますけどでも本来の母語であるうちなーぐちを学ぶという事は全然保障されてないのでその言語圏が保障されないといけない。
アメリカ軍普天間基地を抱える…この町に先月消滅の危機に瀕する言語を研究する世界の学者たちが集まりました。
日本での開催は初めてです。
どうすれば言語を消滅から救い残していけるのか。
3日間にわたり議論が交わされます。
学会では言語復興のために教育やメディアが果たす役割の重要性が改めて確認されました。
「消滅の危機に瀕する言語一つ一つを守る事が世界に多様で豊かな価値観をもたらす」。
言語学者たち共通の思いです。
しまくとぅばが衰退するきっかけになったのが…明治維新で誕生した日本政府によって琉球王国は廃止され沖縄県として日本の国家体制に組み込まれる事になりました。
日本政府は国家を統治するために全ての国民が標準語を話す事を奨励し沖縄でも日本語教育が始まります。
学校ではしまくとぅばを話すと罰として首に「方言札」を掛けられました。
やがて沖縄の人々自身がしまくとぅばを日本語よりも価値の低い言葉と考えるようになっていきました。
戦後アメリカ軍統治を経て沖縄は日本に復帰します。
生活の本土化が進み標準語が普及する中しまくとぅばの衰退は加速していきました。
しまくとぅばの復興を地方自治の観点から考える人がいます。
琉球大学で政治学を教える島袋純教授です。
基地問題をはじめ沖縄が抱えるさまざまな問題を自治の拡大によって解決しようとしています。
島袋教授が発起人を務める沖縄自治研究会は去年11月那覇市に陳情書を提出しました。
子供たちが学校でしまくとぅばを学ぶためにカリキュラムの開発や指導の体制を検討するよう求めました。
学校の正規の教育の過程の中でしまくとぅばを教えていかないかぎりどんなに自由参加で自由学習の場でですねしまくとぅばという事を普及させようと思ってもかなり実際に普及して消滅を免れるってのは難しいんではないかなと思います。
自分たちで自分たちの言語歴史文化を学んでいく継承していく。
これは市民自治の最も重要な権利ではないかという事ですよね。
現在その権利が保障されるようなシステムになってるのかどうかという事で議論して十分ではないだろうと。
島袋教授は1998年から2年間スコットランドに留学し地方自治について研究しました。
沖縄の将来を考え参考にしたいとの思いからでした。
スコットランドはかつて独自の文化と言語を持つ国でしたが18世紀にイングランドに統合されイギリスの一部となりました。
民族衣装やバグパイプと共にゲール語も一時は禁止され英語に取って代わられました。
9月18日沖縄のしまくとぅばの日。
スコットランドではイギリスからの独立を求める住民投票が行われました。
島袋教授はこの日住民投票の行方を知りたいと現地を訪れました。

(バグパイプ)実はスコットランドは1999年に独自の議会を作りイギリスから大幅な自治権を獲得しています。
教育など多くの政策を自分たちで決める事ができます。
まず行ったのがゲール語の復興でした。
各地に教室を設置し学校教育でも学べるようになりました。
その一方で英語も公用語とし多言語社会を目指したのです。
今回の住民投票は独立反対派が賛成派を上回りました。
独立は見送られましたがスコットランドは今後更なる自治権を獲得すると見られています。
ウクムニーの調査を続けている狩俣教授はこの日那覇に暮らす奥出身のお年寄りを訪ねました。
こんにちは。
はじめまして琉球大学の狩俣といいます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
92歳の金城光さんです。
37年前自分の父親が亡くなる直前に語った遺言の音声テープを大切に保管してきました。
昭和52年に94歳で亡くなった父親の金城親昌さんです。
奥で生まれ育ち長年郵便局長を務めました。
風邪をひいて寝込んでいた親昌さんは突然送別会を開いてほしいと頼みます。
亡くなる4日前の事でした。
子や孫親戚全部集まってこの部屋の中で盛大にやりました。
普通ならね標準語を使って話したりしてやりましたがねその日に限って奥の言葉でやってましたね。
ウクムニーで語ったという遺言テープをこの日特別に聞かせてもらえる事になりました。
これだけは残しておこうという子孫にですね残しておこうという事で大勢集まりましてその状況を自分で非常に気になっとった事と思うんですが。
(狩俣)ご本人が?本人が。
だからこれだけは残したいという一つの思いが籠もっています。
自分のそういう思いっていうのは何て言うんですか?母語って言うんですか?生まれ育った土地の言葉でやっぱり最後はしゃべりたいっていうような気になったんでしょうね。
それでしか表現できない事というのがあったんだろうかなと思いますね。
それはずっと下までつないでいってほしいと思いますけども。
完全には駄目でしょうけどもでも時々は自分のはるか祖先はあそこで生まれ育ったというのを今日またそれをつなげましたよねこれは。
それはすごい事なんじゃ…なかなかないんじゃないですか?自分のひいひいおじいさんの言葉を聞く機会を得る。
それは何言ってるか分からない何で集まってるか分からないんだけどもでも自分のひいひいおじいさんの声を聞く機会を得るという事はとてもいい事なんじゃないかなと…。
心の頭のどこかに残って多分どこかでそれが…。
そういう機会を得ない人と得る人とでは違うんじゃないでしょうかね。
おじいちゃんが何話してたか分かりよった?分かんない。
(狩俣)「ウクムニーペーサナレー」っていうんですよ。
速く習う。
狩俣教授はこの日ウクムニーの音声教材を子供たちに披露しました。
(ラジカセからの音声)「日本語のあとに方言が流れます。
聞いてみましょう。
『遠い所から来たんだね』『ハメートゥハラダテーッサヤ』」。
ハメートゥハラダテーッサヤ。
ハハハ!
(ラジカセからの音声)「『これはキャベツだよ』『クレータマナナンドー』」。
クレータマナナンドー。
遠い祖先から受け継がれてきたウクムニー。
消滅の危機に瀕しながらも家族の絆をつなぐ言葉です。
栄町市場の新城カメさん。
市場の子供たちにしまくとぅばを教え始めています。
気を付け。
礼。
(新城)あれ?はい。
お願いします。
お願いします。
123はい!この多様な文化の楽園を支えてきたしまくとぅば。
今自らのルーツを見つめ直そうとする沖縄の人々の心を捉えています。
2014/10/11(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「沖縄 島言葉(しまくとぅば)の楽園」[字][再]

沖縄独自の言語・島言葉(しまくとぅば)がいま消滅の危機に瀕している。多様な人々の暮らしの中で生まれた島言葉。その消滅を食い止めようと努力する人びとの姿を追った。

詳細情報
番組内容
今年9月、沖縄で「国際危機言語学会」が開かれた。そこで注目されたのが世界でも貴重な沖縄の言語の多様性だ。同じ島でも集落ごとに違うと言われる島言葉(しまくとぅば)は沖縄の多様な自然環境の中で、多様な暮らしを営む人々によって育まれてきた。それがいま消滅の危機にひんしている。言葉を失うとき人は何を失うのか。島言葉の保存・継承活動に取り組む人々の姿を通して、島言葉に込められた沖縄の豊かな世界観を見つめる。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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