出てこい!宇宙人。
演出家でコメンテーターのテリー伊藤さん。
(歓声)これまで斬新な番組を数多く手がけてきました。
そんなテリーさんが育ったのは東京の台所築地市場に隣接する築地場外市場。
今もこの一画にある老舗たまご焼き専門店の5人きょうだいの末っ子として生まれました。
物心付いた頃からたまご焼きを作る両親の姿を見て育ったテリーさん。
たまご焼き専門店が知られていない時代学校に提出する書類に親の職業をどう書くかで悩んだといいます。
テリーさんはそもそも実家がなぜたまご焼き専門店を始めたのか両親から聞いた事がありません。
番組ではテリーさんに代わり家族の歴史を追いました。
今回の取材で見つかった250年前の古文書。
そこから浮かび上がった驚きの真実。
陰陽師につながるルーツが今明らかに。
更に父武太郎と母なみ子の運命の出会い。
築地で起きた火事が結び付けた2人の出会いと…そしてたまご焼きにまつわる意外な歴史が明らかに…。
出前ブームがもたらした…母なみ子の先見の明が救った老舗たまご焼き店の危機とは?この日テリーさんは知られざる家族の歴史と向き合う事になります。
いやちょっとなんか…テリー伊藤さん本名伊藤輝夫。
実家は築地の老舗たまご焼き専門店。
そのルーツをたどるためテリーさんの父方の祖父亀之助の代に遡ります。
千葉県横芝光町。
亀之助は九十九里浜に程近いこの集落で生まれました。
今から80年前に建てられたこの家。
亀之助が老後の住まいとして建てたものです。
現在は近所に住む親戚伊藤洋司さんが管理をしています。
明治23年に亀之助は農家の次男として生まれました。
実家は長男が継ぐので小学校を出るとすぐに仕事を求めて働きに出ました。
亀之助が向かった先は東京・日本橋。
大正時代の日本橋の商店や企業が掲載された電話帳が見つかりました。
ここにある藤食堂で亀之助は働いていたといいます。
日本橋にあった魚市場にやって来る人を相手にした食堂でした。
ちなみに近くには大手牛丼チェーンの創業店もありました。
当時のこの辺りの様子を日本橋のかつお節店の8代目八木長兵衛さんが教えてくれました。
日本橋の魚市場は江戸時代幕府に魚を納めた漁師たちが余った魚を売ったのが始まりだといわれています。
大正2年。
23歳になった亀之助はある女性と恋に落ちます。
その女性との間に男の子が生まれましたが結婚はかないませんでした。
子供は九十九里の親類に預かってもらいました。
その男の子こそ後にテリー伊藤の父となる武太郎でした。
亀之助はその後別の女性と結婚します。
武太郎が生まれて10年後関東大震災が発生。
亀之助がいた日本橋の魚市場も焼け野原になりました。
この震災を受け日本橋の魚市場は移転する事になります。
その場所こそ築地でした。
もともとあった海軍施設の土地を利用する事にしたのです。
亀之助たち飲食店や乾物店などを営む商人は市場に隣接した場所を目指しました。
現在場外市場と呼ばれるこの辺りは震災前商売とは無縁な場所でした。
震災後場外市場で商売を始めた…江戸時代この辺りは58もの寺が集まる寺町でした。
その名残は今もビルの谷間に見られます。
昭和に入り築地の市場は次第に活気にあふれていきます。
そのころの場外市場の地図。
「藤」の名前があります。
亀之助はのれん分けをしてもらい自ら食堂を経営していたのです。
そんな中築地に新しい商売が生まれていました。
それはすしねた用のたまご焼き専門店でした。
なぜこうした店ができたのか?その手がかりが135年続く老舗のすし屋にあります。
ここで作るたまご焼きは現在見慣れたものとは少し違います。
えびや白身魚をすり卵を加えて薄く焼き上げます。
「寿司玉」と呼ばれる昔ながらのたまご焼き。
この作り方がたまご焼き専門店誕生に大いに関係があるといいます。
亀之助も食堂を畳みたまご焼き専門店に転身しました。
一方…親戚の家に預けられていた亀之助の子武太郎。
たくましく育っていました。
ひょうきんで人気者。
いつも遊びの中心にいたといいます。
両親から幼い頃の武太郎の様子を伝え聞いています。
そんな武太郎に大きな転機が訪れます。
実の父亀之助が子供に恵まれなかったため跡取りにと武太郎を呼び戻したのです。
武太郎は気が進みませんでしたが実の父親の命令に逆らう事はできませんでした。
武太郎は築地に出て亀之助の店を手伝い始めます。
しかしたまご焼き作りは大変な仕事でした。
午前2時に起きて作業を始め重い銅のフライパンをひたすら返す作業。
狭い作業場で1日中炭火を使う仕事は過酷でした。
それでも武太郎は持ち前の明るさとたくましさで仕事をこなし築地では目立つ存在となっていきます。
そんな武太郎に運命の出会いが訪れます。
昭和11年のある夏の晩。
偶然がきっかけで一人の女性に出会います。
その女性こそ後にテリーさんの母となる…いや〜…。
本当にまさかおやじがああいう環境で育ってたっていうのも知らなかったですね。
いや〜…。
多分おやじさんのいない亀之助おじいちゃんがいない中でずっと…お父さんですよね中でずっと育ってきて本家の方に戻ってこいと言われても複雑だったような気がするね。
テリーさんのもう一つの大切なルーツ母方鳥海家の歴史。
26年前に亡くなった母なみ子さんがかつて海女をやっていたと聞いた事があります。
母なみ子のふるさと千葉県南房総市白間津。
房総半島の南端に位置します。
昔から海女漁が盛んで今でも30人ほどが潜っています。
じゃあね。
はいよ。
なみ子の家も海女の家系でした。
(取材者)どうでした?ハハハ…「おめいら」って言うんだよね。
なみ子の生家を訪ねました。
あこんにちは。
現在この家に暮らす…なみ子の母あさは地域でも有名な潜りのうまい海女でした。
そして父米吉はカジキ漁の船主。
今ではこの地域で途絶えてしまった「突きん棒」と呼ばれる漁でカジキを取っていました。
船団を組み北は北海道南は八丈島まで遠征していました。
当時カジキは高値で取り引きされていたといいます。
実入りのいい突きん棒漁の船主。
鳥海家の暮らしは裕福でした。
あっ。
こんにちは。
なみ子のめい嶌田裕子さんは母から当時の様子を伝え聞いています。
なみ子は5人きょうだいの4番目。
負けず嫌いな性格でした。
近所の男の子に力比べを挑んでは打ち負かしたといいます。
小さい頃なみ子とよく遊んだ…しかしそんな生活が一変する大きな事故が起こります。
親戚がなみ子の父米吉の船に乗っていました。
北海道の浦河沖でしけに遭い米吉たちの船は沈没してしまったのです。
当時この海域では海難事故が度々起きていました。
父米吉は助かったもののこの事故で一番の財産である船を失ったのです。
それまで裕福だった家が食べる物にも困るようになります。
更に米吉が病気になりそのまま亡くなってしまいます。
なみ子は海女を諦め稼ぎのいい都会の奉公に出るしかありませんでした。
向かったのは東京・日本橋。
当時なみ子が奉公先で書いたノートが見つかりました。
奉公先の家族の寸法が詳細に書き込まれています。
なみ子の仕事に対する生真面目さをうかがい知る事ができます。
その後なみ子は築地場外市場の精肉店に住み込みで働き始めます。
そこで運命の出会いが訪れます。
その出会いの事を聞いています。
築地に来て間もないある夏の夜の事です。
近くで火事が起きました。
放火の疑いがあり現場は騒然となります。
火の手から逃げるなみ子。
その時声をかけてきた男性がいました。
「火事はどこですか?」。
その男性こそ伊藤武太郎でした。
なみ子は火事の場所を教えその男性の事はさほど気にも留めませんでした。
ところが火事から数日後…。
なみ子が通りを歩いていた時の事です。
(ブレーキの音)後ろから自転車がぶつかってきたのです。
乗っていたのはあの晩声をかけてきた武太郎でした。
思わぬ偶然に運命を感じたなみ子。
しかしこれは武太郎の作戦でした。
お互い房総半島出身で話が合いなみ子も気さくな武太郎に引かれていきます。
武太郎となみ子は亀之助に結婚を申し出ます。
ところが亀之助は首を縦に振りません。
息子の結婚相手は自分で選ぶと考えていたのです。
そこで武太郎たちは思い切った行動に出ます。
当時両親が伊藤家と親しかった佐藤幸男さん。
その時の事を伝え聞いています。
武太郎は駆け落ちしなみ子の実家に身を寄せます。
アハハハハ…!しばらくすると父亀之助から手紙が届きます。
「結婚を許すから築地に戻ってこい」。
店の将来を考えると武太郎を許すしかありませんでした。
昭和15年5月2人は結婚。
そして長男光男が生まれます。
武太郎は父との約束どおりたまご焼き専門店を継ぎます。
しかし翌年太平洋戦争が勃発。
卵も手に入らなくなり商売どころではなくなります。
そんな中昭和19年たまご焼き専門店を一代で築き上げた亀之助が病気のため亡くなりました。
武太郎この時30歳。
一人で店の看板を背負う事になったのです。
いや〜…。
母なみ子さんの実家鳥海家のルーツを取材する中である謎に突き当たりました。
それは鳥海家の屋号に関する謎です。
鳥海家は地元の人たちから「ねぎどん」という屋号で呼ばれていました。
現在なみ子の生家に住む鳥海正子さんも「ねぎどん」の由来を知らないといいます。
何か手がかりはないか神棚の奥も調べてもらいました。
すると…。
おお〜すごい!こんなのがあるんだ!書かれていたのは「鳥海」という文字。
更に…。
(取材者)陰陽家って書いてあります。
「陰陽家」の文字。
正子さんも初めて見たといいます。
「陰陽家」とはいわゆる「陰陽師」の事。
平安時代に活躍した安倍晴明がよく知られています。
もともとは中国伝来の「陰陽五行説」に基づき天文や暦時間などを扱う官職でした。
土地や方角などの吉凶を占い宮中でも重要な役割を果たしていました。
こんにちは。
親族の許可を得て房総半島の歴史を研究する田村勇さんに見てもらいました。
(田村)明和だからこれはずっと古いですね。
文書が書かれたのは江戸時代の明和4年。
なんと250年前のものでした。
安倍晴明の子孫で幕府公認の土御門家から送られたものです。
陰陽師の仕事の内容が記されていました。
さまざまな神事を執り行っていた事が「ねぎどん」という屋号に関係すると田村さんは言います。
…というふうに一般の人たちは言ってたと。
それがここの屋号として残ってると。
陰陽師神事をやった家だという事の祢宜。
更に鳥海家と地元白間津の祭りとの間にも関わりがある可能性があるそうです。
4年に一度行われる祭り。
中でも田村さんが注目したのは日天月天と呼ばれる太陽と月の神にふんした子供たちの踊りです。
明治に入ると政府により陰陽道は禁止され鳥海家は陰陽師をやめたと考えられます。
祭りの演出に深く関わったという陰陽師である鳥海家。
テリーさんの演出家としてのルーツはここにあるのかもしれません。
え〜っ!?いや〜これは…。
俺の演出とか…昭和20年終戦後築地は様変わりしていました。
築地市場の一部は進駐軍に接収され駐車場や洗濯工場が造られました。
卵の入手が難しく店を再開できないでいた武太郎。
知り合いを頼りおでん種などを製造する練り物工場で働き始めます。
そんな中昭和24年四男輝夫が生まれます。
後のテリー伊藤さんです。
この年水産物の統制が撤廃され築地市場も徐々に活気を取り戻していきます。
場外市場の店も次々と再開する中武太郎は一向にたまご焼き店を始めようとしませんでした。
早朝から重いフライパンをひたすら返し汗だくになって働くたまご焼き店。
それよりも工場勤めの方が余裕があり安定した収入が得られたのです。
そんな中なみ子は武太郎にたまご焼き専門店を再開するよう訴えました。
しかし武太郎はなかなか首を縦に振りません。
実はなみ子にはある確信がありました。
復興が進めばすし屋がますます増える。
そうすればたまご焼きはもっと売れるはず。
諦めきれないなみ子。
その熱意にほだされついに武太郎も店を再開します。
なみ子は午前2時に起き食事の準備掃除接客全てをこなします。
熱いたまご焼きを触るためなみ子の手はいつも火ぶくれしていました。
そして時代は高度経済成長期。
すしの食べ方にも大きな変化が表れます。
すしの歴史に詳しい…それに伴いすしねたの中でも特に子供が好きなたまご焼きに変化が起きます。
それまで魚のすり身を入れていた寿司玉から甘い厚焼きたまごが主流となったのです。
たまご焼きの需要が爆発的に増え経営は軌道に乗ります。
昭和49年には千葉県船橋市に支店を出すまでになりました。
武太郎はなみ子の先見の明に感心したといいます。
更になみ子は教育にも力を入れました。
5人の子供に幼い頃から家庭教師をつけ次々と大学へ進学させたのです。
そんな中一つだけ心配の種がありました。
それは末っ子輝夫の事でした。
大学に進学したものの学生運動に参加します。
当時撮影された報道写真に偶然写っていた輝夫。
このあと投石が目に当たりあわや失明の重傷を負ったのです。
母なみ子がすぐ病院に駆けつけました。
やっぱり…その後大学は卒業しましたが輝夫は定職に就きませんでした。
そんな息子の将来を案じたなみ子は知り合いのすし屋に頼んで雇ってもらいます。
しかし輝夫はすぐに辞めパン屋や洋服店など職を転々とします。
そんな中たまたま巡り合ったのがテレビ制作会社の仕事でした。
担当したのはバラエティー番組。
お茶の間に笑いを届ける仕事にやりがいを感じます。
斬新な演出で頭角を現していきます。
(笑い)武太郎となみ子は息子が作った番組を見るのが楽しみでした。
番組の最後に流れる我が子の名前を見て喜んでいたといいます。
一番心配だった末っ子の独り立ちに2人は胸をなで下ろしていたのです。
まあでもさっきの中で…晩年武太郎さんとなみ子さんは2人のふるさと房総の海によく足を運びました。
2人でふるさとの海を眺めていたといいます。
それぞれ思わぬ形で都会に出る事になった2人の大切なひとときでした。
テリーさんが心配をかけた両親にプレゼントしたものがあります。
ある番組の最後に流したエンドロール。
母なみ子さんと父武太郎さんを合わせた名前でした。
これまでの感謝の気持ちを込めました。
それを見て武太郎さんは大いに喜びなみ子さんは恥ずかしそうに笑ったといいます。
そして昭和63年なみ子さんは71年の生涯を閉じます。
亡くなる直前病室で漏らした言葉があります。
今築地は国内はもとより世界中から観光客を集めています。
10軒あるたまご焼き専門店は場外市場の名物となっています。
おいしい!おいしい!たまご焼きベリーグッド!祖父亀之助さんが築き武太郎さんとなみ子さんが繁盛させたたまご焼き店。
今は長男の光男さんを中心にその味を守り続けています。
おいしい!テリー伊藤さんの…。
テリー伊藤さんのとこなんで。
知ってるよ。
ハハハ…知ってるよそれぐらい。
2014/10/10(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー[新]「テリー伊藤〜たまご焼きの絆 250年前の古文書〜」[字]
実家は築地のたまご焼き専門店。これまで謎だったその始まりが明らかに。そして、房総半島の母の実家で見つかった250年前の古文書。驚きのルーツにテリーさんはぼう然。
詳細情報
番組内容
実家は築地の老舗たまご焼き専門店。これまで謎だった店の始まりや築地市場との関係が明らかになる。そして南房総市の母の実家で、今回見つかった250年前の古文書。それは、地域の歴史を知る貴重な資料だった。さらに、現在も続く国の重要無形民俗文化財でもある祭り。その祭りは、テリーさんの祖先が深く関わっていた。演出家としてのルーツにつながるものだった。初めて知る事実にテリーさんは驚き、言葉が出なかった。
出演者
【ゲスト】テリ−伊藤,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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