う〜んとても絶妙なバランスで…。
この辺りが割と激しいアクションが…。
17年間在籍した宝塚歌劇団では花組のトップスターを務め現在はテレビや映画で活躍を続けています。
そんなみきさんにはずっと気がかりだった事があります。
それは10年前に亡くなった父隆二さんの事。
自分の過去を一切語りませんでした。
航空会社の重役まで務めた…番組ではみきさんに代わり父隆二さんの人生に迫りました。
浮かび上がったのは…4歳の時父親に捨てられ消す事のできない憎しみを抱きました。
隆二さんの父宇吉は大店の息子にして放蕩を繰り返した破天荒な男。
山形の農村にバスを通した伝説の人物でした。
父親に捨てられた隆二さんは流転の日々を強いられます。
これまで謎だったその足取りが初めて明らかになりました。
どん底の日々を支えたのは「父を見返してみせる」という意地。
生涯追い求めたのはぬくもりある家庭を築く事。
知られざる家族の物語。
この日真矢みきさんはその真実に向き合います。
フ〜って吐いてました。
みきさんの父佐藤隆二さんが語らなかった自らの過去。
特に自分の父宇吉についてはかたくななまでに触れようとしませんでした。
父と祖父の間に何があったのか。
まずは祖父佐藤宇吉の人生に迫ります。
最上川流れる山形庄内平野。
国内有数の稲作地帯です。
ここに廻館という集落があります。
みきさんの父佐藤隆二そして祖父宇吉のふるさとです。
明治時代集落の街道沿いに一軒の呉服屋がありました。
当主が代々佐藤宇吉の名を継ぐ大店でした。
かつて佐藤家があった場所に当時の繁栄を物語るものが残されています。
明治23年に建てられたという土蔵。
家運向上の願いを込めた飛竜が描かれています。
明治26年吉川屋の次男として生まれたのが佐藤宇吉。
宇吉は6人兄弟。
しかし皆若くして結核で亡くなり残ったのが宇吉一人でした。
そのため宇吉は大店の一人息子として大切に育てられます。
10代になると当時珍しかった高価なカメラに熱中。
自宅に撮影用のスタジオや暗室まで設置しました。
衣装を替えてさまざまな写真を撮るほどの凝りようでした。
バイオリンも弾いていました。
目新しいものには手を出さずにはいられない性格でした。
近所に暮らしていた…宇吉の事を覚えています。
19歳の宇吉に縁談が持ち込まれます。
隣村のしょうゆ屋の娘…しっかり者として知られていました。
結婚すれば派手な金遣いも落ち着くかもしれない。
しかし全くの期待外れ。
結婚しても宇吉は友人たちと芸者遊びなど豪遊を繰り返しました。
その一方で宇吉は村のために金を遣う事もありました。
廻館で120年以上続く…それまでの竿があまりにみすぼらしかったため宇吉が京都の専門店に特注しました。
以来90年間使われ続けてきました。
ある日…。
(エンジン音)鶴岡の町を歩いていた宇吉は耳慣れない音に気付きます。
それは自動車のエンジン音。
山形で初めて開通したバスでした。
当時のバスは運賃も高く乗客は裕福な人に限られていました。
宇吉はひらめきます。
「誰でも乗れるバスが走れば村の人たちも利用するはずだ」。
思い立ったらすぐに行動する宇吉。
バス会社の開業を決めます。
宇吉は実家の呉服屋の財産を切り崩して7台のバスをそろえツバメ自動車を設立しました。
バスの開通を紹介する新聞記事。
運賃は1区間7銭。
誰もが利用できる金額に設定しました。
農村を初めて走ったバス。
人々は驚きました。
地元で暮らす…ツバメ自動車のバスを初めて見た時の興奮を今も覚えています。
廻館に暮らす押切龍吉さんにも忘れられない思い出があります。
小学校から歩いて帰っていると突然バスが止まったのです。
地元の人たちはバスが通るその道をこう呼びました。
ツバメ自動車で働いていた社員の孫佐藤博之さんです。
祖父佐藤源治はツバメ自動車でバスの運転手をしていました。
博之さんの自宅がある場所にはかつてバスの車庫が建っていました。
宇吉はその土地を源治の結婚祝として気前よく与えたといいます。
会社の順調な滑り出しに宇吉の金遣いはエスカレートしていきます。
高価な外国製のオートバイや車を迷う事なく購入。
派手な芸者遊びを繰り返し女性を囲っていました。
しかし間もなく宇吉の人生の歯車が狂い始めます。
ニューヨークの株価暴落をきっかけに世界恐慌が起き日本にもその影響が及んだのです。
追い打ちをかけるように東北地方では冷害による凶作が続き失業者があふれ身売りする女性が相次ぎました。
ツバメ自動車も不況のあおりを受け乗客が減ります。
あっという間に経営が傾き資金繰りが悪化。
しかし宇吉は相変わらず豪遊を繰り返していました。
そんな中宇吉と妻きよしの間に4人目の子供が生まれます。
次男隆二。
それでも宇吉は家を空けてばかりいました。
妻きよしの実家からは心配する手紙が届きます。
「あんなひどい男とは離婚した方がいい」。
それでも子供のために離婚できないと考えたきよし。
宇吉を説得しました。
「もう遊び歩くのはやめて下さい」。
ところが宇吉がこう言い放ったのです。
「俺は好きなようにする。
だから離婚しよう。
呉服屋をやるからそれで食っていけ」。
宇吉の孫小林多鶴子さん。
母からこの時の様子を伝え聞いています。
宇吉は家を出ます。
2人は離婚しました。
みきさんの父隆二はこの時僅か4歳。
その後流転の日々が待ち受けていたのです。
宇吉と離婚したきよしは4人の子供たちを育てるため呉服屋の営業を必死に続けます。
しかし折からの不況きよし一人では手に負えません。
1年後呉服屋を手放さざるをえませんでした。
売った代金を生活費に充てます。
しかし子供たちを育てるだけで精いっぱいでした。
日本と中国の間で戦争が始まります。
それが不況に追い打ちをかけました。
ツバメ自動車の経営はますます悪化。
それでも宇吉は変わりませんでした。
ついに宇吉のツバメ自動車は譲渡される事になります。
会社設立から僅か12年でツバメ自動車は消滅しました。
当時高橋小夜子さんは会社を潰した宇吉のうわさを聞いた事があります。
「かまけし」とは「かまどの火を消す者」。
転じて「財産を潰す者」という意味の方言です。
宇吉は家族だけでなく財産も失ったのです。
時代は太平洋戦争。
宇吉と離婚したきよしは戦争中も懸命に子育てを続けました。
終戦の時隆二は15歳。
姉は嫁ぎ兄は家を出ていたため母きよしと2人で暮らしていました。
当時蓄えも底をつき食べるのもやっとの生活でした。
元は大店の嫁。
それが生活を切り詰め質素な身なりで懸命に働きます。
そんな母の姿に隆二は胸が締めつけられる思いでした。
「全てはあの身勝手な父親のせいだ。
絶対に許さない」。
生活は厳しさを増すばかりでした。
きよしと隆二は湯野浜に暮らしていた姉幸子を頼り引っ越す事になりました。
当時湯野浜は山形屈指の温泉街でした。
姉幸子は離婚しここでカフェを開いていたのです。
母きよしは幸子の店を手伝い隆二の学費を稼ぎました。
隆二は湯野浜から程近い学校に進学します。
創立明治34年地元の名門校でした。
11年前に作られた学校の100年史。
隆二が写った写真が偶然見つかりました。
体育の授業の写真。
背も高く整った顔だちの隆二は学校でも目立つ存在でした。
今回隆二と肩を組んでいた同級生を突き止めました。
これ間違いねえよ。
(取材者)これが隆二さん?んだんだんだ。
隆二は学校で英語の成績が良く教師が驚くほど発音が上手だった事を覚えています。
隆二が英語を得意としていたのには理由があります。
当時湯野浜には多くの進駐軍の兵士が休暇を利用して遊びに来ていました。
隆二が姉のカフェに顔を出すと兵士からよく話しかけられたのです。
隆二は片言の英語で会話を交わすようになります。
やがてある思いを抱きます。
「英語を身につけいい仕事に就いて母に楽をさせたい。
そして自分を捨てた父を見返したい」。
その思いから懸命に英語の勉強に取り組んだのです。
隆二のめい…隆二の頑張りを母から聞いていました。
そして当時の隆二を知る貴重な資料も見つかりました。
昭和21年の庄内農学校学友会誌。
これですね。
文化祭の演目が記されていました。
隆二はハーモニカでアメリカの曲を演奏しています。
(「コロラドの月」)進駐軍相手のダンスホールで人気を集めていました。
親しくなった兵士に英語を習いながらこの曲を教わったといいます。
そんな隆二に転機が訪れます。
姉幸子が横浜に料理屋を出す事になり隆二も母と一緒に行く事を決めます。
英語の勉強には横浜は最適な場所でした。
進駐軍の司令部があった横浜。
すぐに英語が生かせる進駐軍の施設でアルバイトを始めました。
ここで英語に磨きをかけました。
そしてためたお金で隆二は大学に入学します。
母きよしは隆二の頑張りを誰よりも喜びました。
そんな隆二に運命の出会いが訪れます。
買い物に行った店の一人の店員でした。
野本雪子19歳。
裕福な家庭で育った女性でした。
華やかな雰囲気の雪子に隆二はあっという間に引かれていったのです。
隆二が心引かれた魅力的な女性野本雪子。
みきさんにとってもう一つの大切なルーツ母の実家野本家。
野本家は工務店を営んでいました。
昭和初期父新二郎が横浜で創業した野本組。
当時普及し始めた鉄筋コンクリートの工事を専門に行っていました。
新二郎は21歳の時召集されシベリアに出征。
その後独学で建築士の資格を取った苦労人でした。
野本組は大倉土木現在の大成建設の仕事を数多く請け負っていました。
関東大震災の後鉄筋コンクリート建築のニーズが高まる中で技術力のある工務店として注目を集めます。
昭和初期当時東洋一とうたわれた…野本組は数千人収容の観客席の建設を任されました。
腕を買われた新二郎は中国東北部満州にも渡っています。
日露戦争の勝利で鉄道付属地として日本はこの地を手に入れました。
そして炭鉱を開発します。
現在でも採掘が続く炭鉱です。
ひときわ目を引く高さ60mの巨大な立て坑。
作業員の坑道への出入りや石炭の搬出に使われています。
実はこの立て坑の建設に野本新二郎が関わっていました。
この巨大立て坑の建設は新二郎にとって代表的な仕事となります。
完成から70年以上たった現在も使われ続けています。
輝かしい成功を収めた新二郎。
年頃になった娘雪子の結婚の事が気になっていました。
雪子が連れてきたボーイフレンド佐藤隆二と出会います。
アルバイトをしながら大学に通い母を支えていた隆二の事を新二郎はすぐに気に入ります。
新二郎は隆二をよく夕食に誘いました。
隆二を歓迎する様子を雪子の妹早苗さんが覚えています。
雪子の父新二郎を囲んでのにぎやかな食卓。
隆二にとってこれまでに味わった事のない家族団らんのひとときでした。
その一方で自分の境遇との違いを思い知らされていました。
「雪子の父とは違い俺の父は家族を捨てた」。
自分は父宇吉のようにはならないと強く誓ったのです。
進駐軍でアルバイトをしていたある日の事。
一人の兵士から耳寄りな話を聞きました。
「日本で営業を始める外国の航空会社が英語のできる社員を募集している」。
アメリカ資本の台湾の航空会社でした。
当時シビル・エアは朝鮮戦争での軍需物資や傷病兵の輸送を担当していました。
隆二はこの話に飛びつきます。
英語が生かせて給料もいい魅力的な仕事でした。
英語の能力が認められシビル・エアに就職します。
収入も安定した隆二は雪子と結婚。
そしてその仕事ぶりが評価され隆二は外資系大手KLMオランダ航空に転職。
そこで更なるキャリアアップのためアメリカの難関国家資格に挑戦する事を決意します。
それはアメリカ連邦航空局が認定する資格ディスパッチャー。
旅客機の飛行プランを作成しパイロットに指示を出す運航管理者です。
語学だけでなく気象や飛行機の構造など高度な専門知識を必要とします。
アメリカ人でも資格を取るのに数年はかかると言われる難しい試験でした。
猛勉強を重ねた隆二。
29歳の時ディスパッチャーの資格を取得する事ができたのです。
その後隆二は着実に経験を積んでいきます。
やがてKLMでディスパッチャーのリーダーを任されるようになったのです。
隆二の仕事のモットーは…あこんにちは〜。
いらっしゃい。
こんにちは。
忘れられない出来事があるといいます。
ある日外国人パイロットが隆二の作成したフライトプランを否定しました。
日本人のディスパッチャーはばかにされていたのです。
それでも隆二は自分のプランを主張しました。
しかしそのパイロットは隆二の意見に従わず離陸。
するとその飛行機は気流の影響を受け大幅に遅れました。
隆二のプランは気流の変化を予測していたのです。
これをきっかけに隆二への信頼は高まります。
昭和36年にはその実績が認められ新興の航空会社東亜航空に転職。
航空機や燃料の買い付け新規路線の開拓などを担当しました。
長女が生まれました。
それが…隆二は家族との時間を何よりも大切にしました。
そこには家庭を顧みなかった父宇吉のようにはなるまいとの信念があったのです。
みきさんが生まれて8年後。
隆二のもとにある知らせが届きます。
山形庄内で暮らしていた父宇吉が亡くなったというのです。
家族と別れ事業を失敗したあとは小さなあばら家で暮らしていたと聞かされました。
「何を今更…」。
それでも隆二は思い悩んだ末葬儀に出る事にしました。
隆二はふるさとを久しぶりに訪ねます。
葬儀は親戚だけでひっそりと執り行われました。
隆二にとって4歳の時に別れて以来38年ぶりの父との対面。
さまざまな思いが込み上げてきました。
母を捨て自分たちきょうだいを捨てた身勝手な父。
見返してやろうと歯を食いしばってきた歳月。
隆二は父の遺影をずっと見つめていました。
う〜ん…。
みきさんの祖父佐藤宇吉が開拓したバスのルート。
かつて「宇吉道」と呼ばれたこの道を今も変わる事なくバスが走り続けています。
通学や通勤に利用され地域の人たちの欠かせない交通手段になっています。
バス会社を手放しその後転落の人生をたどった宇吉。
遺品はごく僅かでした。
そんな中一つのアルバムが今回見つかりました。
宇吉が生前大切にしていたアルバムです。
若い時の自分や親戚友人たちの写真が収められていました。
ところが最後のページ。
学生服姿の隆二さん。
長年会う事のなかった息子の写真が貼り付けてあったのです。
ひそかに親戚に頼んで手に入れたものでした。
そして父隆二さん。
航空会社の取締役にまで上り詰めました。
新規路線の開設を祝う式典。
そのニュース映像に取締役として出席する隆二さんの姿を見つけました。
そんな隆二さんはみきさんが宝塚に入った事を誰よりも喜びました。
みきさんの舞台。
ビジネスホテルに改装するか全面的に形を変えてスーパーマーケットにするか…ボス聞かせてもらえますか?
(拍手)隆二さんは仕事が忙しいにもかかわらず劇場に駆けつけました。
そんな隆二さんの思いが新聞に取り上げられています。
「娘のために宝塚通い」。
父隆二さんは病に倒れます。
駆けつけたみきさんに笑顔で言いました。
「早く帰りなさい。
私の事はいいから仕事を頑張りなさい」。
3年間の闘病の末隆二さんは亡くなりました。
みきさんの事家族の事を最後まで気にかけていました。
家族への愛を貫いた人生でした。
うんうん…。
うん…。
すごかったですね…。
サッと流れてきましたね父がね…。
2014/10/10(金) 16:05〜16:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「真矢みき〜父が語らなかった過去が明らかに〜」[字][再]
10年前に亡くなった父・隆二さんは、全く過去を語らなかった。航空会社の重役まで上り詰めた父。幼い時に祖父に捨てられた事実を隠し通した。悲しみを力にかえた生きざま
詳細情報
番組内容
女優・真矢みきさんの10年前に亡くなった父・隆二さんは過去を語らなかった。父が母と結婚する以前のことは全く聞かされていない。取材によって新事実が明らかになる。父は山形から上京し、進駐軍で英語を学んだ。英語を生かし、着実にキャリアを積んでいき、航空会社の重役に上り詰める。努力し続けた力の源には、幼い時、自分を捨てた祖父を見返したいという事実が浮かび上がる。みきさんは父の真実を知り、涙がこぼれる。
出演者
【ゲスト】真矢みき,【語り】谷原章介,大山裕子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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