NHK高校講座 世界史「近世のヨーロッパ」 2014.10.10

西洋の新しい知識は蘭学として始まり実用の学問として医学や科学技術の分野が発達した。
歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(小日向)は〜い。
(アデイト)ボンジュール。
ボンジュールどうぞ。
初めまして。
初めまして。
小日向えりと申します。
アデイトです。
フランスのパリ出身。
アデイトさん。
フランスとドイツのハーフです。
モデルやタレントとして活躍するかたわら自らデザインや映像制作を手がけるなど幅広く活躍中です
お土産持ってきました。
本当ですか?うれしいです。
何でしょう?何でしょう。
こちら。
わあ!シューズ。
シューズ。
みんなが大好きな…。
あ〜。
香水ですよ。
香水。
そして…。
わあ!びっくり?かつらですか?かつら。
あとこちらスカーフ。
わあきれいですねこれも。
実はフランスはおしゃれの国ですけど全てが始まったのはルイ14世っていう時代。
王様のルイ14世。
そうですそうです。
こちらの方です。
(ルイ14世)王とは最も偉大で最も威厳に満ちた太陽のようなイメージを誰もが持っているだろう。
恐らく歴史上最も王の名にふさわしいのが太陽王と呼ばれたこの私…私は国の中で大きな権力を握り後の世に絶対主義を代表する存在として語られる事となった。
今回私が紹介する時代は…この時代国の在り方というものが大きく変わっていき私のように力を持った国王が誕生する事となった。
今回は私が治めたフランスを通して近世のヨーロッパの変化をご覧頂こう。
ルイ14世って太陽王だったんですね。
そうですね。
何か偉大な王様って感じがしますね。
それでまた…そうなんですか。
はい。
切れ者だったんですね。
ルイ14世はどうやって権力者になったんですか?じゃあルイ14世に教えてもらいましょう。
はい。
お願いします。
よろしい。
ではまず私が登場するまでの時代について話して聞かせよう。
16世紀ルターの宗教改革以前のヨーロッパで権威を持っていたのは教会の教皇や神聖ローマ帝国の皇帝で国王の権力は大きくなかった。
民衆たちもどこからどこまでが自分の国なのかよく分かっていなかったくらいだった。
しかし宗教改革以後ヨーロッパでは教会や神聖ローマ帝国の権力は衰えた。
代わりに国が独立性を高め主権国家と呼ばれるようになっていった。
その後も神聖ローマ帝国内では国同士による宗教対立は続き1618年ベーメンでプロテスタントが弾圧された事をきっかけに戦争が始まった。
初めは帝国内の内乱にすぎなかったのだが我がフランスやスペインなどの周辺諸国が介入し争いは30年間続く事になった。
この戦争を三十年戦争という。
各国が介入してきた表向きの理由は宗教だが本当のねらいは領土拡大。
我がフランスも国としての宗派はカトリックだがプロテスタントを支援した。
その方が領土を拡大できるとにらんだからだ。
こうして三十年戦争は宗教戦争からヨーロッパの覇権を巡る国際戦争へと発展していった。
1648年ウェストファリア条約によって戦争は終結した。
その結果スイスなどいくつかの国が独立を果たしヨーロッパではそれぞれの国が独立性を持つ主権国家体制が固まった。
そして各国では権力を王の下に集中させる中央集権化を進めた。
こうした国づくりに見事成功したのが我がフランスなのだ。
国王が政治をリードし国王が法律となり国王が国民に秩序を与える絶対主義と呼ばれる体制を確立し17世紀のヨーロッパに大きな影響力を持つようになる。
今スポーツとかでも自分の国を一生懸命応援するじゃないですか。
このころ国っていうのがぼんやりしていたっていうのがすごいびっくりしますね。
不思議ですよね。
また…プロテスタントとカトリックがそこまでお互い嫌いとか…。
そうですよね。
もう信じられない。
もともとキリスト教はみんなを愛して…友達なのにどうして…どうやって戦争になる?ねえ。
でもそうやって戦い合った事で国への所属意識が高まってきたそういう時期なんですね。
やっとフランスが生まれた感じ。
そうですよね。
フランスがこの時に生まれて。
そう生まれてよかった。
ルイ14世の絶対主義もっと詳しく知りたいです。
分かった。
うんいいだろう。
それでは私の時代の絶対主義とは一体どのようなものであったのかご覧頂こう。
私は1638年フランスの王子として生まれ僅か5歳で国王に即位した。
初めは王とは名ばかりで宰相と呼ばれる部下が政治を取りしきっていた。
しかし中央集権化に伴い貴族たちは特権を奪われ不満を募らせて反乱を起こした。
そのため成人した私は自ら国の政治を行い貴族たちに言った。
そして私は国王が絶対的な存在だと示す演出によって国を統治していった。
最も威厳を示すのは宮殿だ。
それまでは首都パリにあるルーブル宮殿が王宮であったがヴェルサイユという町に王宮を移し豪華な宮殿を建設した。
日本の皇居のおよそ5倍にあたる敷地に宮殿と広大な庭園が造られた。
宮殿の中も見て頂こう。
当時は非常に高価だった鏡を惜しげもなく使った鏡の間は私の権力の象徴だ。
私はこのヴェルサイユ宮殿に貴族や官僚など3,000人を住まわせた。
そしてここに住めるのは私のお気に入りの貴族だけとした。
貴族からすればヴェルサイユ宮殿に住めばはくが付く。
こうして貴族の心理を巧みに利用して王あっての貴族だと認識させ反乱を起こす力を奪ったのだ。
そして全ての私の行動を儀式化し貴族に参加させた。
朝起きて私に服を着替えさせる者。
食事を共にする者。
ハンカチを手渡す者。
その役目に選ばれた貴族は名誉な事だと喜んだ。
毎朝の散歩のお供は宮殿の広間に集まった貴族の中から指名した。
こういう時私は豪華できらびやかな衣装を着ている者を選んだ。
そのため貴族たちは私に指名されようと必死におしゃれをした。
フランスがファッションの代表的な国となったのにはこうした背景があったのだ。
ファッションだけではない。
私は積極的に芸術をサポートした。
演劇やバレエやオペラなど宮廷では連日イベントが開催され文化の流行を生み出した。
こうして国家は人々の心をつかんだ。
演出力ばかりが目立ってしまったが私はちゃんと政治でも業績を残している。
実はこの鏡の間の天井に私の業績が描かれているのだ。
国内産業に力を注いだおかげで民衆の生活も国の財政も潤した。
ヨーロッパや海外での覇権を得るため軍隊を強化し盛んに周辺諸国に派兵した。
1701年からのスペイン継承戦争ではイギリスオランダオーストリアを相手にした。
こうして華麗な宮廷生活を送り他国を圧倒する政治力を手に入れた私はヨーロッパで一番の国王となり後に「絶対主義の王」と語り継がれる事になったのだ。
どうしてルイ14世はファッションで競わせたんですか?彼自身がおしゃれが好きで例えばこのヒールはルイヒールという…。
ルイヒール?彼が彼自身がこういうヒールを履いた靴で。
男性でこういうヒールを履くんですね。
彼ではやりになって今の時代でも使ってる。
ルイヒールとして。
すごい。
またダイヤ。
我々がとっても大好き一番大切にしているダイヤ。
彼のおかげでダイヤがはやりになった。
えっそうなんですか!?そうそれまではパール。
パールが一番美しい…でみんながパールをつけてたけど。
真珠ですよね。
彼がダイヤ…。
キラキラしているのが欲しい…すごく好きで。
すごい影響力のある王様ですね。
うん。
ファッションとは別にもう一つフランスで流行したものがある。
華やかな宮廷生活の中で王族や貴族はよくサロンと呼ばれる社交の場に集まりさまざまな意見を交わしていた。
このサロンは文化の普及に大きな役割を果たしていた。
サロンには女性や多くの文化人も出入りした。
そこでよく議論され後の世に大きな影響を与えたのが…あらゆる物事は…当時の人々の多くは身分の違いも神のおぼし召しだと言い聞かされ疑いもなく生きていた。
自由や平等の意味など誰も知らなかった。
そこでサロンに出入りしていた啓蒙主義者たちは人々を無知から解放しようと啓蒙思想を説いて回った。
皮肉にもフランスは絶対主義の国でありながら絶対主義を批判する啓蒙思想が人々の間で広がっていったのだ。
だが18世紀のヨーロッパ諸国では絶対主義でありなおかつ啓蒙思想が流行しているフランスこそが憧れの的だったのだ。
各国がフランスをお手本として国を統治した。
ヴェルサイユ宮殿の建築やパリの町並みをまねして絶対主義を取り入れた。
とりわけ東ヨーロッパの経済的に後れた国々では絶対主義と啓蒙思想両方を取り入れる方法をとった。
私とは対照的に国王は国に仕える存在だという考えの下に国を近代化しようとしていた。
こうした王の事を…やがてフランスでも啓蒙思想が広まったおかげで絶対主義の王政に対して批判的な意見が強まっていく。
宮殿の外で時代が大きく変化していく事を私たちは想像できなかった。
やがて自分たちのサロンから生まれたこの啓蒙思想によって宮廷を脅かす革命が起きる事になるとは思いもしなかったのだ。
当時のフランスはヨーロッパ諸国の中でも憧れの的だったんですね。
そうですね。
やっぱりヴェルサイユとか…王様同士とかは部屋の中ではフランス語でしゃべっていた。
そうなんですか。
じゃなきゃ駄目。
イングランドでもほかの…きっとロシアでもそう。
フランス語で話をしました。
本当にフランスに憧れてたんですね。
あっこの音は。
ちょっと先生が呼んでるので行ってきますね。
行ってらっしゃい。
すいませんお待ち下さい。
大久保先生呼びましたか?
(大久保)呼びましたよ。
何でしょう。
まあどうぞ。
確かに今お話してらしたようにフランスはとても大きなヨーロッパの中心の国になるんですよねルイ14世の時代には。
だけど同時にヨーロッパはフランスに支配されてる訳じゃない。
ああ。
ねっ。
フランスは一番大きな国強い国だったかもしれないけどさまざまな国々が基本的に対等なんですね。
その国が小さかろうとフランスのように大きかろうと対等でそれぞれが主権というものを持っていて強制的に命令をほかの国からされるという事はない。
こういう関係ができるのが主権国家体制という訳です。
なるほど。
でもう一つ言いたかったのは実はルイ14世の時代より少し前ぐらいだと…いろいろあった。
数百の?数百あった。
ところがえりちゃんもご承知だと思うけど最近のヨーロッパの地図見れば国って数十でしょ。
そうですね。
そんなにないですね。
そう。
だからルイ14世の時代もフランスのような大きな国もあればまだちっちゃくてよくまとまれない国もあってようやく数百年かけて大体20世紀までに数十という単位にまとまって主権国家体制が築かれていく訳です。
でもご承知のように今ヨーロッパはヨーロッパで一つにまとまろうっていう動きがありますよねEUという。
ヨーロッパっていうのは実は一つの大きなヨーロッパ国というのをつくった事のない地域ですけれどもういっぺん国境の垣根を低くしてヨーロッパとして一つの大きなまとまりをつくろうっていうこれはヨーロッパ史上初めてのとても画期的な試み。
…が今進行中。
今もヨーロッパ変わり目なんですね。
そういう意味では今の現代のヨーロッパを理解する時このルイ14世の時代から始まる国づくり。
その次のステップが今来てる。
ヨーロッパの成り立ちがすごくよく分かりました。
フランスの絶対主義の時代どうでしたか?それぞれの国が出来上がっていったというのがすごく面白かったですね。
うんそうですね。
そういうイメージです。
パリジェンヌ。
ないない…。
そうなんですか?…のでパリジェンヌはスポーツシューズでジーンズでシャツ。
結構ラフなんですね。
はい。
すっごいラフ。
みんなアデイトさんのような格好をされているのかなと想像してました。
日本だからこういう格好できる。
フランスだったらできない。
そうなんですか。
みんながおしゃれをして競い合うような時代…。
そう。
また戻ってくるといいですよね。
神聖ローマ帝国内で起きた三十年戦争に各国が参戦しウェストファリア条約締結後ヨーロッパは主権国家体制が確立した。
人々は国というまとまりを意識するようになった。
17世紀ルイ14世は絶対主義で国を統治しフランスをヨーロッパで一番の強国にした。
フランスで啓蒙思想が流行し東ヨーロッパの君主は絶対主義で啓蒙思想が流行しているフランスをまね国づくりを行った。
2014/10/10(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「近世のヨーロッパ」[字]

歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つゲストが訪れ、歴史上の人物のメッセージを届ける…「太陽王」ルイ14世が語る絶対主義の時代

詳細情報
番組内容
「神聖ローマ帝国に代わり“国”が力を持った時代」「ファッションの国フランスの原点はルイ14世?」「宮廷サロンが革命の火種を生んだ!?」。学習ポイントは「主権国家の成立」「絶対主義」「啓蒙(けいもう)思想と啓蒙専制君主」【司会】小日向えり【ゲスト】アデイト【講師】大久保桂子(國學院大学教授)【語り】家中宏
出演者
【講師】国学院大学教授…大久保桂子,【ゲスト】モデル…Adeyto,【出演】小日向えり,【語り】家中宏

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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