ゆうどき ▽俳優・伊東四朗さんに喜劇への熱い思いや役者人生を伺う。 2014.10.08

生字幕放送でお伝えしますこんばんは。
「ゆうどき」です。
昨夜から喜びに沸いています。
ノーベル物理学賞に、日本人3人です。
合原⇒3人がこちらの方たちです。
名城大学教授の赤崎勇さん、名古屋大学大学院教授の天野浩さんカルフォルニア大学教授の中村修二さん。
山本⇒青色LEDの開発、実用化が評価されたということです。
きょうは準備しました。
赤でしょ、緑でしょう。
青色LEDが加わりました。
それによって合わせますとあらゆる色が出るんですって。
白い色も出るということなんです。
私たちの生活の中に、この技術を使ったものがあります。
合原⇒信号機、家庭用の照明スマートフォンにまで幅広く使われているものですよね。
山本⇒「ゆうどき」の照明は全部LEDです。
まさにいろんな色が出せるわけです。
生活だけではなく私たちの放送も青色LEDの技術によって支えられています。
この技術は省エネ、二酸化炭素の削減につながる、ひいては地球温暖化防止になる。
まさに、この技術は世界を明るくした技術と言えそうです。
では中継です。
合原⇒今週「ゆうどき」ではオリンピックゆかりの場所から中継を出しています。
3日目のきょうは埼玉県川口市からです。
長野さん!長野⇒こんばんは。
川口鋳金教室と書いてあります。
鋳金は型に金属を流し込んで造る鋳物です。
鉄瓶なんですけれども川口と言いますと鋳物の町として知られています映画「キューポラのある街」というのがありましたね。
その鋳物を市民の手で造ろうという教室がこちらです。
この教室では70人ほど会員がいらっしゃいます。
毎週2回、鋳物教室が開かれています。
こちらでは砂を使って型を造っています。
鋳物は楽しいですか。
楽しいですよ。
高校教師をされていたという方です。
どういうところが楽しいですか。
今までは外から見ていたんですよね、鋳物を。
今度は内側から見て技術を身につけてそれが作品に表れると何とも言えませんね。
そんな皆さんが造った作品の数々がこちらです。
つぼや、鉄びん、それから茶釜とずらりと並んでいます。
皆さん、個性的ですてきですよね。
そんな鋳物が、なぜ川口とつながっているのかオリンピックとつながっているのかこちらのVTRをご覧ください。
実は、ここに川口製の鋳物が映っています。
大きな聖火台です。
高さ2m10cm、重さは2.6トン巨大な鋳物です。
川口製なんですよ。
この聖火台、実は2号機ということをあまりご存じな方はいないと思います。
幻の1号機があるんです。
近くの公園に飾られています。
これが川口で造られた聖火台1号機です。
どういうことなんでしょうか。
なんとドラマチックな知られざるエピソードがあったんです。
このあと5時台の中継でお伝えします。
国立競技場の聖火台2号機だったんですね。
きょうの内容です。
「人生ドラマチック」は喜劇役者の伊東四朗さん。
舞台に立つことになった意外なきっかけ。
77歳の今もなお喜劇にこだわり続ける役者人生に迫ります。
川口の聖火台の話、ドラマチックということでした。
「人生ドラマチック」は伊東四朗さんですね。
最近は、白河法皇、「おしん」でそういう役をやっていたのじゃないでしょう。
合原⇒伊東さんは俳優さんのイメージしかないです。
いろいろ聞いて驚きました。
5時になりました、ニュースをお伝えします。
御嶽山の噴火で、きょう、新たに1人の死亡が確認され、捜索は午後3時に終わりました。
今回の噴火で亡くなったのは、55人になりました。
午後3時ごろ、ヘリコプターの発着場所に戻った捜索隊です。
足元は泥まみれで、捜索活動の厳しさをうかがわせます。
きょうの捜索は、開始時間を早め、隊員を輸送する大型ヘリコプターも増やして行われました。
きょう、陸上自衛隊が撮影した写真です。
足首までぬかるんだ火山灰に埋まっています。
足元の悪い中、急斜面をはうように下りて、捜索しています。
中には、首までぬかるみにはまった所もあり、低体温症になった隊員もいるということです。
捜索は午後3時に終わり、1人が心肺停止の状態で見つかり、死亡が確認されました。
これで今回の噴火で亡くなった人は、55人になりました。
また、きのう見つかった1人の身元が、確認されました。
静岡県袋井市の会社員、袴田祐示さんです。
対策本部は、これで行方が分からない人は9人としていて、あす以降も天候の状況を見ながら、捜索を急ぐことにしています。
民主党の野田国義参議院議員は、記者団に対し、きのうの参議院予算委員会で、山谷国家公安委員長に対し、ヘイトスピーチと呼ばれる民族差別的な言動を行う団体のメンバーと、ねんごろなのではないかという、やじを飛ばしたのは自分だとしたうえで、誤解を与えたことは申し訳ないと、釈明しました。
きのうの参議院予算委員会の基本的質疑で、山谷国家公安委員長が、ヘイトスピーチと呼ばれる、民族差別的な言動を行う団体のメンバーと、過去に写真を撮っていたことを巡って質疑が行われていた際、委員会室の中から、山谷国家公安委員長に対し、団体のメンバーとねんごろなのではないかというやじが、複数回飛びました。
これについて、民主党の野田国義参議院議員はきょう、記者団に対し、やじを飛ばしたのは自分であることを明らかにしました。
その上で野田議員は、山谷大臣と団体との関係が親しいのではないかという意味で、ねんごろという表現をしたが、結果として誤解を与えたことは申し訳ないと思っている。
今後の対応は、党と相談して決めたいと、釈明しました。
今回のやじを巡って、民主党は、けさの参議院予算委員会の理事会で、重く受け止めているなどとして、各会派に陳謝しています。
菅官房長官は、午後の記者会見で、次のように述べました。
国内でデング熱の感染が相次いだことを受けて、厚生労働省は、感染の拡大を防ぐための新たな指針を作り、対策を強化することを決めました。
デング熱は、これまでに18の都道府県で、合わせて157人の感染が確認されています。
今回の感染での自治体の対応を巡っては、ウイルスの検査や、蚊の駆除などを行う態勢が不十分だったり、蚊が生息する公園を立ち入り禁止にするまでに、時間がかかったりするなどの課題が指摘されています。
これを受けて厚生労働省は、近く専門の委員会を立ち上げて、感染の拡大を防ぐための新たな指針を作ることを決めました。
指針では、ウイルスの検査や蚊の駆除、それに患者が感染した場所を特定するための調査方法を示し、自治体に必要な態勢を整備するよう求めることにしています。
このほか指針には、WHO・世界保健機関との連携の強化や、治療薬やワクチンの開発を進めていくことについても、盛り込まれるということです。
厚生労働省は、今年度中に指針を作成し、全国の自治体に通知することにしています。
東日本大震災の被災地に、全国各地から木材を供給する国の復興事業について、会計検査院が調べたところ、復興予算として支出した補助金およそ1400億円のうち、3分の1以上の490億円が、使われないままになっていたことが分かりました。
東日本大震災の復興予算の一つとして、林野庁は平成23年度から4年間、全国45の道府県から、被災地に住宅用の木材を供給する事業の予算として、1399億円の補助金を支出しています。
これについて、会計検査院が予算の使いみちを調べたところ、全体の3分の1以上に当たる490億円が、使われないままになっていたことが分かりました。
また、すでに使われた600億円余りの中でも、被災地の復興に直接結び付かない使われ方をしていたケースも見つかりました。
このうち、長崎県では、韓国に木材を輸出したり、被災地以外の国内に出荷したりするために、補助金を使っていたということです。
復興予算のうち、使われないままになっていた490億円については、国に返還されることになっていて、会計検査院は林野庁に対して、被災地の復興に直接つながるような予算の組み方を行うよう求めています。
生活保護を受けている世帯は、ことし7月の時点で、およそ160万9000世帯となり、高齢者世帯の増加で過去最多を更新しました。
厚生労働省によりますと、ことし7月に生活保護を受けた世帯は、前の月より4580世帯増えて、160万8994世帯となり、昭和26年に統計を取り始めて以降、最も多くなりました。
世帯の内訳では、65歳以上の高齢者世帯が最も多く、前の月より、およそ2800世帯増えて、75万5800世帯余りと、全体の半数近くの47%を占めています。
次いで、働くことができる世代を含むその他の世帯が18%、けがや病気などで働けない傷病者世帯が17%、障害者世帯が12%などとなっています。
厚生労働省は、景気の回復などで、働くことができる世代では仕事に就く機会が増え、需給が減少する傾向が続いているが、高齢者世帯の受給に歯止めがかからず、全体として、需給世帯が増えていると分析しています。
続いて気象情報です。
あすの天気です。
本州付近は高気圧に覆われて、穏やかに晴れる所が多いでしょう。
朝晩は各地で肌寒くなりますが、日中は過ごしやすい陽気になりそうです。
「ゆうどき」まずはこちらです。
昭和39年に開かれた東京オリンピックから今週で、50年になります。
「ゆうどき」では今週オリンピックゆかりの場所から中継でお伝えしています。
3日目のきょうは埼玉県川口市からです。
長野さん!長野⇒こんばんは。
こちらの茶釜。
金属を型に流し込んで作った鋳物です。
鋳金とも言われる技術です。
高級感がありましてどっしりとした茶釜です。
川口で造られたものなんです。
川口市といえば鋳物の産地として有名なんですけれども、「キューポラのある街」という映画もご存じだと思います。
特産品の鋳物を学ぼうということで市民の方々が週2回、市民講座で鋳物を学んでいるんですね。
皆さん、集まっていますね。
川口市の鋳物が、なぜ50年前の東京オリンピックと関わりがあるのかというのは、こちらのVTRでご紹介します。
今、聖火が点火されようとしています。
聖火台、これが川口と深い関わりがあるんです。
高さと直径が2.1m重さ2.6トンもある大きな作品。
これは実は川口で造られたんです。
この製作には、ある職人の親子の命がけの努力がありました。
依頼を受けたのは名人とうたわれた鈴木萬之助さんと息子の文吾さん。
しかし、溶けた鉄を流し込む際に型が壊れて失敗。
萬之助さんはショックのあまり倒れ体調を崩し数日後に亡くなってしまいました。
文吾さんを中心として兄弟が手伝って1から造り始めました。
寝る間も惜しんで。
1か月で完成にこぎ着けました。
鈴木さん親子の執念が実を結んだオリンピックの聖火台なんです。
鈴木昭重さんにお越しいただきました。
兄弟が手伝ったお兄さんが4人いる兄弟の中の3番目下ということですが覚えていますか。
相当寝る間もなかったということです。
おやじが亡くなったあとは本当に寝ずに疲れました。
文吾が先頭だからおやじが死んだのを知らせると仕事が続かないと思って、兄弟で相談して文吾にだけは、おやじが死んだのを知らせなかったんです。
文吾さんが知らなくてほかの人は知っていて隠していたんですね。
それが長男の命令でした。
そのかいもあって出来上がったんですね。
出来たときはひとしおだったんじゃないんですか。
文吾も自分で葬式も出られないおつやも出られないでショックだったけど出来上がったときはここで本当のおつやをやろうということでやりました。
その聖火台が、お父さんへの供養になったんですね。
1つ目の作品はそんなに大きな失敗をしていないそうです。
ちょっと穴が開いた程度だったそうです。
その作品を修復して川口の公園に飾ってあります。
私がいる現場からも歩いてすぐのところの公園です。
本当に近くで見ますと、高さ2m以上あります。
質感といいますか、ものすごい迫力なんですね。
こちらが幻の1号機ということで川口市の皆さんに親しまれています。
その聖火台を造った技術は市民講座でも教えられています。
ちょっと拝見いたします。
今、砂に水を混ぜて型を造ってるところですね。
最後の仕上げです。
引いて滑らかにして、その後、仕上げにこのような施しをします。
ぐるっと回していただいていいですか。
うまくできるかどうか分からないんですけれども。
外側の型ですね。
きれいに整えられて。
外側の枠でこのあと内側の型というのもあって金属を流し込むんです。
花瓶の下側です。
模様で何か貼ってあるのが分かりますか。
もみじですか。
葉っぱが貼ってあるんですかね。
本物のもみじの葉っぱなんですって。
これはどのようになるかと言いますと上と下をくっつけてきれいにもみじの模様が出来上がるんです。
日本古来からの鋳物の造り方で惣型法というそうです。
このやり方ですと水でぬらして固めるだけなのでこの砂は何度もリサイクル可能なんですよ。
しかもリサイクルを繰り返したもののほうが、砂の質がよくなるそうです。
実際に使っている砂は亡くなった鈴木萬之助さんが明治時代から大切に川口の砂を継ぎ足して使っているものなんです。
この中には、50年前あの聖火台を造った型で使った砂も含まれているんです。
うなぎのかば焼きのたれが継ぎ足しというのがありますけれども砂も継ぎ足しているんです。
市民講座の方々は、あの聖火台で造った型の砂で自分たちの作品を造っているということになります。
その作品をいくつかご紹介します。
この茶釜きれいですね。
賞をとったそうですね。
市の美術展で。
川口の皆さんは聖火台のエピソードというのはご存じなんですか。
大体知っています。
それを誇りにそれを胸に造っているんですね。
そうです。
ツヤ出しの作業をしています。
隣の鍋では料理を作っているそうです。
これはパンです。
おでんとか煮物かと思ったら皆さんが食べたりするんですか。
はい。
和気あいあいとした中にも昔から綿々と続く川口特産の鋳物オリンピックでの聖火台の誇りを胸に皆さん作業されているのかなと思います。
中継でした。
砂の型枠あれはまさに50年前のオリンピックと今がつながっているんですね。
合原⇒身近に感じられますね。
山本⇒川口の人にとっては誇りですね。
また発見がありました。
「人生ドラマチック」です。
合原⇒本日のゲスト伊東四朗さんに質問です。
この1週間にあったドラマチックな出来事を教えてください。
私の話じゃなく女房なんですがきのう女房が電車に乗って渋谷に出かけました、途中から電話がかかってきたんです。
お父さん聞いてというのでどうしたのと言ったらきょう雑踏の中で男の人に声をかけられました。
どういうオチがあるかを知らないんですけれども大したオチではないんですけど声をかけられたとなんてかけられたの?と言われたらこんにちはと道を聞かれるんじゃないなと思って何なのと言ったらよく見たらうちの息子でした。
それは、なぜかというとあの雑踏の中で全く打ち合わせもなく会うという偶然がすごいなと思って。
大したオチではないでしょ?どう答えていいのかオチをどう受けていいのか分かりませんが息子さんが別人に見えたんですかね。
とにかく別のところに住んでいるわけですから、なぜあんなところでそんな時間にぴたっと会うのか私にとってはミステリーでした。
なかなか聞けない話のような気がします。
のような、でいいです。
とうちゃん!おしん!おしん!うつつに生けるもののけとは。
存在感あふれる演技で見る者をうならせる伊東四朗さん。
今月13日放送予定のスペシャルドラマでは新幹線をつくった男十河国鉄総裁を演じています。
やるしかないんだよ。
その一方で伊東さんは自分はあくまで喜劇役者だといいます。
芸能界に入ったきっかけは笑いの舞台。
テレビのバラエティーで一時代を築きました。
電線に!あまりに過激すぎる笑いに世の中から大ひんしゅくを買ったこともあります。
きょうは、喜劇の舞台に立ち続ける一方でシリアスなドラマでも活躍する伊東四朗さんの役者人生に迫ります。
山本⇒きょうのお客様は伊東四朗さんです。
よろしくお願いします。
拍手
伊東⇒今、全部同一人物ですからねやっているのは。
きょうは息子さんに会っていませんね。
会っていません。
奥さんに電話していませんね。
していません。
私は、てんぷくトリオの時代から大ファンでした。
合原⇒踊っていたと聞きました。
山本⇒すみません。
合原⇒プロフィールです。
24歳で伝説のコント集団てんぷくトリオを結成します。
新幹線開通50周年を記念したスペシャルドラマ「妻たちの新幹線」が控えています。
山本⇒新幹線も50年オリンピックも50年ですね。
そうですね。
何気なく皆さん今新幹線に乗っているけれども大変な苦労があった。
私、ドラマをやっていてよく分かりましたけれどもね。
もともと鉄道が大好きなんですって?どちらかというと鉄ちゃんですね。
子どものころ大人になって何になりたいかと聞かれたら、蒸気機関車の運転手になりたいと答えていましたね。
それくらいですか。
合原⇒新幹線とともに芸能生活を送ってこられたともいえる伊東さんですね。
そうですね、56年ですからねこの世界に入って。
新幹線、オリンピックほとんど同じです。
では、どのように活躍の場を広げていったのか見ていきます。
新幹線が開通し、日本中が沸き立っていた昭和30年代。
まだ20代だった伊東さんは浅草で喜劇役者の修業を始めたばかりでした。
その後、同じ浅草の舞台に立っていた三波伸介さん戸塚睦夫さんとてんぷくトリオを結成。
瞬く間に、バラエティー番組の人気者になります。
全然分かりません。
そして、一躍伊東さんの名前を有名にしたのが電線音頭です。
ベンジャミン伊東でございます。
電線にすずめが3羽とまってたあぜんとするほどの伊東さんのはじけっぷりにお茶の間は大爆笑。
全国の子どもたちがこたつの上に乗って電線音頭をまねしたためPTAから苦情が殺到したほどです。
そんなときシリアスな社会派ドラマにぜひ出てもらいたいという依頼がありました。
戦後の混乱期、国鉄の下山総裁が死体で発見された事件をドラマ化したもので、伊東さんは殺人の容疑をかけられた機関士の役です。
父さんも世間もばかみたいだ!生意気言うんでねえ!あの人のこと見たこともねえ話したこともねえっつうんだったら俺だってこんなに苦しまねえんだ。
このドラマを演出した村上さんです。
電線音頭で世間を騒がせていたのになぜ深刻なテーマのこの作品に起用したのでしょうか?このドラマの演技が高く評価されその直後に出演したのが大ヒットドラマ「おしん」です。
その後も、数々のドラマで重要な役を演じた伊東さんは実力派俳優の地位を築いていきます。
合原⇒私、本当に伊東四朗さんというと、こうした重厚な役をやっているイメージがとても強くてお笑い芸人さんだということを知らなかったんです。
すごくイメージが違いすぎて本当の伊東さんが、どちらなのかちょっと分からなくなっちゃったんです。
電線音頭、先ほど知らないと言っていましたね。
知らなくてよかったですね。
知っていたら年が分かります。
山本⇒私は胸を張って言います。
電線音頭学生時代のコンパでやっていました。
お花見の時代は皆さんやっていましたね。
ちゅちゅんがちゅん大合唱でした。
美空ひばりさんにも言われました。
伊東四朗さんやめてうちの息子がこたつの上に乗ってしょうがないのよ、と。
電線音頭は39歳でしたね。
そうですね。
思い切ってやろうと思ったんですか、じゃあやろうかなという簡単なものだったんですか。
やろうと思っていなかったんです。
何が何だか分からなくて企画が収録2週間前に言われたんですよ。
こういうことをやりたいんだと。
だから何なのそれ、と言ったら私も答えられないんですけど、とプロデューサーが言うんですよ。
とにかく伊東さんに任せますやってくださいと。
俺にはこれはできないと言ったんですけれども2週間後にやるんですからもう、オンエアですからと追い詰められて台本の裏にじゃあこういう格好にしてとイラストを描いてこれにしてと出してあの格好にしたんです。
あれは、自分隠しなんです。
ご自分で考えられたんですか。
そうです。
ちょっと分からないと思って、こういう格好をすれば2、3週間すればこの番組はなくなるからあれをやって誰だということになってそのうちに、忘れられるだろうなと思ってたらそうでもない話になちゃったということです。
続きましたよね。
広がりましたよね。
合原⇒大人気になりましたね。
山本⇒そういう役、デンセンマンをやって、ベンジャミン伊東さんが下山事件の機関士に抜てきされる。
それはご自身の中ではどういう受け止め方ですか。
今、振り返ってみれば同じ比重なんですよ。
全くバランス的には同じにやっていますね。
電線音頭もてんぷくトリオもそうだし下山事件もそうだしそういうときに来る仕事はほかにもあったんですよ。
当時、西ドイツと提携するドラマがあって民放だったんですけれどもそのプロデューサーが話をしたいということで、あるところで会っていて保護収容所の話なんだけどということで捕虜の収容所の話なんだけどこの人は、私が電線音頭をやっているということは知らないだろうなと同一人物だろうと思っていないだろうと思ってちょっと待ってください話の途中だけれども私はこんなことやってますよと言ったらそれがどうかしましたか話を続けますというそんなふうにオファーが来るんですよ。
うれしかったです。
何でオファーが来たと思います。
何で来たと思います?私が聞いているんです。
仕事としては変わらないという態度でしたからね、私も自分のポリシーとしては笑いをやるのもシリアスなドラマをやるのも同じだと思ってやってましたから。
何が同じなんですか。
何が同じ?仕事としては一緒ですよ。
全く変わらないです、僕は。
役を演じるということでは一緒。
同じです。
ただ電線音頭のようなものをやってるときというのはてれてはだめなんですよ。
あれを、てれてしまうと誰も見てくれない。
やると決まったとたんドンと前に出ましたね。
だから仲間うちではあいつ、本当におかしくなってしまったんじゃないかと思うやつがいっぱいいてあいつにはアドバイスしておかないと危ないという、うわさがたったらしいんです。
あるときに藤田まことさんが心配してくれてあるパーティーのときホテルで会ったんですけれども手を引っ張られてエレベーターの横であんた大丈夫?と言われたんです。
そのときに仲間内までだましているんだからいいんじゃないかなと。
本当にそういうふうに思われているということはベンジャミン伊東になりきっているんだろうということでひょっとしたらこれは成功なんだろうと思いましたね。
合原⇒冷静に受け止められていますね。
そういうことですね。
山本⇒機関士だろうがベンジャミン伊東だろうが同じなんですね。
同じです。
全く変わらないですね。
合原⇒振れ幅が大きいというよりは、何でもやるからどの仕事も同じようにやるからそういう受け止め方じゃないということですかね。
うんとね、僕のほうはそういう態度でしたけれどもなぜ向こうがそういう話をしてくるかは不思議だったんです。
電線音頭の真っ最中のときに。
山本⇒すべてが電線音頭がきっかけで真逆というか反対側にある役ですよね。
いろんなバラエティーでいろんなキャラクターが出てきますがあれほど、ばかなキャラクターは私は、それ以後、ないと思っています。
あんなにばかばかしいものはないですもん。
そういう意味では誇りに思っています。
合原⇒伊東さんが、そうした喜劇の道に入ったのにはその容貌と深い関係がありました。
10代のころほおの骨が削れるほどの大けがをした伊東さん。
顔の傷が、怖い印象を与えつらい思いをしてきました。
高校卒業の年の就職面接。
その顔を見るなり、面接官はあっ、と言って下を向いてしまいます。
ことごとく入社試験に失敗しました。
その後、致し方なく大学の生協のアルバイトで生計を立て始めた伊東さん。
仕事が終わったあとの息抜きが毎日のように通った喜劇の舞台でした。
そこで伊東さんはその後の人生を決定づける出会いをします。
「楽屋に寄ってけよ」客席にいた伊東さんの顔があまりに印象的だったため出演していた一座の座長石井均さんから声をかけられたのです。
入門してすぐは舞台で受けないのは、自分の顔が怖いせいだと思っていました。
しかし、座長の石井さんに「顔が原因じゃない芸は磨くものだ」と厳しく言われます。
その後、全国のキャバレーを回り独特の風貌を逆手にとる伊東さんならではの芸を磨いていきました。
77歳になった今でも伊東さんは後輩たちと年に一度、必ず舞台に立つことを決めています。
いやあ、そんな血は出てないな。
そんな血は…。
そんな血はあかちゃん。
芸は、常に客との真剣勝負で磨かれていくもの。
その精神を自分の体で示し続けているのです。
そうですか。
よく分かりません。
せりふは一言一句変えない。
それは、そんなこともないんでしょうけれどもせりふというのはやっぱり作者が精魂込めて書いたものだしその場ではそのせりふがいちばんいいと思って書いてくれているせりふだから、勝手に変えるというのはどんなものかなという気がしているんですよ。
ですからできれば変えないで間合いやそういうものでおもしろくなればいいなと思っています。
お笑いはアドリブを生かしてという言い方もされると思うんですけれども、アドリブはプラスアルファのことばを入れるのではなく伊東さんの場合は間合いなんですね。
それは自分で作るものではなくお客さんの間合いなんです。
あるせりふを言ったときに、そのせりふをお客さんが聞きます。
頭の中でぐるっと回って、納得するまでをお客さんの場合だと思う間合いだと思うんです。
ある程度納得する前に次のせりふを言ってしまうのは不親切だと思うんですね。
1人だけではなく400人から1000人ぐらいのお客さんがいるわけでその人たちの最大公約数というのかなそういうのを感じ取りながらやるのが喜劇役者の務めといいますか。
喜劇というのは特に間合いが必要なんです。
ちょっと100分の何秒違ってもきのうまで受けていたものがきょうは受けないということになります。
すごい生き物ですからきのうときょうお客さんが違いますからね。
いちばん怖いのは相手のせりふを覚えちゃうことなんです。
それが怖いんですか。
覚えなきゃいけないんですけど覚えちゃうと知っている顔になるんですよ、目が。
相手がこういうふうに言うよと。
その目はお客さんが嫌なんですよ。
お客さんはきょう初めて聞くわけですからお客さんと同じ目になっていないといけないんです。
今初めて聞くそれはずっと楽日まで覚えているけど忘れる変な言い方ですけどね。
初めて相手のせりふを聞かないといいせりふは返せないと思っています。
その日その瞬間、毎回毎回初めて相手のせりふを聞くという気持ち。
そうです。
舞台に出る前にそれはもう心に決めて出ています。
それは、キャバレー回りやてんぷくトリオであるとかそういう中で獲得されたものなんですか。
そのころは全くでした。
それはねNHKの銀河ドラマというのがあったんですけれどもね。
夜に。
まわりみち、というドラマをやったんです。
突然来ましたね。
これか、と思いました。
やっている最中に。
ですからアドリブというのは計算して言っちゃだめ。
それはアドリブじゃないんです。
思わず出てしまうというのは本物だと思うんです。
そのときにまわりみち、の中で子ども連れで探しに来るというシーンがあって回転ずし屋にいるぞと言って行っていなかったりキャバレーに勤めているといううわさを聞いて名前も一緒だったので、やっとお母さんを見つけたぞと楽屋口に行くと全然違う人。
同姓同名の人が出てきて女の人が言うにはあなた誰といったときに思わずさあ、と私は言ったんです。
それは、アドリブなんだけど本当の気持ちだなとそのとき思ったんです。
自分がよく分からなくなって、さんざん探し回っていっていないということであんた誰?と言われてさあ、と言ってしまう自分がとてもおもしろかったんです。
それだけじゃないんですが、そのときにいろんなことが発見できました。
ドラマは普通はしゃべっている人を撮りますよね。
私を撮っているんですけれど、そのとき、本当に生意気なんだけれども監督さんに私のせりふを聞いているほうの顔を撮ってくれませんかねと言っちゃったことがあって。
これを聞いているこちらの顔のほうがずっと大事なんじゃないかという気がしたものですから。
これは生意気でこんなことは言っちゃいけないんですけどそういうことがありました。
その瞬間があったんですね。
まわりみち、の中で。
何歳ぐらいのときですか?43歳くらいのときですね。
45のときに「おしん」をやったんですよ、確か。
その前ですね。
同じプロデューサーなんですよ「おしん」と。
岡本さん。
まさか「おしん」の父親の役が来るとは思わなかったです。
企画書を見たら鶴のようにやせた男と書いてありました。
僕にどうしてその要素があるかと思ってね。
痩せてくれということだったんでしょうか。
途中で私が死ぬことになって橋田さんから相談があって伊東さん、死ぬんだけどさどうやって死ぬ?と私に相談するんです。
どのようにでもいいと言って死にそうにないのよねと言われました。
話にどんどん引き込まれちゃうんですけれどもここでちょっと皆さんにご案内したいと思います。
合原⇒伊東さん出演の最新作が名古屋放送局60周年のスペシャルドラマ「妻たちの新幹線」です。
今月13日月曜日総合テレビで夜7時30分から放送です。
新しい発見がいっぱいあります。
僕も新幹線について知らなかったことがたくさんあります。
トンネルが戦前から掘られていたとか弾丸列車計画の中でやっていたとか東京から下関まで行って海底トンネルを掘ってプサンから北京まで44時間10分で走らせる計画があったとか驚きの連続です。
私も一緒に出演させていただく番組はこちらです。
さあて、行きますか。
いつでもOKですよ。
もう出番ですか。
10月10日「今日は1日TOKYODAY」。
東京五輪が開幕した日にこちらの番組を放送してきます。
10月10日です。
朝から夜まで駒沢のオリンピック公園の特設会場と結んでお伝えしていきます。
伊東四朗さんでした。
ありがとうございました。
♪「泣いて泣いて」♪「泣き疲れて」シャンソン歌手・クミコさん。
3年前の3月11日コンサートで訪れていた石巻で被災しました。
以来、石巻へ通い続けボランティアでコンサートを開くなど被災した人たちの心に寄り添ってきました。
そして先月。
今度は、石巻の人たちがクミコさんを招き初めての手作りコンサートを開きました。
復興に向けて、ともに歩き続ける石巻の人たちとクミコさん。
新たな一歩を踏み出しました。
山本⇒クミコさんといいますとこの番組にもたびたび出演していただきました。
石巻の人たちとの関わり少しずつ変わってきているようです。
取材した高谷ディレクターです。
クミコさん、これまでボランティアで行っていたんですが初めて今回招かれたんですよね。
高谷⇒クミコさんは、これまで石巻でたびたび無料コンサートを開いてきたんですけれども今、石巻の人たちの間では支援されるばかりではなく自分たちでできることはしていきたいと考える人たちも増えてきています。
そこで今回、初めてクミコさんに出演料を支払ってコンサートを開くことにしたんです。
石巻の人たちとクミコさんの復興への新たな一歩を取材しました。
先月、石巻で開かれたクミコさんのコンサートです。
クミコさんに励まされてきた地元の人たち、200人で会場は、いっぱいになりました。
コンサートを主催したのは商店主やラジオ局のスタッフ主婦たちです。
震災で自宅を流され身近な人も亡くしましたが今ようやく暮らしは落ち着きを取り戻しつつあるといいます。
コンサートのチケットは1枚3000円。
クミコさんの通常のコンサートの半額ほどです。
復興途上の今、払える精いっぱいのこの金額に決めました。
主催した1人主婦の大崎美佐恵さんです。
震災で大崎さんの自宅は津波にのまれ全壊。
家族は無事でしたが、暮らしは根底から崩れてしまいました。
それでも、町内会の役員として食料の配布など地域の人たちの支援に奔走しました。
人々の悲しみや怒りを一身に受け止めやり場のない思いに胸が張り裂けそうになっていたといいます。
そんなとき心を癒やしてくれたのがクミコさんでした。
震災から3か月後石巻を訪れたクミコさん。
大崎さんは、クミコさんの歌声に被災後、初めて涙があふれました。
このあともクミコさんは石巻に通い笑顔で寄り添い続けてくれました。
訪れた回数は、20回を超え大崎さんの心の傷は少しずつ癒えていきました。
コンサートを開くにあたって大崎さんは、夫とともに地元企業を回り協賛金を募ることにしました。
このタクシー会社は震災で大きな被害を受け今も多額の負債を背負っています。
しかし、この日経営者の男性は、苦しい中で個人で出資してくれました。
コンサートの日。
クミコさんのもとにこれまで交流を続けてきた女性からメールが届きました。
「心配かけてごめんなさい。
」「今はちょっと後退してるけど少し時間下さい。
」その女性は震災で自宅、仕事そして多くの親族を亡くしました。
長引く仮設暮らしで、体調が悪化。
精神的にふさぎ込み、外出もままならなくなってしまいました。
そしていよいよコンサートの幕開けです。
最初に大崎さんたち実行委員からプレゼントが贈られました。
赤い箸です。
震災から3年半。
クミコさんがこの日選んだ歌は「広い河の岸辺」。
長い復興への道のりをともに歩んでいきたいという思いを込めました。
山本⇒クミコさんは友達のようにとおっしゃってましたね。
高谷⇒今後は友達のように、離れていても互いを思い合って、何かあったら助け合える、そんな関係を築いていきたいということです。
合原⇒一方で、まだコンサートに行けないというつらい方も、被災地にはたくさんいらっしゃいますね。
クミコさんも気にかけています。
交流のある方にはメールなどを送ったり地元ラジオ局に出演して語りかけています。
押しつけにならない程度に寄り添っていきたいということです。
合原⇒番組のお知らせです。
海外から進出した店が軒を連ねる銀座・並木通り。
でも、半世紀前は人通りも少ない地味な通りでした。
東京オリンピックのころ人々の夢が街を輝かせていきます。
シリーズ東京「街はこうして輝いた」はきょうから3週連続でお伝えします。
1回目は銀座・並木通りが舞台です。
BSプレミアムで今夜10時の放送です。
ご覧ください。
山本⇒伊東さんにとっても子どものころからいらっしゃったところではないですか?姉貴と、ただ歩いていましたね。
銀座をね。
銀ブラですね。
本当にそうです。
ただ歩いて帰ってくるだけ。
合原⇒伊東さんにお便りも届いています。
とても頭がよくて芸達者な方と尊敬しています。
頭がいいんですか。
そうですよ。
顔の傷で悩まれていたんですね。
年を重ねてとてもすてきなお顔でうれしい気持ちで拝見していますと届いています。
そうですか。
女性の方です。
この傷が、ネックになりました。
山本⇒傷と笑いは関係があったんですかね?あったのかもしれませんね。
子どものころはもっと深かったものですからね。
なんとか今のようになったんですよ。
先ほど会った息子というのはね同じところに右側にあるんですよ。
笑ってしまいます。
そうなんですか。
いたずらなんかをして。
そうです。
親子2代ですね。
そのとおりです。
合原⇒受け継がれていますね。
男の傷ものです。
そんなことはないでしょう。
もし、これからやりたい役があるとしたら何ですか?お正月とかで聞かれてそういうものがない人なんです。
やりたいと思ったことはないです。
向こうから考えてくれます。
ですから「ひらり」のときお相撲さんの親方とか「笑ゥせぇるすまん」とか。
自分では考えられない役です。
プロデューサーが考えてくれると思っています。
いつも、真摯に対応していますね。
断ったこともありますけれどもね。
2014/10/08(水) 16:55〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどき ▽俳優・伊東四朗さんに喜劇への熱い思いや役者人生を伺う。[字]

俳優の伊東四朗さんに原点である喜劇への熱い思いや、これまでの役者人生についてお話を伺う。東京五輪50年企画は、埼玉・川口市から、聖火台の秘話を伝える。

詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子 <中断>5:00−5:10 [字]ニュース
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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