評価してくれたわけですね。
≫今、LEDを赤と緑の色があったんだけれどもノーベル賞としては基礎的な研究だけじゃなくて≫ノーベル物理学賞を受賞した中村修二教授のお兄さん中村康則さんにお話を伺います。
寺川さん、お願いします。
≫改めて中村教授のお兄さんです。
康則さんです。
よろしくお願いします。
≫よろしくお願いします。
≫本当にノーベル物理学賞聞いたとき、どんな感想でした?≫待ちに待って21年間待ちに待ちましたから本人以上に私のほうがうれしく思ったので感無量という感じでございます。
≫本当に喜びが伝わると思うんですが修二さんとはお話をされたんですか?≫しました。
昨日の朝5時ぐらいから6時ぐらいの間に電話しまして彼も取材を受けているということでつながらなかったんですがひと言おめでとうということを。
親父が生きていれば親父が一番喜んだだろうなということで言っていました。
本当に電話がつながらなかったということは取材を受けていたということですね。
≫取材を受けていたんじゃないかなと思いますね。
≫良かったと思います。
≫本当にすばらしい功績ということになったわけですがさて、ここでなぜ、このシーテックジャパンに康則さんがいらっしゃるのかというところなんですが実は康則さんビジュアル機器の開発会社の社長さんを務められていらっしゃいまして3Dモニターを開発されて最先端の技術としてこのシーテックジャパンに出展中ということです。
それがこちらになっているわけですが医療現場で…。
≫今、目的としては医療の外科手術の中で顕微鏡のカメラを今、眼鏡をつけた3Dモニターで見ております。
それを眼鏡なしで見ていただこうと。
そうすることによってより早く、より安全に医療の外科の手術が先生方ができるというものを目的にしております。
将来は、医療界を外れてこれは将来でございます。
≫この画面に関しては今、この画面をカメラで撮っているので恐らく見ている方は今、私、見ている限りここに紙があるんですが浮き出て取れそうなんですよ。
ただ、取れない。
平面ですからね、画面はね。
浮き出てきて。
≫雰囲気が伝わってきます。
≫中村さんのお兄様。
お兄様、おめでとうございます。
≫ありがとうございます。
≫今、3Dの製品のご説明で将来はというお話があったので将来は私もノーベル賞とおっしゃるのかと思いました。
そうではないですね。
≫いやいや。
将来は立体テレビになればいいという。
≫そうですね。
お兄様も技術者なわけですが技術者としての弟さんをずっとどのような目で見てこられましたか。
≫これは、幼少のときから技術系というのは算数とか数学が得意じゃなきゃいかんというのがありましてですね非常に幼少期から数学、または物理工作というのが非常に得意だったというふうに兄弟の中でも私、長男ですが思っております。
≫ちなみにですが、大二郎さん。
これ、この画面なんですが実は、ここにもLEDが入っているんですね。
≫このバックライトの照明にLEDを使っておりましてLEDテレビとかもあるかと思うんですがまさにそれでございましてそれの上に3Dで見せる細工を2つの技術を使ってやっております。
立体で見せる技術ですね。
それは私どもの技術です。
≫これ、兄弟合作ではということなんですね。
≫先ほど、お父様のお話が出ましたが、お母様にはもう修二さんの受賞の連絡は届いているのでしょうか?≫届いています。
私の女房から今、病院にいまして伝えてもらっております。
喜んでいると思います。
あまり、元気がないんですが十分伝わっていると思っております。
≫何かお父様はずっと毎年修二さんがノーベル賞を受賞するのを楽しみにしてこられたというお話なので2年前に亡くなったのは大変、残念ですよね。
≫ええ。
実に親父が一番喜んでいるのではないかと思います。
修二も親父に一番に報告したいと思っているんじゃないかと思いますが親父は天の上から十分、見ていると思います。
≫康則さんおめでとうございます。
大下と申します。
≫ありがとうございます。
≫闘う研究者というイメージを素人ながら中村修二教授に持っているんですがどんな性格の弟さんですか?≫性格的には、我々中学校時代にバレーボールをやっていまして学ぶというのは幼少期から十分あると思います。
そのうえで、当時中学校時代のバレーボールというのは今の大会と同じでして根性という精神力を伝えましてこの辺も継続は力なりとかクラブ活動というのをやりつつ勉強も、奴は私は成績悪かったんですが非常にいい成績でトップクラスじゃないんですが勉学のほうとスポーツというものを両立して精神力と勉学。
そういうものをやったんじゃないかと思って弟を尊敬しております。
≫そのバレーボールでの根性がずっと研究者としても役立ったということですね。
≫十分役立っていると思いますね。
本人も本に書いていましたがやっぱり根性という言葉も今は、あまり言われませんが非常に重要なキーワードの言葉じゃないかと思います。
今回ノーベル賞にたどり着くまでに。
≫お祝いの電話をずっとかけ続けられたということですがかなり、お話中が長く続いたんですか?≫続きました。
朝、彼は2時くらいに電話があるんですが眠れるかどうかという感じだたっと思います。
5時過ぎには電話取材を受けていたように思います。
≫康則さん、秦と申します。
こんにちは。
おめでとうございます。
先ほどの3Dの画面の説明のときにかなり熱血漢っぽいところが私、お兄様にもお見受けしたんですけれども小さいころは熱血漢同士戦ったり、けんかしたことは多かったんじゃないかなと勝手に思っているんですがいかがでしょうか。
≫そのとおりで毎日兄弟げんかを男3人だったんですがやっておりました。
けんかが強くなったのも修二の、ど根性があったんじゃないかと思いますね。
≫お兄さん川村と申しますけれども大学院卒業されて就職のときに関西の今は日本を代表する会社に入社が内定していたということですが、そのときなぜ徳島にとどまったのかお兄さんに相談があったんでしょうか?≫ありました。
で、これは私どもは就職していましたので非常に本人も悩んだようです。
ただ、ローカルベースでやっぱり、やれるべき要素は自分で十分あるという認識を持っていましたので家庭の問題もあったんですがローカルベース中小企業の中でも私も中小企業に勤めていたんですが十分、大企業でなくても中小企業でも力が発揮できるというふうに本人も思っていましたのでそういう研究というものは本当に最初、入社するときから思っていたのではと思います。
≫先ほど、お母様のお話が出てお母様にも奥様から報告がいったということですがお母様、ちょっと体調を崩されたときも修二さんが訪ねて来るとすぐ元気になったというお話でしたよね?≫そうなんです。
今年4月ぐらいに、母が危篤状態になりまして修二が見舞いに帰ってくると奇跡的に今、延命しております。
当時は危篤だということで当時は、見取りかということで親戚中もあきらめていたんですが修二が見舞いに帰ってくることによって奇跡的に元気になって私たちもびっくりしています。
母が元気なうちにノーベル賞を取ってほしいと思っていたのでそういうのが現実になりまして母もうれしく思っていると思います。
≫寺門と申します。
このたびはおめでとうございます。
1つ伺いたいのですが中村修二先生が研究の道を志したときにご自身でこれからこういうことをしたいという信念みたいなものはあったんでしょうか。
≫信念というか、当時彼が20歳の後半くらいに母がちょうど倒れまして脳梗塞で。
その見舞いに帰ったときに何回か帰ってきたんですがそのときの彼の見た目というのは髪はボーボーで無精ひげを生やして服装は科学服を着ていると。
本人は身だしなみはあまり気にしないんですが。
ちょっとビジネスマンだからお客さんにも会うんだからかっこ良くしろとしかったことがあります。
そういうことにもうんうんと返事で、またすぐ母を見舞いにまた来ると、そういう無精ひげで何べんも戻ってきていました当時、研究に守秘義務があるのであまり話せなかったんだと思いますがそういう野心のもとで研究開発をしていたのではと≫今回、受賞理由である発光ダイオード。
その青色というものですよね。
青色は何でこんなにすごいのかというふうに出ています。
これ、見ていきましょう。
光の三原色とかいうものに関係してくるんですが今まで赤、緑というものはあったんですが青がなかったんですね。
これ、実は青がそろうと白というものが出せるようになるんで色として。
そうすると、どんな色でも出せるようになるというのが今回、ポイントなんです。
≫寺門さん、なんか理科の授業のようになって昔を思い出しますが。
この3つの色が光の三原色がそろって初めてすべての色ができるということですね。
≫光の3原色は赤と、緑と青なんですね。
そこに図がありますけれども全部3つの色を足すとこれがやっぱり2色では絶対に白ができないですね。
白い光ができると及ぶ範囲が広がってくるんですね。
色んな色が白ができることによってほかの色が。
≫家庭用の照明なんかは白が主体ですからそういうものがやっと実現したと。
≫赤と緑はすでにできていたんですね。
≫できていたということですね。
青だけができていなかったんです。
単純な疑問なんですが青は何で難しいんですか。
≫青はどんな物質を使えばできるのかとわかっていたんだけれども実際、発光ダイオードの形に製造するその技術がものすごく難しかったんですね。
≫だからこそ、この青色は20世紀に開発するのは難しいというふうにいわれていたわけですね。
寺門さんはまさに原理がわかっていても実現はできなかったとおっしゃっていました。
≫ここにくるまでは偶然にも恵まれたということがありあした。
偶然ということはそれだけずっとそのテーマを追い続けてきたということもあるんですよね。
≫そのテーマを追い続けてなければ偶然にも出会わない。
今回の場合もずっと同じ研究をして失敗の連続だったときにちょっと温度の条件を変えなければいけないことがあって。
それをやったらやっと実現できた。
そこまでには努力と失敗の歴史があったうえで初めてできたものですよね。
≫やっぱり偶然も続けていないとそこに恵まれないというのはすごい教訓ですよね。
≫500回以上失敗したということですから粘り強いですよね。
≫それでは、このお三方細かくご紹介していきましょう。
まずは1人目不屈の研究者といわれる赤崎さん。
不屈です、すごいです。
こちらですね。
85歳、終身教授という肩書きです。
1970年代初めに開発に取り組みました。
このような言葉を残しています。
やりたいことをやるのが一番。
なかなか結果が出なくても本当にやりたいことなら続けられるというふうにおっしゃっています。
これがなかなか難しいんですけどね。
≫そうですね。
でも、ただやり続けるというだけではなくてこの素材この赤崎さんなんかの場合だとこういう素材が必ずものになるんだという確信というかそういう目利きが根底にあって初めて…。
≫まさにそうですね。
それがあるからやっていけば必ず最後には成功するという信念があったんでしょうね。
≫ただ単に挑戦しても駄目だということですよね。
≫研究というのは最初の戦略が大事なんですね。
そのときに赤崎先生はこれでいこうと決めてそこまで何が何でもやると。
そういうことを決めたというところがすごいですね。
≫赤崎先生と天野先生は師弟関係ということでいいんですか?天野先生のどういうところに赤崎先生は…。
≫天野先生のお言葉を聞いていると赤崎先生から教えられたことが非常に多いとおっしゃっていましたね。
やはり、実際に現場で色んな実験を繰り返す。
これはまさに天野先生がずっとやられていたことですよね。
だから、途中でへこたれてしまっては駄目だし諦めてしまっては駄目。
そういった教えを赤崎先生に教えられて実現までたどり着いたということだと思いますね。
≫85歳と54歳で親子ぐらい年齢違いますけれども秦さん、現役で今も研究を続けておられるところがまた、すばらしいですね。
≫もう、すてき。
本当にすてきだと思います。
その師弟関係もお互いの信頼関係がすごくがっしりしていてお二方とも一番ということをおっしゃっていますよね。
やりたいことをやるのが一番であって自分が世界で一番になる可能性がある。
こういう自由でそして、追いかける力とそれに対する努力を惜しまないその目利きももちろん含んでこのお二人の関係は本当にこういう成果を残して良かったと、心から喜びますね。
≫自分が世界で一番になる可能性があるってその思いを持てることがうらやましいですよね。
≫大学4年生で研究室にいるときにすでにその志を持っていたという。
これ、研究者の皆さんって早く見出すものなんですか。
≫やっぱり研究している人は必ずやっぱり一番になりたいノーベル賞もらいたいこれは目標ですよね。
≫そして、もう1人の研究者こちらですね。
先ほど、お兄様ともお話しましたが中村修二さんなんですがこの青色LEDを実用化させた人物だともいわれています。
果たして、どんな功績を残してきたのか。
VTRにまとめました。
≫20世紀中は無理とさえいわれてきた青色発光ダイオードの実用化。
その業績が認められ、きのうノーベル物理学賞を受賞した中村教授。
≫これまで、基礎的な研究の業績に与えられることが多かった物理学賞。
青色発光ダイオードの実用化といった生活に密着した部分での受賞は異例だという。
果たして、その研究の原動力となったものとは。
≫1979年徳島大学工学部を卒業後地元の日亜化学工業に入社した中村教授。
そこで、青色発光ダイオードの研究と出会った。
≫1993年、中村教授は今回ともにノーベル賞を受賞した赤崎教授、天野教授の基礎研究を踏まえ世界で初めて青色発光ダイオードの実用化に成功。
これを機に日亜化学工業は業績を伸ばしたが当時、サラリーマンだった中村教授が手にした発明報酬はわずか2万円だった。
1999年、中村教授はアメリカの大学から教授職の誘いを受け日亜化学工業を退職。
≫2001年には日亜化学工業を相手取り発明者として特許の正当な対価の一部を求める訴訟を起こした、中村教授。
2004年、東京地裁は発明の対価を604億円と算定し中村教授が要求した200億円の全額支払いを命じる判決を出した。
≫その後会社側との和解が成立。
およそ8億円が中村教授に支払われた。
誰もやっていないことに挑戦しその成果に対しては正当な対価を求める。
≫青色発光ダイオードの実用化における正当な対価を求めて闘い続けた中村教授。
一方、きのう裁判で争った日亜化学工業はこうコメントを発表した。
≫開発から20年あまり。
ノーベル物理学賞を受賞した今中村教授は何を思うのか。
≫VTRで企業と闘う研究者というふうにも描いていましたが一方でこういうふうにもおっしゃってるんです。
私に最初に投資してくれた日亜化学工業の創業者もう亡くなられているんですが小川信雄氏に感謝したいと。
私の研究が認められたことはうれしい。
若い人に研究の成果をつなげていってほしいと感謝を述べているんです。
≫寺門さん若い人に研究の成果をという意味には、やっぱり若い研究者がインセンティブ刺激を持てるような研究の環境をという意味も含まれていると思うんですね。
≫当然そうですね。
技術というのはずっと続いていくことが大事なんです。
常に、若い人が入ってこなければいけないというふうに思うんですね。
≫これは中村先生のいろんな努力で企業と色んな研究者との関係というのは変わってきたんでしょうか。
≫変わってきました。
企業の中の研究でその研究者がどれだけの貢献をしているかについて色んなその後、見直しがなされているわけですね。
≫再び中村修二教授のお兄さん康則さんと中継を結びます。
寺川さん。
≫今、VTRの音声を聞きながら康則さんとお話をしていたんですが修二さんと康則さん性格が結構、違うと。
≫私はカッとなると行動に移すほうなんですが、彼は冷静沈着に考えて1つずつ行動を起こしていくというそういうタイプですから。
物事を考えてから行動する。
私は前後なしに、思いつくと動くタイプなんですが私のタイプは良くないと思います。
≫修二さんが次男ということで康則さんが長男。
長男の背中をよく見ていたんじゃないですかね。
≫色んなところでけんかしたりガキ大将のように遊びに行ったり次男は、金魚のフンのようについてきますので常に兄貴の悪いところは外していいところだけを取っていくという。
≫冷静に人間関係を見ているわけですね。
≫ほめられることはないんですがしかられるのは兄貴で陰に隠れて弟はいたかなと。
だから冷静沈着に考える力がついたんじゃないかなという気もしますね。
≫そんな中で闘う研究者ということで力強い力を持っていたと。
≫そういう野心というのは先ほども言ったように要するに学んだと。
学びと精神力がやっぱり強い。
そういうものがスポーツを通じて鍛えられている。
やはり、たたかれづらい。
たたかれても起き上がる力は強いし彼は、本当に正しいと思ったことは今回の裁判のときも自分で正しいと思ったことは徹底的に闘う。
その闘うために必要な知識知見はあらゆる友達とか知り合いに聞いて、情報を集めて闘い方も関係者に協力してもらって。
そういうような行動をする男だと思います。
≫大二郎さん、いかがですか?≫康則さん先ほど、修二さんが受賞のインタビューの中でやっぱり怒りがここまでやってこれたエネルギーだというふうに言ってらっしゃったんですがお兄様の怒りとはまた違う秘めたエネルギーなんですね。
修二さんの場合は。
≫奴の場合は特許問題についても私も特許を何回か取っているんですがやはり、起業家にとってはやつがあの特許で起こした紛争は私も奴が起こしたことは尊敬するしあらゆる弁護士さんに聞いても企業の中にいい流れを起こしたと。
本当の正当性をもたらした形の闘いをしたというふうに思っております。
だから、企業にとっては企業の経営者にとっては非常に参考になる裁判をやったんじゃないかと思っております。
≫ありがとうございました。
≫この度は本当におめでとうございます。
寺門さん、どうもありがとうございました。
≫今も噴煙を上げ続ける御嶽山。
噴火から11日目のきのう新たに3人の死亡が確認された。
きのうは、これまでで最大規模の440人の捜索隊員を山頂付近に投入。
金属探知機や噴石から身を守るためのジュラルミン製の盾も持ち込んだ。
そんな彼らの捜索を阻んでいるもの。
それは、雨を含み泥と化した火山灰だ。
これは、きのう頂上付近で捜索に当たった自衛隊が撮影した写真。
一面泥だらけで中には、ひざまで泥に埋まった隊員の姿も。
≫捜索を終えた隊員を乗せた自衛隊機。
今、グラウンドに着陸しました。
足回りにはこちらの隊員も火山灰がべっとりとついています。
大きなリュックサックも上のほうまで汚れています。
≫そして、こんな隊員の姿も。
≫真ん中の方全身、火山灰がべっとり顔にまでついています。
山頂で具合を悪くされたんでしょうか。
泥状の火山灰がべっとりとついています。
≫御嶽山山頂付近の過酷な捜索活動。
雨で濡れた火山灰は泥となり隊員たちを苦しめていた。
≫今、山頂付近での捜索を終えた自衛隊員の長靴に付着していた火山灰を集めました。
捜索を終えて何十分もたつのにこの火山灰かなりまだ水分を含んでいてずっしりと重いんです。
そして、触った感じはまるで粘土のようです。
≫きのう、60人の部隊を率いて捜索に当たった陸上自衛隊の柿内中隊長に話を聞くことができた。
≫登山道から外れた斜面を一列に並び長い棒で探りながらの捜索。
しかし、足を取られ動けなくなる隊員が続出したというのだ。
さらに、気温の低下も隊員たちを苦しめたという。
≫さらに、別の捜索隊も…。
≫きのうの捜索では3人が発見され全員の死亡が確認された。
そのうち愛知県の大脇信治さんと三宅真一郎さんの2人の身元が判明。
死者は54人となった。
一方、いまだ行方がわからない人は10人。
家族らはその帰りを待ち続けている。
≫御嶽山の山頂の状況は隊員の方にとってはまさに過酷という感じですね。
≫ご家族も捜索隊も疲労の色が…。
≫濃くなってきていますね。
≫では、捜索隊の臨時ヘリポートには東さんがいます。
東さん。
≫活動拠点の1つである大滝村のヘリポートのある公園です。
今もこちらには3機のヘリコプターが待機をしています。
きのうに引き続き現場は非常にいい天気です。
ここからもはっきりと御嶽山確認がすることができます。
噴煙が上がっています。
たった今、入ってきた情報です。
山頂付近、一の池付近で不明者1人が発見された模様ということです。
山頂、一の池付近で不明者1人が発見されたかもしれないということです。
上空からはブルーシートが確認できたということです。
そのブルーシートの脇にはストレッチャーが置かれていたということです。
さらに、もう1つ新しい情報が入ってきました。
きのう発見された3人の方のうち身元が確認が取れていなかった1人の方、静岡県の28歳の男性であることが確認されました。
不明者3人のうちの1人28歳の静岡県の男性であることが確認されました。
今朝からの捜索はきのうと同様山頂付近は440人態勢。
後方支援をあわせると1000人態勢で行われています。
今朝の山頂の様子はきのうに比べて地表面は火山灰が固まっていて歩きやすい状態だということです。
しかし、依然として危険な箇所がたくさんあるために隊員は5〜6人ロープで結んで、捜索に当たっているということです。
きのう、私たちは捜索を終えたばかりの自衛隊の中隊長に番組独自でお話を聞くことができました。
普段から山岳地帯でトレーニングをつんでいる第13連隊の柿内中隊長です。
60人を率いています。
柿内中隊長によりますと…。
今ですねヘリが後ろ飛び立ちました。
こちら、隊員を乗せているヘリではないようですが待機用のヘリということなんですが今、飛び立ちました。
柿内中隊長によりますときのう、雨が降って3日ぶりの現場の状況なんですが想像以上に厳しい現場だったと話していました。
何が厳しいかといいますとまず気温です。
中隊長の体感的には朝方は気温はマイナス2〜3度氷点下2〜3度ということです。
あたりは凍りついていたということなんです。
そして日中になって太陽が上がってくると5〜6度まで上がるそうなんです。
気温が上がればいいかというとそうではなくて凍った火山灰がぐちゃぐちゃにぬかるんでくるそうです。
浅いところだとひざぐらい。
深いところですと胸まで埋もれてしまうということです。
そのひざ下まで埋もれると男性1人の力では自力では足を抜け出すことができないというふうに話していました。
そして、もう1つなんですが山頂付近は標高3000mを超えます。
ただでさえ条件が厳しいところです。
そして火山灰にはまってしまうと体温、そして体力を奪われてしまうということなんですね。
そして、低体温症や高山病などの症状を呈する隊員もきのうは数人みられたということなんです。
きのう午後3時半ごろこちらのヘリポートに捜索を終えた隊員が着陸しました。
そのとき、両脇を抱えられながら顔を真っ青にした若い隊員の姿が確認されました。
非常に山頂付近厳しい状況であったかがよくわかりました。
そして、捜索を終えた自衛隊の長靴についていた火山灰こちらに集めました。
これも1日たっているんですがまだ水分を含んでいてずっしりと重いんですね。
もう粘土のようなんです。
こういうものがまとわりついているということなんです。
取材をさせていただいた柿内中隊長。
とにかく、きのう今日のようなこのようないい天気が続いてほしいと話していました。
捜索にとってやはり地表面の状態がドロドロであるのは非常に厳しくてこのように太陽で照りつけて火山灰がさらさらになって足場が良くなることが大事だと話していました。
≫東さん、この隊員の方々は毎日交代されているんですか?それとも、同じ方が夜、帰って休まれてまた翌朝出かけるという形なんですか?≫中隊長によりますと中隊長は連日当たっているようなんですが一部やはり交代をする方もいるというふうに話していました。
≫県の話を続けてください。
≫長野県によりますと今後の気になる天気なんですが11日までは、晴れの予想ということなんですね。
ただ、それ以降は台風19号の接近。
そして前線の影響でまた天候が悪くなるということで天気をにらんでの捜索が今日も続けられています。
≫今後雪が降る心配もありますから捜索が急がれますよね。
≫そうですね。
早い年ですと御嶽山10月上旬には、雪が降る年もあるそうなんです。
ですので、本当に天気、時間が限られた中で本当に厳しい中での捜索となっています。
≫隊員の方ももちろんですがご家族も、まだ安否不明の方がいらっしゃいますから非常に気をもんでいらっしゃるでしょうね。
≫そうですね。
午前中、取材をしていた記者にお話を聞いたんですけれども今日も2014/10/08(水) 10:30〜11:42
ABCテレビ1
ワイド!スクランブル 第1部[字]
あの橋本大二郎が24年ぶりキャスター復帰。大下アナとのコンビで最新ニュースから気になる生活情報までわかりやすく丁寧にお伝えします。“大事なポイント”は見逃しません
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◇出演者
【司会】
橋本大二郎、大下容子
◇おしらせ
☆番組HP
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ジャンル :
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