NHKニュース おはよう日本 2014.10.08

世界中の研究者を驚かせた、青い光を放つLED・発光ダイオードの開発。
革命的な発明だとして、開発に成功した日本人3人が、ことしのノーベル物理学賞に選ばれました。
19世紀後半に、発明家、エジソンが白熱電球の実用化へ道筋をつけてから130年余り。
今、LEDが活躍の場を広げています。
省エネルギーにも貢献。
現代社会に欠かせない技術です。
おはようございます。
偉大な快挙です。
日本人3人がノーベル物理学賞を受賞しました。
青い光を放つLED・発光ダイオードの開発に成功した、名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、カリフォルニア大学教授の中村修二さんです。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、おととしの山中伸弥さんに続いて合わせて22人になります。
3人が開発に取り組んだ青色LEDは、私たちの暮らしを照らす明かりの歴史を大きく変えました。
今から1万7000年前、旧石器時代にはオイルランプだった明かりが、19世紀には白熱電球に、20世紀には蛍光灯に、そして現在21世紀、青色LEDの開発によって、照明として実用化できる白いLEDが実現しただけではなく、光の三原色のLEDがすべてそろったことで、あらゆる色が出せるようになりました。
これまでの白熱電球や蛍光灯に比べて、はるかにエネルギー効率がよく、長寿命であることが特徴です。
スウェーデン王立科学アカデミーは、青色LEDの発明を革命的だったと評価し、21世紀はLEDによって照らされるだろうと称賛しました。
ここからは水野解説委員とお伝えします。
そして3人のノーベル賞受賞者のうち、中村修二さんと中継がつながっています。
中村さん。
ノーベル賞受賞おめでとうございます。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
今回、人類15億人の生活の質の向上をもたらす発明と評価されました。
どのように受け止めていらっしゃいますか?
非常にうれしく、光栄に思ってますね。
長年、青色発光ダイオードの研究してきたんですけど、それがやっと認められたかなという感じで、非常にうれしく思います。
長年ということばがありました。
発明から21年たっての受賞ということで、ここまで長い道のりだったんでしょうか?
そうですね、21年前に製品化までいって、ノーベル賞、大体、基礎理論でもらうんですけど、私らの場合は、実際、21年前、製品化までいったんですね。
ですから、それ以上はないんですけど、まあ、それから21年してもらうというのは長いですね。
でも年を取ってますから、案外、研究も忙しいですが、年取って研究が忙しいと、時がたつのも早いですから、長いとも短いとも言えますね。
そうですか。
きょうはいろいろとお話を伺っていこうと思うんですが、まずは中村さんのこれまでを振り返ります。
小学生のころの中村さんです。
60歳の中村さん。
少年のころを兄はこう振り返ります。
中村さんは徳島大学大学院で、半導体を研究しました。
指導した多田修名誉教授は。
昭和54年、徳島県内の化学メーカーに入社します。
そして平成5年、独自に開発した装置を使って、極めて明るい青色LEDの開発に、世界で初めて成功。
世界中の研究者を驚かせました。
その中村さんが恩人として慕うのが、勤務していた企業の創業者、小川信雄さんです。
中村さんが、青色LEDの研究をしたいと申し出たとき、周囲が疑問の声を上げる中、小川さんだけがやってみろと言ってくれたといいます。
開発資金も工面してくれたうえ、研究のため、留学までさせてくれたといいます。
その小川さん、2002年に亡くなりました。
中村さんは、大学を出るときに、関西地方の大手メーカーに、確か就職が決まっていたんだけれども、その内定をあえて辞退して、徳島の企業に、メーカーに入ったとお聞きしましたけど、結果的に、先ほどの小川さんとの出会いというのがあって、結果的にはやっぱりよかったということでしょうか。
そうですね、やはり結果的に徳島に残って、以前いた小川信雄さんの会社、当時は小さかったんですね。
アメリカ式でいうとベンチャーなんですね。
ベンチャーで、しかもそれこそ小川信雄さんがお金を出してくれたんですね。
ベンチャーで、しかもお金を出してくれて、自由に研究させてくれたということで、科学者として理想の環境を作ってくれたんですね。
ですから非常に、小川信雄さんには感謝してます。
彼の理解と投資がなければ、今日のノーベル賞はなかったと思います。
それはもちろんそうだと思うんですが、やはり小さいメーカーなりに、いろいろご苦労もあったと聞いてまして、例えばいろんな実験機器を作りたくて、東京のメーカーにパンフレットを送ってくれと電話しても、全然送ってこないとかですね、だったら、このやろうということで、ご自分で今度、実験装置を作ったというふうに聞いているんですが、そこらへんは、どんな経緯だったんでしょうか?
そうですね、やっぱり最初の入社して最初の10年間、お金も出なくて、売り上げもなく、実験器具を自分で作ったりとか、いろいろ苦労したんですけど、しかしその10年間で実験器具とか、溶接からなんやから全部やったんですけど、それが次の10年後に、青色発光ダイオードの研究するんですけど、その青色発光ダイオード、反応装置を改造することが一番重要だったんですね。
それで過去の10年間は、自分で装置を改造するとかやること、全部自分でやること、過去10年間の経験で、やってたことなんで、改造は簡単にできたんですね。
ですから、そういう過去10年間のいろんな苦労、それが青色発光ダイオードの研究するときに役立ったということですね。
ですから非常に、10年間の苦労は、青色発光ダイオードの研究にとって、非常に役に立ってます。
さまざまなご苦労があったんですね。
中村さん、今回、中村さんがノーベル賞を受賞されたことで、日本の科学界にどんな影響、どんな効果をもたらすというふうに考えられますか?
そうですね、私の場合はですね、四国から出たことないんですね。
高校まで愛媛県でして、大学が徳島大学で、徳島大卒業して、徳島の田舎にある中小企業に就職しまして、その中小企業で20年間いて、それからいきなりアメリカのカリフォルニアに来ています。
ですから、私はもう、本当に田舎出身で、田舎のローカルの大学で、田舎の企業で、ここまで来れるということですから、若い人ね、田舎にいるような人、無名の大学にいるような人は、私を見てくれれば、私がいい例なんで、やる気と好きなことを、やる気を持ってやれば、ここまで来れるということで、ぜひ私を参考にしてくれたらと思います。
そうですか。
やる気と、その情熱があれば、誰でも中村さんのように目指せるということでしょうか?
だと思いますけどね、私なんてもう、どこの大先生にもついてないし、本当、田舎の大学、田舎の企業ですから、いい例だと思いますね。
それも私よりも優秀な若い方、いっぱいいると思うんで、皆さんチャンスがあると思いますけど。
ただ、中村さん、そうは言いつつも、非常に努力家で、毎朝早く出てきて、会議も出ない、電話も出ない、ちょっとお酒も飲みに行ったりもせずに、それでもう日中ずっと研究に没頭されていたと。
それが功を奏して、今回、青色発光ダイオードの開発に成功したというふうに聞いてるんで、周りからはご自身、確か、変人扱いされたんだというふうなこともおっしゃっていたかと思うんですが、やはりそういった、誰もやらないことをやるということは必要になってくるんでしょうか?
そうですね。
やはり最初、入社して10年間は、やはりいろんな論文とか、特許を読んで、一生懸命従来のやり方でやったんですね。
そのときは人づきあいもよくて、いろんな人とも会っていたんですよね。
そうすると、いろんな論文とか特許読んでやると、やっぱりよそがやってる方法をまねするんですね。
でもまねして出来た製品というのはやっぱり売れないんですね。
そういうことを過去10年間で、学びましてですね、10年後に青色発光ダイオードの研究をやるときは、過去のやり方を全部捨てたんですね。
しかも小川信雄さん、5億円も出してくれて、海外まで行かせてくれましたから、ちょっと今度は変えてやるといって、今までのやり方、全部変えたんですね。
ですからもう、会議も出ない、お客さんも全部無視で、もう、朝から夜帰るまで、当時は装置の改造に熱中してましたよね。
装置の改造とか、装置を動かすと、動けないんですね、装置の場合。
ですから誰とも話を聞かずに。
そうやって1年半ぐらいかけて、非常にいい反応装置を作ったんですね。
その名前をツーフローエムオー2といいますけど、それでやると、結晶が世界一だったんですね。
当時、世界トップは、一緒にやった天野先生のグループが結晶の世界一のを出してますけど、91年にそれを抜いたんですね。
それから装置使ったいろんなブレークスルーをやって、93年に青色発光ダイオードが出来たということで、非常にそういういろんな過去の苦労とかが生きてますね。
そうですか。
中村さん、ぜひ今後の夢、研究目標というものを最後に聞かせていただきたいんですが。
そうですね。
こちらの大学でやはり、やっぱり青色発光ダイオードとかレーザーダイオードを研究してます。
現在、製品化されている青色発光ダイオードとか白色の発光ダイオードというのは、発光効率が大体50%から60%なんですね。
これを100%近くまで持っていくというのが、こちらでの研究の目標です。
ですから、発光効率を100%ぐらいまで持っていくためには、やはりデバイスの構造とか、成長方法とか基板とか、いろんなことを変えないといけないんで、そういうことをいろいろ、こちらで今研究やってます。
まだまだ研究の日々が続くわけですね。
お忙しいところ、きょうはありがとうございました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
中村さんにお話を伺いました。
続いては、ノーベル物理学賞を受賞した、名古屋大学大学院教授の天野浩さんについてです。
天野さんは、もう1人の受賞者、赤崎さんと同じ研究室で研究していました。
天野さんが大学院で教授を務める名古屋大学。
講堂の時計台には、青色発光ダイオードの照明が使われています。
同僚や学生から祝福の声が上がりました。
天野さんは54歳。
母親の祥子さんは。
今回、天野さんと共にノーベル物理学賞を受賞した、名城大学教授の赤崎勇さん85歳です。
同じ研究室にいた赤崎さんと天野さん。
青色発光ダイオードは、ある偶然から生まれました。
青く光る半導体の結晶を作るため、熱を加えるのに使っていた窯が故障し、高い温度にならなくなってしまいました。
赤崎さんは、みずからの著書で、当時をこう振り返っています。
それでも天野さんは実験を続けました。
その結果、偶然、青色発光ダイオードに必要な結晶が出来るようになったということです。
天野さんと共に、困難な研究に立ち向かった赤崎さん。
研究者の在り方について、著書ではこうつづっています。
ノーベル物理学賞を受賞した天野浩さんに、つい先ほど、フランスのグルノーブルで話を聞きました。
受賞の知らせ、いつ、どのようにして聞かれたんでしょうか。
フランクフルトがトランジットでしたので、そのトランジットのときに、少しPCを開けて、電子メールを確認しましたら、お祝いのメールをたくさん頂いてて、それで初めて知りました。
ただ、読んだときには、本当かなというのが正直な感想で、今でもまだ半信半疑な状態です。
同時受賞されたその赤崎さんですけれども、先生の著書の中で、私は研究はどうやるかということも大事ですけれども、それ以上に、何をやるかっていうことが非常に大事だと思うと、これは特にリーダーにとって大事なことというふうに書いてらっしゃいます。
赤崎さんの指針というのは、天野さんの研究にどんな効果をもたらしたんでしょうか。
まず、テーマを決めるときに、一番大切なことが、何をやるかっていう赤崎先生の教えそのものですね。
それを決める、一番最初の段階で、赤崎先生にはいろいろ教えていただきました。
それが、学生のときは、自分が実際、実験をやる立場だったんですけど、それが年を重ねて、若い人の指導をするというときになっても、何をやるかということですね、私にとっては人の役に立つことが一番大事なんですけど、それを、方針を決めるという一番最初のところで、大変重要な教えをいただいたと思っています。
実験装置が故障したことがきっかけで、窒化ガリウムの生成に成功されたんですね。
普通は見逃してしまうところを、成功に結び付けたというのはなぜでしょうか。
それは、そのときに助教授だった先生が、非常に重要なお話をふだんされていて、それは半導体の世界では、とにかくもう、きれいにすることが一番大事なんですけど、それがうまくいかないときには、むしろ逆に汚してみる、そうすることによって、うまくいく場合があるんだということをお話頂いてて、それが頭に残ってたもんですから、それをまさに実践できたということだと思います。
ノーベル賞の受賞のタイミングというのは、いかがだったでしょうか。
もう少し早く、受賞された…?
いえいえ、まず受賞ということ自体が驚きなんですけども、昨今、特にエネルギー問題等を考えますと、今、日本では原子力発電所が動かせないとかですね、大きな問題になってます。
それを少しでも省エネルギーということで、今まで使ってた、必要なエネルギーを減らすことができるということに、そのLEDが貢献できたということは、これはLED産業に携わっている人、皆さんのご努力が、これが結集したからなんですけど、少しでもっていうか、一助になり得たのは、非常によかったかなと思います。
今回のノーベル賞の受賞、先生ご自身は、どこが評価されたのだと思われますか?
私自身はよく分からないんですよね。
ほかのお2人は、もう、まさにご受賞が当然で、特に赤崎先生は、この窒化物という材料をテーマとして決められたということが、もう最大のご貢献だと思いますし、中村先生は特に実際に明るいLEDを作ってお示しになったということで、当然だと思います。
今、先生おっしゃいましたお3人の方、日本人。
平成20年に日本人3人受賞しました。
同時に日本人の方が3人も受賞されてる。
このあたりはどうお考え、受け止めてらっしゃいますでしょうか。
私自身は正確に把握しているわけではないんですけども、われわれの年代、50歳なんですけど、の、人間から考えると、やはり日本の大学教育というのが、少しずつ実を結んできて、それが花開いたんじゃないかなと思ってます。
特に私は、名古屋大学で勉強したんですけど、非常にいいというか、すばらしい教えをいろいろといただきまして、それが根幹にあったような気がします。
ですから、そういったことが少しずつ結実して、世の中というか、世界にも認められるようになってきたんじゃないかなと思います。
日本の若い人たちにメッセージ、頂けないでしょうか。
若い方たちの研究の目的は、決して受賞するというか、賞を取るためではないと思うんですけども、ただ、私のような本当に平凡な人間が、このように受賞の栄誉に浴することができたということで、身近に感じていただけたんじゃないかと思うんですね。
ぜひ皆さんもそれぞれのテーマに向かって、これからもますます、特に若い人たちが今後の日本だけではなくて、世界を支える、そういった気概を持って頑張っていただきたいなと思います。
天野浩さんの喜びの声でした。
引き続き、水野解説委員とお伝えします。
水野さんは、天野さん、先週取材したそうなんですね。
そうなんですね。
私はやっぱり、ことし取ると思ったんですね。
複数の分野、大体、交互に賞が伝えられてます。
去年はヒッグス粒子、…。
ことしは物性、物の物理的な性質、日本でいえば、青色発光ダイオード、これしかない。
そうしたらこの3人しかいないなと。
天野さんも絶対取ると思ったんですね。
電話して取材しました。
ところが天野さんは、インタビューにもありましたけど、いやいや、私じゃない、赤崎先生ですよって言うんですよ。
それはもちろん赤崎先生が、窒化ガリウムという素材に目をつけたというのは、もちろんすごいことです。
だけども、インタビューでもありましたけど、この天野さんの実験がなかったら、受賞はないんですよね。
実験でこれ、きれいな色を出すためには、原子をきれいに並べて、窒化ガリウムのきれいな結晶を作らなきゃいけないんですね。
そのために電気炉というのに入れて、温度を大体1200度ぐらいに上げていくんです。
その実験を繰り返すんですが、先ほど実験の失敗とありましたけれども、これはある日やったらですね、900度ぐらいまでしか上がらなかったんですね。
普通の研究者なら、これ、炉が壊れてるから実験は諦めるんですが、天野さんは、諦めずに、じゃあ、とりあえず1回やってみようと、同じことを毎回やっていてもしかたないからと、この赤崎研究室の目標っていうのは非常に単純明快で、青色発光ダイオードを開発するんだ、もうそれだけだということで、研究者を鼓舞するんですね。
その影響を受けた天野さんが、じゃあ、やってみようということで、失敗、偶然といえば偶然なんですが、この実験はですね、1年間に1500回以上もやっておりまして、やはり研究室、それから2人のこの執念がなければ、やっぱり今回の賞にはいかなかったと思うんですね。
そして中村さんの役割としてはどうなんですか?
2人がですね、赤崎さんと天野さんが、青色発光ダイオードの基礎を築き上げました。
中村さんもですね、赤崎さんたちをちらちらと見てはいたんですが、一緒には研究してないんです。
お互い窒化ガリウムという、ほかの研究者が目につけてないものを目につけて、先に赤崎さんと天野さんのほうが基礎を築いて、その成果を使いつつ、製品化に成功したんですね。
非常に明るい青色を出すことに成功して、製品化に成功したのが、中村さんということになりますけれども、やはりですね、今回の成果というのは、20年から25年前の成果なんですね。
中村さんでいえば30代、天野さんでいえば20代なんですよ。
やっぱり今後も、日本が今後、ノーベル賞級の成果をどんどん出していくためには、やはり若手の研究者、まだ脳がやわらかい、若手の研究者をどんどん支援していく、そういう支援態勢を今後、国は科学技術製作の中で、ぜひ築いていってほしいと思います。
築いてほしいですよね。
水野解説委員でした。
さて、この青色発光ダイオードは、いまや私たちの生活に欠かすことのできない重要な役割を果たしています。
電球もLED、そして、おっ、まぶしい、天井につける照明もLED。
こちらの店で販売している照明のおよそ9割がLEDだということです。
節電、長寿命をうたうLED照明。
青色発光ダイオードは、白いLEDの実現につながりました。
これまであった赤と緑のLEDに加え、青いLEDの登場で。
白を出すことが可能になったのです。
LED照明の去年の国内の市場規模は3600億円余り。
前の年に比べて、およそ30%増えました。
さらに。
家庭で野菜を水耕栽培する装置、これもですね、青色LEDの技術が使われています。
LEDの光で、簡単に野菜が育てられると、今、こうした商品が人気を呼んでいます。
一方、LED技術は、産業の分野でも。
この会社では、工場の検査機器に使うLED照明を開発しました。
チェックするのはカメラのレンズや液晶パネルなどについた傷。
LED照明を使うことで、光を均一に当てることができるため、1000分の1ミリ単位の僅かな傷を、瞬時に見つけられるようになったといいます。
21世紀はLEDによって照らされるだろう。
そう称賛した、スウェーデン王立科学アカデミー。
LEDのイルミネーションが、人々を優しく照らします。
暮らしに大きな変革をもたらす青色のLED・発光ダイオード。
日本人研究者の努力が、世界を大きく変えようとしています。
では次です。
今夜は東の空に注目です。
赤みがかって輝く月。
皆既月食です。
神秘的なこの天体ショー、今夜、およそ3年ぶりに全国各地で観測されます。
さあ今夜の皆既月食。
どの方角からどのように見えるのか、そしてお天気はどうなるんでしょうか。
気象情報担当の渡辺さんとお伝えしていきます。
あれ?なんか雰囲気違いますね。
そうなんですよ。
もう、皆既月食ということで、舞い上がっちゃって、私が月から来た人というイメージで。
いいですね、ベレー帽。
さあ、雰囲気が出てきたところで、そもそも、この皆既月食、この今回の特徴っていうのは、どういうものなんですか?
そうですね、まず、皆既月食はどのようなものかということをお伝えします。
このように皆既月食、太陽と地球、そして月が一直線に並ぶときだけ起こるんですね。
そして月が地球の影にすっぽりと覆われて、太陽からの光が遮られるために、満月が欠けたり満ちたりするんです。
そして、ちょうど今回の皆既月食は、月が日本列島のほぼ正面に位置するという、好条件に恵まれているため、全国の、ほぼ全国のどこからでもじっくりと見ることができるんです。
そうですか。
みんな、わくわくしてるでしょうね。
絶好のチャンスなんですね。
そう、絶好のチャンス。
では実際、月食、どのように見えるんでしょうかね。
そうですね、詳しく見ていきましょうか。
まず、方角が大切です。
こちら、東から南東の空を見てください。
時間なんですけれども、満月は夕方の6時14分ごろ、欠け始めます。
そして皆既月食が始まるのは午後7時24分ごろです。
この皆既月食の状態は、8時24分ごろまでおよそ1時間続くんですね。
このとき、月は完全には暗くはならないんです。
というのも、こちらは、ことし4月にロサンゼルスに観測された、実際の月食の様子です。
赤みがかって輝いてますよね。
この赤い色がなんとも幻想的ですね。
そうですね。
太陽の光が、地球の大気の層で屈折して、僅かに月に当たるため、こんな色になるんです。
幻想的ですよね。
英語ではブラッドムーン・血の月とも呼ばれているんです。
ブラッドムーン。
そう、ブラッドムーン。
月はそのあと次第に満ちてきて、満月に戻るということなんですね。
皆既月食、今回、日本で観測されるのは、実に3年ぶりなんです。
そうですか。
今回の月食ですが、日本各地でも、いろいろと期待が高まっているようです。
皆既月食のために、ある準備をしてる人たちがいるそうです。
行ってみます。
東京・表参道にある、宇宙をテーマにしたカフェです。
お邪魔します。
こんばんは。
今回の皆既月食は、一番…。
先週末の夜、皆既月食に向けて、宇宙が大好きという女性たち、宙ガールが集まっていました。
彼女たちが作っているのは、市販のキットを組み立てる、手作り望遠鏡。
ここに置いてもらって。
3000円で35倍の大きさの月を見られるという手軽さが魅力です。
カメラこうやって。
そうやって撮ったんですか?
えー!すごい!
星がよく見える街としてアピールする、和歌山県紀美野町。
みさと天文台では、ぜひ、月を見て…。
観測会のために出来たのが、こちらの皆既月食まんじゅうです。
一見すると、普通のまんじゅうですが、半分に切ってみると、あんこが月食のように見えるんです。
天文台の監修で、和歌山市内の和菓子屋が作りました。
切り方しだいで、部分月食から皆既月食までのうつろいが楽しめます。
お待たせいたしました。
ありがとうございます。
果たして、まんじゅうのような皆既月食は見られるのでしょうか。
月食への思いはさまざまということですね。
とにかくね、行ってましたが、天気も気になりますよ。
そう、一番大事ですよね。
見ていきましょうかね。
ちょうど月食の時間帯の夜の天気なんですけども、ちょっと太平洋側で、雲が広がりやすくなりそうなんですよね。
でも切れ間はありますから、その隙間から十分、楽しめるとは思います。
楽しみですね。
ちょっとひんやりしますから、暖かくしてくださいね。
もう1つ注意点なんですけれども、月がちょうど欠け始めの時間帯はまだ東のほう、低い位置にあって、特に西日本のほう、見えにくいかもしれませんね。
ビルの陰などになってしまって。
ですから、あらかじめ東の空、割と見通せる…の場所を確保しておくというのもいいかもしれませんね。
さあ日本では3年ぶりという皆既月食、きょうは空を見上げている人の姿、夜、多く見かけそうですね。
楽しみに待ちましょう。
渡辺さんとお伝えしました。
続いてはチェック!エンタメ。
和久田アナウンサーです。
おはようございます。
けさは大河ドラマの顔、この方です。
皆が待ち望むような世にせねば、豊臣家の先行きがあぶのうござる!
軍師官兵衛でおなじみの岡田准一さんです。
大河ドラマで多忙を極める中、直木賞作品が原作の時代劇映画の主役を務めました。
岡田さん、時代劇には特別な思いを持っているといいます。
先週公開されたこの映画は、役所広司さんとの共演です。
なぜ、時代劇に特別な思いを持っているのか、聞いてきました。
岡田准一さん演じるのは、若き藩士、庄三郎。
とある人物の監視を藩から命じられます。
その相手は、元奉行、戸田秋谷。
不義密通の罪を犯したとされ、切腹を命じられた人物です。
3年後には腹を召されると伺いました。
いかにも。
藩の歴史の編さんを仕上げた末には、切腹しなければならない秋谷。
編さんを手伝いながら、共に暮らす中で、庄三郎は心を引かれていきます。
2人の武士の心の交流を描いた、静かな物語です。
いろんなお仕事をされてきた中で、岡田さんが今、時代劇を演じる、その魅力というか、引かれるところってどういったところですか。
以前から、時代劇に憧れを持っていた岡田さん。
中でも、役所さんとの共演には大きな刺激を受けたといいます。
世代の違う人気俳優の2人。
斜陽ともいわれる時代劇の灯をともし続けることについて聞きました。
岡田さんといえば、時代劇というイメージ、強くなってきましたね。
そうですね。
それから役所さんが岡田さんに本当に期待してるんだなっていうのが、伝わってきましたね。
そうですよね。
憧れの役所さんの演技を、今回、少しでも岡田さん、勉強しようと、自分の出番がない日にも、撮影現場に足を運んだそうなんですね。
そのデビュー当時から夢だった時代劇。
そのこれからを自分で担っていこうという思いの強さを感じました。
チェック!エンタメでした。
では続いて気象情報です。
渡辺さん。
きょうは爽やかな秋晴れといった所が多くなりそうです。
まずは天気図をご覧ください。
日本列島、東西に伸びる高気圧に覆われます。
そのため広い範囲で晴れそうです。
空気も乾いて、からっとした陽気、お洗濯物もよく乾きそうです。
ただ、北海道は上空、寒気を伴った気圧の谷の影響で、変わりやすい天気です。
ざっと強まる雨や雷雨に気をつけてください。
では、この時間帯の雲の様子です。
朝からすっきり穏やかに晴れている所が多いんですが、南のほうに目を向けますと、台風19号の雲です。
かなり今、台風発達していまして、中心付近の目もはっきりとした状態となっています。
台風情報、見ていきます。
現在、中心付近の気圧、900ヘクトパスカルまで下がっています。
中心付近の最大風速は60メートルと、猛烈な勢力になっているんです。
このあと見ていきますと、北上して、非常に強い勢力として沖縄方面、近づきそうです。
そのあと日曜日、月曜日にかけて、沖縄・九州へと進んで、西日本も今後、大荒れの天気となるおそれがあります。
ではきょうの予報です。
2014/10/08(水) 07:00〜07:45
NHK総合1・神戸
NHKニュース おはよう日本[字]

▼ノーベル物理学賞に青色LED開発の日本人3人が!その素顔は?暮らしを変えた発見とは。▼8日夜「皆既月食」が観測。気象予報士・渡辺蘭さんが楽しく解説。

詳細情報
番組内容
▼青色LEDの開発で、ノーベル物理学賞受賞の快挙を果たした3人の日本人研究者。その素顔とは?暮らしを変えた世紀の発見とは?▼8日夜、月が地球の陰に隠れる皆既月食が観測。月が赤く染まる珍しい天体ショーの観測法を象予報士・渡辺蘭さんが楽しく解説。▼オバマ政権がイスラム国への対応で批判され、中間選挙にも影響が。揺れる米社会。
出演者
【キャスター】阿部渉,鈴木奈穂子,【スポーツキャスター】西堀裕美,【気象キャスター】渡辺蘭

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
スポーツ – スポーツニュース

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 1/0モード(シングルモノ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:10254(0x280E)