食欲の秋。
「知恵泉」の秋。
今月も旬な歴史のお味たっぷりご堪能下さい。
酒樽君ね君が「『知恵泉』のツイッターやりたい」って言うから「やってごらん」って言ったんだよ。
評判はどうなの?なに黙ってんの〜。
それ君の良くないとこだ。
もう都合の悪い事になると黙るっていうのはね。
だからね発信力を高めないとお客さんはついてこないよって。
ねえ。
だから発信…。
(眞鍋)こんばんは!あ〜どうも。
いらっしゃいませ。
まだやってますか?やってますよ。
どうもどうも。
眞鍋かをりさんとそして佐々木俊尚さんですね。
(2人)こんばんは。
どうもこんばんわ。
すごいブツブツ言ってましたけどどうしたんですか?実はねこの「知恵泉」のお店でツイッターをね始めたんですよ。
この酒樽君にねツイッターをお願いしてたんですけれどもなかなかこうフォロワー数というんですか?閲覧者数が増えないっていうのがちょっと悩みなんですよね。
聞いたところによるとお二人ともものすごい数のフォロワー数がいるという話じゃないですか。
ねえ眞鍋さんコツって何かありますか?カッコつけちゃ駄目か。
結構僕やってるのは…そうすると読んでくれる人増えるかなと思います。
あ〜やっぱり中身も大事だという事なんですね。
私自身もねちょっとね発信力を高めようと思って勉強したものがあるんですよ。
でね面白いもの仕入れましてね。
こちらなんですけれどもこれ実は100年前の雑誌なんです。
「滑稽新聞」っていう名前なんですけれども。
100年前?そう。
サブタイトルは「肝癪と色気」というねタイトルがついてるんですけどちょっとご覧頂きましょうか。
これね時の政権に対する批判だったり世相に対する皮肉っていうのがたっぷりと詰まっている雑誌なんですね。
こんな発信のしかたもあるのかなという感じがしたんですけどもね。
斬新なデザインの雑誌ですよね。
そうなんですよ。
挿絵もでもかわいいですね。
そうなんですよ。
私も面白いなと思ったのは例えばこんな中身もありましてね。
「熟語辞典」っていうのがあって例えばこれ見ると…。
皮肉たっぷりのコメントがあるんですよね。
何かやっぱり日本人が面白いって思うポイントってそんなに変わってないのかなという感じしますね。
これを作った人というのは何とかして自分の思いを伝えたい発信したいという事で知恵を絞った人なんですね。
ツイッターフェイスブックブログ今や誰もが情報発信できるいわば…そこで発信の知恵を学ぶならこの人。
明治から昭和を駆け抜けたジャーナリスト宮武外骨です。
明治時代近代国家建設への第一歩を踏み出した日本。
国会の開設や憲法の制定を巡ってさまざまな意見が新聞雑誌を通して発表されます。
それはまさに近代ジャーナリズムの幕開け。
そんな時代に大ヒットした雑誌が外骨の「滑稽新聞」。
一見すると当時珍しかった写真印刷やポップなイラストを多用した楽しげな雑誌ですが…中身は過激!ユーモアを交えた痛烈な官僚批判や社会風刺を次々と打ち出していきます。
逮捕されて投獄されてもそれをネタにして笑い飛ばす。
まさに…信じるメッセージを人々の心に突き刺す宮武外骨。
その発信力の極意とは?外骨の知恵を読み解くのは…警視庁捜査一課の事件記者を務めるなど…その後フリーのジャーナリストに転身。
インターネット時代のメディアの在り方を分析してきました。
ツイッターの…世界中のさまざまな話題を発信するサイトの共同編集長も務めています。
「過激にして愛嬌有り」。
発信の鬼才宮武外骨はこのインターネット時代に何を投げかけるのか?こんな人がいたんですねあの時代に。
という事で今日のテーマはこちら「発信力を磨け!」という事で明治時代といいますとテレビラジオはもちろんインターネットもありませんよね。
そういった時代に自分の考えを発信する。
これなかなか大変だったと思うんですが。
すごく分かりやすい漫画とか絵とかを使ってちゃんと文章も全部振り仮名を打ってありますよね平仮名でね。
どうやって普通の庶民にまで情報を発信するかというのはすごい心配ってるなというのがよく分かりますよね。
今のインターネットの時代もそれはそれでとても面白いんですけど。
(吉野)こんばんは。
いらっしゃいませ。
宮武外骨といえばこの方なんです。
長年外骨を研究し全集の編集にも携わりました。
実は外骨と深い関係が。
実はね眞鍋さんこの方…え!そうなんですか?小学校2年生から4年生まで一緒にいたんです家に。
じゃあもうほんとに同じ時間を過ごしていらしたんですね。
どんな人だったんですか?まあひと言で言うと昔の江戸時代の人ですから武士みたいな感じの人で。
だけど結構優しくて子供好きで。
で気前よかったですよ。
(3人)え〜!ポイッとくれるんです。
すごい気前がいい。
豪遊できますよね。
今日はね皆さんにお見せしたいものがあって持ってきたんですけども外骨の何というか出発点原点みたいな新聞なんですね。
これはこういう…。
外骨が19歳の時に発行した…これ実はパロディー新聞なんです。
例えばこれは内閣総理大臣ならぬ…。
大蔵大臣ならぬ…。
今度はこれ。
「笑汽船出港広告」とかなってて。
蒸気船じゃなくて「笑気船」。
なるほど。
「根静丸」とかね「皆古丸」とか。
昔この時代の新聞っていうのはこういう外国航路の船が今どこに来ててどうなってるかっていうのを出すわけですけどそれがこうなってる。
これ見た時にこれ書いてる外骨が楽しそうだなっていう印象があったんですよね。
ツイッターとかも今はそうなんですけど実際にほんとに一人の人間が…そんな感じしますね。
外骨がジャーナリストとして目覚めたきっかけ。
それは明治22年に発布された大日本帝国憲法でした。
外骨は当時22歳。
親に借金をしたり兄の家に居候したりしながら社会をあっと言わせるものを発信したいと雑誌を出版していました。
外骨は思いつきます。
「そうだ。
この世間で話題の憲法を題材にパロディー作品を作ろう」。
それがこちら。
その名も「大日本頓智研法」。
明治天皇の代わりにガイコツが研法を発布するという完全なパロディーです。
条文も徹底しています。
大日本帝国をもじった大頓智協会を外骨が統括するという内容です。
なかなか良いパロディーが出来た。
外骨は意気揚々とこの作品を発表します。
ところがこれが政府の逆鱗に触れてしまいます。
天皇を侮辱したとしていわゆる不敬罪に問われ禁固三年に処されます。
突然重罪人のレッテルを貼られた外骨。
政府に対する不信感が生まれます。
悪ふざけで3年って厳しいですね。
厳しいですよね。
ここまでは何かちょっとジャーナリズムっていうよりは芸人さんのネタ作りみたいな感じに見えましたけど。
それで捕まっちゃうって。
手拭いの柄とか浴衣の柄にもガイコツが踊りを踊ってる柄とかあるんですよ。
だからそれがカッコいいんですよね。
それが要するに当時の明治政府の役人っていうのが地方から出てきたいわゆる下級武士だった人たちなんですね。
だからそのしゃれが全く通じなくてそれで許せないっていう事でやられた。
そういう感じになったんだと思いますね。
ちょっとひどいんじゃないと。
これさえなかったらみたいな。
外骨の原点というのは不平等に対する怒りであったという事ですけれども佐々木さんが社会に発信をしたいと思うような原点となるような体験ってありましたか?新聞記者の頃はねほんとにそこまで深く考えてなくてすごい書くのが好きだっていうただそれだけだったんですけど阪神大震災を取材しオウム真理教を取材し金融危機で山一証券とかが倒産するっていうのを取材。
そうするとすごい音を立てて世の中変わりつつある。
僕は「何かこれすごい事だ」っていろいろ言ってるんだけど誰も理解してくれなくて。
インターネットが出てきた時も「そんなの所詮パソコンの好きな人の遊びでしょ」みたいな事言われて。
「違うんだよ。
これは世の中変わりつつあるんだよ」ってすごいもどかしい思いが。
宮武外骨が江戸から明治へ変わってきた中で受けたきしみと何か共通するものをちょっと感じますね。
外骨は当局からの規制を受けながらも果敢に社会に挑戦していくんですね。
それはどのような発信のしかただったんでしょうか。
宮武外骨の知恵をたっぷりと味わって頂きたいと思います。
このとがった味わいが癖になりますよ。
どうぞ。
あ〜ありがとうございます。
外骨の名を一躍有名にしたのが明治34年1901年に大阪で創刊した「滑稽新聞」。
外骨はここで権力者や社会に対して筆誅を加えていきます。
例えばこんな記事。
「伊藤侯の美人好」。
総理大臣などを歴任した伊藤博文の好色ぶりを6回にわたって連載。
美しい女性の後ろ姿を網膜に焼き付ける伊藤博文。
外骨は政治家の堕落を厳しく追及します。
こちらは自由民権運動の先駆者だった板垣退助。
しかしその後ろには「自由之墓」?「板垣は死んでも自由は死なぬとホザイタが今はドーダ自由は疾に死んで仕舞ッたのに板垣は生きて古稀の恥さらしゴーツクバリ奴」。
年老いて政治からすっかり身を引いていた板垣への痛烈な皮肉です。
続いてやり玉に挙がったのは薬の販売で財を成した野口茂平。
野口が販売する肺病の治療薬の効能が疑わしいと知るやなんと野口をさらし首に!こうした過激な表現が外骨の武器でした。
弱きを助け強きをくじく。
「滑稽新聞」は庶民から喝采を浴び1,000部売れれば成功と言われた当時最高8万部を売り上げる大ヒットを記録しました。
一方大きな影響力を持った「滑稽新聞」は検察当局にも警戒されるようになり外骨にはこんな裏取引が持ちかけられます。
検察は身内の不正は報道せずに情報のリークを持ちかけてきたのです。
外骨のもとに特ダネの情報が持ち込まれます。
渡し船の免許を巡って警察署長が賄賂を受け取ったというのです。
まさに検察が裏取引で求めていたような案件でした。
警察署長の不正に怒る外骨。
ところが外骨は検察の要求をあっさり受け入れ収賄の情報を教えてしまいます。
ちょっと外骨さんそんな簡単に裏取引に応じていいの?しかしその真意は別のところにありました。
外骨はすぐさま収賄事件の一報を「滑稽新聞」に掲載します。
そしてこう付け加えます。
「検察は『警察の不正を見つけた時は情報提供すればすぐに捜査する』と言っていた。
これが事実ならばその警察官は今頃逮捕されるか無実が証明されている事だろう。
刮目して次号を待て」。
なんと外骨は検察とのやり取りを公開。
裏取引をしようとした実態を暴いてしまったのです。
当然検察は激怒。
当局への悪質な挑戦ととられ外骨は…。
ところがそんな処罰も外骨は笑い飛ばします。
出所までの3か月をカウントダウンするイラストを毎号掲載します。
そしてついに外骨出所!出所後は監獄での生活を「在獄日記」として発表。
刑務所での便の始末や身体検査の様子など当局が公にしたがらない監獄の実態を克明に暴き出してしまったのです。
外骨の言葉です。
フフフフフ!これ興味そそられますよね。
獄中の事とかって普通の人は入る事ないですから一生。
知りたいですもんね。
外骨の新聞とか雑誌というのは自分が主人公なんですよね。
自分が取材に行ってそして相手とやり合うわけですね。
そうするとだんだん相手とやり合ってるうちに相手もボロを出してきたりいろいろするわけで。
昔は新聞記者やってる時も取材の過程ってほとんど外には出さないんですね。
紙面になったもの番組になったものだけがみんなに見せるものですよ。
でもこれはね読者の側から見ると意外とそういうのってウケないんですよね。
僕ある取材をしようと思って「取材したいんで」とお願いしたら「取材OKなんですけど会ってしゃべったりとか電話は駄目です。
メールのやり取りだけならOKです」。
「何で?会った方が分かりやすいじゃないですか」って言ったら「会っても記録が残らないよね」と。
そうですよね。
「後から言ってない事を書かれたりとかするのが嫌です。
メールのやり取りだったら全部記録に残るし。
そのメールのやり取りが終わったあとに佐々木さんはそれ記事にして下さい。
私は私の方でそのメールのやり取りをウェブサイトで公開します」って言われて。
これはね当時まだ新聞記者やめたばっかりだった僕にはちょっと不愉快な感じだったんですけど今思うとね…これほんとにあったんですよとこういうやり取りがあったんですという事を言うかっていうのはすごい大事な事になってきてて。
記事の信用性とかってやっぱりあるじゃないですか。
でもその点やっぱりこうやって表に出て名前を出して活動してるわけですから…見てる方の人もあの人が取材した事だしかもその人は面白いってなるとやっぱり記事の信頼度も高いですよね。
ただ外骨のような人だったら弾圧とか投獄これは恐れないかもしれないんですけど一般の我々が発信する時はやっぱり批判ですとかそういう圧力っていうのは怖いなって思うんですよ。
この勇気っていうのはどうしたら持てるんですかね。
僕もよく炎上してるんですけれど。
でもねあれって言ってる人がすごい目立っちゃうからものすごい確かに炎上すると世の中全員から批判されてて自分が孤立無援みたいな感じがしちゃうんですよ。
でも結構…実は応援こっそりしてる人もたくさんいる。
だから……という事をきちんと自分で認識する事が大事なんじゃないか。
そうそう。
そうなんですよね。
ここで外骨にまつわる特別メニューを作ってみたんですよ。
お出ししたいと思います。
こちらなんですけれども。
何ですか?「もっそうめし」というものなんですね。
これ実際に外骨があるパーティーで来場者に配ったものなんですが眞鍋さんどういう意味だかお分かりになりますか?「もっそう」ですか?「もっそう」というと何でしょうね…。
ちょっと素朴な感じですか?う〜ん惜しくない!惜しくない?何なの?え〜!お〜何これ!お赤飯のように見えますけれども実はこれ蒸し菓子なんですね。
お菓子なんだ〜。
へえ〜!吉野さんどうでしょう?このパーティーではどんな人たちが集まっていったんでしょうか?東宝とか阪急を始めた実業家の人とか。
博報堂という広告代理店の初代の創業者の方瀬木博尚さん。
結構多いんですよ。
だから「滑稽新聞」がああいうふうにやれたのも…みんな読者なんですよねもともとは。
しかもそのパーティーに来た…そうです。
それは怖くないわ〜。
そこを味方につけちゃったらね。
そうですよね。
なぜそれほど多くの人が集まったんでしょう。
しかも立場のある人たちが。
だからそういう事をすればそれだけの人が集まる可能性があるっていう事ですよね。
外骨はさまざまな社会問題を浮き彫りにするために体を張った発信を行っていきます。
大正時代外骨が着目したのが…当時社会主義者などに対して厳しい弾圧が加えられていました。
そんな中外骨が出版した雑誌が「赤」!社会主義を連想させる挑戦的なタイトルです。
当然当局は厳しい目を向けます。
おっこれは社会主義ではないか!「革命とは何ぞや」「カハのイノチなり」?あれ?革命の話じゃないのか?むむ!これは有名な社会主義者…危険思想を掲載しているに違いない!何だ人相占いに連れて行っただけか。
外骨はあえて挑発的な雑誌を発行し当局による圧力に抵抗したのです。
更に大正4年外骨が糾弾しようとしたのが当時の選挙でした。
当時選挙権は一定以上の納税額がある富裕層に限られていました。
これは日本の全人口の1%にすぎません。
選挙の候補者はそうした富裕層の自宅を…それが買収の温床になっていました。
また金で自分を応援する弁士を雇ったり休憩所と称する場所で有権者をもてなしました。
まさに政策とは無関係の財力の競い合いです。
堕落した選挙の実態を暴く。
そのために外骨は意外な手段を思いつきます。
なんと突然自ら衆議院の総選挙に出馬!他の候補者たちが行っていた金にものを言わせた選挙活動を一切せずに戦うと宣言し注目を集めます。
「勝敗はモト眼中になし」。
「私は選挙違反告発候補者である」。
更に外骨は投票日前から自らの落選を予言しこんな告知を出します。
「落選報告演説会」。
財力を使わない自分は所詮当選するはずがないという有権者への痛烈な皮肉でした。
予想どおり落選すると外骨は演説会で檄を飛ばします。
金権政治の横行を看過する国民に痛烈な批判を浴びせたのです。
外骨の訴えは後に日本社会に認められていきます。
外骨出馬から10年後…「戸別訪問」や「休憩所」の設置は禁止され政治運動費用にも上限が盛り込まれるなど財力の競い合いに歯止めをかける事になっていったのです。
いや〜もう「糞馬鹿者共め」っていうのがすごいあおりですよね。
でもそれで実際に世の中の雰囲気を変えてるっていうのがやっぱりすごいですね。
宮武外骨は自分が選挙に出てそれで落選するっていうその一連の自分の身を投じてやった事でそこから…「当事者意識」みたいなものに近い感じがしますよね。
これ雑誌でも新聞でもテレビでもあるいはネットでもみんなあるんだけど…何かすごい小ばかにしたりとかすごい罵倒したりとかってすごく多い。
でも自分は安全圏にいたいでも人をばかにしたいっていうそういう発想の報道とかすごいたくさんある。
これってやっぱり共感されないと思うんですよね。
外骨の行動の特徴っていうのは過激な行為プラス絶妙なキャッチコピーというのがあるんですよね。
これが人の心を動かした。
こういったキャッチコピーをちょっと集めてみたんですけれども。
例えば今のお話で言いますとこちら「選挙違反告発候補」。
他にも「予は危険人物なり」「死体買取人を求む」「廃姓外骨」。
「過激にして愛嬌有り」。
う〜んどれも気になりますねぇ。
「廃姓」も姓は要らないって言ってるわけですね。
「外骨」だけでいいと。
うん。
姓がある事によって身分が分かるじゃないですか昔は。
身分制度は戦前は自ら姓を強かったんですよね。
廃すると。
だからこれで「宮武さん」と呼ばれても返事しない。
困ったのは手紙が来なくなっちゃったらしいんです。
ただの「外骨」では来ないわけです。
カッコして「
(宮武)外骨」なんて書いてあるんです。
「選挙違反告発候補」というのも普通に…確かにそうですね。
やっぱりこれだからこそ「何だ何だ」って。
正義を口にするだけではね。
だから正義を口にするとちょっと何か引いちゃうみたいなところがあるんでそこにどんだけオブラートにくるんで…。
ちょっと面白いんだけどでもよく聞いてると「それってほんとは正しい事だよね」ってハッと気付かされる。
外骨なんですけれどもさまざまな発信を続けていったんですがその発信もなかなか難しくなっていく時代が訪れるんですね。
それは日本が戦争に突入していく時代です。
厳しい社会状況の中で外骨は一体どうやって自分の思いを伝えようとしたんでしょうか。
吉野さん東大にやって来ましたけれども外骨ゆかりの場所があるんですよね?そうです。
ここが明治新聞雑誌文庫っていうところなんですけども。
明治新聞雑誌文庫。
随分格式のある古い建物ですけれども。
外骨はどういう関わりを持っているんですか?外骨はこの資料館の設立に関わってるんです。
外骨の資料を中心にして東大がここに設置した。
こっち側の方にずっと雑誌が並んでまして。
入った瞬間にフワッと古い紙の香りがしますね。
何かこう昔の図書館にタイムスリップしたような…。
この明治新聞雑誌文庫には外骨自ら収集した資料およそ6万点が保存されています。
さまざまなジャンルの雑誌8千種。
新聞は地方紙も含めて2千種にもなります。
こちらは明治11年創刊の日刊紙…外骨はこうした新聞も一枚一枚丁寧に製本して整理していきました。
かなり古いですね。
明治20年代。
日本が富国強兵や長い戦争へと向かっていった時代人々は何に関心を持ちどんな暮らしをしていたのか。
外骨は自らの足で各地を歩きました。
そしてさまざまな資料を持ち帰りこの時代の空気を後世に伝えていこうとしました。
書庫を管理する学芸員の長谷川さんに外骨が集めた珍しい資料を見せてもらいました。
こちらから紹介して頂けますか?
(長谷川)「食道楽」という雑誌。
グルメ雑誌ですね。
(長谷川)そうですね。
グルメ雑誌。
アハハ。
明治時代のグルメ雑誌。
ギョーザの包み方などのレシピや毎日の献立表が掲載されています。
朝からライスカレーに紅茶。
なかなかしゃれてますね。
これちょっと見て下さいよ。
この時代から受験ですか?中学受験ですね。
中学受験!やっぱり立身出世の時代ですから。
もしかしたら今よりも厳しいかもしれないですね。
そして最後は?これは?「日本禁酒会雑誌」ですね。
禁酒会ってあのお酒を断つ禁酒ですか?そうですね。
家庭が壊れるとか経済がどうのっていう今も昔も変わらない感じで。
今よりもむしろお酒飲む人多かったんじゃないですかね。
深酒する人。
楽しみがそれだけ少ないし。
(長谷川)やっぱり雑誌が出るというのは社会にあるいろんなものの映し鏡みたいなものですから例えば受験雑誌なんてその当時どんだけ部数が出ててもそれを保存する場所というのは案外少ないのでそういう意味でも明治文庫の存在はユニークであると思います。
まさに時代を映す鏡として保存されていたと。
そうですね。
…という思いがやはりどこかで芽生えてきたと思うんですよね。
それが結局こういう形にして残されて。
そう思いますね。
私実際に足を運んでみて庶民の暮らしを取り上げた雑誌というのは非常に多いんですよね。
という事はつまりこういった庶民の暮らしが奪われるのが戦争なんだよっていう外骨の非常に強いメッセージをあの文庫から感じましたね。
ああいうものを残そうっていう感覚がやっぱりすごいですね。
その時代時代のものってあとになってみるとすごく価値が出てくるのは分かるんですけどそのリアルタイムの時ってほんとにどんどんどんどん捨てられていくものじゃないですか。
自分の子供の時に80年代のおもちゃとかファミコンのカセットとかが価値が出るとか全く思わなかったしバンバン捨てちゃったし。
僕は仕事柄戦後史とか調べる事がすごく多くてそれこそ今眞鍋さんがおっしゃったバブルの頃とかねみんなどんな事考えてたんだろうとか戦後史年表とかありますけどそういうのを見ても分かんない。
でも一番分かるのは例えば当時書籍で出てあっという間に読み捨てられてなくなっちゃったような軽い本だったりとかマガジンハウスとかが出してるような雑誌とかを一生懸命読むと「こんな事やってたんだ」とかねそういうのが分かるわけですよ。
だから実際宮武外骨がこの記録をライブラリーを作ってた戦前の社会だって僕らが学んだ日本の戦前社会っていうと何かすごい言論弾圧があって暗くてみんな戦争反対してんだけどどんどん戦争に行ってしまって…。
そうなんですよね〜。
すごい暗いイメージしかない。
でもね実はよく調べるとそんな事はなくて結構明るく楽しくデパートがあってみんなレストランにハヤシライス食べに行ったりとかして。
意外とそういう普通の生活今の日本と延長線上にあるようなつながったちゃんと生活ってあったはずなんだけどそこってすごい忘れられてますよね。
そのスピリットというか心意気っていうのは僕はすごい感銘を受けますね。
今日は宮武外骨の知恵を見てまいりました。
眞鍋さんはどういうふうに味わって頂けましたでしょうか。
そうですね。
でも今ほんとに一般の人も自分の生活を発信していくツールを持ってると思うんですけどインターネットの使い方とか。
その風を読む力みたいのがやっぱりすごく外骨さんのようにね必要になってくるのかなというのは感じますね。
その時々で発信のしかたを変えていくという事ですよね。
僕はねやっぱりあの時代っていうのは命懸けで言論をやってた時代だと思うんですよね。
一歩間違えば命がないみたいな時代でしょ。
そういう厳しい中だからああいうものがいろいろ生まれてきたと思うんです。
ガチンコ勝負で行ってしまうと結局危ないわけで。
そういう表現力っていうのが外骨の神髄だと思うんですよね。
そして最後に佐々木さんにお伺いします。
時代に流されずに発信をしていくための極意というのは何でしょうか?自分の人間性の中で…そういう何か作法というかそういう気持ちがもうほんとにメディアの人間だけじゃなくて普通の人誰もが持たなきゃいけない時代になってきてるんじゃないかなというのを思いました。
ありがとうございました。
今日は最後に今なお多くの人々に愛されてそしてその偉業が伝えられている外骨の精神に触れて頂きたいと思います。
本日もご来店ありがとうございました。
ごちそうさまでした。
ごちそうさまでした。
昭和30年88歳で亡くなった外骨はここに眠っています。
この日は…毎年亡くなった時期に合わせて行われています。
編集者や新聞記者ライターなど20人が集まりました。
同じ表現者として外骨の生き方にひかれ続けている人たちです。
(川島)撮りま〜す。
はいよろしく〜。
(取材者)外骨の魅力って何ですか?とてもとても到達できないぐらいのユーモアですかね。
今でも古びないというか今やってる事はみんな古いんです。
つまりあまり面白くないんですね。
外骨が発明した編集の作法っていっぱいあってそれぞれの亜流をみんなが今やってるという感じだと思います。
時の権力とケンカしないジャーナリストはもうジャーナリストではないですから。
その辺はバシッと時の政権とこれは間違ってると。
ひょっとしたらこの辺に出て怒ってるんじゃないですかね。
外骨さん今頃あの世からこの日本をどうご覧になっているんでしょうねぇ。
2014/10/07(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 発信力を磨け!ジャーナリスト 宮武外骨[解][字]
誰もが情報の発信者になれるインターネット時代。誤解を招かず、人をひきつける発信のコツとは?明治時代から活躍したジャーナリスト・宮武外骨に発信力の知恵を学ぶ。
詳細情報
番組内容
誰もが情報の発信者になれるインターネット時代。しかし、魅力的な発信をすることはなかなか難しく、不用意なメッセージが「炎上」を招くこともしばしば。現代人に必要な「発信力」の達人が、明治時代から活躍したジャーナリスト、宮武外骨だ。「滑稽新聞」などの雑誌を次々と出版。厳しい言論統制をものともせず、風刺やパロディを駆使して権力者を痛烈に批判、庶民の人気を博した。過激にしてユーモアに満ちた発信の知恵を学ぶ。
出演者
【出演】ジャーナリスト…佐々木俊尚,眞鍋かをり,宮武外骨研究者…吉野孝雄,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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