『清須会議』はどうだったのだろう。「三谷(幸喜)さんのよう舞台出身の監督と組む場合は、映画の空間設計をどうつくっていくかについては僕がサポートできたかもしれない。その代わり、舞台をご一緒したときは三谷さんが舞台美術のエッセンスを示唆してくれた。お互いに足りない経験や知識を補い合う、という感覚でしょうか」。監督の経験や実現したいこと、またプロジェクトに合わせてアプローチを調整していく映画美術監督の苦労と立ち位置がうかがえる。
伝説の映画美術監督は偉大なる大うそつき!
世界の映画シーンはますますデジタル化が進み、フィルム撮影もいよいよ終焉(しゅうえん)を迎えようとしている。映画美術監督の在りようも変わりつつある今、映画黄金期を支えた先達たちの生の声から、種田は何を吸収したのか。「まず、この本の面白いところは、世界に誇る黒澤作品からカルト的人気を誇る増村保造監督の『盲獣』のような異色作まで、偏りなく紹介されているところ」だと強調する。
「公開当時はお客さんが入らず映画史に埋もれてしまっていたが、50年後の今見直しても斬新ですごく面白いという作品もたくさんある。つまり、何が言いたいかというと、今、僕らが作っている映画の中で50年後も面白いと思ってもらえる作品が何本あるのか? ということ。映画の作り手は、自分の時間軸を広げて、『今かっこいい』だけじゃなくて、もっと後の時代に上映されても『なんてかっこいいんだ!』と感嘆してもらえるような作品を作ろうという気概を持つことも大切なのではないか」と述べる。
では、伝説と呼ばれる映画美術監督たちは、なぜそれができたのか。「例えば、僕が助手だったころ、(鈴木清順作品などを手掛けていた)木村(威夫)さんは『大言壮語のオヤジ』と呼ばれて煙たがられていた。若いときはわからなかったけれど、経験を重ねた今では木村さんのこの姿勢を理解できる。映画美術が思想や哲学も語らずに、ただ言われたことをやっていても映画には何も生まれない。大うそつきと言われるくらいの想像の飛躍が時には必要なんだということだ。もちろんその方法は人によって違うが」と本書の中で種田は語っている。
さらに「(伝説的な美術監督たちと)対談を続けてわかったことは、伝説と呼ばれる映画美術監督たちも、大変さは僕たちと変わらなかったということ。予算も時間も限られた中でアイデアを瞬発的にひねり出し、監督やプロデューサーとやり合いながらも、なんとかクリエイティビティーを優先させて、それが映画史に残る『ルック』(色調や粒子の具合、ピントの加減などで形成される画面全体の雰囲気)を生み出した。つまり、このインタビュー集は、そういう賭けもいとわない『偉大なる大嘘つきたち』の貴重な記録」と述べる。