うれしいニュースが入ってきました。
ことしのノーベル物理学賞の受賞者に、明るい青い光を放つLED・発光ダイオードの開発に成功し、カラーの大型画面の実現など、さまざまな応用への道を開いた、名古屋市の名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、そしてカリフォルニア大学教授の中村修二さんの日本人研究者3人が選ばれました。
日本人のノーベル賞受賞は、おととしの山中伸弥さんに続き、合わせて22人となります。
物理学賞は3人が受賞した、平成20年以来で、合わせて10人となりました。
つい先ほど、日本時間の今夜7時前に、ことしのノーベル物理学賞が発表されました。
名城大学教授の赤崎勇さんと、カリフォルニア大学教授の中村修二さん、それに名古屋大学大学院教授の天野浩さんの3人が選ばれました。
このうち赤崎さんは鹿児島県出身の85歳。
京都大学を卒業後、当時の松下電器の研究所を経て、昭和56年に名古屋大学の教授になり、現在は名古屋市にある名城大学の教授を務めています。
中村さんは、愛媛県出身で60歳、徳島大学大学院で半導体の研究を行ったあと、昭和54年に徳島県の化学メーカーに入社し、14年前からはカリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授を務めています。
天野さんを含めたこの3人は、LEDの中でも製作が技術的に難しく、20世紀中の開発が無理とさえ言われた、青色LEDの開発に取り組みました。
当時、結晶の素材としてほとんど見向きもされていなかった、窒化ガリウムに注目し、赤崎さんが昭和60年に、青い光を出すのに必要な、高品質の窒化ガリウムの結晶化に、世界で初めて成功しました。
さらに中村さんが平成5年、独自に開発した装置を使って、きわめて明るい青色LEDの開発に世界で初めて成功し、世界中の研究者を驚かせました。
この成果によって、赤・緑・青の光の三原色のLEDがすべてそろい、組み合わせによって、あらゆる色が出せるようになりました。
このため、フルカラーのディスプレーなど、さまざまな分野で、LEDの実用化の可能性を広げました。
波長の短い青い色を出す技術は、DVDなどの記憶容量を大幅に増やすことができる、ブルーレイディスクの開発にもつながり、大量の情報をやり取りする現代社会において欠かせない技術となっています。
こうした業績で、赤崎さんと中村さんは、平成10年に、世界の電子工学の優れた研究者に送られる、ジャック・A・モートン賞を受賞したほか、赤崎さんは、平成16年に文化功労者を中村さんは平成14年に、アメリカのノーベル賞といわれる、ベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞しています。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、アメリカ国籍を取得している南部陽一郎さんを含め、おととしの山中伸弥さんに続いて、合わせて22人になります。
物理学賞は、6年前の平成20年に受賞した、南部さんと益川敏英さん、そして小林誠さんの3人以来で、合わせて10人となります。
このあと赤崎さんの会見が予定されています。
始まりしだい、お伝えします。
ここからは科学技術振興機構戦略研究推進部の、古川雅士調査役にお話を伺いたいと思います。
古川さんは、日本の科学技術の現状に詳しい専門家です。
古川さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
早速ですけれども、こちらがこの青色発光ダイオードなんですが、これはパソコンのマウスですね、皆さんの身近にもあるものだと思いますけども、この裏に、分かりますでしょうかね、ちょっとブルーの光を出している、ちょうどこの部分なんですが、これが青色発光ダイオード。
古川さん、非常に私たちの身近に広く普及しているものですよね。
そのとおりですね。
ここにある、そのマウスのみならず、信号機であったりとか、こういう画面を光らせる、後ろから照らす照明であったりとか、世の中のわれわれの目に触れるようないろんなところにこの今回の業績は詰め込まれているというふうにいえるかと思います。
恐らく今、皆様がご家庭でご覧になっているこのテレビも、この青色発光ダイオードが発明されたことによって薄型になったということなんですね。
非常に社会に与えたインパクトは大きいと。
大きいですね。
今回の発表を聞いて、やはりその日本人の材料に向けた非常に情熱というものが高く評価されて、大変うれしく思うところであります。
受賞の理由、改めて詳しくお伺いしたいと思うんですけれども、確かに非常に広く今、普及しているものなんですが、なぜこの青色発光ダイオードの発明が、ノーベル賞の受賞までつながるような評価を受けたんでしょうか。
発光っていう点では、赤色、緑色っていう光らせる材料というのは、これまでもあったんですけれども、まさにこの青っていうところを出すところに、半導体の研究者の人たちはずいぶんといろいろ苦心したというところがあります。
難しかったということですか?
難しかったんですね。
やはり材料を作るというところが非常に難しかったんです。
それを1980年代の半ばぐらいに、赤崎先生が窒化ガリウムを使って、高品質なデバイスを作ることによって、初めて青色で光るっていうところが明らかになってきたわけなんです。
そのあと、中村修二先生も、高品質な青色の発光デバイスを作るというところのプロセスの開発において、非常に高い業績を上げられまして、今回の世の中に広まるような、非常に大きなブレークスルーっていうふうな端緒を切り開いたといえるかと思います。
今、窒化ガリウムという物質のお話が出ましたけれども、赤崎さんがその窒化ガリウムというものに作ることにまず成功したというか、道を開いたということなんですか?
窒化ガリウムの中にもある特殊なその半導体の光らせるものとなる結晶、構造状態がありますけれども、そういうところを赤崎先生や、あるいは天野先生たちの業績といえるかと思います。
中村修二先生はさらにそういうところのいろんなプロセスといわれるところですね、半導体の製造過程をいろいろ追求されまして、いわゆる大量生産できるような、方法論ですね、開発していったというところがあるかと思います。
なるほど。
少し単純化しすぎるかもしれないですけれども、いわば赤崎さんと天野さんが、青色発光ダイオードの材料を開発する部分に大きな貢献をされて、さらに中村さんが、それを製品化する部分に大きな貢献をされたというふうに理解していいんでしょうか?
非常にラフな言い方をすると、そういうふうに申し上げられるかと思います。
なるほど。
そうして出来た青色発光ダイオードなんですけれども、どうなんでしょうか、世界中にさまざまな新しい物っていうのは発明されてると思うんですが、それがノーベル賞を受賞するまでに評価された理由といいますと、改めてどういうことが考えられますか?
やはり、世の中の例えばインターネットや、いろんな情報機器の発達というところも今回の発明というか、いろんな薄型の画面であったりとか、生活の環境、あるいは生活の空間を変える、その一つの要素になったという点で、非常に大きな功績があったんだと思います。
さあ、ここで赤崎さんと中村さんと交流があり、青色発光ダイオードを使った応用研究をしている香川大学の岡本研正名誉教授と電話がつながっていますので、お伺いしたいと思います。
岡本さん。
岡本です。
突然お電話差し上げまして、申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。
ノーベル物理学賞に、3人の方の受賞が決まりましたけれども、改めてどのようにその知らせをお聞きになりましたか?
本当にうれしいですね。
本当にこれは、日本人の大発明ですから、本当に世界に誇るべき業績だと思います。
岡本さんは、赤崎さんと中村さんと交流があるというふうにお伺いしているんですけれども、お2人の研究者としてのお人柄、どんなふうに感じてらっしゃいますか?
非常に対照的なお2人ですね。
対照的?
まず赤崎先生は、本当に学者的といいますか、本当に青色LEDの研究に…方で、本当に地道にずっとやってこられました。
一方、中村さんは、ある意味で日本人離れした所がありまして、非常に積極的に…青色を実用化した、使える形のまた仕事があるんですが、その研究をされて、このお二方の仕事によって、LEDが本当に実用化されて、本当に今、実際に使われるようになったと考えています。
先ほどもこの青色発光ダイオードの発明に至る過程などはこちらでもお伝えしているんですけれども、改めて岡本さんご自身は、この青色発光ダイオードが開発された意義というのはどのようにお考えですか?
実は私は1980年ごろから、この発光ダイオード、LEDの応用をずっとやってきまして、1980年ごろは…とか、やってたんですが、そのときに、この1993年までは赤色、オレンジ、黄色しかなかったんですね。
どうしても、もちろん青もあったんですが、非常に暗くて使い物にならなかった。
この青色LEDが発明されて、さらにそのあと青緑色の発光ダイオード、今、信号機に使われている…。
岡本さん、すみません、途中で大変失礼ですが、今ですね、赤崎勇さんの記者会見が始まるところですので、どうぞ一緒にお聞きいただきたいと思います。
分かりました。
すみません、途中ですが。
こちらは名城大学です。
赤崎さんの会見が始まります。
赤崎先生、2014年ノーベル物理学賞ご受賞、誠におめでとうございます。
赤崎先生のこれまでの卓越した研究業績が、栄えあるノーベル賞に結び付いたこと、心からお祝い申し上げます。
以下、座らせていただきます。
赤崎先生のこれまでの業績を若干、説明させていただきたいと思います。
2004年、文化功労賞。
2009年、京都賞など、数々の著名な賞を受賞されました先生は、2011年に、米国電気電子学会・IEEEから受賞メダル、独立行政法人ワーク技術振興機構・JSTから知的財産特別貢献賞、さらに文化勲章を贈られ、2013年には国際情報ディスプレー学会からカール・フェルナンド・ブラウン賞を受賞されました。
2013年3月には、青い光にみせられてのご自伝を発刊されました。
2014年7月には、…日本がくしん賞を受賞され、本日、栄えあるノーベル賞の受賞となりましたこと、名城大学にとりましても、大変な名誉であり、学生、卒業生、教職員の大きな誇りです。
名城大学理工学部は、大正15年に名古屋高等理工科こうしじょとして開設以来、中部地区の私学では、最も長い86年間という歴史を刻みながら、ものづくり教育に取り組んでまいりました。
今回の赤崎先生のノーベル賞受賞は、理工学部をはじめとする18万人の卒業生にとっても、待ち望んでいた朗報であり、日本にとっても大変名誉なものであります。
誰もが不可能と考えていた窒化物半導体と、そのPN接合による、青色発光ダイオード・LEDを、1989年に実現され、これにより光の三原色がそろい、LEDの応用が急速に拡大しました。
青色発光ダイオード・LEDを世界で初めて実現された先生のご功績は、日本のみならず、世界の科学技術産業の発展に大きく貢献しております。
赤崎先生の今後のますますのご活躍をご期待申し上げますとともに、名城大学教職員一同、心からお祝い申し上げます。
おめでとうございました。
ありがとうございます。
2014年ノーベル物理学賞を受賞されました、名城大学大学院理工学研究科教授、赤崎勇から受賞に際してのコメントをいただきます。
赤崎教授、よろしくお願いいたします。
座ったままでいいですか。
ちょっとかぜをひいておりまして、お聞き苦しいかと思いますが。
ちょっと半分サプライズで、こんな名誉なことはないと、これ以上の名誉はないと思っております。
これも私たちの仕事を支えていただいた、これまでの私のいくつかの職場がございますが、とりわけ松下の東京研究所とそれから名古屋大学、それから今、お世話になっているこの名城大学での、皆さんの大きなサポートのおかげかと思っています。
この場を借りてお礼を申し上げます。
何か、私から申し上げることは以上ですが。
ありがとうございました。
それでは、各社様からのインタビューに移らせていただきます。
インタビューをご希望される方は、挙手をしていただき、ご質問をされる前に、会社名をお願いいたします。
受賞を聞いたときの状況と、その時のお気持ちをお聞かせください。
ちょっと電話かかってきたときは、書類の整理をしてまして、直通電話だったものですから、実はこの2、3日前から、アメリカの大きなところから夜、自宅にたびたび電話がありまして、またそれかなと思ったんですが、なんか、…だということで、もしかしたらというふうには。
あと、よろしいでしょうか。
よろしいですか?はい、どうぞ。
改めて受賞の際のお気持ちと、これまで半世紀以上にわたる研究生活を振り返って思うことをお願いいたします。
そうですね。
半世紀ぐらいになりますかね。
直接、この窒化ガリウムの仕事を始めてからは73年からですから、何年になりますか、40年ぐらいですかね。
でも、その窒化ガリウムに入る前に、似たような半導体は研究しておりましたので、それを入れると、それはずいぶんベースになっているということを考えますと、60年ぐらいになるんでしょうかね。
まあ最初のころは、とても20世紀中には出来ないだろうと当時、言われておりましたので、どんどん辞めていく人もいましたし、そういう状況でしたけれども、私はちっともそういうことを考えませんでした。
成否は別に考えておりませんでした。
ただまあ、自分がやりたいことをやってきたという、ひと言で言えば、そういうことかなと思います。
それを非常に幸運にも、一緒に仕事をしてくれた、その時どきの仲間たちが支えてくれたということと、もう一つはそれのさらにバックに、それぞれの組織の皆さんの大きな支えがあったと思っております。
決して私一人でできた仕事ではないと思っております。
以上です。
ほかにご希望の、はいそちら。
ご家族には今回の受賞の件で、すでに何かお話しされたことはありませんでしょうか?
まだありません。
毎回ありません。
これからご家族に、お話、ノーベル賞を受賞されたことをお話するときに、誰に一番最初になんとお伝えしたいでしょうか?
家内しかおりませんので、ふだんどおりの言い方で伝えると思います。
私はこれまでも受賞のときに、発表許可があるまでは、どの賞のときも、家内にすら言ったことはありません。
許可が出てから初めてなんか、式の日取りやなんかが決まったりしますと、言わざるを得なくなって話をするんですけれども、そんな日常です。
あとほか、よろしいでしょうか。
先生のほうからひと言、若い研究者に対して、メッセージいただけますでしょうか。
そうですね、あんまり偉そうなことは言えませんけれども、私が時々言ってるのは、あんまり…研究、はやりというか、はやりの研究にあんまり捉われないで、あんまりとらわれないで、しかし、本当にそれが自分がやりたいんだだったら、やりなさいと。
本当に自分のやりたいことをやって、それが一番だと思います。
自分がやりたいことだったら、まあ仮に、なかなか結果が出なくても、やり続けることができるんじゃないかと思います。
あとよろしかったでございましょうか。
共同で受賞された天野先生や中村先生に対して、どういう思いを持たれてますでしょうか。
天野さんとは一緒にやってきましたので、本当におめでとうと申し上げたいです。
それから中村さんは中村さんで、非常にいい仕事をされましたんで、この3人で実は受賞したことが何回かあるんです。
ほかの賞で。
例えばイギリスのランク賞というのがございますが、それから…の賞だとか、この3人で受賞したことが何回かあるんです。
そういう意味で、本当によかったと思っております。
じゃあ、先ほどのそちら。
ノーベル賞候補になってから、かなり長い時間がかかったと思うんですけど、その間、候補になられたその間、どういう思いでいらっしゃったのかということと、それを踏まえて、それを踏まえて、今回の受賞を受けて感じたことを。
私は、自分は、自分でこの賞に値すると、受賞者になるということは思っていたことはありませんし、思ってもいませんでした。
よくそれは聞かれる質問なんですけど、どうも例えば論文の引用件数をもとにした調査だとか、それからいろんな、いわゆるマスコミさんですかね、そういう人が風評でなんか候補に挙がったりすることやなんか、聞いたことがあるんですけれども、やっぱりそうですね、あれは、この賞は、なんていいますかね、推薦できる方の資格も限られてるようですし、それから非常に長い伝統のある重い賞で、聞くところによりますと、非常に国際的な非常に慎重な審査をされているということでもありますので、よっぽど、そうですね。
よくマスコミの方がおっしゃるように、何かこう、珍しいことが起こると、これはこうなんじゃないかという感じでおっしゃることはあるんですけれども、そういうものではないだろうなと。
やっぱり徹底的に調査して、その人に与えたほうがいいということになればそうなるんだろうと。
それはですね、かつて10年前くらいにもなりますが、今までのこの授賞のやり方を見てても、それ以前に例えば、皆さんがお持ちになっているようなCCDカメラのセンサーなんかでも、これを実際にやってから受賞したのはほんの10年ぐらい前なんですね。
だから、その仕事をしてから、それを評価、本当の評価をするのは20年、30年ってもうざらですから、皆さんが候補だといって挙げてくださったかもしれないその数年前とか、そのぐらいでは、そういうものでもないだろうと、それは思っています。
よろしいですか。
先ほどもちょっとあったんですけども、電話連絡はいつごろあって、どんな状況でそのとき、何をなさってたんですか?
えーとね、私、はっきり覚えてないんですが、なんかいろんな書類がありましてね、未整理の書類が。
Aの書類か、Bの書類か、ちょっとどっちかだったか忘れましたけれども、いろんなことを並行でやってますので、何かしら書類を片づけているときだったと思います。
あんまり直通電話かからないんですけれども、そういう電話というのは、よく家にはあることはあるんですけど、大学の直通電話にあんまりないものですから、最初はちょっと、アメリカのある団体かなと、実は思ったんですが、次の瞬間にストックホルムからだということは分かりましたので。
こちらの大学の研究室で?
そうです。
あと、ご希望の報道機関様、お見えでしょうか。
科学分野におきまして。
ちょっと聞き取れないんですが。
日本の科学という分野に関しましては、ことしはSTAP細胞の騒動もありましたが、ノーベル賞を受賞されたということで、日本の科学分野というものを…という件、そういう点では、どのようにお考えでしょうか。
STAP細胞ですか?ちょっとよく分からなかったんですが。
今後、…ありましたけれども、今後、きょういらしている若い学生などに日本人のノーベル賞受賞ということで、また科学の明るい話題になったかと思うんですが、そのあたりはいかがお考えですか?
それがあれば非常にうれしいですね。
名城大学教授の赤崎勇さんの記者会見のもようをお聞きいただきました。
再び、科学技術振興機構研究推進部の古川雅士さんにお話をお伺いしたいと思います。
古川さん、今、おことばどのようにお聞きになりました?
先ほどの会見の中でも、この窒化ガリウムの材料開発だけでも40年、そしてそれをさかのぼればトータルで60年近く、研究を進めてこられた。
それがこういう形で認められたというのは、非常に喜ばしいことだなというふうに思います。
最初のころは、とても20世紀中には出来ないといわれていたので、どんどんやめていく人もいたと、しかし、成否、成果はちっともそういうことは考えていなかったというお答えもありましたけれども、赤崎さんの研究に取り組む姿勢というのは、どういうふうにご覧になってこられました?
私も直接、研究をしている赤崎先生と、いろいろお仕事させていただいていたわけではないですが、まさにきょうの会見でも、学究肌っていうんですかね、やはり学者さんとしての赤崎先生のお人柄が出ていたように思います。
材料の開発一つ取っても、やっぱりいろいろな検証を積み重ねたうえで、成功に導かれるものでありまして、やはりその、ある意味では、追究していくというところが赤崎先生のお人柄というのとうまくマッチしたんじゃないかなというふうに思ったりするところでございます。
そしてノーベル物理学賞に選ばれたことについて、同時に受賞しました中村修二さんは、次のように述べています。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
中村修二さんの電話でのインタビューの様子をお聞きいただきました。
日本人3人のノーベル物理学賞受賞で、各地も沸いています。
そういう賞をとれて、日本の経済も発展するきっかけになればいいと思います。
3人のうち、赤崎勇さんと天野浩さんは、名古屋市にある大学の教授です。
名城大学の先生が受賞されたんですけれども。
おめでとうございます。
今、地球温暖化とかあるじゃないですか。
でであれば、LEDとか、そういうもっともっと、太陽光とかと絡めて、上昇していく市場になると思うんで、やっぱりまあ、同じ名古屋の方からいらっしゃるというのはすごいうれしいことです。
すごいなって思います。
すばらしいことだと思います。
中村修二さんの母校、愛媛県大洲市にある県立大洲高校では。
おー。
すごーい。
関係者一同、本当にこの日が来るのを待ち望んでいました。
先生が、世界的に有名なさまざまな賞を受賞されるたびに、私たちはこの次はノーベル賞だなということをずっと思っていました。
このたび受賞ということで、本当に私たちはうれしく思いますし、心から誇りに思っています。
まさか、大洲高校から出るとは思ってなかったので、すごく誇り高いし、目標にしたいなと思いました。
赤崎勇さんが教授を務める、名古屋市にある名城大学では。
まずは、おめでとうございます。
とても光栄です。
いつかとると思ってました。
前からそのことの話があったので、今回、こういうことがあってね、学生としてうれしいなと思います。
ノーベル賞の選考委員会は、3人の受賞理由について、3人の発明は革命的で、20世紀は白熱電球の時代だったが、21世紀はLEDによって照らされる時代になった。
誰もが失敗してきた中、3人は成功した。
世界の消費電力のおよそ4分の1が照明に使われる中、LEDは地球環境の保護にも貢献している。
LEDは、電力の供給を受けにくい環境にある世界の15億人の生活の質を高める大きな可能性を秘めているとコメントしています。
では、青色LEDが、私たちの暮らしの中でどのように利用されているのか、詳しく見てみます。
LEDは、電気を通すと光を出す半導体で、電球や蛍光灯より消費電力が少なく、寿命が長いといった優れた特性を持っています。
しかし、本格的な実用化に必要な、赤、緑、青の光の三原色のうち、青色については明るい光を出すことが難しく、20世紀中に明るい青色LEDを実現するのは困難だといわれていました。
世界中の企業が開発にしのぎを削っていた平成5年、当時の常識を覆す明るさを持った青色LEDが完成したことで、LEDであらゆる色の光を作ることが可能になり、応用範囲が一気に広がりました。
光の三原色がそろったことで、あらゆる色の光を作ることが可能になったのです。
実用化も進んでいて、大型のディスプレーや信号機は、色が鮮明なために、日光が当たってもくっきりと見えるのが特徴です。
ここ数年、特に国内では、3年前の東日本大震災による節電などの影響で、家庭用の照明が大幅に普及しました。
さらに青色LEDの技術は、より短い波長のレーザー光線の開発にもつながり、従来のDVDよりも大幅に記憶容量を増やしたブルーレイディスクの再生機に利用されるなど、大量の情報をやり取りする現代社会において欠かせない技術となっています。
お伝えしていますように、ことしのノーベル物理学賞の受賞者に、青い光を放つLED・発光ダイオードの開発に成功し、フルカラーの大型画面の実現など、さまざまな応用への道を開いた、名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、カリフォルニア大学教授の中村修二さんの日本人研究者3人が選ばれました。
半分サプライズで、こんな名誉なことはないと、これ以上の名誉はないと思っています。
これも私たちの仕事を支えていただいたこれまでの私のいくつかの職場がありますが、とりわけ松下の東京研究所と、それから名古屋大学、それから今お世話になっているこの名城大学での皆さんの大きなサポートのおかげだと思っております。
電話がかかってきたときは、私ちょっと書類の整理をしてまして、直通電話だったもんですから、実はこの2、3日前からアメリカの大きなところから、夜、自宅にたびたび電話がありまして、またそれかなと思ったんですが、なんかストックホルムだということで、もしかしたらというふうな。
あんまり偉そうなことは言えませんけれども、私が時々言ってるのは、あんまりはやりの、はやりの研究ですね、はやりっていうか、はやりの研究にあんまりとらわれないで。
しかし、それが本当に自分がそれがやりたいんだったら、やりなさいと、本当に自分のやりたいことだったら、それが一番だと思います。
自分がやりたいことだったら、仮になかなか結果は出なくても、やり続けることができるんじゃないかと思いますね。
赤崎さんは鹿児島県出身の85歳。
京都大学を卒業後、当時の松下電器の研究所を経て、昭和56年に名古屋大学の教授になり、現在は、名古屋市にある名城大学の教授を務めています。
天野さんは、静岡県出身の54歳。
名古屋大学を卒業したあと、名城大学理工学部の教授を経て、平成22年から名古屋大学大学院の教授を務めています。
中村さんは、愛媛県出身で60歳。
徳島大学大学院で半導体の研究を行ったあと、昭和54年に徳島県の化学メーカーに入社し、14年前からはカリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授を務めています。
3人はLEDの中でも製作が技術的に難しく、20世紀中の開発は無理とさえいわれた、青色LEDの開発に取り組みました。
当時、結晶の素材としてほとんど見向きもされていなかった窒化ガリウムに注目し、赤崎さんと天野さんは、昭和61年に青い光を出すのに必要な高品質の窒化ガリウムの結晶化に、世界で初めて成功しました。
さらに、中村さんが平成5年、独自に開発した装置を使って、極めて明るい青色LEDの開発に世界で初めて成功し、世界中の研究者を驚かせました。
3人の成果によって、赤、緑、青の光の三原色のLEDがすべてそろい、組み合わせによってあらゆる色が出せるようになりました。
このため、フルカラーのディスプレーなど、さまざまな分野でLEDの実用化の可能性を広げました。
波長の短い青い色を出す技術は、DVDなどの記憶容量を大幅に増やすことができるブルーレイディスクの開発にもつながり、大量の情報をやり取りする現代社会において、欠かせない技術となっています。
こうした業績で、赤崎さんと中村さんは、平成10年に、世界の電子工学の優れた研究者に贈られる、ジャック・A・モートン賞を受賞したほか、赤崎さんは平成16年に文化功労賞を中村さんは平成14年にアメリカのノーベル賞といわれる、ベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞しています。
また天野さんは、平成10年にイギリスのランク賞を受賞しています。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、アメリカ国籍を取得している南部陽一郎さんを含め、おととしの山中伸弥さんに続いて、合わせて22人になります。
物理学賞は、6年前の平成20年に受賞した、南部さんと益川敏英さん、小林誠さんの3人以来で、合わせて10人となりました。
では次のニュースです。
日本人の大学生が、イスラム過激派組織イスラム国に加わるため、シリアへの渡航を計画したとして、関係先が捜索を受けた事件、広がりを見せています。
大学生がことし8月にも渡航を計画した際、千葉県内の男性も一緒に渡航しようとしていたことが警視庁の調べで分かりました。
一方、これとは別に、日本人の20代の男性が、別のシリアのイスラム過激派組織に、戦闘員として参加していたことが、NHKの取材で分かりました。
北海道大学の26歳の学生が、イスラム過激派組織イスラム国に戦闘員として加わるため、シリアへの渡航を計画したとして、警視庁は昨夜、都内の滞在先を捜索しました。
警視庁の調べによりますと、大学生は、東京・秋葉原の古書店にあった、シリアでの勤務を募集する貼り紙を見て、応募していました。
この男性は、大学生などをイスラム法学が専門の大学教授に紹介したということです。
その大学教授の自宅を警視庁はきょう、関係先として捜索しました。
大学教授は、募集の貼り紙には関わっていないとしたうえで、次のように話しました。
結局、ルートの手配はしなかったということです。
任意の調べに対し、イスラム国に加わり、戦闘員として働くつもりだったと話しているという大学生。
どんな人物なんでしょうか。
大学生を取材したことがある、フリージャーナリストの常岡浩介氏です。
ことし8月にも、シリアへ渡航しようとしていた大学生を、取材を目的に同行する予定でインタビューしていました。
そのときの映像です。
警視庁によりますと、大学生が8月に渡航を計画した際には、千葉県の男性も一緒に渡航する予定だったということです。
警視庁で詳しいいきさつを調べています。
イスラム国を含め、イラクやシリアで活動する外国人戦闘員は、80か国以上から1万5000人以上いるとされています。
NHKの取材で、こうした活動に日本人も参加していたことが分かりました。
去年、シリアに入国したという鵜澤佳史氏です。
イスラム国とは別のイスラム過激派組織に戦闘員として加わったということです。
男性は、最初は活動拠点の警備を行っていましたが、去年5月には、シリアの政府軍がいた刑務所を襲撃する戦闘に参加したということです。
男性は殺害行為には関わっていないとしています。
男性の関係者には、日本の外務省や公安当局から接触があったということです。
次です。
国会は参議院予算委員会で、基本的質疑が始まり、アベノミクスや最近の円安ドル高傾向、それに地方創生などがテーマになりました。
景気の現状について、安倍総理大臣は、デフレ脱却とは言えないが、デフレではないという状況までもってきたと述べ、日本経済の再生に向けて、今の経済政策を続けていく考えを強調しました。
最近の円安ドル高傾向については、次のように述べました。
そして内閣の重要課題の地方創生。
自民党の馬場成志参議院議員は、企業の本社機能を、東京から地方に移転したことで成功を収めているケースを紹介したうえで、次のように述べました。
このほか、安倍総理大臣は、来年10月に予定されている消費税率の10%への引き上げを見送った場合、子育て支援などの社会保障の充実に充てる予算が減ることになるという認識を示しました。
戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火。
台風の影響で中止していた捜索がきょう、3日ぶりに再開しました。
きょう、新たに3人が見つかり、3人とも死亡が確認され、これで亡くなった人は54人になりました。
台風18号が過ぎ去り、3日ぶりの捜索に向かう隊員たち。
噴石が飛んでくるのに備え、ジュラルミン製の盾を新たに用意しました。
地面の中の様子を映し出す、特殊な金属探知機も。
ヘリコプターには雨でぬかるんだ火山灰に埋まらないよう、スキー板のような板が取り付けられています。
きょうも噴火が続く御嶽山。
噴煙は火口から400メートルの高さまで上がっています。
長野県の災害対策本部は、けさの時点で、12人の行方が分かっていないとしていました。
山頂付近に着陸した捜索隊。
足を取られ、歩きにくそうです。
阻んでいるのは火山灰です。
こちらは今月1日の捜索の様子です。
足元の灰は乾いてさらさらで、歩くたびに舞い上がっていました。
ところがきょうの捜索。
灰は泥のように靴に張りついています。
雨水を含んでぬかるんでいるのです。
ひざの辺りまで埋まっています。
全身泥のような灰にまみれながら、金属探知機でくまなく捜します。
登山道を外れた斜面。
横一列に並んで捜索しています。
これまで登山道付近などだけだった捜索範囲を、きょうから山頂付近全域に広げました。
そして。
こちらに捜索隊、集まっています。
登山者の方が発見されたもようです。
警察などによりますと、新たに3人が心肺停止の状態で見つかり、死亡が確認されました。
このうち2人の身元が判明しました。
愛知県小牧市の会社員、大脇信治さんと、愛知県豊田市の会社員、三宅真一郎さんです。
今回の噴火で亡くなった人は、54人になりました。
ノーベル賞、受賞した方の、新たなコメントが入ってきました。
ノーベル物理学賞に選ばれた中村修二さんは、所属するカリフォルニア大学のサンタバーバラ校のホームページに、メッセージを寄せました。
その中で中村さんは、私の青色のLED・発光ダイオードと、青色のレーザーの発明で、スウェーデンのノーベル財団から物理学賞を頂き、非常に光栄に思っています。
私の夢であった、LEDによる照明が現実になったことをうれしく思う。
世界中で照明の省エネと、低コスト化が実現することを願っていますと、コメントしています。
お伝えしていますように、ことしのノーベル物理学賞の受賞者に、青い光を放つLED・発光ダイオードの開発に成功し、フルカラーの大型画面の実現など、さまざまな応用への道を開いた、名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、カリフォルニア大学教授の中村修二さんの日本人研究者3人が選ばれました。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、アメリカ国籍を取得している南部陽一郎さんを含め、おととしの山中伸弥さんに続いて、合わせて22人になります。
物理学賞は、6年前の平成20年に受賞した、南部さんと益川敏英さん、小林誠さんの3人以来で、合わせて10人となります。
気象情報は寺川さんです。
あすは満月が地球の陰にすべて隠れて、赤黒く輝く、皆既月食です。
気になる天気ですが、多少、太平洋側の地域、雲の広がる所がありますが、見られる所も多くありそうです。
夜の8時前後、空気はひんやりとしますので、寒くないようにしてください。
ではたいふう19号の状況です。
現在、非常に強い勢力です。
今後の進路です。
このあとも勢力を維持しながら、北上してきそうです。
日曜日には、南西諸島や西日本に近づくおそれがあります。
今回は前回の台風18号よりもやや西寄りのコースを進む予想です。
このため、西日本でも大きな影響が出るおそれがあります。
ではあすの全国の天気です。
2014/10/07(火) 19:00〜19:32
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NHKニュース7[二][字]
▽“イスラム国に参加” 日本の若者がなぜ? 【キャスター】武田真一,【サブキャスター】上條倫子,【気象キャスター】寺川奈津美
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【キャスター】武田真一,【サブキャスター】上條倫子,【気象キャスター】寺川奈津美
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 天気
スポーツ – スポーツニュース
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日本語
英語
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