春先に、害虫ごとコモを焼却して駆除します。
およそ100本の松に手馴れた様子で巻き付けていきました。
紅葉が始まった公園は一足先に冬支度です。
「あっちもこっちも」「右も左も前も後ろも」「中高年」
(黒柳)はい。
今日のお客様は漫談としても毒舌漫談で有名な方ですけども前から歌手におなりになりたかったそうで。
綾小路きみまろさん。
今日色々メーキングなどもございますのでご覧いただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
7回目のご出演です。
この前もそうなんですけどおいでいただいた時はテレビの前ではやるのは嫌だって仰ってるのに無理無理あの…いわゆる毒舌をここで漫談やっていただいたんですけど本当はテレビの前本当に嫌なんですってね。
特に徹子さんの前ではねすごく緊張するんですよね。
いやいや…。
それよりも舞台に出てらっしゃると何千人いらしても向こうにいらっしゃるんだけどここだと笑う数も少ないのでドッとこないのがちょっとやりにくいって仰って…。
ちょっとタイミングのとれないところがありますよね。
カメラを向いてやるっていうのは。
そうですよね。
やっぱりいつも2000人とか1500人いらっしゃいますので。
そういうところとはちょっと勝手が違うかもしれませんね。
ちょっとやっていただいたこの前のなんですけどちょっといいですか?テレビでご覧いただいて。
あー恥ずかしい…。
ちょっと皆さん見ていただいて。
いや面白かったんです。
恥ずかしい…。
「どうぞお願いいたします」「
(拍手)」「こんなことは言いませんでした?そちらのいいところの奥様」「私の瞳を見て。
あなたしか写ってないわ」「あれから40年」「なんでじろじろ見るの?うたぐってんの?」「これぐらい変わるわけですね」「こんなことは言いませんでした?」「三歩下がって歩いてついていきます」「あれから40年」「早く歩きなさいよ。
もたもたもたもたして」「あの時の気持ちはどこにいったのでしょうか?」「こんなことは言いませんでした?」「あなたと添い遂げます」「あれから40年」「お父さん墓だけは別にしてね」「何でもお料理作ってあげる。
約束!」「あれから40年」「お父さん食べるの?」「食べたくない日はないの?」「何が食べたいの?言ってごらん作るから」「えっ?目玉焼き?」「めんどくさい!」ああどうも。
いやーこんなことやってたんですね。
そうです。
私もなんかねすごく笑ってたんですよあの時。
笑わしていただきましてね。
本当にみんなから笑わない笑わないって言われて…。
徹子さんに笑っていただくのはね一番のね幸せですね。
ありがとうございます。
本当にでも楽しかったです。
でもこの歌を歌いたいというお気持ちはずっと前からあったんですって?そうですね。
なんかこう…ずっとお喋りばっかりじゃないですか。
ちょっと音楽に乗せて自分のなんかフレーズをねメッセージできたらいいなとは思ってまして。
それで今回『きみまろのあれから40年』という歌を出させていただきました。
今漫談で言ったようなことを全部この音楽に乗せて…。
そうですってね。
そのまんま何ていうんですか?歌を作ったって感じですね。
歌詞はご自分でお作りになって?そうですね。
いつもの私のフレーズで。
それで曲はお友達がお作りになったそうですね。
ええそうです。
でダンスが入るんですがこのダンスがとても大変だったそうで。
ダンスがもう盆踊り以来でしたので。
もう最初は茶ダンスみたいな感じで。
そのあと整理ダンスになってようやく何となく見られるみたいな…。
結構時間かかりましたね。
ダンスのお稽古をしてらっしゃるところの風景ちょっとご覧ください。
よろしくお願いします。
「開いてクロス開いてクロス」フフフ…。
ハハハ…。
縮こまってますね。
ええもうね…。
「その昔」「開いてクロス開いてクロス」「あれからトントントン」「肩!」「あれからトントントン」「汗!」「あれからトントントン」「みんなに!」「あれから…」「肩!肩から首!」「結構難しい踊りだね」
(女性)「でもきみまろさんできてますよ」「いやできてるけどさ。
いや…音楽かかったらわかんないよ」「ついていけない。
ちょっと時間かかるかもしれない」
(女性)「大丈夫です。
始めましょう」でもあのダンスっていうの…ああいうふうなダンスはおやりになったことない?ないんですね。
なんか4でいくらしいですね。
123422343234って全部4でいくらしいんですよね。
易しいのはね。
この頃もっと難しい拍子いっぱいありますけど。
ああそうなんですか。
一番易しい初歩のダンスらしいんですけど。
それがあんなふうだったんで私とっても笑ったんですけど。
だからもうダンスの世界って厳しいんだなと…。
厳しいですよ。
やっぱり息切れしてましたねずっとね。
そうですか。
でもやっぱり稽古のかいあってでき上がりました。
それではプロモーション『あれから40年』ですか?はいでき上がりました。
ご覧ください。
よろしくお願いします。
「あれから40年あれから40年」「あれから40年あれから40年」「あっちもこっちもそっちもどっちも中高年」「右も左も前も後ろも中高年」「あなたも私も中高年」「なりたくね〜…!」「遠い昔その又昔のその昔」「その昔」「私は言ったあなたに言った」「私の瞳を見てあなたしか写ってないわ」「あれから40年あれから40年」「なんでじろじろ見るのよ気持ち悪い」「こんな私に誰がした!」「時の流れがそうさせた!」「いいじゃないか?いいじゃないか?」「それはそれでいいじゃないか?」「みんなで笑って踊って唄えば」「長生きだ!長生きだ!」でもでき上がってましたね。
もうやっとこあそこまでいけましたね。
でも歌いながらだから大変ですよねでもね。
そうですよね。
口は動かさなくちゃいけない手は動かさなくちゃいけないね足は上げなくちゃいけない。
あっこういうことなんだと思いましたね。
でもああいうのがあるとまた大きな劇場にいらした時に本当はね見場が…。
そうですね。
漫談だけやるよりも私のなんかこの歌でねオープニングに使えますのでちょっとなんか華やかになりますよね。
でもああいうダンサーを全部連れていくの大変ですね。
そうですね。
これからは2人か3人ね…。
4人ぐらいね。
あんなにいっぱいじゃなくてね。
ちょっと予算の関係もありますので。
そんないっぱいだったら大変ですもんね。
まあそういうふうに考えておりますけども。
でも本当にああいう歌があるとなんか派手っていうかね。
華やかでねなんかいいですよね。
だから中高年の方もね元気を出してもらうためにね。
その会場も明るくなりますので。
これを舞台で色々歌いながら全国を行脚したいと思ってます。
そうですよ。
それでもううんと慣れたら内容はもうお変えになったって大丈夫ですもんね。
振りさえ間違えなきゃね。
振りさえ間違えなければ。
でも本当におめでとうございました。
ありがとうございます。
長年の夢がかなってね。
そうですね。
まさか60過ぎてね踊るなんて夢にも思ってませんでしたね。
さてこの前おいでになった時実は知らなかったんですけどお母様1月にお亡くなりになったって…この1月に。
そっと…家族でちょっと送ってあげましたので皆さんにはね知らせなかったんです。
ちょっと迷惑かけるんで。
そういう気持ちもありましたので。
お母様は今年の1月に…何歳で?91歳でしたね。
そうでしたか。
でもお母様にはすごい…活躍のところはお見せできた…。
そうですね。
父親はちょっとね早く他界しましたので。
母親はどっちかっていうと私がちょっとブレークしてから何年か生きておりましたので。
よかったですよね。
報告はできました。
そうですよね。
鹿児島にお母様…。
真ん中がお母様で。
そうですね。
右があなたで。
左が…。
弟ですね。
弟さんですね。
どういうお母様だったんですか?いつも…どちらかというと厳しい母でしたね。
「挨拶をしたか」もう常に。
とにかく「挨拶はしたか」「真面目にやれ」ね。
そのふた言は必ず言ってましたね。
でもうひと言必ず…。
私がちょっと母親と意見が合わなかったりするじゃないですか。
そうすると「そういう子供を産んだ覚えはない」とかね。
「そんなふうに育てた覚えはない」とかね。
その3点は必ず言ってましたね。
そうですか。
それから鹿児島へお帰りになった時もご近所にちゃんとご挨拶に行くようにってね。
そうなんですよ。
もうとにかく帰ってきたら周りに一軒一軒挨拶に行きなさいと。
びっくりしましたね。
ええ。
それはもう常に…。
有名におなりになってからでも?そうですね。
もうずーっとそれだけは。
挨拶して。
「道ですれ違った人にもちゃんと挨拶しなさい」ぐらい仰ったんですって?もう挨拶しなさい。
挨拶と悪いことをするな。
真面目に生きろみたいなね。
もうそれを常々言ってましたね。
真面目じゃない時もあったんですか?あらっ。
これ母親の若い頃ですね。
奇麗なお母様。
いや奇麗じゃないですよ。
いえ奇麗ですけど。
もう本当にあのね…田舎なのでこんな感じで写ってますけど。
これあなたね可愛いお子さん。
いやいや可愛くないです。
随分大きい子なのに抱かれてますねお母様に。
甘ったれですね。
そんな感じがしますね。
お母様はあれですってね召し上がり物なんですけど「がね」というのが鹿児島にあって。
そうなんですね。
鹿児島の大隅半島のほうに事あるごとに冠婚葬祭は全てその食べ物が出るみたいなものがありまして。
それは「がね」っていうんですけど。
小麦粉を混ぜてその中にさつまいもを千切りにしてあとにんじんを千切りにしてあと米粉をちょっと…米の粉を混ぜて…。
じゃあ精進揚げみたいな?そうでもない?天ぷら?それを天ぷらにするんですね。
それに砂糖…。
あっこういうのですか。
お砂糖も入ってる?そしてこれがなんでがねっていうのかといいますとカニのことをね…。
ええ。
カニ。
カニを鹿児島でがねっていうんですよね。
横に歩くカニですね?あのことをがね。
この天ぷらが要するにカニの形をしてるので…。
ちょっとね脚があって。
そうです。
がねっていうふうにみんな言ってるんですけど。
これはもう全て事あるごとに…。
細く切ったさつまいもをメリケン粉の中に入れて…。
そうです。
その中にお砂糖も入れて…。
その家庭家庭で全部味が違うので。
お宅はそうなのじゃあ。
それでその…うちが一番おいしいみたいなね。
ここのがねはおいしい。
ここのがねはまずいとかね。
みんなが評価をするみたいな。
ちょっとそういうところがありましたね。
お宅のがねはおいしかったんですか?おふくろが作ったがねで慣れてますので。
やっぱりおふくろのがねに…おいしいなと思ったこと結構ありましたね。
おいしそうですよねいかにもね。
よそ様に行っていただいてやっぱりおふくろのほうがおいしいとかね。
そういうのは感じてたことありますね。
でもこれからあれですよねお母様のが召し上がれなくなったのは残念ですね。
徐々にああいう風習消えていくんでしょうけども今でも帰りますとやっぱり年を召された人がみんな作ってまた私を迎えてくださいます。
あっそうですか。
おいしそうに見えますねすごくね。
甘いだろうと思うしさつまいもおいしいですしね。
そうですね。
で何歳の時に東京に?高校を卒業してすぐですね。
18歳で。
じゃあもう割と若い時から出てらっしゃるんですね。
もう43年ぐらい経ちましたね。
それでいらっしゃって色んなことをなすったんだけど最終的には有名な話は不遇時代に森進一さんの専属司会者みたいな…。
ええ。
森さんと偶然会う機会がありまして。
森さんも鹿児島ということで…。
あっそうですね。
私をなんかすごい可愛がってくださって。
出会った時から「僕の専属の司会にならないか」っていう話がありまして。
それから10年お世話になりましたね。
そうですか。
でも森さんは「君はいつか」…何ていうの?「ばーって出るから」っていうふうに仰ってたんですって?ええ。
いつも「成功するからね。
君は絶対成功するから」。
だから私が司会とか間違うじゃないですか。
いつもこう…注意されて。
あそこがこうだここがこうだって。
なんでこういうふうに言うかっていうとでもお父様がいらっしゃらなくてお母様91歳までご長命でよかったんですけどお母様やっぱり弟さんとあなたと育てるのは随分苦労なすったでしょうね。
そうですね。
やっぱり時代が時代でしたので。
まあ田舎だったんで食べ物はねそんなに苦労はしなかったと思いますけども。
やっぱりそういう…貧乏でしたでもね。
なんかそんな記憶はありますね。
あの頃それにみんなが貧乏だったっていう感じ…。
この後ろの方がお父様ですか?ええそうですね。
前が弟で私は高校1年生ぐらいだと思いますけど。
右側がお母様。
はいそうですね。
なんか洗濯…。
物干し竿があってねなんか懐かしいですね今やね。
本当の田舎の風景ですね。
そうですね。
思い出しますねこういう時代をね。
本当にね。
それでねこれ…これびっくりしたんですけど左側がお母様なんですって?そうです。
そうですね。
右がおやじですね。
グレタ・ガルボかと思いました私ね。
帽子かぶってらっしゃるんですか?これはね。
そうですね。
私初めねグレタ・ガルボって…スウェーデンの女優さんですけど。
グレタ・ガルボみたいで左があなたがなんか女装してどうなってんだかこれは…と思ってわかんなかったんです。
お母様かと思いました右が。
でも右がお父様で左がお母様。
もう一回ちょっと見ていただいて…。
もう恥ずかしいですね。
こういう写真が残ってたんですね。
ねえ。
それで左があなたにお母様…あなたが似てらっしゃるんでしょうけど似てらっしゃる。
でもお父様本当にね随分しゃれた顔の方だったんだなって私本当…。
骨格がね。
そうですね。
本当恥ずかしいですね。
いえいえ。
でもブレークなさって何年ですかね?ちょうど13年目に入りました。
そのぐらいですか。
もう随分のように思いますけど。
でも奥様はよくやってくださる方ですよね。
一生懸命…はい。
だってテープ作ってらっしゃるの奥様もコピーとってどんどんどんどん字書いてそれで売れるようにしてそのうちどんどんどんどん注文が入ってくると奥様が電話とってそれでどんどんまたコピー作ってテープね。
公演のテープ…。
そうです。
大変だったって仰いましたよね。
なんでこんなことをするの?みたいなね。
何か意味あるの?みたいな。
みんなタダであげるんでしょ?みたいな。
でもやってみないとわかんないからとにかくやって駄目だったら駄目でいいじゃないかみたいな。
そういう当たって砕けろみたいなね最後のチャンスにかけましたね。
なるほどね。
それが…。
それがよかったですね。
四十何歳の時ですかね。
じゃあそこまでは随分長かったですよね。
東京18で出ていらっしゃって。
何回辞めようかと思った時もありましたね。
その間たけしさんももう有名になっていましたしね。
森さんももちろんだし。
もう知ってる人たちはみんな有名になっていったんで。
その中でなんか結構本当に…腐りはしませんけど運がないんだなみたいなふうに片づけてましたね。
でもそういう時に「奥さん。
よくここへいらっしゃいましたねその顔で」ってああいうのはその頃仰ってなかったんですか?徐々に言いつつありましたね。
「もうその顔で」とか「この顔で」とかあの手この手で笑いをとってましたね。
やっぱりお笑いは…皆さん笑ってはくださってたんですよね。
だからもうとにかくうけないと笑いじゃないみたいなところがありましたので。
やっぱりたけしさんのようにドーンとかねうけるのをなんか夢見てましたので。
ドンとうけることがうけることだと思ってましたので。
そういう切れのあるネタをね作っていかなくちゃいけないなっていう…。
ちょっとぐらいクスクスとかクスクスクスぐらいじゃ嫌なんですね。
ドーンって…。
ドーンといかないと…。
だから今のような…今大きな劇場ね何千人っていうとこにいったらドーッとみんながお笑いになる。
あのぐらいだったらいいわけですね?そういう笑いを追求してましたね本当に。
この赤いお洋服も今日…さっき言ってたんですけど今日のもご覧になるとわかるんですけどこれ地紋がずっとあってねすごく奇麗な生地なんですけどね。
なかなかこういう赤でこういう地紋のあるのがないんですってね。
だからこういうのを着れるようになりました。
はい。
すごくいい。
もう本当におかげさまでという感じです。
クローズアップしてくださいましたか?今ちょっとよく見てなかったです。
相当クローズアップにしていただいて。
随分これは特にいいのですね今日のね。
特別に今日着させていただきました。
特別にいいのだから皆さんそんなね…。
ちょっとね光線の当たり具合で悪いんですけどちょっと唐草模様みたいなねすごく奇麗なね。
ちょっと見た時わからないんですけどねすごいいいお洋服で来ていただいて。
これ裏地とかにですねお金をねちょっとかけるようにしましてね。
昔はこれ黒だったりねグレーだったり1色だったんですけど…。
さっきあれですよね。
歌お歌いになる時階段のとこにお上がりになったらこうやって見えましたね後ろの模様がね。
おしゃれでねいつも奇麗にしてらっしゃるのね。
感心します。
いやもう恥ずかしいです。
ちょっとコマーシャルです。
さて初めてのことだと思いますけれどもこの10月からあなたこのテレビ朝日でゴールデンの番組にお出になる?はい。
おかげさまでですね『世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団』という番組なんですけど。
すごい長い題ですね。
土曜日の夜にですね夜6時56分から。
一番最初に私がドーンと出てきて「スゴ〜イデスネ!!視察団」って大きな声で始まります。
あっそうなんですか。
でも本当に面白いんです。
しかも司会が爆笑問題。
それからウエンツ瑛士さんがお出になってあなたがストーリーテラーみたいな方で外国人がびっくりした日本の…。
日本の技みたいな色んな技術をみんなこう…視察団が来てそこに迫っていくわけですね。
本当に視察団が来てるんですか?来てるんですね。
そして日本のすごさをアピールする番組です。
いいですよね。
今みんな日本が駄目みたいなふうに思ってるところあるじゃないですか。
確かにいいところいっぱいあるのでそういうのをお知らせするのはね…。
とても素敵な番組です。
新番組…
そして…
初回2時間スペシャルは…
今までテレビの番組をお持ちにならなかったのに…。
そうですね。
そういうレギュラーがありませんでしたので。
でもあれでしょ?断ってらしたんだと思いますよきっとね。
ちょっと…レギュラーでライブが結構入ってまして。
だからそうするとライブへいらっしゃるのにねレギュラーが入っちゃうと駄目じゃないですか。
そうなんですね。
ちょっとその辺の兼ね合いがうまくいきませんで初めてこういう形になりまして。
私もまあ一生懸命ねやらせていただこうかなと思っております。
あっそうですか。
でも毎週ねあなたを見ることができるようになったらファンの方はねうれしいじゃないですか。
もう6時56分になったら私がその番組に出てくるみたいな。
そこから始まります。
そうですか。
テレビ朝日の『スゴ〜イデス』…。
何曜日だって仰いましたか?土曜日の夜。
土曜日の夜。
6時56分です。
6時56分です。
随分もう限りなく7時に近いんですけど6時…7時の4分前ですかね?はいそうです。
そうね。
ですからまあ6時56分。
『世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団』。
こういう感じでございます。
そういう番組だそうでございますのでぜひ。
話は違うんですけどなんかマイブームっていうんですか?そういうのでメダカ飼ってらっしゃるんですって?ええ。
メダカを飼って…。
なんでメダカなの?可愛い?メダカが可愛いんですね。
餌をやってよく食べるんですよ。
それがなんか癒やされるんですよね。
あんなにちっちゃいのにいっぱい食べるんですか?ええ。
食べるんですよこれがね。
このメダカを見ながらね…。
いつも2000人ぐらいのお客様の前で漫談をやってますのでメダカを見ると落ち着くんですよね。
ああそうね。
小さいしちょっとしかいないしね。
年齢がわからないじゃないですか。
あっそうね。
まあ雌か雄かも…名前付けてらっしゃるんですか?いや名前付けてないですね多すぎて。
あっ多すぎて。
子供は…?子供生まれます。
根っこのところに数の子みたいに卵が付くんですね。
それを分けてあげるとふ化していきます。
あっそうですか。
これは夏場ですけども。
そうですか。
それじゃそれが終わったところですね今ね。
じゃあメダカって昔から可愛いってね皆さん…。
若い人もうんと年取った人も…。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
綾小路きみまろさんでした。
チャンネルはどうぞそのままで。
2014/10/07(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 綾小路きみまろ[字]
〜91歳母が他界…歌手に初挑戦!〜綾小路きみまろさんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
“中高年のアイドル”として絶大な人気を誇る毒舌漫談家・綾小路きみまろさんが登場!
◇番組内容
お馴染みのフレーズ「あれから40年」を歌詞に入れたコミックソングで歌とダンスに挑戦したきみまろさん。今日は完成したミュージックビデオを鑑賞!果たしてその出来は…
今年1月、91歳になる最愛の母が他界。地元の鹿児島で良く食べさせてもらった郷土料理「がね」の思い出話などを語る。潜伏期間30年…遅咲きのアイドルきみまろさんを支えてくれたという芸能界の恩人・森進一さん、そして北野武さんとの思い出秘話も。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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