さあさあ本日も「知恵泉」開店です。
新メニューが登場しますよ。
前から気になってたんですけどここのお店のメニューって全部大将が考えてるんですか?そうなんですよ。
結構珍しいの多いですよね。
ねえ凝ってるでしょう。
ただね最近ちょっとね何かこうマンネリっていうかちょっとスランプなんですよね。
あっネタ切れ。
ここらでちょっと新機軸を打ち出したいなとは思ってはいるんですけれどもなかなかね悩みが深いんですよ。
(落合)おじゃまします。
いらっしゃいませ!こんにちは。
初めてのお客様でいらっしゃいますね。
はい。
おいしい店があるとちょっと伺ってきました。
ありがとうございます。
是非お掛け下さい。
あれ?どっかで見た事ありますよね。
私もそんな気がした。
う〜ん多分仕事関係か何かでテレビでどっかでお会いしてるかもしれないですね。
テレビに出た事があるんですか?ありますはい。
あ〜何かで捕まってニュースで。
あ〜そういう事で。
お務めご苦労さんでした。
とんでもないです。
ただいま戻りました。
失礼ですよ増田さん。
ちょっと。
今日はこうやって初めての方に来て頂きましたので是非ともこのお薦めを味わって頂きたいと思います。
今回のテーマは…取り上げるのは時代劇でもおなじみ…。
もともと紀州藩主の四男に生まれた吉宗。
思わぬ運命の巡り合わせで将軍にまで上り詰めました。
その吉宗を待ち受けていたのは驚くほど巨額の財政赤字でした。
しかも当時は巨大地震や富士山の噴火など自然災害が頻発し支出は増えるばかり。
一方収入の増加は見込めませんでした。
年貢米の価格は下落。
江戸時代初期には盛んに産出されていた金や銀もこのころには枯渇していたのです。
紀州藩出身の吉宗は先例にとらわれる事なく幕府の税制や官僚システムにメスを入れます。
そしてついに財政の黒字化に成功。
30年にわたるその取り組みは「享保の改革」と呼ばれています。
停滞する現状に風穴を開け時代を変えた徳川吉宗。
そのリーダーシップを読み解くのは…。
イタリア料理界の第一人者…80年代末のバブル期いわゆる「イタめしブーム」のきっかけを作りました。
それまでイタリア料理といえば喫茶店で出されるミートソーススパゲッティやナポリタンという認識が一般的でした。
そんな中本場イタリアで修業し帰国した落合さん。
本格的なイタリア料理を提供しようと決意します。
しかしせっかくアルデンテにゆでたパスタは「固い」と文句が続出。
牛肉のカルパッチョは「気持ち悪い」と敬遠されました。
当時の日本人にその味が理解してもらえなかったのです。
それでもこだわりを捨てなかった落合さん。
やがて料理は評判を呼び全国的なブームに。
今や本場の味は日本に定着しています。
イタリア料理の世界を一変させた落合さん。
幕府政治を刷新し時代を変えた徳川吉宗の知恵をどう読む?え?あの落合さんでしたか!
(せきこみ)大丈夫ですか?失礼しました本当に。
あの落合さんでしたか。
そりゃ見た事あるわ。
お名前は存じておりましたが落合さんでございますよ。
よろしくお願いします。
落合さん日本の事考えるとやっぱりミートソースやナポリタンという時代に本格的なイタリアンって結構苦労があったんじゃないかなと。
そうですね行ったのは36年前ですから。
30…。
36年前ですね。
36年前という事は僕多分小学校2年生ぐらいなのでそのころ食べてた外国のもんいうたらコッペパンぐらいですね。
コッペパンぐらい。
給食でイタリアンとか出ました?おいおい多分スパゲッティとか出ましたけど。
スパゲッティを…ケチャップとかマヨネーズであえたのが冷たくなって付け合わせみたいにはついてたかもしれない。
サラダみたいに。
あ〜はいはいはい。
やはり日本の方が今まで食べていたパスタと82年にお店を出させて頂いてそこで出したパスタのギャップって言うんですかね。
皆さん普通にスパゲッティ食べて僕がスパゲッティを出すとどうしても芯があって硬い。
アルデンテですね。
でもそのあとに例えばリゾット出してもこんな芯のある御飯は硬くてお金出して食べる代物じゃないと。
まさに時代を変えたというか味覚を変えたというふうに…。
うわっ!日本の味覚を変えたわけですね。
すばらしい!今までいろいろな周りの方が一生懸命盛り上げて下さって協力して下さったので今があるんですけど。
なるほど。
まぁそのね変えたっていう意味でいうと今日のお薦め徳川吉宗ですけれども時代を変えた改革者という視点で見ていきたいんですね。
この吉宗といいますと落合さんはどういう印象をお持ちですか?何ていうんですか時代劇の印象というんですかね「暴れん坊将軍」じゃないけどもそういう感じの何かそういうイメージですね。
(大石)ちょっと今勘違いしているような感じですね。
いやいやその前に誰ですか?どこから来ましたか?ちょっとトイレいたんですけど。
大石学先生でいらっしゃいます。
日本の近世史がご専門でいらっしゃいます。
お掛け下さい。
おなか大丈夫ですか?大丈夫です。
ちょっと違うとおっしゃいますと?時代劇で言われている「暴れん坊将軍」八代将軍吉宗と実際のイメージっていうのはちょっと違いますね。
どの辺が?時代劇で描かれているイメージよりも実際の方がもっとかっこいいかもしれません。
え?結構かっこいいイメージですよ時代劇でも。
クレバーでかっこいいっていう感じですかね。
よりクレバーな?クールでクレバー。
予想してたのは時代劇の姿はあんなかっこいいけれども実はそうじゃないんだよという事なのかと思ったんですが。
よりかっこいいって事ですね。
まずは吉宗の生い立ちからご紹介したいと思います。
なかなかにドラマチックな道をたどっているんですよ。
江戸時代徳川御三家の一つ紀州藩の城下町だった場所です。
貞享元年吉宗は藩主徳川光貞の四男として生まれました。
藩主の息子といっても末っ子。
吉宗は家臣の家に預けられ城の外で育ちます。
子供の頃の吉宗の暮らしが伝わっています。
「鯉一匹と鱸一匹を釣り上げた」。
豊かな自然の中伸び伸びと幼少期を過ごした事がうかがわれます。
このまま紀州藩から分家して生涯を終えるはずだった吉宗。
22歳の時境遇が一変します。
父そして兄たちが続けざまに亡くなり吉宗が藩主の座に就く事になったのです。
その吉宗に更に驚くべき運命が待ち受けていました。
正徳6年江戸幕府七代将軍徳川家継が僅か8歳で病死したのです。
幼少の家継に跡継ぎはおらず次の将軍は尾張紀州水戸の御三家から選ばれる事になりました。
初代将軍家康との血統の近さや家の格付けなどから八代将軍に選出されたのが吉宗でした。
33歳の時でした。
分家の立場から将軍になった吉宗。
就任の場で自らの方針をこう語ります。
吉宗は幕府の開祖である家康の名前をあえて口にし尊重する姿勢を示します。
吉宗の就任に反発する者に対し自分が…代々徳川宗家に仕えてきたという誇りを持つ家臣たちも家康の名前を出されては不満な態度をとるわけにはいきません。
まずは抵抗勢力の懐柔に成功した吉宗。
新将軍として国造りに取り組んでいくのです。
これでも吉宗的にはどうなんですか?「よっしゃ〜」なのかやっぱお兄さんが亡くなって…。
そこがよく分からないんですね。
本人はずっと辞退を史料を見るかぎり辞退を続けてて将軍の職も何度も辞退してるんですが最後大奥へ呼び出されてそして説得されるっていう。
最初遠慮してたわけなんですね。
そうです。
遠慮してるんですね。
ただそれも本気の遠慮なのか型どおりの遠慮なのかはまだ分からないですね。
その割にはいろんな事をやって。
やっぱり賢いんですね。
俺も賢かったと思う。
家康様のお名前を出したというね。
あ〜なるほどなそういう手があったかみたいな感じですよね。
家康は当時はもう東照大権現って神になってますからそのご先祖を引っ張り出す。
その権威に依拠するという事ですね。
落合さんどうでしょう。
運命っていうんですかね?どうなんでしょうね。
これかなり難しいですよね。
いきなりそういう所に自分が全然部下もいない所に「お前シェフで行け」ってもし言われた場合ですねちょっと迷いますよね。
やっぱかなり。
落合さんが心掛けているリーダーとして人を動かす際の秘訣というのは…。
それはやっぱりそこで相手に僕たちの場合は一応職人ですからいかにお前らよりか俺は知識を持ってる技術も勝ってるっていう事を見せて「どうや!」とこう…しないと難しいですよね。
あえてかますわけですか?そうですね。
あんまり上からいくと逆に反発食うのかなとは?そうなると僕ら一目やっぱ置きますよね。
あ〜逆に。
見せつけられると。
「僕はそこまでの位置ではありません。
言う事聞きます」となりますよね。
そのあとリーダーとして引っ張っていかなくちゃいけないですからね。
それが難しいですね。
そこですね。
やっぱり一人一人考え違いますから難しいけどそこでひとつに…それはみんなの意識を統一するって事ですか?やっぱりみんながイタリアを好きになってもらう事ですね。
僕たちイタリア料理やってますので。
でもまあそういうところでイタリアという事で気持ちが一つになってるのは僕たちは大きいと思うんですね。
いや〜そうですか。
吉宗はこれから幕府の改革に挑んでいくわけですよね。
そこにはどんな知恵があったんでしょうか?吉宗が将軍に就いた時幕府の財政は悪化の一途をたどっていました。
歴代の将軍による大規模な寺院の建立やぜいたくな儀式の慣例化で支出は増える一方。
更には自然災害も頻発し復興のため多額の資金が必要でした。
政治の刷新は至上命令。
吉宗はまず5人の老中を呼び寄せ改革を行ううえでの基本的な情報を知ろうとしました。
それにつきましては恐縮ながら存じません。
なんと老中は1年間の幕府の収入額を答えられなかったのです。
更に…。
確か15…いや20はあったかと思います。
(吉宗)正確な数は分からぬか?はい。
直ちに調べてまいります。
吉宗にとってやぐらの数は防災や防衛対策を立てるうえで欠かせない情報でした。
しかし答えられる老中は一人もいませんでした。
政治に携わっている老中が国の基礎的なデータを把握していない事に吉宗はがく然とします。
一方の吉宗は老中たちとは正反対の姿勢で政治に取り組んできました。
それを物語る史料が吉宗の故郷和歌山市の図書館に残されています。
紀州藩主時代の吉宗が作らせた城下町の地図です。
広げるとなんと6m。
地図には一軒一軒細かく家屋が描かれ住んでいる人の名前更には朱色の文字で敷地の広さも書き込まれています。
そして道や橋には長さと幅までも緻密に記されています。
我々は…という点で注目すべきものがあるのではないかと思います。
吉宗は新たな政策を立案するにはまず詳細なデータを知る事が必要だと考えていました。
解決策を導く基礎となるからです。
吉宗は将軍になってからもこの姿勢を貫きます。
まず国の大枠を把握する事を決意。
日本史上初めて全国規模の人口調査を実施します。
その結果日本の総人口は2,654万人と算出されました。
また全国の農業生産量の調査も開始。
田畑の面積はもちろんそこで見込める農作物の生産量家畜の数。
更には農村の生活状況を知るため副業の有無まで調べ上げました。
こうして集められた調査結果を目にした吉宗は農業生産力が江戸時代初期に比べ2倍ほど増加している事に気付きます。
各地で新田開発が行われ更に生産技術も進歩していたためでした。
しかし年貢の税率は江戸時代の初めに設定されたまま100年以上誰も手をつけず放置されていました。
吉宗は得られたデータを基に生産力に見合った適正な税率を決定。
収入増加を図ります。
同時に凶作の年は税率を下げる仕組みを取り入れ柔軟な対応を目指しました。
きちんと現状を把握する事で対応策を打ち出していった吉宗。
将軍に就任してから12年目ついに幕府の財政は好転し黒字が生まれるまでに回復します。
何もかも知りつくすという吉宗の姿勢が危機的な状況に陥っていた幕府を救ったのでした。
大石先生吉宗もこれ以外にもさまざまなデータを集める作業などをして…。
日本の地図をきちっとしたのが元禄に作った国絵図があるんだけどどうも嫌だって言って作り直させるんですね。
出来たと思って安心したらそこに一里塚を打ってくれと。
それも4kmごとの点を打たせるんですね。
そういう細かさはありますしね。
それから物価の調査も繰り返し行って。
特に米価ですけどもね吉宗が死んだあと反故紙って紙の裏に全部細かい数字が書いてあって「それ何だろう」と言ったら浅草の米価だったという話が残ってたから直接自分で書いてメモして枕元に置いておくようなそういう将軍ですよね。
なぜそこまで調べようとこだわるんですかね?やはりほんとの意味の政治家将軍だった気がするんですが…ID将軍。
それは言えますね。
落合さんが知りつくす相手というのはやはりお客さんに…。
そうですねお客様ですね。
お客様はいろんなお客様いらっしゃいますからお一人一人皆さん違いますよね好みも。
いろいろないい意味悪い意味で癖もありますからそういう事を知りつくして同じ料理でもあのお客さんだと例えばちょっと少なめに出そうかちょっと多めに出そうかちょっと辛めに出そうかとかあるじゃないですか。
その辺はやっぱりいつも考えてますね。
いろいろ食べ歩きとかもされて…。
大好きです。
もうそれだけですね僕は。
一番好きな食べ物って何ですか?僕寿司です。
食べ歩きに行くとお客さんの立場として行くわけですよね。
それですね。
お客様はやっぱり新しいお店が出来れば新しいお店に当然興味持つからいろいろなお店に行かれる。
でもやっぱり戻ってきて頂く何かがこの店にないと。
それは何なんだっていうのがそれは僕たちのいつも考えてる事ですよね。
素朴な質問ですけどデリバリーのピザ頼んだ事あります?あります。
それは勉強の一環ですか?たまたまですか?たまたま頼んで勉強になったというか。
結構おいしいし満足できる。
結構バカにできない値段だねというのはやっぱあるでしょ。
でもこれがきちんとしたビジネスになってると。
これはとってよかったなとかってありますよね。
は〜あるんですね。
そういうところもきちんとこうやっぱり知るいろんな事を知っておくっていう姿勢なんでしょうかね。
皆さんそれでそれをビジネスにしてますから。
それではっきり言えばそれで食ってますから。
いかがですか?増田さんこういう…。
僕どっちか言うたら吉宗派かも分かんないですね。
知りつくしたくなってしまうというか知らなあかんと思ってしまう方で。
例えば漫才のライブやりますとなったら照明の具合とかお客さんが入る時の照明の明るさとか並んでる劇場の椅子を自分で角度変えたりします本番前に。
は〜そういうところまで。
そこまでやるとしんどいですよ。
でも結局頼むよりか自分でやる方が早いからやってまうんですよね。
結果しんどくなるんですよね。
だから知りつくすっていうのはすごいしんどい事やと思うんですけどね。
続いてはですね知恵を味わう箸休めといたしましてドラマの吉宗と史実の中の吉宗どういうふうに違いがあるんでしょうか?ないんでしょうか?比較してみたいと思います。
徳川吉宗といえば俳優松平健が演じる時代劇でシリーズでおなじみ。
理想のヒーローを具現化したような劇中の吉宗。
果たして史実はどうだったのでしょうか?ドラマの中の吉宗は将軍でありながら江戸の町なかを一人で出歩きます。
「貧乏旗本の三男坊」と身分を偽り町民たちとも交流。
世間を騒がす事件が起これば自ら解決に動きます。
これって史実?さすがに将軍である吉宗が側近も連れず町なかに出る事はできませんでした。
しかし外出が大好きだった事は確かです。
一体何のために?それは「タカ狩り」でした。
吉宗は1年間に20回近くも出かけるほどタカ狩りに熱を入れていました。
休憩中には田畑に入り農民たちに作物の出来具合を聞いていたという逸話も。
こうして庶民の暮らしを間近に見ていた吉宗。
もしかしたら何かの事件を解決した事があったかもしれませんね。
ドラマのクライマックスとなるのはチャンバラシーン。
なんと吉宗自身が刀を手にし黒幕一味を成敗!とまぁこれはフィクション。
しかし吉宗が剣術や馬術に通じていた事は記録に残っています。
力士と相撲を取って豪快に投げ飛ばした事もあったとか。
史実の吉宗はドラマの吉宗に引けを取らないほどの豪傑だったようです。
事件が解決すると始まるのはこのシーン。
側近のじいが独身を貫く吉宗に妻を持つよう進言します。
史実の吉宗は紀州藩主の時公家出身の真宮理子と結婚しています。
ところが理子は流産がもとで亡くなりその後吉宗は正室を持つ事はありませんでした。
ただし側室たちとの間に5人の子供をつくり長男・家重は後の将軍となっています。
時代劇のヒーロー吉宗。
ドラマと史実あなたはどちらがお好きでしょうか?ほんとにやっぱりすごい人ではあったようですね。
そうですね。
29年30年近く陣頭指揮で改革をし続けるわけですから大変な健康とそれから心が強いという事が言えますね。
それから逆に勉強をあまり…当時の将軍がすべき勉強というのは好きじゃなくて和歌とかそれから漢文とか国学とかそういうのはどうも苦手でそのかわりに「実学」っていうんですかねすぐ世の中に役に立ったり世の中の事を反映する学問は好きで経済学とかそれから地理学とかそういうものが大好きでしたね。
医学薬学天文学。
勉強は苦手やけどこっちの回転は速いと。
世の中の事をすぐ見抜くっていうそちらですね。
でも和歌とか風流なものが苦手っていうのがちょっとかわいい感じがしますね。
自分もすごく気にしてるらしくて勉強しなきゃって思ってたらしいんですけどね。
ちなみにサンバは踊らないんですか?それはないですね。
そういう史料は残ってない?ただ歴代の将軍から見ると非常に型破りではあったわけですよね。
その吉宗がモットーとしていた知恵をご覧頂きたいと思います。
吉宗は自らが率先して行動しなければ気が済まない性格。
決して人任せにはしませんでした。
紀州藩主時代。
吉宗は家臣が提出する全ての帳簿に目を通したと言われています。
将軍になってからも江戸城近くで火事が起きた際には屋根の上に飛び乗って鎮火活動を指揮したほどです。
更にはこんな事も。
江戸城の庭に天文台を造り自ら望遠鏡をのぞいて土星や金星などの天体を観測していたのです。
暦の改訂を考えていたためだったとか。
また気象データを蓄積するため軒下に桶を置いて毎日降水量を計測。
洪水の予測に役立てます。
吉宗は何事も自らの手で確かめる事で迅速かつ適切な政策が実行できると考えていました。
あの「目安箱」でも同じ姿勢で臨みます。
目安箱は広く庶民から政への意見を集めるため設置されました。
この錠前を外す鍵誰が持っていたかご存じでしょうか?
(家臣)上様目安箱でございます。
うむ。
なんと吉宗自身が鍵を管理し自分の手で開けていたのです。
家臣たちが中身を勝手に取捨選択してしまわないよう箱は鍵をかけられたまま吉宗のもとに届けられました。
そして誰よりも先に吉宗が投書に目を通したのです。
目安箱に入れられた有益な意見は吉宗によって実際の政治に取り入れられました。
ある時2人の浪人の名で「上総国と下総国に手つかずのままの広大な土地がある」という投書が寄せられます。
当時吉宗は熱心に新田開発を進めていました。
早速調べてみると6万石の収益が見込まれる土地が見つかりました。
この地方の役人が報告を怠っていたのです。
この土地はすぐさま開発が始められやがて幕府の大きな収入源となりました。
吉宗自身が目安箱の管理をしていたからこそキャッチできた貴重な情報でした。
常に自らが率先して行動し国を動かしたリーダー徳川吉宗。
何事も人任せにしないその姿勢が素早い判断と斬新な政策を生んだのでした。
どうなんでしょう。
やっぱりトップダウンでやるというのが「享保の改革」の成功の要因だったと言えるんでしょうか?短期間に一気に勝負するにはそれは必要だったんでしょうね。
幕府財政が悪化していて今立て直さないとまずいといった時に「左様せい」で家臣の意見ばっかり待ってたんじゃ改革できないですからね。
やっぱり主体的に将軍が前へ出てトップダウンする鼓舞するっていうのは必要だったんだと思いますね。
人任せにはしないでも一方でよくビジネスの世界で言うにはやっぱり任せてなんぼだと。
任せるだけの度量を持つんだみたいな事も言われたりします。
さあどうなのかなと思うんですが落合さんどういうふうにお考えになりますか?だから任せたのにやってないという言い訳になるじゃないですか。
「任せる」って一見耳ざわりはいいように思いますよね。
耳ざわりはいいですよね。
ちょっとかっこいいですよね。
「任せてんだよ」っていうのは。
でも任せてるという事自体自分が何か甘えてるかなという。
甘えてる?何かそういうふうにとられないですか?自分の責任を投げちゃうみたいな。
僕今5店舗ありますけど当然毎月1回の…東京以外にある店は必ず2日間行ってますし行く事によって彼らとのコミュニケーションもとれるしお客さんとも話できるし「ちょっとズレてない?」って事も指摘できるかもしれないし。
そういう形で彼らとコミュニケーションとりながらちょっと刺激を与えるというか僕も刺激をもらうというか。
そこで今まで僕がやってきた事を彼らもまねしながら自分たちの感性生かしながらやっていくっていうんで…そこで自分の形を作ってそれを彼らに今度ある程度まねさせながら自分たちの色に染めてけというふうに思いましたね。
さあ吉宗の知恵を味わってまいりましたが今度はね舌でも吉宗の味というのを味わって頂こうと思いまして今回は吉宗ゆかりの食材を使って更に落合さんのお力もお借りしましてイタリア料理のメニューに挑戦してみました。
歴史の知恵満載の当店特製メニュー。
今日は吉宗にちなんだ一品を作ります
まずは吉宗ゆかりの食材探し。
吉宗がタカ狩りに出かけた場所に何かあるらしい…
こちらの神社に吉宗ゆかりの食材を探す鍵があるって聞いてきたんですが…。
あぁこれ…「小松菜の産土神」?小松菜の神様なのかな?何だろ入ってみますかね。
境内には至る所に「小松菜」の文字が。
もしかして吉宗ゆかりの食材って…
御年84歳。
昔の事に詳しい宮司の亀井さんに聞きました
吉宗が気に入ったというその菜っぱ。
まだ名前がありませんでした。
当時この辺りは「小松川村」と呼ばれていたため吉宗は地名にちなんで「小松菜」と命名したといいます
都市化が進んだ現在でもこの地域では農業用ハウスで小松菜が一年中栽培されています
実は江戸川区は全国12を争う小松菜の産地だそうです
農家の方にお願いして小松菜を分けてもらう事にしました
申し訳ありません1つ分けて頂きたいんですが…。
吉宗に倣って私も自らの手で収穫します
どうでしょうか?ええあの…いいと思います。
(笑い声)これ一本一本おっかなびっくり抜くような感じなんですが。
まあ最初のうちはどうしてもそうかと。
吉宗にちなんだ食材。
その一つはこの小松菜で決まり
他にも何かないか探します
かつて幕府が薬草を栽培していた場所です。
吉宗はここである食材を育てていました。
敷地の一角に立つ石碑には…
「甘藷」とはサツマイモの事。
ちなみにこの石碑サツマイモの形を模したんだとか
もともと琉球や薩摩で栽培されていたサツマイモ。
痩せた土地でも育つという特徴に目をつけたのが吉宗でした。
飢きん対策の食糧として利用できないかと考えたのです。
吉宗はまずこの薬草園で試験的に栽培し後に全国に広めました。
サツマイモと吉宗ふか〜い関わりがあったんですね
というわけでサツマイモと小松菜をゲット!
しかしこの2つで一体何が出来るのか?落合さんお願いします!
どうしましょう何にしましょうか?そうですねこれがまあお芋ですよね。
サツマイモですよね。
芋という事でニョッキはどうでしょうか?またしゃれてますね落合さん。
まずはゆでたサツマイモを潰し小麦粉やパルメザンチーズ卵黄などを入れよ〜く混ぜ合わせます
ここにねちょっと溶き卵ね。
ニョッキってまだまだなじみがないですよね。
練り上げた生地を棒状に伸ばし一口大に切り分けます。
これでニョッキの下ごしらえが完了
続いてはソース作り。
ゆでた小松菜の葉っぱをミキサーに入れピューレにします
バジルでよくジェノベーゼソースみたいな感じの。
そこですね。
フライパンに生クリームと塩を入れ1/3の量になるまで煮詰めたら先ほど作った小松菜ピューレを投入!
見てこの色のすてきな事。
ほら。
ほんとだ〜。
でここにこれが入ります。
このソースにゆでたニョッキをからめます
で今回はゴルゴンゾーラというちょっとあのカビの…。
ゴルゴンゾーラチーズとパルメザンチーズで塩気を足したら完成です
これもう混ぜるだけでいいですからね。
小松菜とサツマイモでこんな料理が出来るとは!
いただきます。
う〜ん!おいしいでしょ?おいしい!ありがとうございます。
このもっちりした食感とそれから葉っぱの香りがするのかなと思ったんですがむしろサツマイモと引き立て合っているような感じが。
いやこれね時代を変えますよ。
(笑い声)
どうぞご賞味あれ
アハハハッ。
いかがでしょう?おいしいなあ。
先生どうですか?いいでしょでもニョッキなかなか。
さっきからニョッキみたいな顔してパクパクと。
コメントお願いしますよニョッキ先生。
ニョッキ先生じゃなくて大石先生。
あっ大石先生。
吉宗公も驚いてると思いますね国際化して。
ねっおいしいですね。
おいしいですはい。
こういう食べ物は考えなかったでしょうからね。
全然考えてないでしょうね。
「吉宗ニョッキ」でいいじゃないですか。
いいですねえ。
さあ最後になりますが落合さん流の時代を変えるリーダーたる極意。
型を破っていくためのコツというのはどういうところにあるんでしょうか?やっぱり常識にとらわれないってよく言いますけど基本っていうのが一応常識ですから。
そのほんとの意味での常識を外さない程度でその常識にうまく枝葉を生やしてそこからうんと伸びていってその先をどんどんどんどん追求していきながら元はその枝葉は常識から伸びてるというのが一番すばらしい考え方じゃないかなと思いますね。
その基本がなければ僕はできないわけですから。
その基本があったうえでできる事だったら何でも取り込んでいこうと。
それは料理だけでなくて経営方針であっても経営の方法であってもサービスの方法であっても。
みんな他の人に言えるかどうか分からないですけど自分はそういう生き方だなというふうに思いましたね。
今日は本当にすばらしいお話をお伺いしましたしこの「吉宗のさつまいもニョッキアラコマツネーゼ」。
名前長いわ!ちょっと看板も大きめなんですがこれはこのお店の看板メニューとしても採用したいと思うんですよね。
いやいやこれは早速今日からお店に掛けたいと思いますよ。
一応ね吉宗のメニューもあったんですけどこれあんまり出なかったんだよな。
なるほどいろいろありますねえ。
お〜入った!いかがでしょう?増田さん。
でもちょっと注文する時長いんで。
一番右のやつって言いそうです。
「ニョッキ」でいいんじゃないですか?ニョッキ他ないですもんね。
いやでもこれね居酒屋界に風穴を開ける改革を起こしていきたいなと思いましたよ。
この店構えでこの本格的なイタリアンが食べれるとは思わないですからこれありですよ。
2014/10/07(火) 05:30〜06:15
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)時代を変えるリーダーとは?「徳川吉宗」[解][字][再]
江戸幕府の八代将軍・徳川吉宗に注目する。時代劇の中の吉宗と実像との差は?無類の“データ魔”だった?数々の難問に挑み、時代を変えた吉宗に、理想のリーダー像を探る。
詳細情報
番組内容
今回は、時代劇でもおなじみ、江戸幕府の八代将軍・徳川吉宗を取り上げる。もともと徳川御三家の一つ、紀州藩主の、しかも四男に生まれた吉宗。思いもかけないできごとが続き、あれよあれよという間に将軍にまで上り詰めた。取り組んだのは財政再建。無類の“データ魔”だった吉宗は、その性格を生かし、果敢に難問に取り組んでいく。番組では、ドラマの中の吉宗と、記録に残る吉宗との大胆比較も!時代を変えたリーダー像に迫る。
出演者
【出演】東京学芸大学教授…大石学,イタリア料理店店主…落合務,増田英彦,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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日本語
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