(藤岡)でい!
(藤岡)
夢を抱き…
来年俳優人生50年を迎える…
これまで役者としてはもちろん武道家として時にはボランティア活動のためにおよそ100の国々を旅してきました
武道家の父と茶道家の母の間に生まれ幼いころから日本の伝統を守る教えを受けてきた藤岡さん
その生き方や考え方はリアル侍として世界中でリスペクトされてきました
つまり藤岡さんは日本の伝統を重んじながら国際感覚をも兼ね備えた男なのです
そんな藤岡さんは日本の若者たちが失ってしまった武士道精神が海の向こうで息づいていることを知っていました
その国とは…
日本人の誇りを求めて藤岡弘、が壮大な旅に出ます
藤岡さんが武士道精神を探す旅に出発したのは今からひとつき前
ブラジルを訪れるのはこれで6回目のことだといいます
(職員)さようでございますか。
楽しみではあるんですがね。
最近は多いんですか?そうですか。
今回はアラブ首長国連邦の国営航空会社エティハド航空で中東のアブダビを経由してブラジルへ
25時間という長い空の旅も最新鋭の機体優れた機内の空間アラビアのおもてなしで快適に過ごすことができます
そして
たどりついたのは南米最大の都市サンパウロ
おぉハハッ。
ワールドカップに向けてすごいにぎやかだな。
サッカーワールドカップの開幕をひとつき後に控えたサンパウロの町はすでにお祭りムード満載
そんなサンパウロの町で目に留まるのは日本語で書かれた看板や日本にちなんだ言葉の数々
そうブラジルは世界で最も多くの日系人が住む国
ここは日本人の名前が付けられた市場
実はブラジルの市場で当たり前のように売られているものの中に日系移民が持ち込んだものがあります
あぁすごいね。
(男性)この人日本語ペラペラ。
日本語うわーどうも。
元気?元気。
これ…。
(男性)野菜。
まるで日本の八百屋さんのような品揃え
藤岡さんの言うようにこれらの…
このキャベツなんか。
キャベツでも。
ずしっとして重い。
しっかりしてるねぇ。
あっ。
もうないものないね。
日系人がブラジル社会にもたらしたものはまだあります
(男性)日本人は信頼できるね。
(男性)日本人は仕事も真面目にするしいざってときに頼りになるよね。
これも長い時をかけて日系人がブラジル社会で培ったものなんです
そもそもブラジルに移民として最初の日本人がやって来たのは1908年のこと
神戸を出港した笠戸丸は東南アジアアフリカを経由しおよそ2カ月の船旅を経てブラジルに到着
乗っていたのは夢と希望を抱いたおよそ800人の日本人
彼らは皆古里を後にし二度と戻らない覚悟でブラジルの地に降り立ったのです
当時のブラジルは奴隷制度の廃止に伴いコーヒー農場で労働力が不足していました
一方日本は日露戦争の影響もあり貧しい生活を余儀なくされていた人々が多くいました
労働力を求めるブラジルと貧困から逃れたいという日本国民の利害が一致
こうして戦前戦後を通じ実に…
今では日系6世まで誕生しています
日本人が最初に上陸した港は今も残っています
私はここサントスの港に足を踏み入れた瞬間に祖国を後にした移民の方々の相当な覚悟と決意を日本人としての誇りを肌で感じたような気がしました
そして一つの思いを口にせざるを得なかったんです
間違いない。
日系移民の方々が残した武士道精神
このとき私はその思いを受け継ぐ現代に生きる侍との出会いに身震いすら覚えたんです
サンパウロ市内にある体育館
ここに藤岡さんが会いたかったという日本人がいるといいます
実は日本をたつ前に藤岡さん自らその方との連絡を取り合っていたほど
いったいどんな人物なのでしょう
(掛け声)
(掛け声)
そこにいたのは刀を持ち…
藤岡さんが言う…
いったい何なんでしょうか?
いったい何なんでしょうか?
(掛け声)
日本人が失ってしまった武士道精神を求めてサンパウロの体育館を訪ねるとそこにいたのは刀を持ち…
その中央で指導しているのは日本人とおぼしき男性
実はこの方こそ藤岡さんが会いたいと願っていた人物なのです
どうもすいません。
今日は本当に。
(堤)ありがとうございます。
突然お邪魔しまして。
ブラジル在住11年の…
堤先生の海外でのご活躍を聞いて今回堤先生の指導のお姿を拝見しにやってまいりました。
(ポルトガル語)
流ちょうなポルトガル語で稽古をつける堤さんは…
…の腕前
現在は…
堤さんは…
ところが…
いったいその訳とは?
(堤)このままだったら日本に帰って仕事を継続してっていうことだったんだけどやっぱりあのう…。
(堤)最後の自分が心身共に健康な時期を自分が自由な時間を見つけて打ち込めて自分の責任で全部判断しなきゃいけないところに言葉でいうと追い込んで。
そのときいたのがたまたまブラジルだったと。
堤さんは地位も名誉も捨てて後戻りできない状況に身を置きブラジルで暮らすことを決意しました
そして自らに課した使命が武道を教えることだったんです
(堤)ブラジルの方は人を哀れむあるいは助けたいという…。
ひょっとしたらキリスト教が原点なのかもしれませんけど。
そういう非常に…。
何ていうんですかね。
私が深いところで感じる日本語でいう惻隠の情みたいな。
基本的に持ってる人が多いと思ってるんですね。
これはたぶんブラジルの地でも武道あるいは侍が培った律義なあるいは礼節とかがですね受け入れられる素地があるのかなというのを感じました。
では門下生の…
(男性)武道を習うようになって体だけじゃなくて心も鍛えられたような気がします。
(女性)前はちょっとしたことでイライラしてたけど武道を習ってからは落ち着いて行動できるようになったわ。
(男性)日本の武道は相手を思いやる気持ちや人として正しい道とは何か末来のために私たちは何をすべきかなどいろんなことを考えさせてくれます。
堤さんの門下生にはブラジル最大の石油会社でエンジニアを務める方もいました
(アントニオ)武道は私の日々の生活特に仕事をする上でとても大切なものになっています。
というのも私は技術者として毎日大変な緊張の中で仕事をしているんですがどんなときでも相手を敬いそして冷静に落ち着いた行動が取れるようになったんです。
それを私に学ばせてくれたのが武道なんです。
退路を断ちブラジルで生きる覚悟を決めた堤さんの生きざまは106年前に祖国を離れブラジルにやって来た日系移民の生きざまと重なって見えました
その堤さんの教えこそが日本の若者が失ってしまった武士道精神そのものだったんです
ブラジル有数の観光地リオデジャネイロ
サッカーワールドカップの決勝戦が行われる場所でもあります
これはうれしい。
ここに堤さんが藤岡さんにぜひ会わせたい日系移民がいるといいます
失礼します。
(堤)今日はどうもお忙しいところありがとうございます。
俳優の藤岡弘、でございます。
どうも。
(堤)日本からおいでの藤岡さんです。
鹿田明義さんは戦後に移民としてブラジルにやって来ました
長年リオデジャネイロ日系人協会の会長などを務めてきた日系社会の重鎮です
それが…
昭和32年にブラジルへの移住を決意した鹿田さん
鹿田さんにとってこのパスポートは…
(鹿田)われわれね外国におったらさやっぱり日本っていうのは一番気に掛かってる。
(鹿田)やっぱりブラジル外国におってね日本がこうなると駄目なんですよやっぱりわれわれも。
日本が上がるとあぁやっぱり俺は日本人だと。
われわれが誇りを持ち続けられるような国であってほしいんですよね。
(鹿田)そういうこと。
ブラジルに移住して57年
いまだ日本人としての誇りを持ち続けている鹿田さん
素晴らしいですね。
ねっ。
106年前日本からブラジルに移住してきた日系移民たち
夢と希望を抱いてやって来た彼らを待ち受けていたものとは
106年間という長い歴史の中で培ってきたその大変な苦難の道を歩かれながらも日本人としての誇りを失わないからこそその気概を持ってそういう社会にブラジルにおける貢献する中でしっかりとその部分だけはやってきたんでしょうね。
大和魂ですか。
長老のように日本の誇りを背負ってそして自分たちの子孫のためにやっぱり闘ってもらいたいという思いっていうのはちょっと私も今長老からの話で感じております。
あんたがそういうこと言ってくれるんだからこれはねまだ日本は捨てたもんじゃないと思う。
あんたたちがあんたたちの若い連中にやっぱりそれを教えていって日本がちゃんと自国を守ってほしい。
藤岡さんが武士道精神を求め次に向かったのはサンパウロから北東に1,300kmの場所にあるジャナウーバ
目的は日本人でありながらジャナウーバの市長にまでなったという山田勇次さんに会うため
この山田さんは…
日本人にもかかわらず…
ジャナウーバは人口7万の都市
ここで生活する人々に現在の市長が誰か聞いてみると…
これは日本ではなかなか考えられないこと
では気になる評判は?
(男性)今の市長になって医療や教育とか少しずつ改善されているから期待しているよ。
(女性)道路の穴が修復されているしごみも片付けられるようになったし町が奇麗になったわ。
(男性)ブラジルと日本は政治が違うから大変だと思うけど日本人は頭がいいから期待しているよ。
市民の期待の高さがうかがえます
いったい山田さんとはどんな人物なのでしょうか?
藤岡さんは日本をたつ前に自ら電話をし山田市長に会う段取りをしていました
念願の対面です
(チャイム)あっ恐れ入ります。
藤岡弘、でございます。
・藤岡さんですか。
どうぞ。
はい。
どうも恐れ入ります。
・
(鍵の開く音)あぁ。
あっ。
あぁあぁ。
失礼いたしますどうも。
あっどうも。
あっどうも。
あっ。
あぁあぁ。
失礼いたしますどうも。
あっどうも。
(山田)どうも。
どうも電話では色々とありがとうございました。
藤岡でございます。
今日はホントにお会いするのを楽しみにやってまいりました。
どうもありがとうございます。
(山田)あぁどうもどうも。
はい。
どうぞ。
はい。
失礼いたします。
うわー立派な庭園ですね。
(山田)いや…。
これは…。
失礼いたしますどうも。
ブラジルのニッケイ新聞を読ませていただきまして感銘を受けまして。
そうですか?はい。
もう感動しましてぜひお会いしてお話を伺いたいという気持ちに駆られましてやってまいりました。
わざわざ遠い所からね来られて。
自分のやってることがためになるのかどうか。
いえいえとんでもありません。
日本から遠く離れたブラジルで市長になった山田さん
なぜ山田さんはブラジルで市長になろうと思ったのか?
そしてここまでどのような人生を歩んできたのか?
藤岡さんはその答えこそが今の日本人が失ってしまった武士道精神だと考えていたのです
そもそも…
僕が小さいときに…。
まぁ12ぐらいだったかな。
11か12ぐらいのときにブラジルから帰った一人のおじいさんがいて。
その人が知り合いになってうちに来るようになったわけですよね。
(山田)電気もなかった。
あぁ貧しい…。
(山田)そんな中で…。
雪が降らない。
当時小学生だった山田さんは父親の勝造さんを説得
一家はブラジルに移住することを決意しました
こうして山田さん一家は…
サンパウロでの新たな生活がスタートしたのです
ところが…
山田さんは心のよりどころを失ってしまいます
(山田)ノートがあったわけですね。
だから…。
そのノートは今も山田さんの大切な宝物です
父勝造さんが山田さんに残したメッセージ
少ない言葉の中に息子への熱い思いがうかがえます
山田さんはその後1975年にサンパウロで出会った日系2世の由美子さんと結婚
3人の子宝にも恵まれました
事業を起こし家も購入
まさに夢に描いていた…
しかし…
…と気が付いた。
…と気が付いた。
結婚し子宝にも恵まれましたが36歳のとき思いも寄らぬ行動を取ったのでした
はぁーすごいですね。
ここで落ち着くのは。
山田さんはそれまで暮らしていた家や持っていた土地を全て売却
今から30年前にサンパウロから1,300kmも離れた田舎の町ジャナウーバに引っ越しをします
…を下したのでした
この土地で…
(山田)ところが運が良くてね国のプロジェクトがあって道を直すダンプカーがたくさんいろんな土地を直していく。
そして引っ越しから3年後の…
会社の礎となった農場に案内してくれました
(山田)ここから僕のバナナ園が始まるのね。
ホントだ。
うわー。
山田さんが所有する土地は…
山手線がすっぽりと入る大きさです
バナナの栽培はそのうちの3,000haで行っています
あぁー。
あぁー。
切って担ぐまでに落とさないようにしないと。
バナナは緑色の段階で収穫をします
刈り取ったバナナは農場にある工場で加工されます
そして箱詰めされ出荷
1週間から10日ほどで黄色いバナナになります
あぁすごい。
これはね…。
取れたてをちょっと。
うんおいしい。
うーんいいですね。
こうして山田さんの農場で出荷されるバナナは1週間におよそ100tもの量になります
27年前に起こした会社も今では従業員が2,500人という大きな会社に
いつしか人々は山田さんのことをバナナ王と呼ぶようになったのです
山田さんのお子さんは全部で5人
市長になった父の会社を継ぎきょうだいそれぞれが重要な役割を任され仕事をしています
(ジュン)父は常にチャレンジャーだと思います。
挑戦することが好きですし夢も大きいです。
その分苦労も多いですが「いつもベストを尽くす」ということを私たちきょうだいに教えてくれました。
(ミナ)父がいつも言ってたことは家族のために頑張ってるんだっていうことです。
そのために家族が一緒になって力を合わせて働くという大切なことを教わりました。
山田さんは人生のお手本にもなっているようです
父親としても実業家としても充実した人生のように見える山田さんの半生
ではいったい…
実はそこに武士道精神があったのです
実はそこに武士道精神があったのです
父親としても実業家としても…
なぜ山田さんはこれまでの地位や名誉をなげうって未知の世界である市長という職に挑戦しようとしたのか
いやぁ私はそれを聞くためにここまでやって来たのです
この町へ来て30年。
30年。
今ちょうど息子たちにも責任を持たせる時期だなとそんなことも思ったりして。
じゃあ俺はできることが…。
そうですよ。
山田さんが市長に就任して間もなく1年半
開かれた市政を目指そうと庁舎に来たときには必ず職員や市民に声を掛けるようにしているそうです
しかも山田さんは就任1年目にして数千万円もあった市の借金を返済
道路の修復も行いました
さらには大学を誘致しようと働き掛けています
実は…
そのため…
(山田)そうですねそういうこともありますよ。
だから…。
私も今それを感じました。
まぁ何が起きるか分かんないからね。
命を狙われることも考え山田さんの家は高い塀に囲まれその上を有刺鉄線で防護しています
まさに命懸けで職務を全うしているのです
武士道精神の中に…。
そして…。
そのことに…。
その心を尽くし…。
(山田)あぁなるほどね。
これはね武士道にあるんです。
(山田)あぁそうですか。
日本人がかつて素晴らしきよき持っていた他のために生きる精神。
市長はそれを気付かないでやられているところに市長のすごさが生まれたんだと私は思いました。
そんなことを特別に考えたわけじゃない…。
いやこれが本当のサムライ魂なんですよ。
ホントに私自身日本の誇りを感じます。
いやいやそんな…。
ぜひ証明していただきたく。
挑戦してる段階だからね。
そうですね。
試練の段階だからこれからどういうふうになるのかそれも見当もつかない。
ただ何としてもやり抜くっていうことだけ。
うんそれだけ。
もうだから毎日がね闘いですよ本当に。
藤岡さんは話を聞かせてもらったお礼にと山田さんご夫妻に趣味であるコーヒーを入れることに
一滴一滴を絞り出すように落とす藤岡流コーヒー
そのひとしずくに感謝の気持ちを込めています
おいしいコーヒーになってくれよ。
そして仕上げです
もはや茶道ならぬコーヒー道ともいうべき藤岡さんのコーヒー
果たしてその味は?
ありがとう。
あぁー。
どうぞ召し上がってください。
そのまま飲んでいいんですか?ええもう大丈夫です。
どうぞ気軽にもう自由に。
自由ですか?もうそのままお飲みになっていただければ。
うーんおいしい。
(由美子)うーんいい香り。
和風で頂くとまたコーヒーも何かこう和心っていうのはいいなって…。
(山田)そうね。
香りとこのぬくもりとですね。
(山田)貴重なものを飲ませていただいて。
(由美子)ホントに…ホント日本のお茶とおんなじだね。
そうですね。
もてなしの心といいますかね思いやりのおもてなしをするという。
ブラジルには確かに武士道精神を持つ日本人がいた
日本から遠く離れた地にあったのは106年前に渡った日系移民たちの支えとなった日本人としての揺るぎない誇りであった
若者たちよ!
誇りを持って失敗を恐れず突き進め!
危険ないばらの道にこそ宝の山が眠っている
世界に向かって挑戦の旅に向かうのだ
世界に向かって挑戦の旅に向かうのだ
2014/10/07(火) 04:30〜05:25
関西テレビ1
海を越えた侍たち〜藤岡弘、がブラジルで見つけた日本人の心〜[字]
企画・出演:藤岡弘、▽日本人が失いつつある武士道精神を求めてブラジルへ!日本人の魂を証明すべく闘っている2人の“サムライ”を訪ねる藤岡弘、の感動の旅!
詳細情報
番組内容
若者に日本の誇りを取り戻してもらえる番組を作りたいという想いから藤岡弘、自ら企画し、長年温めてきたドキュメンタリー番組。国際俳優として、武道家として。難民救護活動に世界100カ国近くを旅した藤岡が構築してきた想いが始動!撮影日数8日間、総移動距離3000キロ!日本人が失いつつある武士道精神をブラジルで守り続ける人々との感動の対面を通して藤岡が日本の若者に伝えるメッセージとは!?是非ご覧下さい!
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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