生字幕放送でお伝えします山本⇒こんばんは「ゆうどき」です。
皆さん、台風18号の被害ありませんでしたでしょうか。
まだ土砂崩れなどで見つかっていない方もいらっしゃいます、大雨で地盤が崩れています。
これからも警戒してください。
合原⇒まずはこちらです。
昭和39年に行われた東京オリンピックから今週で50年になります。
合原⇒きょうは貴重なものをお借りしてきました。
当時のオリンピックの公式ポスターです。
山本⇒よく覚えています、私は小学校2年生でした。
このポスターを見てなんだかこれまで見たこともないような大会が開かれるのではないかこのポスターを見てわくわくしたことを覚えていますよ。
本当に走り出す、という瞬間のポスターですよね。
NHKでは今月10月、さまざまな番組でオリンピックを取り上げていきます。
合原⇒「ゆうどき」ではオリンピックゆかりの場所から中継をしていきます。
初日のきょうは東京・調布市からです。
長野さん!長野⇒はい、こんばんは。
台風一過ということで風がこの時間まだ強いんですけれども、ご覧のような青空で気温がだいぶ上がりました。
半そででも大丈夫です。
きょうは東京都調布市にきました。
注目していただきたいのは足元道路です。
甲州街道、東京と山梨を結ぶ国道25線、都心からおよそ20kmあたりの地点です。
ここで50年前、最も注目を集めた競技が行われたんです。
国道20号線です。
国立競技場からスタートします。
そう、マラソンなんです。
エチオピアのアベベ選手がローマ大会に続く2連覇を果たすのか。
日本人選手のメダル獲得はなるのか注目が集まりました。
こちらは円谷幸吉選手です。
期待を一身に集めまして銅メダルに輝きました。
沿道には100万人を超える観衆が詰めかけたといいます。
お店が休みになったり子どもたちが学校単位で観戦に訪れたケースもありました。
コースとなったのがこの甲州街道。
選手たちは一路、西に向かいました。
この辺りが折返点です。
トップは、アベベ選手が折り返していきました。
ここにも、多くの観衆が詰めかけました。
この道路、私が立っている辺りから50mぐらい離れたところに看板があります、ちょうどあそこで折り返していったということになります。
地元の方、ここに集まって大きな声援を送ったんですが当時最前列でアベベ選手や円谷選手に声援を送ったという地元の方にお越しいただきました。
野口平一さんです、よろしくお願いします。
最前列だということですが当時の映像を写真にしたものがあります、どの辺りだか覚えていますか?野口⇒折返点の前辺りだからね。
ちょうど折返点がある前の辺りかな。
いちばん前で。
どの辺りかというのが映っているかもしれないという感じですけれども実は最前列に野口さんは何時間も並んで場所を取ったわけではないんです。
当時このあたりを警備する消防団にいて詰め所に最初いたようです。
ところがテレビを見て、これはいてもたってもいられないということで来ました、制服を着ていました。
警備の人だからどうぞ前へ前へということで最前列になったということです。
そのとおりでございます。
どんな気持ちで見ました?ともかくねアベベさん、びっくりしました。
われわれが思うのは初めてなので神宮からおよそ20km。
走ってきて折り返しですからね。
ですからいくら人間でもぴょんぴょん跳んで歩くような感じではないと思ったんですけれども平然と走っていたんですよ速く。
当時テレビの放送などを見ていない時代ですからね、初めて見たんですよね。
びっくりしました。
あまりの速さにということですね、野口平一さんでした。
甲州街道はもう1つ大きな役割を果たした場所でもあります。
証人の方がいらっしゃいます。
聖火ランナーがさっそうと登場してまいりました。
50年前の10月4日この甲州街道を2kmにわたって走りました、聖火ランナーの大塚一郎さんです。
大学生だった大塚さんも今は70歳です。
当時のユニホーム当時そのものをまだとっていらっしゃって、こうして着ていただいています。
山本⇒また着られるんですね。
大塚⇒当時の重さも感じるし緊張して走ったのが思い出されます。
手もといいですか。
ちゃんと彫ってあるんですよ大塚さんの名前です。
字が書いてある。
見える見える。
大塚一郎君と書いてありますよね。
このユニホームも大塚さんのお母様が大事にとっておいてくださったユニホームそのままなんですよ。
大塚さん走るにあたってこれだけはというところで言われていたことがあったそうですね。
大塚⇒ひじは90度に必ず曲げて下げるなと言われておりました。
そういう時代だったんでしょうね。
証拠の写真があります。
ひじが上がっています。
90度ですね。
これはスタート直後です。
弟さんが並走して撮った写真だそうです。
ところが2km走りますと右側の写真。
山本⇒あら。
下がっているね。
重いですからね。
大塚⇒後悔しています。
でもこれは無理ですよ。
でもね、そういう時代だったものですからね横を見るなとか、まっすぐ見て走れと言われて言われたとおり本当に走りました。
時代ですよね。
6年後に、いよいよまた東京オリンピックがきます、どうですか?そこに向けて聖火ランナーというのもいいでしょうけれども。
それは若い人にぜひやっていただいて50年たってもこうやって思い出があるわけですから自分はボランティアでも何でもいいですからかかわれたら、かかわりたいなと思っています。
どうもありがとうございました大塚一郎さんでした。
さあ6年後になりました東京オリンピックこちらのスタジアムではサッカーの競技や近代5種の競技が行われます、それから大規模なスポーツ施設がまさに建設中です。
こちらでも東京オリンピックの会場になることが決まっているということなんです6年後がまた楽しみになってきました。
東京・調布市からお伝えしました。
山本⇒どうですか、あの2人。
合原⇒ユニホームも50年前と思えないくらいきれいに取ってあって、皆さんがどれだけ大事に思っていたかが伝わってきます。
山本⇒2人ともうれしそうにしゃべってらっしゃいましたね。
その瞬間そこにいた誇りというか喜びがあるんですね。
2回目も見てほしいですね合原⇒オリンピックは特別なものなんですね、続いてはこちらです。
中継です。
きょうは宮崎県からです。
蜂がいっぱいです、金子さん!金子⇒ご覧のとおり、蜂の巣です。
ここにおいしいハチミツが、しっかりと詰まっているんです。
ここ宮崎県椎葉村では、ニホンミツバチがつくった蜂蜜がまもなく収穫の最盛期を迎えるということでこれから収穫が始まります。
ご覧ください一般的な巣とイメージが違いますね。
普通は四角い板が置いてあって遠心分離器にかけて蜜を取るんだよね。
そういうイメージなんですが普通に山にある木をくり抜いて臼みたいな形にしてニホンミツバチに好きなように巣を作ってくださいという形で作ったものなんです。
きょうは椎葉村、もう日が暮れはじめてだいぶ涼しくなってきました、秋になってくると宮崎も涼しいんですよ。
今ここで収穫をまもなく始めるわけですが、ニホンミツバチの名人です那須久喜さんにお越しいただきました。
那須⇒お世話になります。
那須さんは大きな山、東京ドーム3個ぐらいある山で120個の巣箱を作っているんです。
今収穫をされるということで見せていただきましょうお願いします。
山本⇒大丈夫?刺されない?巣の上に置いてある白いものは山にあるきのこです。
きのこに火をつけて煙でいぶして蜂を取っていくんです。
蜂は煙でアウトなんだ。
巣をおもむろに採っていきます。
手は大丈夫かなどうでしょうかね。
今は蜂の巣箱についている両方を切り取るというか棒をさしてそこからでないと採れないんです。
下までしっかりと固まっているんですね。
こうやって棒で切って。
結構、深いんです。
一つ一つ、全部下まで離さないといけないんだ。
蜂は元気ですね。
元気じゃないとね。
煙が蜂にいっていますか?いや。
もう、のけてもいいよね。
ここで今、巣を引き出します。
9層ぐらいに巣がありますが全部を取り出すと全滅してしまいます。
いくつか残すんです。
採れましたね。
これはだめだ。
だめ?これは要注意だよね。
真ん中で切れてしまったわけですね。
下に蜜がありますね。
蜜はきれいですよね。
もう1つ抜きますよ。
蜜の多いところをね。
なかなか放送中に全部お見せするのは短いので難しいんですがあらかじめ採ってあるものを用意いたしました、このようになります。
とてもきれいな蜂の巣です。
実際に先ほど見ていただいたとおり巣の中に詰まっている蜂蜜は黄金色できれいなんです。
春から夏にかけて採ってきたものが熟成しておいしい食べごろが秋なんです。
この時期です。
おいしいものなので蜂もどんどん寄ってきます、私が先ほどいただいたときにとても味が濃かったです。
甘さも、もちろんなんですが本当はこの巣ごと今いただきたいところなんですが蜂が多いのでカバーを取るわけにいかないのですみませんが巣ごと食べるというのが地元ならではの食べ方です。
しっかり見ていただければと思います。
ありがとうございました。
まだ巣を採っていらっしゃるのかな?無理しないでくださいね。
ありがとうございました。
私たちがいつも買う蜂蜜とまた違いますね。
山の自然の恵みでしたね。
合原⇒続いてはこちらです。
大量定年時代の日本。
第2の人生あなたは、どう過ごしますか?私、山本哲也も気付けば定年目前。
心豊かなあしたは、どこに?その答えを求めて町へ出ました。
退職してから、たくましくあしたを切り開いた人がいます。
名付けて、あした見つけ人。
リタイア後、始めたのは墓参り代行の仕事。
真心を込めて掃除をし手を合わせます。
新たな生きがいを見つけるまでには大きな試練がありました。
最愛の妻の死。
悲しみの中で見つけた新たな絆。
さあ、あなたもごいっしょに!あしたを探すヒントがここにあります。
山本⇒「あしたをさがそう」のコーナーです。
合原⇒リタイアしたあとどう生きるのか迷いを乗り越えてあしたと生きがいを見つけた方をご紹介します。
山本⇒今回も私が取材してきました。
今回ご紹介するのは金子春雄さん66歳です。
さまざまな事情で、お墓参りに行けない人たちに代わってお墓掃除をする墓参り代行の仕事をしています。
墓参り代行とは、いったいどういう仕事なのか。
そしてここまでたどり着くにはいったいどんなことがあったのかご覧ください。
先月、代行で墓参りに行くと伺い埼玉県のご自宅を訪ねました。
金子です。
金子春雄さん、66歳です。
日に焼けていらっしゃいますね。
墓参りの仕事はお盆や、お彼岸に集中します。
お持ちになるのは、お花と?墓石を洗うためのスポンジにブラシ。
墓参りの7つ道具です。
そして。
向かったのは、車で1時間のところにある霊園です。
まず、あいさつするのが決まり。
墓参りを依頼したのは71歳の男性です。
10年前、福岡に移り住み以来、ふるさとのお墓のことが気がかりだったといいます。
金子さんは、4年前から春と秋の2回、お参りしています。
料金は交通費と花代を含めて1回7500円。
ほとんど利益はありません。
ただ人の役に立ちたいという思いで引き受けています。
雑草を取るだけでなく植木のせんていも行いました。
最後に、花と線香を供えます。
ご苦労さまです。
なんか始まって、およそ1時間。
汗びっしょりですね。
もし私が、自分の家の墓だったらここまでしないぐらい丁寧にされていましたね。
この日はサルスベリと彼岸花が満開でした。
金子さんはその写真を撮ることにしました。
お墓全体の風景を撮って送るのはどうしてですか?金子さんが墓参りの代行を始めたのは9年前のこと。
きっかけは妻の死でした。
妻・和子さんは、15年前がんを患い、この世を去りました。
2人が出会ったのは金子さんが18歳のときでした。
2つ年上の和子さんに一目ぼれ。
猛烈なアタックの末結婚をしました。
2人の子どもに恵まれましたが家のことは、和子さんに任せっぱなしだったといいます。
勤めていた電気工事会社では早朝や深夜の出勤も、しばしば。
ほとんど家にいませんでした。
たまの休みは、趣味の釣り三昧。
子育てにもほとんど関わりませんでした。
結構、迷惑かけて大変だったよなってことはあります?苦労をかけた妻には、定年後好きなことをさせてあげたいと思っていました。
そんなやさき、和子さんが倒れ緊急入院します。
医師から宣告されたのは悪性の腫瘍。
余命は3か月でした。
金子さんは毎日仕事を終えたあと1時間かけて車を飛ばし病院に通いました。
しかし半年後和子さんは亡くなります。
52歳でした。
悲しみにくれる金子さんを娘の彩さんはすぐそばで見ていました。
妻を失った寂しさを酒で紛らわす日々が続きました。
そのころ、金子さんが作ったのがこちら。
いつもそばに感じていたいと和子さんの戒名を刻んだネックレスです。
2003年金子さんは55歳で退職します。
子どもたちが独立するのを待っての少し早いリタイアでした。
当時生きる目標を失っていた金子さん。
思い出したのは生前、信心深かった和子さんと交わした約束でした。
翌年、金子さんは四国八十八か所お遍路の旅に出ました。
胸には、あのネックレスをつけて。
四国のあとは、秩父、九州と全国各地の霊場に足を運びました。
その数は2年で300を超えました。
各地の寺を回る中で金子さんの心に引っ掛かることがありました。
訪れる人、管理する人がいない荒れたお墓が目についたのです。
金子さんは、早速、娘の彩さんに墓参り代行のサービスをやってみたいと相談しました。
突然の提案に彩さんは驚きました。
彩さんは、父のために仕事の内容を書いたちらしを作りました。
墓参り代行という仕事が新たな生きがいになればと思ったからです。
請け負うのは車で行くことができる埼玉県北部にあるお墓。
面倒だからという依頼は断ります。
高齢で体が不自由遠方に住んで、なかなか行くことができないという声に応えてきました。
時々届く、感謝の手紙が金子さんの心の支えになっています。
彩さんは亡き母と向き合いながら墓参り代行という仕事を見つけた父を見守ってきました。
妻・和子さんのお墓は自宅近くにあります。
寂しい思いはさせたくないと花を絶やしたことはありません。
体が続くかぎり墓参り代行の仕事を続けたいと思っています。
合原⇒ゲストをお迎えしています。
第一生命経済研究所の小谷みどりさんです。
小谷⇒よろしくお願いします。
山本⇒どうご覧になりました。
すてきですね。
亡くなった奥様が夫の心の中にいつまでも生きていらっしゃるんだな妻が亡くなったことをきっかけに生き直していらっしゃるそういう感じですよね。
本当に、大切な人と死別をするというのは大きな出来事ですけれど亡くなった人のためにもその人の死をむだにしないということは、すごく大事です。
残された人たちの使命です。
山本⇒金子さんの様子をご覧いただきました。
こういう方というのは多くいらっしゃるんでしょうね。
私の知り合いで15年ほど前に40代前半で夫を亡くした方がいます。
夫ががんで闘病されているときに妻がいちばん痛感したのは同じ病気で闘っている人たちがどうやって生きている、ということです。
でもそれを知る手段がない。
夫が亡くなったあとそれまでずっと専業主婦だったんですが大学に行き直して闘病記の研究をされているんです。
同じ境遇にあった自分と同じような人たちのためにいろいろな情報を届けたいと活動をされています。
合原⇒金子さんがVTRの中で人のためにすることは自分のためになっていると言っていました。
誰かのためというのが大きいんでしょうか。
そうですね。
幸福の生きがいの三大条件というのがあります。
1つは家族がいることです。
万が一のときに助け合える家族。
もう1つが健康です。
幸せの条件ですね。
3つ目がお金です。
お金がないと何もできない。
でも高齢になればなるほど健康度はだんだん下がってきますよね。
金子さんのように大切な家族もなくなってしまう。
ですから家族と健康というものはだんだんなくなっていくものです。
お金はあればあるほど幸せかというとそうでもない。
人の幸福度をあげるのは何かというと人のために役に立つことなんです。
金子さんのようにお金のためではなく誰かに喜んでもらいたいというものを見つけられると奥様が亡くなったことは不幸ですけれどもその後の生き方というのはやっぱり大きな影響を与えていると思いますね。
山本⇒確かに金子さんはお金でやっているわけではないとちょっと面倒だからというようなことは全部断っているんです。
相手のためというと自分のためということもないと金子さんは自分なりの1つの基準があるんです。
ただ代行をやっているわけではないんです。
生きがいとか幸せは自分の感じるものなんです。
人が判断するようなものではありません。
そのためには生きがいは結局は自分のためなんです。
自分が楽しいとかやりがいがあると感じられることが生きがいにつながるんだと思います。
それから、お墓参り代行するようになって妻の和子さんのお墓に行く回数が増えたんですって。
すごいですね。
やっぱり、亡くなった方をいつまでも忘れないでいたいというのは誰しもある気持ちだと思います。
だけど、実際にお墓参りに行けるかというと遠くて行けないとか時間がないという方もいらっしゃいます。
金子さんもどなたかのお墓参りに行くことで自分自身の妻との関係性を見つめ直しているんではないかなと思っています。
亡くなった奥様はきっと幸せですね。
でもね相当甘えていたようですよ本当に奥さんには甘えられるからねって、金子さん怒らないでくださいねでも本当に頼りにしていたようですよ。
合原⇒娘さんもおっしゃっていましたね。
山本⇒子どもはよく見ていますからね。
金子さんからもらったヒント私なりに考えてみました。
第1の人生を見つめ直すということです。
この番組でもいろいろ紹介したことはありますが第1の人生と全く違ったものを考える起業するということももちろんあるんですがそうではなくて第1の人生の中に第2の人生に踏み出す大きなヒントがある。
そうですね。
第1の人生があってこその第2の人生です。
金子さんの場合は妻を亡くされているわけですから家族関係の再構築だと思うんです。
その中から生きがいを見いだされたということだと思います。
合原⇒お便りです。
金子さんのお墓参りの代行の仕事すばらしいことですね。
いろいろな事情で墓参りに行きたくてもいけない方は全国にたくさんいらっしゃると思います。
奥様は亡くなられてしまいましたが、金子さんは本当に奥様のことを心の底から愛していらっしゃるんですね。
すてきな夫婦愛を見た気がしました。
埼玉県の40代の方からです。
山本⇒妻への思い家族への思いが第2の人生につながったということです。
妻を亡くした悲しみを経験されているからこそですね。
こういう方に、お墓参りの代行をしてもらうことに意義があるんだと思います。
合原⇒ここでお知らせです。
日本の魅力をカメラを通じて再発見するとっておきの1枚。
今回は、日本の首都東京がテーマです。
「再発見新東京物語」では皆様からの写真を募集しています。
あなたが東京で見つけたとっておきの1枚をエピソードとともにお送りください。
秋のスペシャル番組では大賞各賞を決定します。
詳しくは番組のホームページまで。
合原⇒お伝えしているようにことしは東京オリンピックから50年、改めて東京の魅力を発見できる写真をお寄せください。
締め切りは今月の10日です。
お待ちしています。
山本⇒きょうから東京オリンピックにちなんだ50年ということで中継が始まりました。
まさにこれも東京の魅力の1つです。
きょうきてらっしゃる小谷さんどうでしたかオリンピックのときは。
小谷⇒生まれていませんでした。
失礼いたしました。
いろいろおもしろいところがありますのでね。
私は2回目を見ることになります。
合原⇒私は6年後ということではるか先のような気持ちもありますがすごくすごく楽しみでどんなオリンピックになるのかなって今から考えちゃいます。
山本⇒きょう、中継でインタビューした方70歳、80歳の方、第2の人生真っただ中です。
聖火を持った方とおっしゃっていましたね。
76歳になってまたオリンピックの手伝いができればという話がありました。
そういうものも1つの生きがいというか、なりますね。
目標になりますね6年間、体を鍛えて。
第2の人生を送ってらっしゃる方は生き生きしてらっしゃるかなと思います。
小谷さんから見てどんな方が多いですか。
夢を持っている方が多いです、この年だから夢なんて持つのはおかしいと思っている方は結構いらっしゃいます。
でも生きているかぎり何歳になっても、80歳でも90歳でも夢を持ち続けることです。
夢とか希望を持てる人というのは本当にいろんなところに興味や関心を持っていて活動的な方が多いです。
ありがとうございました。
あすの「ゆうどき」です。
シリーズ「東京オリンピックから50年」。
あすは開会式を華々しく彩ったハトです。
ハトを大空へ放つ瞬間、どんなドラマがあったのでしょうか。
当時のハトの子孫たちとともにその知られざる舞台裏に迫ります。
ヘルシーな食材と知られる、高野豆腐の健康効果です。
2014/10/06(月) 17:18〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどき ▽定年後、“墓参り代行”に生きがいを見出した男性を紹介[字]
▽第二の人生のヒントを探る「あしたをさがそう」。今回は、定年後“墓参り代行”に生きがいを見出した男性を紹介します。特集は50年前の東京五輪ゆかりの地巡り。
詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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