(歓声)アメリカ中を熱狂させる「スポーツの王様」メジャーリーグ。
そのワンシーンを臨場感たっぷりに描いた画家がいます。
スポーツを描かせたら右に出るものなし。
そんな画家。
イラストレーター…彼が描いたのはアメリカ…。
繁栄をおう歌するアメリカの生活を描き…。
アメリカのスーパースターを描く…。
あの大統領も認めた画家です。
そんなバーニーは他のイラストレーターとはひと味もふた味も違います。
例えばメジャーリーグの白熱の一戦。
なのに選手はたった一人。
一体なぜ?そして見る者をひきつける実にユニークな手法が…。
彼はこの手法で今までの光とは違う全く新しい光を生み出したんだ。
天才イラストレーターバーニー・フュークス。
生涯見つめ続けた「アメリカ」。
「日曜美術館」です。
今回はバーニー・フュークスです。
アメリカを代表するイラストレーターであのノーマン・ロックウェルの再来とも言われたそうです。
僕はジャズが聞こえてくるような絵だなと感じました。
力強くてでもとても自由で…。
ライブ感もあって…。
はい。
そう感じましたね。
バーニー・フュークスは2009年76歳で亡くなったんですが今ちょうどアメリカでは彼の生涯の作品をまとめる作業が始まっていまして再評価されています。
さあそんなバーニーの世界まずは最も得意とするジャンルの作品からご覧頂きましょう。
ストライクかヒットかはたまたホームランか?渾身の一球にピッチャーは絵から飛び出さんばかり。
まさに力と技がせめぎあう一瞬。
真っ白なボールに目が吸い込まれます。
日が暮れる中バスケットボールの練習に打ち込む少年。
いつかプロの舞台に。
燃えるような夕陽がその胸にあるアメリカンドリームを静かに映し出します。
アメリカの国民的雑誌「TVガイド」をはじめ数々の雑誌にイラストを描いたバーニー。
アメリカイラスト界のトップランナーでした。
アメリカ中部イリノイ州。
かつて炭鉱で栄えた町オファロン。
バーニーはこの町で…少年時代熱中したのは音楽。
グレン・ミラーに魅せられ9歳の頃からトランペットを学びました。
高校時代には町でも評判の腕前だったといいます。
そんなバーニーがなぜ画家の道に進んだのか?それを物語る資料がオファロンの歴史協会にあります。
幼なじみのモーリス・ヘッセさんが見せてくれたのは64年前の新聞です。
それは悲劇でした。
高校卒業後工場で働いていたバーニーは機械に巻き込まれ右手の指を3本失ったのです。
この事故でトランペッターになるという夢は完全に消えてしまったんだ。
でも彼は諦めなかった。
絵が好きだったバーニーは画家になるという次の夢に向かって必死で頑張ったんだ。
オファロンから車で1時間セントルイスにある美術学校。
家が貧しかったバーニーは事故の補償金でこの学校に入学しました。
本格的に美術を学ぶのは初めて。
しかも利き腕の指を3本失っています。
最初は満足に筆も握れませんでした。
バーニーはここでどのように絵を学んでいたのでしょうか。
この学校は昔から少人数制で教師がマンツーマンで生徒を指導する事もよくありました。
そんな環境を最大限に生かしてバーニーは少しずつ才能を伸ばしていったのです。
自動車の街デトロイト。
バーニーは卒業後ここで自動車の広告のイラストを手がけます。
広告は何より自動車を魅力的に見せる事。
ピカピカのボディーに反射する光まで正確に描き込んでいます。
しかしバーニーを研究するデイビッド・アパトフさんは全く違う所に注目しています。
車よりも周りの人々をどう描くか。
バーニーはそこにこだわっています。
人々が楽しそうにしている様子を綿密に描写する事で「自動車を持てば豊かで喜びあふれる生活が手に入る」というメッセージを表現しようとしたのです。
誰もが憧れるアメリカの理想の暮らし。
バーニーのイラストは大成功を収めます。
その腕を買われたバーニーは全米で人気の女性雑誌「マッコールズ」で更に名をあげました。
そんなバーニーを挑発する編集者が現れます。
アメリカを代表するスポーツ誌…ガンゲルはイラストを発注しながらも冷や水をかけるようなこんなひと言を言います。
ガンゲルはバーニーの才能を見抜きあえて厳しい言葉を投げかけたのです。
そうした壁をどうやって乗り越えたのか?誰よりもバーニーをよく知る人がいます。
(ノック)やあようこそ。
中へどうぞ。
君たちが見たかった絵はこれだろう?部屋にはバーニーの油彩の原画が飾られていました。
実はこの人バーニーの長男デレクさんです。
これは父が「スポーツ・イラストレイテッド」の仕事でアメリカンフットボールの取材をしている時の写真です。
普通のイラストレーターなら誰かが撮影した写真を基に描くと思いますが父は自分でカメラを持って現場に行ったんです。
この絵を描くためグラウンドにいた時バーニーは係員にこう言われました。
選手たちがぶつかり合うすぐ目の前まで近づいていたのです。
その場の空気を肌で感じて筆をとる…。
それがバーニーのやり方でした。
私が一番好きな絵はこれ。
「グリーン・モンスター」です。
ちょっと意外な一枚。
野球場のフェンスだそうです。
イチロー選手がいたシアトル・マリナーズとボストン・レッドソックスの白熱の一戦。
…にもかかわらず選手はたった一人。
いえいえここには怪物と呼ばれる選手がもう一人。
描かれたのはボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パーク。
この球場は街の中心部に造られたため十分なスペースがなく本塁から左翼までの距離が普通より短いのです。
そこで左翼には高さ11mものフェンスが設置されました。
これが…時にホームラン級の当たりも…ブロックされてしまいます。
父は実際にボストンに行ってこのモンスターの印象をしっかり捉えました。
だからこそこのグリーン・モンスターはテレビで見るよりもずっと迫力があるんです。
だから私はこの絵が大好きなんです。
間近に見たからこそバーニーは実感したのです。
それはただのフェンスではなくバッターにとって恐ろしい強敵モンスターである事を…。
奥に広がる街を丁寧に描きます。
モンスターが生まれたその理由として…。
そしてたった一人の選手がモンスターの巨大さを際立たせる…。
バーニーにしか描けない熱きメジャーリーグのワンシーン。
さあ今回のゲストは編集者でバーニー・フュークスの大ファンだという石川次郎さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
実際石川さんご自身はバーニー・フュークスとの出会いっていつだったんですか?大学の頃だったと思うんですが仲間と一緒にアメリカの古雑誌をあさるという一種の遊びとも趣味ともつかない事がありましてね。
それでその中に車の広告があったんですよ。
実は後から分かったんですけどそのころの車の広告というのがバーニー・フュークスの作品だったんですね。
表現のすばらしさそれと技術の高さみたいなものを後から「なるほど」と。
振り返ってみればバーニーとはそういう流れがあるんですよ。
実は僕大好きな作品の一つですがこれねカリフォルニアのモントレー半島のスパイグラスヒルというゴルフ場のトーナメントシーンです。
カメラマンがこのトーナメントの写真を撮れと依頼されたら…。
多分ここですよね。
いやそりゃそうだと思いますよ。
やっぱり選手の打ったフォームとかね表情とかやっぱり選手を中心に表現したいと思う。
当然それを撮りますよね。
でバーニーはその一番重要なプレーをたったこの大きさでしか描かない。
むしろ手前にいるキャディーさんが大きいというね。
もはや誰が主人公かも分からないくらいですもんね。
驚くのはやっぱりここのフェアウエーでこのプレーヤーが打ってる。
それがテーマだとしてもですよ隣のフェアウエーまで描いてあるしその先のフェアウエーもね…。
だから2つ先のフェアウエーまで描いてあるんですよね。
それとこの木の高さ。
これは実はこのゴルフ場の特徴でもあるんですよね。
本当に難しさがこの木の高さによってそれとこのフェアウエーの幅の狭さによって難しいゴルフ場なんですよ。
それがね分かるんですよねこの絵から。
ただスターだけをクローズアップで紹介するという事じゃないという事が僕はすごく面白いと思うんですよね。
更に石川さんが注目される作品の一つとしてよく野球場なども描いてますけどこの作品も是非という…。
クリーブランドの…要するに市営野球場の風景なんですよね。
面白いなと思うのは野球場を描きながら野球を描いてないんですねほとんど。
一番目立つのはフェンスですよね。
そしてフェンスとフェンスの隙間から中をのぞいてる少年。
そういうものを描くという視点が僕はすごくユニークだなと思うんですよね。
白い煙がありますよね。
気になってました。
これはバーベキューらしいです。
バーベキューなんですか。
市営球場では休みの日にみんな集まって試合やってる横でバーベキューをやって楽しむという事があったらしいんですよ。
なんかアメリカを感じますよね。
すごくアメリカっぽいですよね。
編集者から見て頼みたくなるイラストはどういうものですか?我々が想像しているイラストの出来上がりなんてたかが知れてるんですよ。
編集者とアートディレクターのね。
その我々の期待を更に裏切ってくれるぐらいの大胆なものじゃないとイラストレーションにする意味がないんですよね。
やっぱり読者をびっくりさせたい新鮮なページを作りたいという気が編集者の中にありますから。
さっきのゴルフのシーンだってやっぱりあのぐらいの絵はほしいですよね編集者としては。
もしの世界ですがもし石川さんがバーニーと一緒に仕事をしていたらどのような仕事依頼をしていたと思いますか?USオープンテニスにおける錦織圭を描いてもらいたい。
どんな絵を描いてくれるか楽しみですよね。
裏切ってくれるでしょうねきっと。
いや見てみたいです。
蝶のように舞い蜂のように刺す。
その歌声で全米を酔わせた男。
バーニーがスポーツとともに得意としたものそれが肖像画。
ではバーニーが描いたある人物に登場して頂きましょう。
彼は現在来日中。
右手を口元に当て何かをじっと見つめています。
セピアトーンの画面に目が覚めるようなワイシャツの白とネクタイの赤。
そして澄んだ瞳のブルー。
威厳に満ちた大統領の姿です。
(拍手と歓声)43歳で大統領となったアメリカの若き希望をバーニーは何度も描きました。
肖像画を依頼され初めて大統領に会う事になったのは30歳の時です。
実はこの時世界を震撼させる出来事が起こっていました。
1962年10月。
当時冷戦下にあったソ連がキューバに核兵器を配備し核戦争の危険が迫っていたのです。
大統領との面会が許されたのは僅か30分。
その時自ら写したケネディ。
圧倒的な存在感にバーニーは心を打たれたといいます。
色鮮やかな星条旗とすっと立つ大統領の姿が勢いのある筆遣いで描かれています。
国家の危機を乗り越えようとする若い力がみなぎっています。
大統領の妻はその絵を見てこう言いました。
そしてケネディが亡くなって25年後に描かれたのがこの絵でした。
最初に描いたケネディの絵は勢いがあって大統領の若々しさをよく表していますがあくまで目に映る姿にこだわった絵だと思います。
一方25年後に描いたこの絵は表情と手しか描かれていませんがそれだけによりケネディの内面に迫っていると思います。
数々の苦難に直面しながらも決して屈しない強い意志。
バーニーはあの日目に焼き付けたアメリカの希望を25年磨き続けた腕で描ききったのです。
絵にした肖像は100人を超すといいます。
バーニーが見つめたアメリカの肖像。
それはスポットライトを浴びた人物だけではありません。
戦前にあったアフリカ系アメリカ人だけの野球リーグ「ニグロ・リーグ」で活躍した選手。
知られざる英雄です。
スピードあふれる走塁と守備にパワフルなバッティングも兼ね備えていたオスカー。
歴代のアメリカ人選手の中で五本の指に入る実力を持っていたと語り継がれています。
しかし当時は白人だけがメジャーで活躍できた時代。
オスカーが脚光を浴びる事はありませんでした。
それでも黒人にとって希望の星だったのです。
オスカーが亡くなって半世紀がたった2005年肖像画の依頼が来ます。
バーニーは情熱を込めて描きました。
威厳に満ちた立ち姿。
瞳に宿る屈強な精神力。
背景には戦前のアメリカを感じさせるクラシックカーと…。
オスカーの家族と思われる人々の姿。
バーニーはオスカーを野球選手という一面だけで捉えたくなかったのだと思います。
だから家族を描いたのでしょう。
家族に支えられながら力強くその時代を生きた愛すべき一人のアメリカ人として描きたかったのです。
そしてこの絵でバーニーはすばらしい表現を使っています。
オスカーに威厳を感じる秘密はこの光にあるんです。
背後から寄り添うようにさす夕日。
そこには独自の手法が使われています。
どんな手法なのか。
画家のブライアン・ケリーさんに再現を試みてもらいました。
まずオスカーの絵と同じような森を描きます。
おおかた塗り終えたところでテレピン油を準備。
本来絵の具を薄めるものです。
これをペーパータオルに染み込ませなんとじかにカンバスへ。
すると絵の具が消えていきます。
こうしてカンバスの地を見せる事で光を生み出しているのです。
バーニーはこの手法を「消し取り描法」と呼んでいました。
普通光を描く時は白い絵の具を塗って表現します。
しかしこの消し取り描法を使うと光がまるで絵の中から湧いてくるような効果が生まれるんです。
とても独創的なすばらしい技法ですが同時に非常に難しい技法でもありますね。
なぜなら一度消した絵の具は元に戻せないからです。
ちょっとでも消し過ぎると修復がきかず絵が台なしになってしまいます。
この技法を使いこなしたバーニーは本当にすばらしい技術の持ち主だと思います。
歴史に名を残す存在でありながら不遇な時代を生きたオスカー。
知られざる英雄を照らすバーニーの光です。
写真そのままではなくてモチーフがより生きてくるような演出やデフォルメというのを全てちゃんとしているんだなと感じますよね。
僕はこれ見て全然違う事考えちゃうんですけどねシャツが気になってしょうがないんですよ。
なぜかっていうとケネディは東部ボストンの出身でハーバードというアイビー・リーガーの中でも名門の大学を出て。
だからもう典型的な東部のエスタブリッシュメントの一人ですよね。
その連中は大体ねボタンダウンのシャツを着るんですよ。
それが伝統というか当時のはやりというか。
アイビー・リーガーの象徴みたいなもんで。
ただねジョン・F・ケネディはボタンダウンのシャツを着た写真を一枚も残してないんですよ写真で。
バーニーはちゃんと気が付いてもちろん普通のレギュラーポイントの白いワイシャツにしてるというところがやっぱり分かってるなって感じがするんですけど。
どうしてケネディがボタンダウンを着なかったかという事を考えると僕やっぱり理由があるような気がするんですよね。
彼は大統領としてはやっぱり自分はアメリカの大統領なんだと。
だから単に東部のエスタブリッシュメントの家庭の出で東の保守的な世界で育った人間というわけじゃないんだと。
全アメリカの大統領なんだという事を表現するためにあえてボタンダウンというねそういうある独特のメッセージを持ったシャツを着なかったんじゃないかっていうそんな気がするんですけどね。
でもそれこそケネディ自身の内面の強いメッセージというかいろんな人種いろんな境遇の人たちがいるアメリカの私は大統領なんですという事をこのイラストを見ると…。
もしかしたらそういう気持ちもあったのかも分かんないですよね。
そういう事さえも伝わってくるような作品という事ですね。
さあ本当にさまざまな肖像画を残しているんですがもう一つ石川さんも「フランク・シナトラ」。
これを見てまず気が付いたのはああバーニーらしいなと思ったのはボウタイをほどいたところをとってるというね。
普通芸能人を撮るカメラマンだとか写真だったらねきちっとステージの最中だとか終わった直後だとかステージに出る前だとかきちっと衣装が整ってるところを撮るはずですよね。
ただバーニーはあえてこれイラストだからできるんですけどネクタイを外してかなりリラックスしたフランク・シナトラを描いてるっていう。
やっぱりその事でネクタイをほどいてるっていう事だけで彼のフランク・シナトラの性格みたいなのが想像できるじゃないですか。
何かすごく気さくなんだなというそんな感じがしますよね。
しますね。
だからバーニーは多分そういうテクニックを随分使ったんじゃないですかね。
ちょっとした表現でその人の本当の姿を伝えたいみたいなね。
何かそんな事を考えてたような気がしますよ。
彼の肖像画のシリーズを見てると。
必ず何かそういう仕掛けがありますよね。
セントルイスの図書館にバーニーの傑作があるといいます。
ありました。
これです。
バーニー・フュークスが描いた絵本ですよ。
そう絵本です。
バーニーは50代半ばから絵本を手がけるようになりました。
大ヒットミュージカルにもなった「アニーよ銃をとれ」。
実在した射撃の名手の物語をバーニーが絵にしました。
数ある中で最初に手がけたのがこの…1920年代から活躍した黒人のジャズシンガージョセフィン・ベイカーの少女時代の物語です。
子供の頃は貧しくひどい人種差別も受けたといいます。
その後アメリカやヨーロッパでも大人気の歌手となりました。
バーニーはそれまで絵本には全く興味がありませんでした。
しかしこの依頼を受けます。
実は伝えたい思いがありました。
バーニーのふるさとオファロンから車で30分。
ミズーリ州セントルイス。
ここはジョセフィン・ベイカーのふるさとでもあります。
(歌声)セントルイスは音楽の街。
かつて町には黒人ばかりが集まるジャズクラブがありました。
バーニーは高校時代ジャズクラブに通い黒人に交じって演奏していました。
人種の壁をこえ音楽を通して心を通わせます。
しかし家族にはないしょ。
特に家族の長であった祖父には…。
当時バーニーの住んでいた町では黒人は夜外出する事すら禁じられていました。
黒人が正当な権利を持てなかった時代です。
バーニーの祖父も差別主義者でした。
そんな祖父とバーニーは衝突する事もあったといいます。
静かで穏やかな少年だったというバーニー。
しかしそれだけは許せませんでした。
そして半世紀もの月日がたちこの絵本に取り組むのです。
物語は朝の市場から始まります。
そこに地面に落ちた野菜や果物を拾う少女がいました。
「見つけたぞ!タンピー」。
笑う農夫たち。
笑顔で応える少女タンピー。
その日の食事を手に入れタンピーは帰ります。
セントルイスで最も貧しい場所にある家に…。
帰り道。
とあるカフェから音楽が…。
黒人の音楽ラグタイム。
思わず聞き入ってしまいます。
タンピーは家を出ていった父を思い出します。
父のドラムに合わせて踊った時の事を。
家でタンピーを迎えるのは不満げな義理の父。
「私ダンサーになりたい」。
夢を見るタンピーに義理の父はこう言い捨てます。
「そうかい。
じゃあ俺は大統領になれるな」。
そんなある日予期せぬ出来事が。
薬の行商に来た老人が余興を催します。
「ダンスコンテストをやろう!」。
(歓声)みんな大興奮!お尻の大きなサバンナおばさんも。
「おじさん私にも踊らせて」。
みんなが踊りだします。
タンピーの踊りに合わせて…。
そしてタンピーは1等賞に。
彼女は夢に向かって歩き始めました。
それまで絵の中では黒人の肌は単調な茶色や黒で表現されてきました。
しかしバーニーはさまざまな色を使って複雑な表現にしました。
彼は黒人の肌の本当の美しさを知っていたのです。
そして肌の色と同様その少女が繊細な心を持っている事をバーニーはこの絵本で示そうとしています。
彼女の豊かな表情を見て下さい。
バーニーはこの少女をアメリカに生きる一人の人間として見事に描ききっているのです。
アメリカの光と影。
その全てを見つめ描いてきました。
それがバーニー・フュークス。
人物の表情の描き方もあと細かく見ると技法に関してもとても広がりが。
すごいですよね。
子供の絵本の絵とは思えないですよね。
これだけ描き込んであるとすごいですよね。
実はこの絵本が欲しくてねやっと手に入れたんですけどしょっちゅう眺めてるんですけどね本当に一枚一枚絵がすばらしくてねそれぞれの人のポーズと表情と何か見どころいっぱいでしょ。
音楽が聞こえてくる感じがするんですよね。
それでタンピーの手拍子とか足のステップを踏む音とか何か本当聞こえてくるような感じがしてねこの絵が大好きなんですよ。
バーニー・フュークスはアメリカのスポーツやライフスタイルや肖像画もこれぞアメリカという作品を数多く残してますがこの絵本にもそこに共通する思いは?そうですね。
ですからアメリカの影の部分をね彼なりに告発してるっていうか問題提起しようとしてる。
そんな思いがあったんじゃないかと僕は思いますけどね。
メジャーのスポーツだけではない知られざるものですとか知られざるところで活躍している事や人も含めてのそれがアメリカ合衆国だっていう。
そうですね。
ですから僕はバーニーから随分アメリカを教えてもらった感じがするんですよ。
最初に気が付いてあっバーニーだったのかと思った例の車の広告ですけどねあれで1950年代の戦後のアメリカの繁栄っていうのがいかにすごいかという事をかなり具体的に見せられた感じがするしその後さまざまなスポーツ・イラストレーションをはじめさまざまな彼の絵。
例えばこんなものを含めてもやっぱりアメリカのある側面をね彼から教わったという感じがすごくしますよね。
2014/10/05(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「バーニー・フュークス THIS IS AMERICA」[字][再]
ケネディの肖像画やスポーツの名場面など“アメリカ”を描き続けたバーニー・フュークス。ノーマン・ロックウェルの再来といわれるイラストレーターの素顔と芸術性に迫る。
詳細情報
番組内容
ケネディやモハメド・アリの肖像画、メジャーリーグなどプロスポーツの世界。ノーマン・ロックウェルの再来ともいわれ、アメリカを代表する雑誌にイラストを描き続けたバーニー・フュークス。卓越した芸術性で、いま画家としての評価が高まっている。キューバ危機の中での大統領の取材、人種差別が厳しい中、不遇な時代を生きた黒人の野球選手に向けたあたたかいまなざし。そして子供たちに贈った、祖国アメリカへの思いとは。
出演者
【出演】テレビキャスター・元雑誌編集長…石川次郎,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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