明日へ−支えあおう−「飯舘の灯は消さない〜全村避難の村 工場の日々〜」 2014.10.05

6つのプロペラで宙に浮く最新型のロボット。
重さ20kg以上の機材を抱えて丸一日飛ぶ事ができる世界初の技術。
実現間近です。
開発に携わるのは福島県の避難区域に工場のある会社です。
原発からおよそ40km今も全村避難が続く飯舘村。
誰も住めなくなったこの村で震災後も24時間操業を続け希望の明かりをともしてきました。
しかし除染の遅れから村に帰る時期は何度も先送りされています。
村で暮らす日を心待ちにしながら避難先から通い続ける従業員たち。
不安定な生活に疲れ果てています。
そもそも村に帰るべきか。
家族との間でも考えがすれ違います。
震災から3年半。
ふるさとを照らす「明かり」になろうとした人々の格闘の記録です。
朝5時半の飯舘村。
朝もやの先に工場が見えてきました。
村一番の規模を誇る菊池製作所。
震災後も国の特別許可を得て操業を続けています。
寒いわさすがにね。
工場の運営を統括する…誰よりも早く出社します。
よっこらしょ。
橋さんは飯舘村の出身。
今は福島市内に避難し1時間かけて通っています。
朝一番の仕事は工場回り。
夜勤明けの社員にねぎらいの声をかけトラブルがなかったか確認して回ります。
大変だったんだよな。
工場回りが終わると業務報告書を作ります。
送る先は東京・八王子にある本社の社長。
実は社長も飯舘村の出身です。
全部で12ある工場のうち7つをふるさとの飯舘に建て地元の雇用に貢献してきました。
朝8時過ぎ。
従業員が次々と出社してきます。
この工場で働くおよそ250人のうち6割が飯舘村の出身者。
避難先の福島市や南相馬市から車で通っています。
最大の武器は技術力です。
金属や樹脂などさまざまな加工技術を持つ従業員がいます。
熟練の技によって金属をmm単位で曲げたり…。
レーザー加工機を駆使してどんな形も自由自在に切り出します。
大手メーカーからの難しい注文に応え部品を製造。
プリンター携帯電話など時代を映す製品を支え続けてきました。
例えばこちら。
90年代に大ブームとなったスポーツウオッチ。
ここで最初に試作品が作られ世に送り出されました。
(チャイム)昼休み。
従業員のほとんどは工場内にとどまって食事をとります。
放射線の被ばくを避けるため村内での飲食は原則として屋内に限られているためです。
かつては外で弁当を広げたり駐車場でバレーボールをしたり。
楽しみだった昼休みは様変わりしました。
どうもお世話になります。
お昼過ぎ。
週に一度の線量検査が行われました。
下がりましたね。
操業を継続するなら除染を徹底する事。
それが国の条件でした。
会社ではアスファルトを全て剥がして独自に除染を実施。
操業を続けました。
飯舘村ではいまだ村内での宿泊は許されていません。
従業員たちはそれぞれの避難先までまた長い道のりを帰っていきます。
工場には夜勤の社員が残り明かりがともります。
3年半変わらず続く光景です。
その明かりが揺れ始めています。
この日飯舘村の菅野典雄村長が工場を訪ねてきました。
避難先から村に通い続けている従業員のために除染の進捗や村の今後について説明する場を設けています。
国による除染は当初今年3月までに完了するはずでした。
しかし作業の大幅な遅れを受けて飯舘村の除染完了を2年先まで持ち越しました。
どうもありがとうございました。
村長は村に帰る時期をはっきりとは語りませんでした。
これまでも帰村の目標は繰り返し先延ばしにされています。
会社では村の除染の遅れが深刻になるにつれて徐々に退職者が増えていきました。
この3年半で退職した従業員は全体の1/3にあたる109人。
「通勤が困難になった」。
「精神や体の調子を崩した」。
避難先から飯舘村に通い続けるストレスが本人と家族を苦しめています。
震災後必死に働いてきた従業員の中にも岐路に立たされている人がいます。
飯舘村から30km離れた福島市松川町の仮設住宅。
おはようございます。
ここから工場へ通う武田茂さんです。
毎朝6時前には家を出て飯舘村の工場まで向かいます。
少しでも遅れると除染作業に行く車の渋滞に巻き込まれるからです。
かつて歩いて5分だった通勤時間は1時間かかるようになりました。
入社24年目の武田さん。
工場では設計担当の係長です。
一日8時間近く画面に向かいます。
メーカーから依頼を受けた新製品の部品。
その形からねじ穴の位置まで精密な調整を一手に担っています。
自ら作った図面で全てのセクションが動くため僅かなミスも許されません。
震災後武田さんは体調を崩し仕事を休んだ事があります。
何事にも集中できず家で横になって一日中天井を眺める毎日。
それが1か月続きました。
勤務の合間を見つけては武田さんは飯舘村の自宅に立ち寄っています。
作業の遅れから自宅はまだ除染が行われていません。
(鈴の音)かつてはここで妻と2人の息子そして両親の6人で暮らしていました。
仮設住宅でずっと我慢している家族のために早く新たな家を見つけるべきではないか。
その一方この家を諦めると通勤の負担は続き再び体を壊すのではないか。
悩み続けてきました。
多くの従業員が辞めていく中工場の責任者橋さんは人材の確保に奔走してきました。
いつもお世話になってます。
橋といいます。
よろしくお願いします。
県内の高校をいくつも回り工場で働く若者を一人でも多く集めようと声をかけ続けています。
橋さんがこの会社で働き始めたのは高校卒業後。
飯舘村出身の菊池功さんに誘われ村の若者と共に工場を立ち上げました。
農家に生まれた橋さん。
冬は仕事がなく出稼ぎに行く人たちの姿を目の当たりにしてきました。
村の若者がふるさとにとどまって働く事のできる場を作りたい。
その一心で仕事に打ち込んできました。
いただきます。
震災以降も従業員の不安を取り除こうと除染を徹底し相談にも乗りました。
それでも引き止める事はできませんでした。
橋さんもまた飯舘村の自宅に毎日のように足を運んでいます。
両親はここで土を耕し野菜や花を出荷していました。
盆と正月には親戚が大勢集まり笑い声が絶えませんでした。
しかし3年半の歳月は橋さんにも重くのしかかっています。
今は福島市内で住宅を借り家族で暮らしています。
避難後ふさぎ込んでいた母親のために庭を耕して小さな畑を作りました。
きゅうりは大体終わりぐらいなんですよ。
これ。
盆正月はこういう料理で食べます。
盆正月はね。
自家製のみそあえ。
飯舘での暮らしが全てだった両親。
ゆくゆくは跡取りとなる息子。
橋さんはふるさとに家族で戻ると心に決めています。
生まれたところが一番だよ。
(橋)そりゃそうだべ〜。
(取材者)お疲れさまです。
あっどうも。
しかし妻の真由美さんは村に戻る事には複雑な思いがあります。
どうですか?確かにね。
家族を大切に思うそれぞれの心が少しずつすれ違います。
8月下旬。
いつものように早朝に出社した橋さんのもとにうれしい知らせが届きました。
新しく立ち上げる事業に県から補助金が出る事が決まったのです。
新事業のテーマは災害対応ロボット。
震災の経験を生かしさまざまな現場に対応できる災害ロボットを開発・製造する計画で社運を懸けた大プロジェクトです。
関係者を集め新事業立ち上げのためのミーティングを開きました。
日本で最先端のロボット研究を行う大学教授たちがずらりと顔をそろえました。
大学が試作するロボットを実用化・量産化するため共同で開発していくのが役目です。
どんなに荒れた現場でも進む事ができる…避難所に設置し被災者の悩みや要望をオンラインで伝える東京大学の避難生活アシストロボット。
映像や通信機器を載せ災害現場を何日間も飛行できる…どれもこれまでにない新型ロボットです。
会社では数々の試作品を手がけてきた技術力を生かそうと社員をいち早く大学に派遣し開発に携わってきました。
橋さんはプロジェクトの拠点となる新工場の受け入れ責任者を任されました。
新工場の予定地は飯舘村の隣町…小高区は避難区域ですが放射線量は比較的低く周辺には避難解除されているところもあります。
大手メーカーが撤退した工場跡地を改装して今年中の開業を目指します。
このプロジェクトが軌道に乗ると10の大学が入る研究棟と開発用の工場になる予定です。
部品の加工や量産を飯舘の工場で行えばふるさとにも活気が戻る。
橋さんは期待しています。
避難先から工場に通い続けている設計担当の武田さんです。
(取材者)おはようございます。
おはようございます。
体調を崩して以来定期的に病院で診察を受けています。
体調の事住む家の事そして家族の事。
働きながら懸命に考えてきました。
この日武田さんの住む仮設住宅で周辺住民との交流会が開かれました。
ふるさとを離れて3年半。
当時はまだ10歳だった次男も中学生になりました。
券貸して1枚。
佑斗の。
ありがと。
避難先での生活にもなじみ新しい友達も増えました。
武田さん一つの大きな決断をしました。
仮設住宅の近くに新居を構え妻と2人の息子両親と暮らす事にしたのです。
飯舘村へは戻らず子供たちのために新天地で落ち着いた生活を始めようと考えました。
飯舘村には戻らない。
けれどもふるさとの工場で技術と経験を役立てたい。
ようやく一歩踏み出す事ができました。
福島市内に購入した土地で地鎮祭も済ませました。
もうすぐ新たな家族の時間が始まります。
迷いながらも見つけだした武田さんの答えです。
千葉大学と共に開発を進めている小型のヘリロボット。
試作第1号のテスト飛行が初めて行われました。
重い機材を持つためにプロペラの数は6枚。
枚数が増えると制御は難しくなります。
すごいな〜。
50mだったらかなり上ですから。
そうですね。
すばらしい。
放射線測定器や赤外線カメラなどを積み線量の高いところや倒壊しそうな建物に入り情報収集します。
びっくりしました。
災害からの復旧に役立てたい。
被災地の意地を懸けたプロジェクトです。
ロボット事業の拠点となる新工場では着々と準備が進んでいます。
大学教授が視察これから導入する設備の具体的な検討が始まりました。
今はただ一歩ずつでも前へ。
先の見えない現実と格闘する日々。
自分たちが村の灯でありたい。
震災から4度目の秋を迎えた今も夜の闇を照らし続けています。
工場の明かりがふるさとの灯になると信じて働いている飯舘村の人たち。
いまだ先行きの見えない日々の中で積み上げてきた技術と誇りを胸に汗を流す姿。
胸に迫りました。
災害時に対応するロボットのプロジェクト期待したいですよね。
さて東日本大震災から3年半が過ぎましたが大切な人を亡くして心の痛みをいまだ癒やす事ができないという方も少なくありません。
その思いをお伝えする…震災で亡くなった方や行方不明の方の写真とご家族などからのメッセージが届けられています。
いくつか紹介しましょう。
案内役は仙台市出身の鈴木京香さんです。
岩手県陸前高田市の…25年前いとこの結婚式で撮影した写真です。
夫の一郎さんからのメッセージです。
福島県浪江町の田尻賢次郎さんと利政さん親子は共に避難生活で体調が悪化し亡くなりました。
賢次郎さんの妻幸子さんからのメッセージです。
宮城県石巻市の…14年前の結婚式で父親に花束を贈呈している時の写真です。
父親の信さんからのメッセージです。
この「こころフォト」は放送とホームページで紹介しています。
写真とメッセージの提供も引き続きお願いしています。
詳しくはホームページをご覧になって下さい。
それでは被災した地域で暮らす方々の今の思い。
福島県二本松市の皆さんです。
皆不安を抱えながらも頑張ってます。
この二本松市東和地域は若い人たちの農業体験というような事でずっとやってきたんですが原発事故以来パタッと来なくなってしまいました。
すぐには戻ってきてもらえないとは思うんですが10年20年先を見据えながら…私は飯舘村から避難してきてここ二本松市の道の駅ふくしま東和で働いています。
飯舘村がこれからどうなるか不安はありますがこの東和もとてもいい所です。
まずはこの東和のおいしいお米と野菜を皆さんに食べてもらって私も元気で過ごしていきます。
二本松市で果実酒を造っています。
震災の年に植えたぶどう畑です。
何とかなるかと丹精込めて育てたぶどうです。
頑張るぞ!
(一同)おう!2014/10/05(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「飯舘の灯は消さない〜全村避難の村 工場の日々〜」[字]

全村避難が続く福島県飯舘村で、操業を続ける工場がある。村出身者が多く働く金属加工メーカーだ。除染が遅れ、人々の帰村も先送りされる中、奮闘する地元企業をみつめる。

詳細情報
番組内容
全村避難が続く福島県飯舘村で、明かりがともる工場がある。村出身者が働く金属加工メーカーだ。社員は各地の避難先から毎日通ってくる。「移転すれば村が荒廃し、二度と戻れなくなる」という危機感から会社は操業継続を決意、国の特別許可を受けた。しかし村内の除染は遅れ、帰村は先送りに。社員の思いも揺れ始めている。この秋、会社は災害時のロボット開発に社運をかける。奮闘する地元企業を舞台に、故郷への思いをみつめる。
出演者
【キャスター】畠山智之,【語り】渡邊佐和子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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