SWITCHインタビュー 達人達(たち)「北島三郎×萩本欽一」 2014.10.04

サブちゃんって言いづらいね。
大将萩本欽一。
御大北島三郎。
本日の「SWITCHインタビュー達人達」はビッグな2人の初顔合わせ!努力ったって限度がありますよね。
欽ちゃんじゃないとサブちゃん相手にこんな質問できません。
鏡はねプロになってから。
なるほどな。
どっかね…サブちゃん北島三郎と欽ちゃん萩本欽一。
一体ど〜なるの?北島は今最終公演と銘打った舞台に立っている。
演出を自ら手がけ46年間続けてきた座長公演。
萩本がその雄姿を見届けにやって来た。
やった!ありがとうございます!萩本が客席で北島の舞台を鑑賞するのは初めて。
いつも見てます!テレビで。
歌と芝居2部構成のステージが始まった。
俺には生涯てめえという強え味方があったのだ。
親分!第1部の演目は「国定忠治」義理と人情にあつい忠治は北島の当たり役。
笑いあり立ち回りあり北島が舞台で躍動する。
(拍手)・「海の」第2部は歌謡ショー。
なんと大揺れに揺れる漁船に乗っての熱唱だ。
クライマックスの「まつり」では金のシャチホコに乗ってダイナミックに登場。
・「祭りだよ」サブちゃんパワー全開のステージに客席からは大喝采。
(拍手と歓声)1時間半にわたって全22曲を歌いきった。
サブちゃん御年78歳!まだ熱気の残る舞台で萩本は北島を待っていた。
もう感動しちゃったよ。
4時間近い公演を終えた北島が休む間もなく現れた。
いや〜気持ちよさそうで。
あっいやいや。
もうありがとうございます。
あの〜今日はですねネクタイしてきたんです。
僕テレビでほとんどネクタイした事ないんですよ。
恩人という方が…。
その中に北島三郎さんがいまして恩返ししてないんですよ。
改めてね今日はねネクタイをするって事で大変…現在までなお楽しくやらせて頂いてる。
「北島さんありがとうございました」ってそれでネクタイをしてきました。
その覚悟ですから。
珍しいですよね。
はい。
2人の出会いは47年前。
一流の証しとされていた東京日劇での北島三郎ショーにコント55号が前座として起用された。
当時北島はデビュー5年目。
「ギター仁義」や「函館の女」などヒット曲を連発。
スター歌手となっていた。
一方の萩本は坂上二郎とコント55号を結成したばかり。
憧れの日劇の舞台に立てると張り切っていたが公演直前とんでもない騒動に巻き込まれてしまう。
友人と待ち合わせたマージャン屋で賭けマージャンの仲間と間違えられ警察の取り調べを受けたのだ。
疑いは晴れたものの新聞記事が出てしまい萩本は北島三郎ショーの出演は無理と覚悟した。
無名の55号ですから。
言っておきますけど。
まだ全然コンビ組んでまだ半年ぐらいですから。
そこへ北島さんが。
しかも僕が行かなきゃいけないのに…それは知ってます?はい知ってます。
僕がしょんぼりしてそこにいた訳。
そしたら北島さんがトコトコって来て僕の顔見るなりあの有名人がね…。
ガハハハッ!パッといなくなって俺ね…確かに言ったんですよ。
「何やってるの?面白い。
最高だよ。
そんな気にする事ないよ。
出しなさい!出しなさい!」って俺言った覚えあるんだよね。
その時に…今パッときちゃうよって言ったらもうふたつきもたたねえうちにコント55号バ〜ッ…。
半年たったらもう皆さん知ってきた。
あの勢いというかな〜。
やっぱりまたすごく面白かったしあなたやっぱりすごい熱心だもんね。
坂上さんなんか息切れして倒れまくってたけどさ。
それでは早速お迎えしたいと思います。
先生どうぞ!
(笑い声)舞台狭しと動き回るコント55号は北島三郎ショーの直後に大ブレーク。
一躍時代の寵児となっていった。
そういう訳でネクタイしてきて。
たくさん聞く事あるんですから。
はいはい。
3階入れる人いないですっていう話は聞いてました?はい。
本当に3階から手振ってくれますからね。
僕「北島さんが何でそんなにお客さんいっぱい…毎年入れるんですか?」って劇場の人に聞いたの。
そしたら…僕が聞いた話ですよ。
北島さんはですね1回終わると次まで休憩がありますね?ショーの間に休憩ありますね?その間立って来たお客さんが楽屋に来る人に…帰ろうとするとつかまえて写真撮ってます。
やってます。
それは必ず次の年も来るでしょ?それの積み重ねがきっと北島さんだと思いますねってその話だけは聞きました。
ある時期からこうやってお客様に支えてもらった。
そんなのを大事に…だから今日いるお客様も恐らく10年ほど前からずっと来たお客様じゃないかなとそう思うのね。
その積み重ねが今日来て気が付けば4,500回近くなってきた。
4,500回おめでとう!
(拍手)今年9月23日北島は座長公演4,500回という前人未到の記録を達成した。
(拍手)たくさんのお客様に支えられそしてスタッフ座員の皆さんに担いで頂き北島は幸せです。
ありがとうございます。
(拍手)「紅白歌合戦」からも昨年末50回出場を区切りに卒業を宣言。
竜に乗って「まつり」を歌い花道を飾った。
「紅白」に座長公演一つ一つ区切りをつける北島。
その胸の内にあるものは?やめるという?やめるっていうといきなり言われちゃうとね歌やめちゃうみたいにとれちゃうんですけど。
そういう時が必要だなというのを感じてるんですよね。
そんな意味で…ある意味では寂しいだろうけども言った自分も寂しいんですよ。
寂しいんだけれども…いろいろ推理したんですよ。
劇場をやめるって言った時その時に「あれ?北島さん自分で決めたのかな?その事誰かに言ったのかな?」。
ここのところ分かんなかった。
自分一人で決めたの?それとも誰かに「俺そう思うけど」って話しました?どっち?俺が言ったのはね…じゃあ一番そういう事が言える人だったんだね。
その人いなくなったから相当泣いたでしょ?泣いたね。
泣きますよ。
つまり大事な事を話せる人がいなくなったという。
それ大きな原因の一つでもあるんじゃない?北島は7人兄弟の長男。
長年北島のもとで劇場公演を取りしきってきた末の弟が公演直前に亡くなった。
公演のリハーサルをする北島のそばには弟の遺影が置かれていた。
座長公演に懸ける北島の思いを誰よりも理解していた弟だった。
だからあいつの言うとおり50年でやめとけばよかったかな。
いやそうじゃない。
彼は病院にいながらも最後の俺が言ってた最終回を自分でなんとかまた頑張ってやんなきゃっていうのでやっているうちに途中でこれ見ないまま終わっちゃったんですけどね。
皆さんに感謝してそれでせめて残ってる時間を…。
それ言えるっていうのはすごいですね。
それまで時間がなかったってほど…。
ないの。
芸能人の一番羨ましい姿ですね。
ないですね。
芸能界で数えても何人しかいないんじゃないんですかね?気が付けば「あれ俺の時間がもうなくなっちゃうよ」と。
…でそのうち動けなくなってから「お〜い時間くれ」ったって旅立っちゃったらおしまいですし…。
でいながらやっぱり何て言うのかな…散ってきちゃったら終わっちゃうから。
・「涙の」25歳でデビューしてから53年。
リリースしてきた曲はシングルだけでなんと500曲にも上る。
・「はるばるきたぜ函館へ」あの曲もこの曲も。
誰もが口ずさめるヒット曲の数々。
北島の歌声はまさに時代を彩ってきた。
・「与作与作」・「祭りだ祭りだ祭りだ」その足跡は日本の歌謡史に燦然と輝いている。
北海道は知内町に生まれた北島三郎。
歌手としての原点はどこにあったのだろうか。
「歌うまいね」って言ったの…えっ!?ひばりさんかな?周りに例えば…それはね弟たちはね私には一目置いてるんだけれども不思議に「兄貴は歌うまいね」って言わないんですよ。
だけど…。
逆にね「あれぐらい俺だって歌うよ」なんて言うのがいるんですよ。
生意気だなと思って。
あなたの番組で萩本欽一さんがやった「家族対抗歌合戦」の時も家族兄弟男5人でお世話になって優勝したでしょう。
うちら兄弟だけで。
だからみんなびっくり…「ずるいよ」って言われました。
みんな家系的にうまいんだっていう…。
でもはっきり言ってね…はっきり言いますね。
(2人の笑い声)その話もちょっと聞きたいけど。
弟たちの歌じゃお金にならない。
だけど普通歌手になろうと思うのは自分でなるの?そうじゃなくて周りで「うまいね」って言うから「あれ?」ってその気になるんじゃないの?あるねそれも。
どこかに…。
いや「うまいね」じゃないのね。
その言葉…何?出たんですか?出たの。
そしたら?鐘2つでした。
えっ?鐘2つでね…。
「のど自慢」っていうのは審査員はいい加減な人がやってるっていうのが分かりましたね。
それで鐘2つ取って…お世辞で言ってくれたんだけども当時の田舎者の俺には…っていう気持ちが…。
おやじたちやおふくろはもしかしたら学校のどこかへやりたかったみたいだけど俺はもうその時から決めてました。
じゃあ一番最初に気が付いたのは宮田輝さんの「歌お上手ですね」?それが一つの…。
でも2つしか鳴らないって事は自分のとこに置いてないですよ。
「歌うまいね」だけ持って東京へ出てきちゃったんでしょ?鐘2つ…。
二郎さんは鐘が3つ鳴ったんで「これはいける」って来てるんですよ。
そうか。
ずうずうしいというか自分に楽観的というか何でしょう?それはね…じゃなきゃずうずうしすぎだもん。
鐘2つで「よし歌手だ」って。
仮に神様とかご先祖様が…俺を津軽海峡渡って船に乗っけて東京へ出してくれた。
じゃ神様が「うまいから行け」って言ったの?俺はそう思う。
あれ!そういうふうに思って出てくんのはいいですけど僕二郎さんにも一つ質問したんですが「故郷を出る時鏡見たのか?」って。
二郎さんには言ったんですよ。
鏡を見ました?鏡はね…見れない。
鏡はねプロになってから。
鏡…!うまいな〜!なるほどな!どっかね大事なとこを抜かすって非常に優れてるの。
鏡…いや私はね鏡を歌手になってから見ますね。
仮に化粧前に見ますね。
近頃はこの鏡に私が映ってんだけど私の本当の大野穣…私本名を大野穣っていうの。
…が映ってんですよね。
だけど北島三郎なんですね。
おかしいですか?いやおかしいじゃない。
だからよかったんだと思う。
でね鏡に向かって鏡が言うんですよ俺に。
自分の顔やりながら…「調子はどうなんだ?」とかっていう会話時たまある。
この2つの使い分けがよかったんですね。
…だと思いますよ。
そうですか。
それでお化粧しながらその大野穣が偉そうな事を言って「北島が」ってお前言われてるけども俺がいるからお前があるんだぞというような事も何か感じる時あるんですよ。
そういうのを感じる時あるんです。
すごい。
北島三郎本名大野穣が歌手を目指して上京したのは18歳の時。
一流の歌手になって親孝行がしたい一心だった。
ところが…。
新聞広告に「歌手募集」つうのあって行ったの。
歌手募集。
どっかクラブかまあ昔でいうキャバレーかどっかで歌わせてくれるのかなと思って行ったらこれが「もう決まりました」って言われて「残念だな。
だけどせっかく来たから歌ってみなさい」ってこの人が言うんですよ。
…で「えっ!」つって。
それでオルガン1つあるんですよ。
8畳の奥の方に。
この人がオルガン弾いたんですよ。
…で俺が歌ったんですよ。
「君いいよ。
君に決めたよ」って。
「えっ?」って。
「決まってたけど君にもう決めたから」と言うんですよ。
だから「えっ?何で?」って…そこいっちゃったの?全然違う訳。
俺はどっかのステージで歌わせてもらえると思ったら…。
流しの仕事に決めた?流し。
だから俺の相棒で今日から。
「楽器何かできるか?」「何もできない」。
「じゃあこれから俺のここにあるギター貸してやるから」。
こんな大きな紙にギターの絵描いてそれで押さえる所をこうやって押さえるんだって…それで6年ですよ。
流しだけで。
普通4年目になったらちょっとまずい…。
もう5年目になると「帰ろうかな」が出てきますね。
ただ目的のためにひたすら流しだけやっても食うためだと。
チャンスが来るんですね。
それ聞きたかったの。
流しに行ってて商売やってて…それで1,000円くれたんですよ。
「おお!おめえ来たか!おめえの歌待ってたんだ」って。
泣かせる!「うわ〜いいお客さんだ」。
1曲歌い終えた。
「次に何かやりましょうか」って言ったら「いやもういいんだ。
明日さ私林って者だけどだまされたと思って新橋のこういう喫茶店があるからここにちょっと来てみない?」って言われて…で行ったんですよ。
そしたら昨日1,000円くれたこの林さんが…船村徹は当時新進気鋭の作曲家。
美空ひばりの「哀愁波止場」などヒット曲を連発し飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
この一つの出会いがね…。
だからその人がトコトコ来ちゃった。
引き寄せてんのよ。
ねえ。
…でこれからは?それで訪ねていったら何歌ってもね多少は俺少しずつ歌はイケると思った訳ですよ。
ところがうちの先生は全然乗らなかったんですよね歌。
それは何かね作戦があったんだな。
いや「君はあの〜あれだ」って言ったセリフがね俺ここにものすごく残ってるんです。
大事な言葉が。
「民謡調が好きだよな?ちょっと小節の利いたあの浪曲調。
ああいう歌が好きだろう。
だからレッスンしてもそういう歌歌ってたよな?」と。
…で俺あんまり意識してなかった。
というのはなんぼ頑張っても…あ〜。
ねっ?浪曲調でが〜ってうなって結構うまく歌ってっけどな…その時にお前の声を聞いた時にこんなの感じた。
「ハ〜」とやたら高く聞こえた。
この子の歌にはそうだこれが合ってる。
こういうのがいないなというので「なみだ船」が出来た。
・「涙の」という歌になったの。
一番いい人が一番いいとこで言ってくれてますね。
やっぱあの人に言われるとね「この人が言うんだから俺うまいのかな」という錯覚もしましたけども。
それでその年のレコード界歌謡界の新人賞というのをもらったのは「なみだ船」。
北島の個性を生かして作られた「なみだ船」。
NHKに残る一番古い映像でご覧下さい。
・「涙の終わりのひと滴」北島はこの歌のヒットでスターへの階段を駆け上がっていく。
翌年には「紅白歌合戦」に初出場した。
何年かな〜?歌はね…。
「何年かな」っていうのはそんなに自分の中でびっくりしてないんですね。
いやいや…。
普通だったら覚えてますよ。
あれ二十何年とかいう…。
「何年かな」?何年かな〜?「冬の宿」という歌は覚えてますけど。
それで大トリじゃない男性の方ですね。
それでこう宝塚ですから昔は。
「紅白」は。
そうです。
それでここからこう階段から下りてくる時に…・「ああ苦しめてごめんねと」昭和47年北島はデビュー10年目にして初めて白組のトリをとる。
続く大トリは美空ひばりだった。
・「わたしのあなたでした」女王ひばりの圧倒的な歌唱力と存在感に北島は衝撃を受けたと言う。
この美空ひばりという歌手が歌った歌で俺たちだって真剣に歌ったのに全部吹っ飛んじゃった。
ぶっ飛んじゃった。
残ってるのは美空ひばりというプロポーションと歌だけが耳に残ってる。
というのを感じた時にそうだうん。
何かの時にはやっぱり…男のトリとってて最後のトリの美空さん見て…。
それはいないと思う。
みんなね「長いことかかったけど最後の歌が歌えたんだな」ってんでね美空さんの歌をね聴き忘れると思う。
それを歌い終えてから「まだ上いるぞ」ってのはここが最初に出てきた時と一緒。
そうですかね。
有名になるとか…そういう苦労してるから関係ない。
それでやっぱり俺は歌い手であると。
さすがだなとかってのは…プロの中のプロに…プロとしての資格は…大事だっていうのは誰が来てもどんな歌手が来てもここは俺でなくちゃ歌えないんだっていうところは…。
うん分かりません。
どこ?言ってくんない?「涙の」の「の」のところとか…。
あえて言えば得意なところありますね歌い手の。
俺は声を張ってく小節の利いたところが得意だっていうのがあるとするじゃない。
僕が言ってるのは「函館〜」って伸ばしてずっと切れない…。
そこはどうでもいいんです。
…って言ったら言い方おかしいんですよ。
だって歌で言うと得意じゃないは見えないですね。
せいぜい得意でないのは出てったらマイクが高いのでちょっと下げるってそういうとこしか気が付かない。
あれ?北島さんの歌で得意じゃないとこって…。
あの要するに…これ難しい事になっちゃうんですけども大体北島はこういう歌い方する。
こういうとこなんだと。
張ってくとこがいいなとかそういうのありますよね?そう。
抜けるような…。
ええ。
あそこいいな…。
そこは僕も確かに得意なとこなんですよ。
でもそこよりもそこをよく…すごくよく得意なところが目立つという事ですよね。
あえて言えばね。
なるほど逆だったんだ。
ここが俺優れてるからここをもっともっとやろうじゃなくて駄目なところを…。
しっかり歌う。
みんな自分の生活をねちょっと振り返ってごらん。
朝起きる時グダグダ言ってくんだろ?あの〜みんな悪いとこにあんまり気付こうとしないからね。
得意なところになると得意になっていくじゃないですか。
そんなにしなくたって…今ね若い人がね会社に行くとさ何となく会社辞めたくなるのは自分がこう思ってたりこういうところが俺のいいとこなのに誰も気付いてくれないって事にいつもねがっかりしてくの。
そうじゃなくて…そうですそうです。
おっしゃるとおりですよ。
代表曲の一つ「風雪ながれ旅」。
この曲も最初は最も苦手なタイプの歌だと思ったという。
・「アイヤー津軽八戸」53年間北島は歌一筋に歩んできた。
それでもうバ〜ッとやってるけど…しかしうまく歌ってんですよ。
一生懸命。
らしく…ちゃんと正統に。
それはまあ僕は正直いいと思うんですよ。
何かふわんこふわんこしちゃうんですよ。
俺はここまで来たなってその気になっちゃって何か大地に足が着いてねえ時があるんだよね。
でもそれに自分で気付いてるってのがすごいですね。
後で…後でですね。
後で…。
あの20年はこんな時にこんな事やってたなと。
その次に…?30年たって歌った歌って…「まつり」は30年たってますね。
ええありますね。
だから曲そのものじゃなく自分の精神に体にそれからもちろん歌もそうです。
そういうものを見る目聴く耳そういうもの。
だからやっぱり今歌うと…一つの詞をこういう理解もできるようになったかなと…。
だからスポーツじゃないけども…それで現在もね萩本さんね私はまだ現在進行形なんです。
それで完成も…。
止めちゃいないじゃない。
自分で止めただけでしょ。
いやいやあの…線を引いたりしてますけども…やっていくとどんどんどんどん「これでいいのかこれでいいのか」ってなりません?僕の中ではね「こうやってやってみよう」ってうまくいったら「あ〜なるほど」。
そしたらね次の日にまた「こうやってみようか」ってやったら「うまくいった」って。
次また変えてみようって「あっうまくいった」って…。
どっかで「もう上ないの!」って自分が引かないとまた変えてやると「またあった」って…。
後半は舞台をスイッチ。
待てよ。
何か後ろにひどい顔の人が入っちゃうんだよ。
昭和40年代お茶の間の人気をさらったコント55号。
(2人)フレー!フレー!黒組!黒組なんかないんだよ。
体を張って笑いを取りテレビ画面を飛び出す男たちといわれた。
じゃあさようなら。
(拍手と笑い声)今年3月萩本はラスト公演と銘打って1か月の劇場公演を行った。
江戸の下町で繰り広げられる人情喜劇。
待て待てこら。
だから…。
欽ちゃんお得意の体を張った動きのお笑いで観客を喜ばせる。
浩二郎っていったら長い脚出せっつうの。
これこれ!俺が許さねえ!おめえ何言ってんだこの野郎!誰の腕枕で寝たいって!?誰の腕枕だ!?ちょっと待てって…。
10年以上続けてきた人気の舞台に萩本も幕を引いた。
3月…。
何?3月に舞台明治座で。
僕同じですよ。
笑いってねみんなただワ〜ッて笑うのは何でもないんですよ。
だけど僕が明治座でやりたい笑いってうわ〜って波打つっていうのと終わった時に笑いで手が来るというのがあるんですよ。
ダ〜ッと。
もう消えてるのにね。
口で言ってもね波打たないんですよ。
最高を知って最高をやれないでそれはちょっとね…僕の中では笑いの詐欺だって気がするんで。
萩本の追求する笑いはいかに体が動くかの勝負でもある。
俺秋のススキみてえだ。
(笑い声)ちょっとようお前俺をおもちゃにしないで!僕と最初に出会った時は私の舞台でした?…です。
55でデビュー。
組んで10月で5月です。
この舞台とテレビの世界の方がずっと多くなりました。
僕は芸能界ってのとテレビ界っていうの分けてますから。
ですから…テレビはね…。
つまり芸を積み重ねてると舞台出るとそのシーン来ると見た事ある。
どっかでやった事ある。
やったか見たか分からないんですよ。
そうするとこのシーン大丈夫だって思うとひとりでに…。
出ちゃうんだ。
ひとりでに出てますね。
だからあれをしようって出るのは芸じゃなくて出てってあれっと思ってここやった事あるわって。
ドアを「こんにちは」って言った時やった事あるわっていうと大丈夫だって思うと歩きが突然こうなったりして。
僕の前でお客さんがちょっとこういうふうにやると一気にトーンダウンしたりね。
たった一人で。
やっぱり歌い手も演じて歌うんですけども歌わさしてくれるお客様やらしてくれるお客様というのはすごく感動しますしありがたいですよね。
お客さんが引っ張ってる感じしません?ありますあります。
それです。
歓声がね。
テレビないでしょ?ない。
もう萩本さんでもそうです。
出ていっても言ってくれ言ってくれって客の雰囲気が伝わってくるんですよ。
だから知らず知らずにさっきの俺じゃないけど人を分けてどんどん入って。
このテレビどんなに面白くても時間が来るとピシャンとやめますよ。
それではの「で」でも切られますよ。
でしょ!?「欽ちゃんのドンとやってみよう!」。
昭和50年代テレビは欽ちゃんの時代だった。
それではいってみよう!「欽ちゃんのドンとやってみよう!」。
という訳で…。
自らの名前を冠したテレビ番組が次々と大当たり。
各番組の視聴率を合計して視聴率100%男と呼ばれた。
ケーキなんですけど。
ケーキ!?あら〜。
(笑い声)やっぱりね〜。
ず〜っと見てんだけどももう変わらないんですよね。
どっかで変わってる?うん。
変えてんですかね?それはどっかで何かをつかみどっかで何かを見てどっかで何かを拾っているんじゃないかなって気がしてしょうがないんだな。
それを言うなら答えは簡単です。
人に会って人から…。
例えば僕が好きでやってた訳じゃないのに一番嫌な…なんとかこれごまかしながら生きていかなきゃとやっていったら…。
僕この世界来て…一番最初のデビューが…僕が知り合った中で…その人から話来ちゃって。
だから全部嫌だって事をやってきたらうまくいったの。
素人や新人タレントを使ってのいわゆる素人いじりは萩本が始めたとされる。
その中から多くの才能が育っていった。
だから僕も…自分がそうですからね。
それと長〜い事テレビやってプロデューサーで…それから耳で聞こえるって…舞台で言葉は誰も待ってません。
動かないと…。
だからこんなに大きいし。
舞台をやったのは自分が覚えてきた軽演劇ってすごくいい演劇を覚えた訳ですよ。
若い人に「軽演劇ってすごくいいから覚えた方がいいよ」って言って「どこでやってんですか?」。
「やってないの」という事を言うと…あとそういうのテレビでなかなかできないものですからせっかく覚えた芸忘れちゃったかなと思って2年に1回まだ覚えてるわっていう。
それでは失礼致します。
おう。
例えば若い娘が男の気を引こうと具合が悪くなったふりをするシーン。
おめえどっか悪いのか?娘が男のもとに倒れ込む動きが笑いのポイントだという。
あっ…。
おうおうおう。
あっ!おい!おめえ何やってんだよ。
あっ…すいません。
稽古場で萩本は動きで笑いをとるコツを徹底指導していた。
そういういろんなとこ結構大丈夫だよ。
ものすごい…瞬間的に押さえてっから。
うんそうそうそう。
あ〜うまい。
いいとこいくね。
倒れ込む場所はあらかじめ決まっていない方が面白さが倍増する。
今倒れろ!そうだそうそう…。
ほ〜ら本当になってきたよ。
あ〜そうそう…。
そういうふうに。
大丈夫です。
公演を重ねるうちに娘の動きにはアドリブが加わりどんどん変化していく。
やめろ!やめろって言うんだよ!嫌だ〜!大体初日はですね…それで初日になると「2シーン目アドリブな」って言って3シーン目はあのとおりやって4シーン目…あそこは急に変えたくなって「アドリブな」って。
だから僕みたいに才能がないと…そんな天才がやってるかと思うと大抵どっか逃げていきますよ。
だから僕の場合はテレビ出る時言うの。
台本書いてありますけど台本をうまくやってほしいんですか?お客さんを笑わすっていうのと。
…でテレビ局の人言いますよ。
「どちらも」って。
それ不可能です。
それは不可能。
台本に流れるようにと言ったらそのとおりにしますし。
僕やっぱり全部テレビやってる人が…。
「この番組は台本はないんですか?」って言ったら…いまだにどこ行っても本あるし。
正直言って…突然昨日稽古したのに「お前なあれちょっとそこんとこさ」ってやってません?いきますね。
ありますあります。
ありますじゃなくて全てでしょ?全てとは言わんけどももっとこうあってほしいな…。
やっぱり毎日がね…テレビの方が生放送やってるのにすごい古典やってますもん。
僕はあれおかしいな今日やって…今日作るのに出来たてホヤホヤいつもないですもん。
ないね。
稽古で磨き上げた動きの笑いに本番でアドリブをどんどん加えていく。
萩本の公演は見る回によって全然違うという。
73歳となった今年萩本は劇場公演に終止符を打つ事を決めた。
欽ちゃんってデビューした時跳んで跳ねて二郎さんとね。
ねえ。
だから欽ちゃんという跳んで跳ねて汗びっしょりかいてたコメディアンがいた。
それだけをお客様に記憶しておいてもらいたいな。
跳べなくなった欽ちゃんちょっとこれでもう見せない。
(観客)欽ちゃん!ありがとう!やめないで〜!
(拍手)ありがとうございました。
歌でも30代の歌40代の歌50代の歌70代…違っても今の歌の方が俺は好きなんですよね。
いいですね〜。
だから僕萩本さんに言える事はやっぱり今の萩本さんの形は萩本さんであるんだけども…。
欽ちゃんっていってくれます?いやいやいいんですよ。
本当に欽ちゃんでね萩本欽ちゃんの…でもおかしいんだけどねとっても。
俺なんかは笑っちゃうんだよね。
駄目なんだろうね。
「うわ〜!うわ〜!あ〜!」。
暗転になって「わ〜!」ってまだ余韻でず〜っとね。
僕ね「紅白」終わったでしょ。
一本の線を引いて卒業という形で出したんだけどその前にね王さんと会ったんですよ。
それでこの時ね…世界の王ですよね。
ホームランバッター。
それで…ちょうど九州公演の時来てくれたんですよね見に。
で楽屋でしばらく話したんですよ。
そしたら…僕は感動しましたね。
それで最初出ていってボ〜ンと打ったら空振りしちゃったと。
その時はお客様が「何だうわ〜」というような感じだったと。
この次は出てくりゃまた次は打ってくれるんだろうと思っていたら次も出たらまた空振りしちゃったって言ったんですよね。
そしたらザワザワザワっとしたって。
「あれ〜よし今度は打たなきゃいけんな」と思って立ってまた3回目に行ったら空振りしちゃったんですよ。
三振ですよね。
その時にお客様が…そういう何かとってもざわめきの気持ちが…。
セリフが聞こえちゃったの?はあ〜。
そんな時に…王さん20本なら打てるんですよ。
だから「さようなら」って言っちゃったんだ。
だから100%やれるって思った時はずっとやるんですよね。
あともう一つ僕はね…でしょ?あんなに長い事かかって登ったのに…テレビと「わ〜やった」って握手してそれで旗立ててじゃあ帰ろうかって。
あれ帰り「いや〜楽しかったね随分大変だったね」っていうテレビ見た事ないですよ。
あと黙って帰ってるだけって。
だから僕は…そうですね。
だから僕はなるべくグダグダ「よかったね」って話すんじゃなくて…次の山次は何を登ろうかって下るんじゃなくて急いで下りて。
できればもうエベレストの上からエスカレーターとかエレベーターで下りたいね。
スト〜ンと。
あとパラシュートか何かで。
で次下りてからだけど考えるという。
なるほどな。
いや〜ありがとうございました。
ありがとうございました。
今日は本当にありがとうございます。
明治座をやめてしまう2人です。
ハハハハ!何かねお客さんが「やめないで」って言ってないのを見て驚いた。
お客さんが99%また帰ってくると思ってると思ったもん。
俺最後に。
またよろしく。
現在があるのが北島さん…。
そういう事はない。
そうですよ。
ありがとうございました。
よいしょ。
バンバン!北島三郎78歳。
最後の座長公演は大阪来年1月の福岡まで続いていく。
・「男の仕事場サ」萩本はこの春から新たにラジオ番組をスタートさせた。
この日は観客を入れての公開収録。
萩本欽一73歳。
アドリブ全開で会場を爆笑の渦に巻き込んでいく。
北島三郎と萩本欽一。
芸の道に終わりはない。
2014/10/04(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「北島三郎×萩本欽一」[字]

“サブちゃん”こと北島三郎、“欽ちゃん”こと萩本欽一。大物2人の顔合わせがついに実現!知られざる2人の意外な接点とは?2人じゃなければ語れない歌と笑いの50年!

詳細情報
番組内容
サブちゃんがいなければ欽ちゃんのブレイクはなかった!?2人の出会いは47年前のある事件がきっかけだった。紅白に続いて4500回に及んだ座長公演からの「卒業」を決めたサブちゃん。今だからこそ語れる話に欽ちゃんがズバズバ切り込む!サブちゃんならではの誰にも真似できない歌い方とは?美空ひばりとの知られざるエピソードとは?欽ちゃんが「視聴率100%男」になれた意外な理由とは?2人が考える引き際の美学とは?
出演者
【出演】北島三郎,萩本欽一,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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