健康面は分けて議論を@読売新聞「論点スペシャル」
本日の読売新聞13面に、「もう「労働時間=賃金」ではない?」と題して、3人の意見を並べた「論点スペシャル」が載っています。
一人目は経団連専務理事の椋田哲史さんで「創造する人材、成果給で」。次が全国過労死を考える家族の会代表の寺西笑子さんんで「過労死一層増えないか」。
この二人のテーゼとアンチテーゼを、アウフヘーベンすべく最後に登場するのが濱口桂一郎氏で、「健康面は分けて議論を」と題して,こう語っています。
現在、「残業代」が存在し、企業側としては可能な限り余計な賃金は支払いたくないため、結果として長時間労働を抑制する手段になっているというのは事実だ。労働側が「残業代がなくなれば、長時間労働を助長する」と主張するのはもっともだが、それでは今の仕組みを残すべきなのか。
そもそも、残業「代」というとおり、これは労働時間ではなく賃金の話。賃金は本来、労使の交渉で決めるべきテーマだ。残業代の払い方も、本来は国が一律に決めるものではない。労働組合が使用者と交渉し、しっかりとした労働協約を締結することを条件に決めていくのが筋だろう。
一方で、長時間労働の解消も喫緊の課題だが、これは賃金システムで抑制するのではなく、健康の観点から規制すべきだ。EU(欧州連合)は原則、残業を含めた労働時間の上限を週48時間と定めている。例外的に働く場合も、24時間につき連続で11時間の休息時間を設けることも義務づけている。日本でもこうした規制を導入すべきだ。
それでは成果主義の導入の是非はどう考えるべきか。「時間ではなく、成果で評価される仕組みをつくる」というが、成果に応じた賃金制度はすでに多くの企業で導入済み。最低賃金を上回る限り、どのような賃金制度にするかは、基本的には企業の自由だ。
経営側はなぜこの制度の実現に力点を置くのか。「自律的な働き方ができる」「ワーク・ライフ・バランスの実現を後押しする」と主張するが、これは「残業代ゼロ」という批判をかわすためのものだろう。実際は「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」という、これはこれでもっともな理由があるのではないか。1990年代以降、管理職ポストが絞り込まれる中、こうした中高年の非管理職が増えているからだ。成果に基づく賃金の支払い方はあっていい。
そもそも別の話である残業代という「賃金」と、長時間労働という「時間」を一緒に議論するから混乱する。賃金は、労使間で労働協約を締結することを前提に労使交渉で決める。時間は、健康の観点から絶対的な上限規制を設ける。分けて議論をすれば、労使双方が納得できる着地点を見いだせるだろう。
ここの論点を、対論で深く突っ込んだのが、『POSSE』24号における渡辺輝人さんとの「プロレス」(笑)です。
労働時間改革をめぐる実務家と政策論者の視点 濱口桂一郎×渡辺輝人
この対論は、自分で言うのも何ですが結構絶品ものです。
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