政治家の不祥事なんてなくなるわけがない、有権者自身のダブルスタンダード | みんなの党 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト
読みました。Blogosの方で読んだんですが、一応ご本人のサイトを貼らせていただきます。
これらは小さな例かもしれませんが、つまり、「そういうこと」を繰り返したきた政治家が「選挙に強い」議員であり、「そういうこと」をしなかった議員は淘汰されて、生き残ることができなかったのです。
だから、何期も重ねて当選しているような「大物政治家」のほとんどは、細かなことを叩けば必ずといっていいほどホコリが出るものであり、そしてそういった政治家しか受からせてこなかったのは、有権者自身であるとも言えます。
(中略)
不祥事が起きる度にマスコミが大騒ぎをし、「政治とカネ」に透明性を求める。その一方で、会合や夏祭りでは、いまだに祝い金や会費を求められる。
この二つの事実の狭間で、私は率直に言って、辟易としているのです。
政治家にクリーンさを求めるなら、不正を働いた議員はきっちり議員辞職まで追い込んで、「会費だから」「秘書名義だから」とグレーゾーンで金銭授受をしている有権者・議員の双方を、日ごろから厳しく取り締まって罰して欲しいと心から思います。
大臣になったからと言って叩き、辞任に追い込んで痰飲を下げるのは、明らかにマスコミと国民・有権者のダブルスタンダードです。
自分は多分次の選挙で相応の結果となる、と言われた上で語られた「政治家」として非常に率直な意見と読みました。身も蓋もなく要約してしまうと、「(ある程度は)みんなやってることを、大臣になったからといってそれを叩くのはマスコミと有権者のダブスタ。叩くなら、全員叩くべき」ということでしょうか。
まぁそういう「甘い汁」を要求する「有権者」と、その他の「有権者」は全然別個のカテゴリに存在する人たちなんでしょうけど。
しかし、そういうのを全員叩くのって可能かな?
こういう「うちわ」だの「観劇会」だの「SMバー」だのっておそらく、大臣候補者にリストアップされた時点で「事情を分かる人」が候補者一人一人の「脛の傷」を調べ上げ、見事大臣になったらセンセーショナルに発表する(もしくは、してもらう)、みたいな流れになっていて、多分大臣になったのが小渕さんや松島さんじゃなかったとしても、何らかのスキャンダルは流れていたんじゃないかなー、とぼくは思っています。
(調べるのはこういう人達のようです。色んな意味で、お疲れ様です。→SMバーへの支出がなぜ問題なのか|山本洋一ブログ とことん正論)
まぁ「大臣になった」くらいのネームバリューがないと、マスコミ側にしてもニュース価値が薄いでしょうしね。「この人誰?」みたいな議員の「うちわ」の話をしても「はぁ(困惑)」で終わりでしょうし。「安倍政権の内閣改造で選出された閣僚です」というゲタを履かせてもらうのでなければ、それこそどこかの地方議員のように号泣会見でもしない限り、世間の耳目を集めることは困難でしょう。
(まぁ、こういう閣僚のスキャンダルを出すのは、政権へのダメージを与えたいという意図も少なからずあるのでしょうから、その人がヒラの時に出してもあまり意味がない、という事情もあるのかもしれませんね。邪推ですが)
「田沼意次と松平定信」問題
ここでは、それら個別の「不適切な政治活動費支出」(うちわは違うけど)の是非について言及はしません。というか、ぼくは専門家でもなんでもないので出来ません。ぼくのどこを振っても「SMバーじゃなくて風来坊だったら良かったのかな?」とかそんな素朴な疑問しか出てこないので。
ぼくの好きな「加治隆介の議」(弘兼憲史)でこんなやり取りがあります。
「国民にとってどちらの政治家が必要か?」
「つまり清廉潔白だが外交は下手 国内経済はガタガタ、その結果日本を貧しくさせる政治家と、ワイロをもらって私腹を肥やしてはいるが外交手腕はあり国内の経済を活性化させる力を持っており、その結果日本全体を豊かにする政治家と……」
「どっちが国民の利益になると思う?」
「松平定信と田沼意次と、どちらがいいかという問題だな」
「そうだ」
まあ、ここで語られている「ワイロをもらって私腹を肥やしてはいるが外交手腕はあり国内の経済を活性化させる力を持っており、その結果日本全体を豊かにする政治家」と、今回辞職されたお二方とはちょっとイメージは異なりますが。
要するに、政治家の「手腕」と「清廉潔白さ」をどう考えるか、という問題です。
悪化する幕府の財政赤字を食い止めるべく、重商主義政策を採る。内容は株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、俵物などの専売による外国との貿易の拡大、下総国印旛沼の干拓に着手する等の政策を実施した。その結果、幕府の財政は改善に向かい、景気もよくなった。しかし、社会の初期資本主義化によって、町人・役人の生活が金銭中心のものとなり、そのために贈収賄が横行した。
田沼意次か、
前任者である田沼意次の重商主義政策と役人と商家による縁故中心の利権賄賂政治から、重農主義による飢饉対策や、厳しい倹約政策、役人の賄賂人事の廃止、旗本への学問吟味政策などで一応の成果をあげたものの、老中就任当初から大田南畝により「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」などと揶揄された。また幕府のみならず様々な方面から批判が続出し、下記の尊号一件事件も絡み僅か6年で老中を失脚することとなった。
松平定信か。
「手腕」と「清廉潔白さ」のバランス
ぼくは政治家の大切な仕事の一つとして「複数の利害関係の調整」があると思っています。普通に暮らしている中で起きる異なる利害の衝突。個人対個人なら裁判所が判断することで落着しますが、法律や制度的なレベルでの利害の調整は、もはや個人ではどうにもならない領域です。そのような「解けない方程式」を解くために関係者間を取り持ち調整する、というのが政治家の仕事ではないか、と。
そう考えた時に、塵一つ許さないような清廉潔白さって、政治家的に果たして美徳なのかな?というのは考えてしまいます。スタンディングだろうが寝技だろうが戦えるぞっていうパワーがやはり必要だろう、と。
個人的には、SMバーに行こうが、うちわ配ろうが、身内に観劇会をセッティングしようが別に構いません。その分いい仕事してもらえるなら、世の中を良い方向へ向かわせてくれるなら、有権者の一人としてはそれで満足です。
もちろん、真っ黒がいいって言ってるわけじゃありません。「清廉潔白さ」も政治家にとって重要な要素だということは間違いありません。「清廉潔白さのイメージ」は人々の支持を集めやすい要素でもありますし。ただ、それって政治家にとって最重要視されるべき要素なのかな、という所には若干の疑問を持っている、というのが正直な感想になります。
ちなみに加治隆介はその問いにどう答えたのか
「国が豊かな時は松平タイプが好まれる」としながらも、「物質的に国民の利益になるのは田沼意次タイプで、国が貧しい時はそういう政治家が必要」と断言。
ただし。「それを政治家が言ったらオシマイ」とも言っています。「生活が良くなればええやんか別に」なんて開き直る奴は、政治家なんてやるべきではない。
結局このやり取りも「公平な選挙制度が必要」という決まり文句で結ばれています。
やっぱり、資金力の大小やダーティーなテクニックに左右されない、選挙の制度が必要なんだと思います。上のブログで地方議員さんが嘆かれているような状況があるようでは、まだまだ道は遠いと思わざるをえませんが。。。
- 作者: 弘兼憲史
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