はじめに
先日、以下の記事が挙げられ、ごく一部において「ミニマリスト」という言葉をめぐって一部で議論が起きている。
ミニマリストっていうのは簡素清貧ってことでいいかな? - ネットの海の渚にて
本論の目的は、(1) これに関わる事態の顛末をまとめた上で、「ミニマリスト」への定義、言及を整理する、(2) 「ミニマリスト」を自称する集団に共通してみられる特徴を明らかにする、(3) はてなーにおいて「ミニマリスト」というのが近頃目立つのは、一部の啓蒙活動の成果であるということを指摘する。
本論をもって、「ミニマリスト」に対する理解が深まれば幸いである*1。
おとこわり
なお、本論の執筆者は、上述の記事と類似した見方をしている点を付記しておく。本論では、基本的に共有した信念を持たず「ミニマリスト」を標榜するという姿勢には懐疑的である。詳細は省くが、以前、下記の記事において論じたことがあるので参照されたい*2。
ミニマリストは心が決めるらしいが、心で決めてはいけないと思う件について。 - ミニマリストになりたい院生の奮闘記
院生が以前記した記事の要点として、「ミニマリスト」を自称することは、「社会起業家」「脱原発運動」「自死*3」「最幸*4」「志事*5」などの標榜に通じるものがあると考えている。詳細は、上記引用記事*6を参照されたい。
「ミニマリスト」という語の定義
「ミニマリスト」という語の初出に関しては、下記の記事であると院生は記憶している。著書、文献資料などにおける指摘についてご存じである方は、お教え頂けると幸いである。
ここでは、ミニマリストに関する記述のみ抜粋(赤字部分):
そしてミニマリストは、最小主義者、持ち物などを最小限にして、シンプルな生き方をしている人を言います。断捨離をする人もこの部類に入るかもしれません。この図の通り、ノマドワーカーやミニマリストであることは、「ノマド」であるための十分条件であり「ノマド」であることは、ノマドワーカーやミニマリストであることの必要条件であります。
つまり、ノマドワーカーやミニマリストはあくまで「ノマド」を構成する1要素に過ぎず、「独立してスタバでパソコン開いて働いている事」は、「ノマド」になるための必須条件ではありません。故にサラリーマンでもノマドになれるのです。
ノマドワーカーとミニマリストは、「ノマド」を構成する大きな要素でありますが、それ以外にも「ノマド」を構成する要素はたくさんあると思っています。単に、安藤美冬さんみたいなノマドワーカーや、村上アシシさんみたいなミニマリストが現在メディアに「ノマド」として取り上げられる傾向があるというだけの話であり、これから違う形の「ノマド」が出てくるかもしれません。また、世間で取り上げられているような「ノマド」とは全然生き方は違うけれど、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグも「ノマド」であると僕は思っています。
このように「ノマド」と言っても色んな形があり一言で定義するのは難しいですが、上に挙げた人たちの共通点を洗い出すと、「ノマド」=「自由に楽しく生きる事を心から実践している人」と言えるのかもしれません。
また、主に自ら「ミニマリスト」を標榜する人々による定義が書かれた記事については、 下記にまとめられている*7。
本論における問題の所在:院生による「ミニマリスト」 への指摘など
上記引用の「ミニマリスト」を巡る定義などをめぐって、問題の所在を指摘する。この内容に関しては、後日、時間があれば記事にまとめたいと考えている*8ので、本日はツイートにより記事をまとめた。
なお、その作業にあたって、ドボン会会長殿には困惑、不快感に通じるものを与えた模様なので、その点に関して、この場を借りてお詫び申し上げる*9。
あと、これは読み手全般に対し、議論の前提として(一部は教育的配慮として*10)書いておくけれど、本論における全ての批判は、学問的なアカデミアの作法に則ることを基本とする。すなわち、あらゆる批判は、相手側の手法、作法、行動、解釈、データによる検証およびその妥当性、議論展開、論理性、事実性などに対してのみ行われ、相手の人格を貶めるものではない。従って、中傷の意図は皆無であり、ブログをやめる必要などはないし、作法に問題などがあれば、以後改めればよいのである。その点で、本年9月の○ー○○ャ○○問題において用いられた作法とは、本論における議論が一線を画するものである点に留意されたい(「サイコパス」とも呼ばれた批判は、相手に謝罪させ、精神的に追い詰めることに目的があった。本記事は、ミニマリストに対する共通理解を深めることだけが純粋な目的である)。なお、本記事に対する批判も、その論点および内容に関するもののみが妥当である。
なお、「批判」に関する作法については、下記のブログを参照されたい:
作家にとっての批判と技術者、研究者にとっての批判 - 発声練習
① 序論
今日の記事はこんな感じ。【概要】近頃、「ミニマリスト」を標榜するブログが増えつつある。象徴的出来事として、昨日の. @dobonparty 氏による指摘は記憶に新しい。本日の記事では、その指摘を踏まえ、「ミニマリスト」を巡る定義の不一致などを整理する。
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
(続き)そして、「ミニマリスト」に対する複数の記事における解釈的誤謬の存在を指摘する。そして、「ミニマリスト」を標榜する集団の「はてなー」における活動およびその成果を客観的に評価した上で、その意義づけを行う。結論として、いわば「バブルの亡霊」の呪縛が解釈の違いを生んだと推測する。
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
② 先行記事と問題の所在
本記事における指摘は妥当であり、「ミニマリスト」を標榜する集団の不作法、その反社会的を気取り切れていない未熟な行動に対しては苦言が呈されても仕方がない。しかし、この解釈には誤謬が含まれているのでは。 / “ミニマリストっていうのは…” http://t.co/LKmLpjVTRZ
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
③「ミニマリスト」の定義をめぐって:批判的検討
「ミニマリスト」とは、派手であり、ゴージャスであり、野心的であり、生き方の指針であり、現代社会における生存方法であり、適応のための解である。その心意気は、決してネガティブではなく、表面的には「簡素」ではあっても「清らかさ」の類は見られない。こんな記事を書こうと思っていたけど飽きた
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
「ミニマリストは豪華一転主義」という言葉があってだな。現在のはてなーにおける「ミニマリスト」ブームは、2012〜2013年の「ノマド」に次ぐものと位置づけられる。なお、その代表格、安藤美冬氏、常見陽平氏が「ノマド」に対をなす「大学」という旧体制側の組織に就職して終息を迎えつつある
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
補注:「ミニマリストは豪華一点主義」とは、前述のmakfiveさんの記事にあったものであるが、調べたところ現在は消失している模様。
なぜ、「ミニマリスト」を自称する集団には、蔑視、嫌悪感に似た視線が向けられるのだろうか。「簡素清貧」という解釈は妥当ではない。ミニマリストとは、反社会的であり、アンチテーゼである。しかしその作法と行動指針は、矛盾を内包しており、決して好まれるものではないと見られるのだろう。
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
ここでの論点であるが、院生は「清貧」という表現は(「ミニマリスト」を表象する、言葉の適切性という観点から)誤りであると考える。
ただし、下記の「こういう言葉が元々…」の文における記述に関しては、全面的に同意。「ミニマリスト」を標榜しているのが、実際に20代を中心とする年齢層であるという事実からも妥当*11:
貧しいながらも簡素に心清らかにという意味だ。
これなんかはまさにミニマリストのことだろう。
こういう言葉が元々あるのにあえて新しい言葉を作ったのか探して来たのか分からないけれど、さも新しい価値観ですよと意識高い系の奴らが喧伝してウブな若者が引っかかってしまうのだろうと思う。
ミニマリストの、一見、表面上の「ミニマル」さは簡素さ、と捉えることが可能であるかもしれないが、その集団の、定義(用語法)に対する一貫性のなさ、社会性の欠如などは、「清貧」という言葉によって形容できるものではない。清貧とは「私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」の意*12。彼らは私欲の塊であるし、(人物によっては)野心的であって、行いが正しいとは、とてもではないが言い難しい。質素倹約、の美徳で行動をしているか、という点も首肯しかねる。少なくとも、「質素倹約」という言葉に見られる、つつましさ、素朴さ、といった特徴*13は「ミニマリスト」には見られない。むしろ、近頃の若者にありがちな、「意識高い系」の、上記引用の言葉を借りれば「うさんくさい」雰囲気が漂うのである*14。そのような意識の高さは、本人達からすれば「粋」という言葉を当てはめたいのかもしれないが。
なお、この部分に関しては、後の「全部姫姉様の思惑通り」という記述にも通じるところがあることを指摘しておく。
④「ミニマリスト」という語の印象論に関するまとめツイート
なお、以下2つのツイートは、要約のつもりで書いた*15。なお、かっこつけて書いたが、他意はない。
ミニマリストは「簡素清貧」じゃないよ。各々の信念を持って行動し、時にゴージャス、時に反社会的で、混沌とした空間・人的関係・議論を嫌悪し、その理念には単純化・明快化された美徳が見られ、社会適応としての新たな手法を備えた、先鋭の新時代的ゲリラ集団だといえる。ワイルドだろ〜
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
補記:ただし、現代社会の、超膨大な負債がのしかかってくるという現実に対する、ある種の「諦念」のようなものが漂っている、とみる説もある*16。意欲として、院生の周囲には特に「意識高い」集団の友人達が揃っているが、彼らは現在、社会に対して「挑戦中」の段階にあり、友人として希望を持って見ているが、果たしてその結果がどのようなものとなるかは現時点においては判断ができない。ただ、大変そうであれ、楽しそうには見える*17。
これが一番シンプルな「ミニマリスト」の定義じゃな。「ゴージャスでワイルド、税金も払いながら貯金もできちゃう、新時代への適応メソッドだよ☆信念はみんな超個人主義だよw」以上。
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
補注:姫姉様(id:horitsukiko)、はぴらきさん(id:hapilaki)を見ていると、そんな気がしないでもない。ただし実態については、収支などについて直接確認したわけではないので不明。よってこれ以上の議論は避ける。
ゴージャスとワイルドは共に、もともとのミニマリズムの趣旨とはまったく正反対の方向性だなあ。
— 近田 (@chikada06) 2014, 10月 27
補注:なお、院生が前回「ミニマリストの定義」に関して記した記事においては、「ゴージャス」「ワイルド」等の属性が散見されることを指摘している。旅人、ヒッピー系の若者とも親和性があり、彼らにも影響を与えていると考えられる。従って、ここでは、これらの存在を包括的に捉えている。詳細は、旅人系の若者のブログなどを参照されたい。
なお矛盾については内包されていると指摘済み(ツイートではまだかも…)なので、定義上の矛盾はしていない(矛盾を含む、というかミニマリストを自称する集団自体が矛盾する特質を兼ね備えているので、そのあたりがややこしい)。まー時間掛かりそうなので、ぼちぼち合間を見つけてやります。
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
あー「ファッション性」というのも、ミニマリストなる集団の、特徴であるかもしれない。だが、それは謎のファッション性であって、周囲からすると謎に包まれすぎているんだけど「別に理解しなくてもよくね?」と突っ返されて、ますます共通理解的なところから遠ざかるばかりで…
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
補注:姫姉様、などのブログを参照のこと。ここではファッション性とミニマリズムの融合が述べられている。この思想は、他のブログにも波及している。
補注:なお、これについては、以下のような指摘もある。
ヒッピーだったら、大量生産大量消費を行う資本主義社会(と社会主義の対立)への反発というのが第一義にあると思うんだけど、ミニマリストにはそうした核が見えないのが不気味に見えるんだろうな。
— 近田 (@chikada06) 2014, 10月 27
どちらも、権力闘争からの脱却とか、アンチテーゼとか、就職活動とか、社会とか、そういう「社会的なしがらみからの脱却」のようなものを求める傾向がある、という点で類似しているかもしれない(社会権力を打破した例は見ないが)。人生において一時的に傾倒したくなるのかなあ、って見ている>RT
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
補注:上述のことに加えて、引用した会長の記事との比較、対照においても見られることだが、現代社会に対するある種の「諦念」のようなものが見て取れる。これは、2000年以降の「自由人」ブームにも通じるものがあるのではないかと考えている。ヒッピーの時代は、ベトナム戦争、学園闘争などの時代背景の影響もあると思うのだが、これについては今後の課題としたい。
⑤ 結語にかえて:はてなーにおける「ミニマリスト」の台頭について
なお、会長殿も指摘していた、「ミニマリスト」の台頭に関してであるが、院生は、その原因は、他ならぬ姫姉様(id:horitsukiko)の啓蒙活動にあるとみている。
はてなーにおける「ミニマリスト」の台頭は、姫姉様の啓蒙活動の成果、と見ることは果たして妥当であろうか。影響力については検討の必要があるが、そのような意図を持って活動が行われている(とのことである)点については、下記のツイートも参照されたい*18。
そうそう、近頃、はてなーで「ミニマリスト」が目立つというのは、姫姉様.@clean_high のプロパガンダの成果であって、色んなブログで取り上げられているのはアクセスアップに貢献するから美味しいだけなんだよ☆ミ どんどん燃えればいいのだ。そして最後にニヤリと笑うのが姫姉様。神!
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
.@clean_high 冗談ではなく、実際に大成功してますからねwwwwwww「ミニマリストは…」と複数のブログで指摘されているのは、その成功を表す客観的な評価だと思います!不況ではないですが、現時点においては大成功していると思いますw宣伝能力すごい!
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
以上のまとめ
・ミニマリスト集団は、それに対して行われている批判に対して、謙虚に受け止めるどころか議論は平行線を辿っている。それが嫌悪感を助長している可能性がある。
・院生は、ミニマリストは「清貧」ではないと考える。むしろその美徳、姿勢、態度は、「簡素清貧」を冒涜する、という方向性に近いと考える。
・「ミニマリスト」が目立ちつつあるのは、いわゆる「ミニマリスト」的な集団が、その活動において、一定の話題性と成果を上げている証拠に他ならないのではなかろうか。客観的な証拠として、納税、国民年金、健康保険等の支払い、奨学金の返還もこなしつつ、十分な貯金を貯めながら自由に活動を展開している。これは、重い「バブル世代からの、巨額の負債」とされる負担に対しても、決して絶望的、貧乏に「甘んじる」という発想ではなく、新時代への適応という道筋を提示するものではなかろうか*19。
なお、「ミニマリスト」に類する「ノマド」というブームも取り入れつつ、会社組織を否定しない生き方を推進する、下記の常見陽平さんらに関するツイートも参照。
「社会への適応」という観点から:ノマド、ミニマリスト、シンプルライフ
ちなみに、常見陽平さんは、ノマド、ミニマリスト、遊牧民、などの社会的概念をうまく著作に取り入れつつも、学術的見地と社会学の視点も広く吟味した上で、若者を巡る問題点を整理し、社会に問うという①学問的貢献、②社会的貢献、をダブルでこなされている方なので、新時代のロールモデルだからな!
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
このような方向性こそ、時代に適応し、現代社会において活躍している若手のロールモデルたりうる生存戦略であるといえるので、いわゆる「ミニマリスト」系の人々に対しては示唆的知見を与える存在であるといえる。人生は、適応のプロセスであるのだ。
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
むむむ。ということは、「ノマド」「遊牧民」「シンプルライフ」的な発想が、うまく常見陽平さんの著作や活動の中に取り入れられて、論じられていただけなのかもしれない(解釈が甘かった可能性があり、もう一度検討してきます。誤りなどあればご指摘下さい。お詫び申し上げます。)>一連のRT
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
追記:「バブルの亡霊」に基づく解釈の誤謬?*20について
貧乏が故に欲しいものが買えない苦しさを、ミニマリストという言葉で慰めているように見える。
金持ちが下品な金の使い方をすると「成金」と揶揄されるように、貧乏なのをミニマリストという言葉で覆い隠すのもなんだかモヤモヤする。
お金を持っているがミニマリストをやっているという人がいることも理解しているけれど、やはりそれは例外で多くの人は貧乏になったんだと思う。
みんながお金を持っていたバブルの頃はそれこそ消費バンザイだった。二十歳そこそこの若者がスポーツカーを買い、女の子はブランド物を買いに海外旅行に行っていた。
バイトでも時給が1500円以上とかザラにあったし、そもそも大人が金を持っていたから金がぐるぐる回っていた。好景気では消費が推奨され、今のような不景気では倹約が奨励される。
当たり前といえば当たり前なんだけど、このままだと景気なんて上向きになんかなりっこない。先行き不安な社会だから個人防衛として消費を抑えて貯蓄に回すのはよく分かるんだけどね。
バブル世代の放蕩な金の使い方やモノの持ち方なんかを見て育った世代が、そのカウンターとしてのミニマリストなのかなとか考えてみたけどどうもよくわからない。
なお、会長殿の批判からは、バブル的価値観への回顧のようなものが感じられてならない。おそらく、20代以下の世代は、バブル崩壊の面影もすらを、実体験として感じたことがないのではないだろうか。会長殿世代は、バブルにおける最盛期を体験されているからこそ、若者層に対して、ある種の「可哀想に」という見方をしていることが感じられるのだが、如何だろうか。
そもそも、20代の若者は、現在の状況を「可哀想」とは感じておらず、むしろ「今を楽しもう」という発想にシフト・チェンジをしているように感じられるのだが、それは院生の周囲の人物達が、特殊な部類に入るからかもしれない。ここは、20代の意見を聞かせて欲しいところである。
一部で流行りだしてるらしいミニマリストっていうのはいったいどこに向かって行く気なんだろう。
なお、これに対する院生の解は、下記のツイートにある。歴史は繰り返す、これが真であると思う。「ノマド」がそうなりつつあるように、「ミニマリスト」も、所詮は一過性のブームにすぎないだろう。勃興しつつある価値体系*21は、選択、修正などのプロセスを経て、やがて移り変わっていくものであると思う。現在はその過渡期にあるのだろう。
「ミニマリスト」「シンプルライフ」などの概念は、以前から類似のもの、ブーム、用語が名を変え流行してきたのではないか(断捨離、そうじ力、等々)。似たような言葉は以前からあって、どの世代も似たような方向性へと傾倒していく層が一定層はいて、そして社会に揉まれて消えていくイメージな!
— ミニマリストになりたい?院生(困惑中) (@noth_ima) 2014, 10月 27
会長殿のブログ記事において指摘されていた、ある語に対し、原義とは異なる新たな意味が付与されていること、あるいは同様の意味を持った言葉が誕生し、両立していくことに関しては本論では扱わない。例えば、本論において取り上げた「ミニマリスト」の意味、たとえば「オシャレ」「断捨離との融合」「反社会的ではない」などの意味をもって使用されていくことによって、新たな意味が付与されていくのではなかろうか、と考える。姫姉様の用法では「オシャレ」の意味も含まれていると思うのだ。>専門家さん、頼みます!
*1:実際のところは、そこまで深まらないと思う。
*2:なお、上述の記事の議論においては、下記の院生による記事は踏まえられていないものと考えられる。また、「ミニマリストっていうのは簡素清貧」という指摘に関しても、異なる解釈をもっている。詳しくは後述するが(日記自体、書かないかもしれないが)、捉え方の違いに、育ってきた時代、環境などの要因の影響が考えられとても興味深い。「バブルの亡霊」の影響があるとみている。
*4:「最高」に対する、意識高い系の若者が用いる表現。なお、院生の観察では、新興宗教にはまっていく人や学生団体などに多い。
*5:「仕事」に対する、意識高い系の若者が用いる表現。「最幸」に同じ。
*6:長い。
*7:ただし、ミニマリストではない人による記事も含まれているので注意。
*8:今、書いているところだが多すぎるのと検討すべき資料が多いので、本日はパス
*9:なお、twitterにおける作法に関する共通認識に関しては、事前に同意があったものではなく、その点に関しても、その後、議論と対話は行われておらず、合意は得られていない。説明、および作法についての見解があるのであれば、こちらは聞き入れた上で対話を行う姿勢をもっています。基本的に、上記の記事の内容に関しても好意的に捉えています。そして、それだけのことを明文化したという点は、大いに評価されるべきことであると思います(「ミニマリスト」をめぐる議論において)。批判に関しては、下記を一読の上、お待ちしております。但し、見当違いのものに関しては断固拒否します。
*10:卒論書いたなら教わっているはずなんだけど、どうも一部の反応を見ると認識として共有されていないようなので、念のため書いておくな?「そんなの習わなかった」じゃなくて、自身の勉強不足を反省しましょう。そういう意味で「教育的配慮」と書いておいた。大事なことなので2度言った。誰もこの部分の記載に釣られないことを願う。
*11:同じ若者世代として、情けない限り。ただし、指摘しようとすると嫌な顔をされてしまうため、滅多に言わない。但し研究者としては厳しく言っていかねばならないし、同様のことに対しては賛成の若者も少なからず院生の周囲にはいます。意識高い系だけです、こういうことを言うのは!
*13:オシャレをするとか、自宅のゴミをコンビニに捨てる、と炎上しかけた記事のことだとか…ミニマリストの皆様に関しては、こんな書き方をすると申し訳ありません…。記事上、批判的に見るセクションのため、失礼などありましたらお許しください(私信)。
*14:この記述に関しては、具体的な引用は避けるが、本論においてところどころ行われている引用先や、はてなにおいて痛烈に批判を受けたミニマリスト、シンプルライフ系の記事を見ればわかる。詳細は割愛←個人的に聞いて下さい!
*15:つもりであった。その割には妥当ではなく、どこか「意識高い」系が漂う文章であるので、その点では若者らしさが出過ぎている。この点については、説得力という観点から、失敗したといえる
*16:後述。
*17:なお、「シェアハウス」などという疑似家族に関しては、本論の対象外とするので今後の課題としたい。
*18:ただし、作為性も見られるので、その点については注意が必要な!
*19:但し、院生の周囲に、前述の若者や、姫姉様、はぴらきさんらなどの「意識高すぎる系」や、いわゆる「トップ・エリート」層が集まりすぎているという可能性は否定しない。
*20:「相違」とした方がよいかもしれない。ただし、院生などをはじめとする20代の間においては、バブル時代への憧れのようなものは決して抱いておらず、その点を鑑みると、「バブル」を基準とした観点から論じる、というアプローチは、いわば「バブルの亡霊」に憑かれた誤謬的解釈であると見ることができまいか。いわゆる「若者」目線から、どのように思うかの意見を聞かせて欲しい。
*21:体系などと呼んでよいものかは不明だが。