3.11千葉でも核爆発が起きていた?!
(wantonのブログ記事 「証拠写真】3.11 千葉 市原コンビナート爆発時のキノコ雲」より転載)
非常に重大な情報が、ネットに載っていましたので、転載させて頂きます。
2011年の東日本大震災が起こった3.11の時に、市原市にあったコスモ石油のコンビナートが爆発炎上しましたが、その時隣接していたチッソ(水俣病の加害企業として有名)石油化学の倉庫に保管されていた劣化ウランに引火してどうも核爆発を起こしていたようなのです。
震災が起こった3月11日~15日位までの間は、千葉や東京などにはまだ福島第一原発からの放射能は降っていなかったのですが、その間に鼻血が出てきていた人々がいたようです。
その辺から、衝撃の事実が明らかになってきました。当時、千葉の地方紙が間一髪セーフの記事を載せていたようですが、事実は違うようです。
ウランを貯蔵していた倉庫の屋根がなくなり、これは明らかに全焼のレベルです。
市原市在住の元アナウンサーの山川氏が、健康被害の為に農業を続けられなくなったと発信していますが、市原市で核爆発があり、放射能がその周辺に降り注いだからではないでしょうか。
今後、この周辺の子供たちや住民の健康被害が心配です。
以下は、wantonのブログ記事「今騒ぎになっている「鼻血」に関するある恐ろしい話」より転載させて頂きます。
(転載開始)
今騒ぎになっている「鼻血」に関するある恐ろしい話
低気温のエクスタシーbyはなゆー さんのサイトより
2011年3月・4月に「鼻血」を出したとツイートしていた人々
http://alcyone-sapporo.blogspot.jp/2014/04/blog-post_6400.html
<一部引用> 必見 ↑
http://twitter.com/yumifuumi/status/58479978387476480
3月13日に鼻血でて不審に思いました(>_<)千葉県船橋市です。
http://twitter.com/akihonakano/status/58531654200868864
私は3月14日頃帰りの電車の中でいきなりたらーっと片方鼻血がでましたが、関係あったのかな。東京です。
<引用終わり>
******************************************************
【証拠写真】
3.11 千葉 市原コンビナート爆発時のキノコ雲
http://ameblo.jp/64152966/entry-11361051451.html
私は千葉と東京の県境、ディズニーランドの花火が見える位の場所に住んでいます。
地震直後ちょっと外に出て近所の安否確認をしたくらいで、自宅におりましたが、13日の午後駅までタクシーで関西の実家に避難しました。
電車の乗り降りだけでそれほど外にいたわけではありません。
その夜、生まれて初めてという位、びっくりする位の鼻血が出ました。
ティッシュで押さえ切れずに抱えたゴミ箱にぼたぼたこぼれるほど、なかなか止まらない異様な鼻血でした。
なので15日以前の数値は実感としてウソだと思います。
Qちゃん 2012-09-02
*******************
3月11日
東京から千葉に歩いて帰る時にガイガ-カウンタ-が鳴りました。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11342224139.html
3年ほど前に買いました。
3/11東京から千葉に歩いて帰るときに初めて音がなりました。
その後も東京千代田区の事務所で出勤時から約1時間の間に30秒間隔で1回(1mSV/h)なってます。
(最近はならない日が増えました)
3月末位に船橋周辺(高速)を車で走ったとき2回(2mSV/h)なってました。
(車の窓を閉めろと1回に減りました)
音を止めることはできませんが、かばん等に入れるとかなり低くなります。
今は体外より体内のほうが気になるので計測できるもののほうが良いかなと思います。
他のサイトで
「気温の上昇中には過敏で気温の下降中には鈍感」とありました。
車や室内で気温が上昇中の場合は少ない放射線量でも過剰に反応している可能性があるようです。
(1~2回の連続音の場合で気温の上昇がある場合は1時間ほど様子をみる必要がありそうです。)
4/23も自宅で寒い部屋から暖かい部屋に移動したら鳴りましたが1時間くらいしたら鳴り止みました。
3/11に歩いて帰っている途中に立ち寄った避難所で休憩中に鳴りました。
(このときも寒い外から避難所に入り気温の上昇がありました)
<引用終わり>
******************************************************
福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/radiation/timeline/documentary.html
<一部引用>
2011年3月11日
[15:00] 14:46に東北地方太平洋沖地震発生。放射線量率の増加は特になし。
2011年3月12日
[10:00] 10:17に1号機のベント。
この影響で構内でも放射線量率の上昇が見られ、10:30に正門で385.5μSv/hを観測。
この時点では北北西の風によって、南南東の海上へと放射性物質は主に流れていた。
[15:00] 15:36に1号機の建屋が爆発。
この時間帯は北風が東風から南風へと回転する途中の時間帯であり、
内陸に放射性物質が流れた時間帯もあった可能性はある。
しかし風向きが回転を続けていたため、集中して1箇所に流入することはなかった。
[17:00] 17:00頃には強い南風となった。
南相馬では、17:46には放射線量率が0.82μSv/hに上昇しており
(平常時は0.05μSv/h程度?)、
この時点ですでに放射性物質は到達していたと推測される。
南相馬は原発の北約24kmに位置するが、建屋爆発の2時間後の観測値の上昇が建屋爆発の影響によるものかどうかは不明である。
どちらかというと、朝からのベントで放出された放射性物質が到達していたのではないかと思える。
[20:00] 南相馬の放射線量率は上昇を続け、20:00には17.08μSv/hに上昇。
この時間帯に、福島第一原発からの風がちょうど南相馬を通る方向に回転してきたと考えられる。その後21:00には20.00μSv/hにまで上昇したものの、22:00には12.00μSv/hに低下し、それ以後も減少を続けた。
これは福島第一原発からの風向がさらに回転して、海上方向に向いたためであろう。
なお南相馬においては、この時間帯の放射線量率が、期間を通して最大の値である。
[23:00] しかしこの風向の回転によって、プルームは海上を北上することになり、約110km離れた宮城県の女川原子力発電所に到達する。
ここでは21:00頃から放射線量率が小刻みに上昇を始め、
日が変わった13日の2:00頃に最高値の21μSv/hを記録した。
ただしこの北上の時間帯の後、風向きは南西風に回転したため、
大部分の放射性物質は海上へと移動することになった。
2011年3月13日
[09:00] 午前中は陸から海に向けて微風が吹く環境が続いた。
午前中に3号機と2号機のベントがあったため、構内でも放射線量率が増加したが、
どうやらこれは北方の海上に向けて広がったようである。
[18:00] 夜になると陸から海に向けての風が強まったため、
大部分の放射性物質は海上に流れたと考えられる。
2011年3月14日
[02:00] 未明から構内の放射線量率は増加を続け、
2:20には正門で751.2μSv/hを観測。
ただしこの時点でも陸から海の方向への風が続いていたため、
おおむね北東方向の海上に拡散していったものと考えられる。
[05:00] 5:20に3号機で再びベントを実施。11:00には建屋が水素爆発した。
しかしこの日はずっと陸から海の方向に風が吹いていたため、
陸上では放射線量率の大きな増加は見られなかった。
[22:00] 21:37に正門では3130.0μSv/hを観測。
そしてこの頃から風向きが、しだいに北風に変わってきた。
2011年3月15日
[00:00] 0:02に2号機をベント。この時点では風向きがすでに北風に変わっていた。
北風に乗って放射性物質は福島浜通りを南下。
[04:00] いわきでは1:00に4.22μSv/h、4:00に23.72μSv/hを観測した。
いわきは原発から約43kmであるため、22:00頃に風向きが変わってから2時間ほどの1:00頃に最初のプルームが到達、そして2号機のベントでより濃度が高まったプルームが2:00-4:00頃に到達した可能性がある。
[05:00] 放射性物質は北北東の風に乗ってさらに南下し、関東各地に到達した。
まずは茨城県のモニタリングポストで放射線量率が急上昇し、その後は関東各地のモニタリングポストでも放射線量率が急上昇した。
<引用終わり>
******************************************************
管理人
311からの詳細なデータが残されています。
皆さんも保存しておかれることをお勧めします。
さて、詳細に検討した結果、大きな風向きという観点から、2011年3月11日から14日までの間においては、福島原発由来の放射能ブルームが、首都圏を襲った可能性はほとんど無いようです。
上の引用コメントの2人の方は、3月13と14日に鼻血を出したとあります。
もし、放射能被爆が原因と仮定すると、3月11日か12日には、既に被爆していたと考えるのが最も自然です。
しかし、福島原発由来のものは、まだ首都圏に到達していないはずです。
という事は・・・
他で考えられるとしたら、3月11日の千葉チッソ劣化ウランしか考えられません。
ウラン触媒は燃えないと言っておられる人もおられますが、
「当時、革労協が湾岸戦争のすぐ後に、劣化ウラン貯蔵プラント調査をして、京葉コンビナートはチッソ千葉工場の労働者からの聞き取りで、劣化ウラン20トン貯蔵プラントにあります」という報告をうけています。
そして、劣化ウランは、600~700℃で、爆発的に燃焼することが、既に、明らかになっています。
粉状だと、200℃で煙を出し燃え出すそうです。
千葉チッソの劣化ウラン格納倉庫は、全焼しており、建屋の鉄筋が、グニャグニャになっているのが、グーグルアースで確認されています。
建物が焼け落ちる時の最高温度は、瞬間でおよそ1000℃です。
大抵は、500~700℃で燃え続けるのが通例です。
建物の鉄筋の融解温度は、1500℃以上です。
つまり、数千度の高熱が発生したとしか考えられない訳です。
劣化ウランから発生する放射線量は、思ったほど高くはありません。
だから、隠し通せると考えたとしても不思議ではありません。
しかし、千葉モニタリングポストは、当日、夕方から夜にかけて、上昇しているのが確認されています。
ただ、この千葉モニタリングポストさえも、捏造されている可能性を発見致しました。
1年中、データが記録されているのにも関わらず、何故か、311当日の午前中だけ、点検中と記録されています。
365日の中で、偶然、311当日が点検中だという訳です。
当ブログに寄せられたコメントより
ren 様
あの後、断続的に松戸には黒い雨や黄色い微雨が降りました。
黒い雨はイチハラ炎上の後。その後黄色になりました。
16日に出掛ける予定があったのですが、丁度、乗車時にも降り始めたのではっきりと覚えています。
政府は「黄砂」だと仰っていた。
それと、途中のSAは、自衛隊でいっぱいでしたが、しつこく「東電の社員の家族の方ですか?」
「ガソリンの備蓄は配られたものなのか?」「行き先は、やはり、西の公共施設ですか?」としつこく聞かれました。
ソラリエフ 様
■私は全く逆でしたね
五井のタンク爆発の瞬間を目撃しましたし、それだけでも危険なので、中学生に早く家に帰って家から出ない様にして!という指示を出してます。
チッソは同時進行ですが危険なので外出は気をつけないのはおかしいだけ。
五井エリアから北側は少なからず危険だったはず。
雨も自然じゃない黒い雨もすぐに降ったし、しばらく黒い雨が雲が出来て降っていました。
ここを封鎖したのは東京消防庁です。
千葉県にもかかわらず千葉県警も千葉消防局も立入禁止でしたから。
東京消防庁が管理した理由が明確じゃありません。
<引用終わり>
************************
お二人とも千葉の方ですが、黒い雨や黄色い雨が降ったと証言されています。
ところが、ヤフーの北西部(千葉)の過去の天気を見てみると、3月中は、雨が降ったと記録されていません。
これは、大変おかしいと思います。
千葉の現地の人がウソを言っても何の得にもなりませんし、お二人とも、いい加減なことを話されているとはとても思えません。
必死なお気持ちで、コメントされて来られたものと確信しています。
訴訟になった時の事を考えて、黒い雨の証拠を消したんじゃないのかな!?
恐るべし、原発マフィア!
以下で、確認出来ます。
北西部(千葉)の過去の天気 2011年 3・4月
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/past/12/4510.html?c=2011&m=3
【原発問題】3月以降、首都圏を襲った黒い雨…
「千葉県で異常な高線量値」
スーパーホットスポットは首都圏のあちこちに?
http://read2ch.net/newsplus/1320398330/
<一部引用> ある気になるコメント
「(現場のある)丘の頂上付近は平らになっているので、やはりこの平地や斜面の汚染された雨や土がここに集まって凝縮された可能性が高いです。
しかし、このスーパーホットスポットは山に囲まれた谷間にあるというわけではないし、頂上の平地もせいぜい150㎡ほどの小さなもの。
いくら柏市は町全体がホットスポットのようになっているとはいえ、その程度の土が流れ込んだだけで、これほど高い濃度の汚染が生まれるとは……。
どれだけ高濃度の放射性物質が降れば、こんな 汚染が起きるのか、想像すらできません。
3月以降に首都圏を襲った“黒い雨”を、もう一度検証し直す必要があるのではないでしょうか」
首都圏でも、福島第一原発の周囲と変わらぬ高濃度の放射性物質が潜んでいた。
3月以来、 政府は事実隠蔽の限りを尽くしてパニック回避の方針を貫(つらぬ)いてきたが、それも限界に達しつつあるということか。
今回のようなケタ違いのスーパーホットスポットが、首都圏で再び 発見される可能性を誰も否定できない。(終わり)
<引用終わり>
重要関連記事
東京湾岸と千葉が20トン劣化ウラン地獄に! 汚染の事実を知る内閣府官僚とイオンは千葉から脱出
http://ameblo.jp/64152966/entry-11483165983.html
https://twitter.com/Takaoyohey/status/248816145270992896/photo/1
http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/91d473786fa3cb19aea0e647e4f9e9fc?fm=rss