『物理学と感覚』この章は物理学の本質に迫りその正体を書いた話だと思いますが難...
質問者
2014/10/2412:34:23
『物理学と感覚』この章は物理学の本質に迫りその正体を書いた話だと思いますが難しかったです。
「客観的の実在を疑う者が多数あるようだがわれわれ科学者はそこまで疑わないことにする。これがすべての物理的科学の基礎となる第一の出発点であるからである。この意味で全ての科学者は幼稚な実在派である」科学には客観的というものが必要なんでしょうか?また「幼稚な実在派」とはどういう意味でしょうか?「しかしにあらゆる経験の第一の源となる人間の五感がどれほど敏感でまた確実であるかということは是非とも考えてみなければならぬ。人間の肉眼が細かいものを判別で判別しうる範囲はおおよそどれくらいかというとまず一ミリの数十分の一以上のものである。最強度な顕微鏡の力を借りてもその数千分の一以下に下げることはできぬ」五感の重要性を説いた分だと思います。「物理学を感覚に無関係にするということはおそらく単に一つの見方を現す見かけの意味であろう。この簡単な言葉に迷わされて感覚というものの基礎的の意義効用を忘れるのはむしろ極端な人間中心主義でかえって自然をべつししたものと言われるのである。」感覚を無視すると規定がなくなりかえって難解になるということだと思います。正直これ以上はわかりません。ご解題よろしくお願いします。
また次は「病院の夜明けの物音」で頼みたいのですがご都合如何でしょうか?
補足糞虫が意味不明なことを話てますが私はスルーします。カミヤさん回答ありがとうございます。科学の本質が少しづつわかってきました。それと追伸というかお願いなのですが水曜日にパソコンが使える日なのでその日に『死の拒絶』に関する質問していいでしょうか?もちろん回答は土日で結構なので。
この質問は、nur_wer_die_sehnsuchtさんに回答をリクエストしました。
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2014/10/2523:18:50
最初の客観性の必要性というのは、近代科学の宿命なんだよな。
近代科学が何なのかと言えば、それは「誰にでもわかるようにする」、ということなんだよ。
それ以前の科学の多く、またもちろん他の学問というものは主観的で良かったの。科学にしてもまだ哲学との分離すらなかったんだしな。だから自分でどこまでも深く、幾らでも潜って行けたんだよな。
しかし近代になって、人間自身が全てを規定しなければならなくなったので、今度は誰にでもわかる、確固たる姿を持った科学にならなければいけなかったわけ。
そうすることで、原理さえ理解すればどんどん大掛かりにも展開出来るんだよ。それには客観性という、誰にでも理解できるシステムが必要だったんだな。主観を入れないように努力された、ということ。
例えば医薬の認可では、二重ブラインドテストというものを行なうんだよな。
どういうものかと言えば、新薬の有用性、また毒性の試験で主観的にやってしまうと不味いわけだ。主観を許せば、製薬会社は認可されて売りたいに決まってるんだから、適当なデータ解釈をしてしまうんだよ。
だから実験では被験者を二種類のグループに分ける。一つは新薬を使った人間たち。もう一つは新薬を使わずに、別な栄養剤とか生理食塩水なんかを使った人間たち。この二つのグループに明らかな違いが出ればいいわけだよな。
人間は知らない薬が自分の体に入ったことで、何か不安にもなるし、それで実際には無い感覚を抱いてしまう人もいるわけ。気持ち悪くなったりな。
だからブラインドテストというものが必要で、そういう心理的な要因と実際の新薬の要因とを分ける必要があるんだな。
さらに、二重ブラインドテストというのは、実験を行なっている人間にも誰が新薬を投与されたのかを伏せてしまうわけ。そうすることで、患者のデータに対して完全に先入観なしに接することができる、というな。つまりは客観性が求められる、ということだ。
「幼稚な実在派」というのは、カントのような偉大な哲学者に比して、というへりくだりがあるんだよ。
カントは世界の全ては自分の認識だけなのだ、という有名な哲学を構築したんだよな。つまり、自分が認識してない世界は存在していない、ということ。圧倒的な哲学だろう(笑)。
そういう高度なものに比較して、科学は人間中心ではない、客観的事実を中心とするように考えるものなんです、という遠慮で言っている、ということだな。
だから科学は人間の主観ではなく客観、即ち物質的に規定されるものを基準にしている、ということが述べられているわけ。
そういう大前提の上に、更に寺田は異議を唱えている、という章なんだよ。
人間の五感は確かに怪しい。人によって感じ方が違うのだから、確固とした科学には使えないわけだ。だからこそ、科学は人間の感覚から脱した物質現象に終始しようとしている。マッハ以降のマックス・プランクによる現代物理学の構築だよな。
しかし寺田はその意味を熟知しながら、人間不在の科学というものの間違いに警鐘を鳴らしているんだよ。
すでにアインシュタインの相対性理論の話が出ているよな。ここから寺田は既にその先にある暗黒を見ているんだよ。実際に原子爆弾が生まれたわけよな。だから寺田の先見の明には驚かざるを得ない。
人間は人間の持つ五感によって世界を把握している。そこから飛び越えることは可能ではあるわけだけど、それで一体何をするのか、という提言なんだよ。
人間に聞こえない音を探ることは出来る。音波は波なんだから、人間の可聴域以外の波長もあるわけだからな。
じゃあ、一体それを何の為に探るのか、と寺田は言っているわけ。
そのことを、最後の言葉として君が挙げた言葉で結んでいるよな。その中に「人間中心」という表現があるわけだけど、この言葉を使った寺田の真意を求めなければいけないんだよ。
その「人間中心」というのは、まさしく今の科学界のことを批判している。
つまり自分の名声と金を求めるだけのことなんだよ。「何の為」というものが、そこになっているんだよな。
だから非常に下らない矮小なものに向かっている人間が多いばかりか、とんでもない災厄を平然と現出する連中もいるわけ。
私が科学の道に進もうとする人間、学問を志そうとする人間に、必ずこの寺田寅彦の随筆を勧めるのは、こういうことなんだよ。寺田が持っている感覚こそが重要なのな。真の科学者の在り方なんだよな。
寺田は膨大な随筆を残しているわけだけど、それは学問を、科学を何故行なうのか、ということを常に考え続けた人間だからなんだ。人間のために役立つものを押し進めたかったんだよな。
ああ、次も了解した。でも何かわかりにくいこととかあったらいつでもどんどん聞いてくれよな。
-
2014/10/2619:39:45
ああ、ちゃんと本を読んでいる君であれば、糞虫のアホさ加減はよくわかるだろう(笑)。
原子爆弾の基礎理論がアインシュタインのものだってことは、紛れも無い事実なんだからな。
常に大バカを晒すのがこいつの生き方だから(笑)。致命的なバカを消す前に、質問を閉めてしまえよ(笑)。
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2014/10/2619:02:55
客観性の問題は簡単に見えるかもしれないけど難しいよ
たとえば「赤」という色があるけど
あなたが感じる赤と他の人が感じる赤は同じなのか
人間は赤いものを見て赤と言うけど
実際同じ光の波長領域のものを見て赤と言っています
だけど目に感じる赤が同じなのか
ここは疑問なんです
>客観的の実在
今の言い方なら客観的な実在です
昔は「的な」を「的の」と言いました
寺田寅彦がここで言っているのは客観の意味ではなくて
実在とは何かということ
あなたが見ていることは実際に存在しているのか
他人が見ているのと同じなのか
目の前にあるパソコンは現実に存在しているのか
それを問う哲学があります
寺田寅彦はそういう哲学の存在を認めつつ
科学者がそこで止まっていては先に進まない
だから実在は実在することにして科学をやろう
そういう意味です
実在論を議論する哲学者から見れば
そこを素通りして先に進む科学者は幼稚かもしれない
寺田寅彦が書いていることはそういう意味ですよ
>五感の重要性を説いた
違うでしょう
人間の感覚なんてこの程度のものですよと言っています
それでも感覚は重要だというのは以降の内容です
>物理学を感覚に無関係にするということはおそらく単に一つの見方を現す見かけの意味であろう。
実際にプランクがそう考えていたかどうかは分らないけど
寺田寅彦から見たプランクの考えは
人間の感覚を超越した絶対的な時間や空間がある
というものです
その上で寺田寅彦は
そういう考えも所詮はある人の意見でしかない
と考えます
そしてプランクの考えを
「一つの見方」を押し付けるだけだ
と言っているんです
>この簡単な言葉に迷わされて感覚というものの基礎的の意義効用を忘れるのはむしろ極端な人間中心主義でかえって自然をべつししたものと言われるのである。
つまりプランクの考えは人間の思い上がりだと言いたいんです
>アインシュタインの相対性理論の話が出ているよな。
相対性理論と量子力学を混同するのは素人だけです
その文章で寺田寅彦が説明しているのは量子仮説
間違わないようにしてください
>ここから寺田は既にその先にある暗黒を見ているんだよ。実際に原子爆弾が生まれたわけよな。だから寺田の先見の明には驚かざるを得ない。
阿呆としか言えません
素人向けの解説に良く「アインシュタインの発見が原子爆弾につながった」なんて書かれてるけど
書いてる人はバカです
鵜呑みにしてはいけません
アインシュタインの発見の
E=mc^2
で原子核分裂で膨大なエネルギーが放出されることが説明できるけど
それだけのことであって
原子爆弾や原子力エネルギーにアインシュタインの相対性理論が寄与したわけではありません
ちょい足しを取り消しますが
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