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【歴史戦 第7部 崩れ始めた壁(2)】韓国「真相明らかにして何が残る」 ずさんな元慰安婦聞き取り
更新韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」が公開した元慰安婦に対する聞き取り調査の映像=9月15日、ソウル(共同)談話急いだ“夏の虫”
韓国で戦後補償問題に取り組む市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」(会長・梁順任=ヤン・スニム)はこの9月、日本政府が平成5年7月にソウルの遺族会事務所で実施した元慰安婦16人への聞き取り調査の映像の一部を「河野談話 生きている証拠」と題して公開した。聞き取り調査は、慰安婦募集の強制性を認めた同年8月の河野洋平官房長官談話の作成過程で行われたもので、非公開が前提だった。
遺族会が公開に踏み切ったのは「安倍晋三政権が談話を極度に傷つけているため、証言の証拠が存在することを知らせる」ためだという。だが、映像公開はかえって聞き取り調査のずさんさを裏付けた。
映像は5日にわたる聞き取り調査を17分ほどに短くまとめたもので、16人中、金福善(キム・ボクソン)と尹順萬(ユン・スンマン)の2人が登場する。
「真相究明のために誠意を持って取り組みたい」
神妙な面持ちでこう語る日本側担当官の様子や、聞き取り調査にオブザーバーとして加わった弁護士の福島瑞穂(前社民党党首)が、金の隣に寄り添うように座る姿も映っている。
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遺族会は3年12月に日本政府を相手取り、慰安婦問題で、賠償訴訟を起こした当事者団体でもあった。当時の日本政府の内部資料によると、政府側は遺族会の姿勢について次のように分析していた。
「『訴状を参考資料として用いよ』『証言聴取の際には、遺族会としてビデオを入れる』など、この証言を契機に、慰安婦問題について今後の裁判、わが国への補償要求につなげていこうとの意図とみられる発言も随所にある」
にもかかわらず、聞き取り調査は遺族会ペースで進められた。宮沢喜一内閣の8月の総辞職の前にと、河野談話の発表を急ぐ日本は韓国側にとってまさに飛んで火にいる夏の虫だったのだ。
韓国「真相明らかにして何が残る」
「日本の巡査が(片腕を)ぎゅっとつかんで、朝鮮人男性が(もう片方の腕を)ぎゅっとはさんで引きずり出された」
韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」が公開した映像の中で、元慰安婦の金福善(キム・ボクソン)はこう語っている。金は「日本の巡査」に連行されたとしているが、金が暮らしていた全羅南道も含め、当時の朝鮮半島では巡査はほとんどが朝鮮人だった。
産経新聞が昨年10月に入手した日本政府の聞き取り調査報告書によると、金はこの時、巡査がこう話したと証言している。
「ここにこんなに美しい娘がいるではないか。1年だけ工場に働きに出すだけだから良いではないか」
仮に巡査が日本人だとすると、かなり朝鮮語に堪能だったことになる。報告書ではこの巡査と朝鮮人男性は金が連れていかれた先のビルマ(現ミャンマー)まで同行したことになっているが、地方警察の下級官吏がどういう立場で外国までついて行くというのか。
金は日本政府とは別にソウル大教授(当時)の安秉直らが行った調査では「巡査」ではなく「国民服(あるいは軍服)を着た日本人」と語り、後に日本政府を相手取り起こした訴訟の訴状には「憲兵」と記している。証言がころころ変わっていて、信憑性(しんぴょうせい)は低い。
言われるがままに
元慰安婦、尹順萬(ユン・スンマン)が証言する場面では、言葉自体が不明瞭で聞き取りにくい上、韓国側通訳が説明を大幅に端折ったり、言っていない言葉を付け加えたりで調査の体をなしていない。
「大阪に来た。路地があって、軍人もたくさん。裏に何十里も入っていくと慰安婦の寄宿舎があった。何もないところだった」
尹は大阪と下関で慰安婦として働かされたと証言するが、内地である大阪や下関には遊郭や娼館はあったとしても慰安所はない。
映像では、通訳は「日本の軍人3人が部屋に来て、連れていった」と訳しているが、実際には尹はそんな話をしていない。にもかかわらず日本側は曖昧な証言や事実とは考えにくい経験談についても、特に質問や疑問をはさまず、ただ聞いているだけだった。
聞き取り調査について、責任者であった元官房長官、河野洋平は平成9年6月、自民党の有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の勉強会でこう強調していた。
「被害者でなければ到底説明することができないような証言がその中にある、ということは重く見る必要がある」
だが、聞き取り調査の映像を実際に見ても、証言のあやふやさや、聞き取り調査の詰めの甘さばかりが浮かび上がる。
対日賠償訴訟にらみ
金を含む聞き取り対象16人のうち5人までが、3年12月に日本政府を相手取って慰安婦賠償請求訴訟を起こした原告だった。オブザーバー参加した福島瑞穂は訴訟の代理人でもある。
遺族会会長の梁順任(ヤン・スニム)は3年8月に、初めて韓国人元慰安婦の証言を記事にして慰安婦問題に火をつけた元朝日新聞記者、植村隆の義母にあたる。この記事で元慰安婦は匿名だったが、後に名乗り出た。対日慰安婦賠償訴訟の原告となる金学順(キム・ハクスン)であり、彼女も16人のうちの1人である。
「裁判のために作成した重要な資料である訴状を、当然、(調査の)参考資料とすべきだ。三権分立とはいえ、重要な問題を司法にだけ任せ、政府はほったらかしにしていいのか」
5年7月半ば、聞き取り調査の事前打ち合わせのため遺族会を訪ねた日本政府関係者に対し、梁は繰り返し訴状を資料として採用するよう迫った。裁判を有利に進める思惑があったのは明らかだろう。
ビデオ撮影に関しては「外部に公表するためのものではない。あくまでも遺族会の記録とするものだ」と繰り返し、「ビデオは不可」とした日本側を押し切った。日本側が聞き取り調査の目的は「歴史を明らかにし、真相究明を行うことだ」と趣旨を説明すると、こう反発した。
「歴史を明らかにして何が残るのか。責任はどうなるのか。罪の意識はないのか」「言葉でならいくらでも謝れる。首相も天皇も言葉では謝罪した。そんなものではだめだ」
政府は河野談話発表後、今日に至るまで聞き取り調査の報告書を公表していない。個人情報の保護などを理由にしているが、中身も経緯もずさんすぎて明らかにできないというのが真相なのだろう。(敬称略、肩書は当時)