御嶽山 極限の状況下での捜索
10月24日 20時05分
今月27日で御嶽山の噴火から1か月。
57人が死亡し、戦後最悪の火山災害となりました。
今も6人の行方が分かっていません。
本格的な冬が近づき、山頂付近の環境が日に日に厳しくなるなか、ことしの捜索は今月16日に中止となりました。
捜索に当たった隊員たちの証言から、現場では想像を超える過酷な状況で捜索活動が続けられてきたことが分かってきました。
長野放送局の島契嗣記者の報告です。
山頂で一体、何が
御嶽山が噴火したのは9月27日午前11時52分。
山頂付近で昼食をとったり、休憩したりしていた登山者たちが、突然、噴煙と噴石に襲われました。
どれだけの人が巻き込まれたのか、被害の全容が分からないまま、翌28日の早朝から警察、消防、自衛隊による本格的な救助活動が始まりました。
山頂にたどり着いた隊員たちが目にしたのは想像を絶する光景でした。
噴石の直撃を受けたとみられる登山者たちが、灰に埋まるようなかたちで次々に発見されました。
この日だけで31人の登山者が心肺停止の状態で見つかりました。
ぬかるむ火山灰で捜索難航
山頂付近に降り積もった火山灰は深いところで50センチ余り。
火山灰は当初、パウダー状でした。
しかし、台風18号が通過して状況は一変します。
御嶽山にも大雨が降り、水を含んだ火山灰はぬかるんで泥状になりました。
足をとられて転ぶ隊員の姿も見られるようになりました。
関東管区機動隊長野小隊の松島真彦分隊長は、「ぬかるみに足がはまると自力で抜けないこともあり、水田の中を歩いているようだった」と話しました。
この日から、捜索を終えて下山してくる隊員たちの服や靴が、ぬかるんだ灰にまみれて、どろどろになっていきます。
死亡した人たちが見つかった場所は
隊員たちが捜索したのは山頂周辺の26万平方メートル、東京ドームおよそ5.5個分にもなるエリアです。
死亡した57人のうち、半数以上の33人が山頂の剣ヶ峰と御嶽神社の周辺で見つかりました。
次いで多かったのが、山頂南側の登山道「八丁ダルミ」周辺で、16人が見つかりました。
ここは尾根沿いでさえぎるものが全くなく、このうち11人は登山道から外れた斜面から見つかりました。
噴石に当たったり、逃げる際に滑落したりしたとみられています。
中には登山道から30メートルも下の斜面で、火山灰に埋もれていた人もいました。
こうした急斜面では、命綱を使うこともあり、文字どおり命懸けの捜索でした。
山頂に迫る冬の足音
噴火から2週間を過ぎたころから山頂付近の冷え込みが一気に厳しくなりました。
朝晩は氷点下になり、水を含んだ火山灰は凍りました。
捜索に使っていた棒やスコップがささらない場所もあり、捜索は思うように進みませんでした。
そうした状況でも隊員たちは、「行方不明者全員を見つけて一緒に下山したい」と話していました。
一方で、高山病や低体温症で途中で下山する隊員も相次いでいました。
2回目の台風となる19号の接近を前に、捜索を指揮する幹部たちからは、「捜索は時間との闘いになってきた」ということばが聞かれるようになっていました。
捜索中止“断腸の思い”
そして迎えた今月16日。
噴火から20日がたっていました。
この日はこれまでで最大規模の1900人が投入されたものの、行方不明者の発見には至りませんでした。
下山した長野県警察本部機動隊の脇坂英二小隊長は「山頂付近は5センチほど積もった雪が凍結していて、滑ったら50メートルも滑落するような斜面での捜索もあった」と振り返りました。
長野県の阿部知事は、隊員の安全を確保するためには、この日が限界だと判断し、捜索中止が決まりました。
阿部知事は会見で「断腸の思いで決断した」と述べました。
過酷な状況のなかで捜索を続けてきた隊員たちも同じ思いでした。
関東管区機動隊長野中隊の浅岡真中隊長は、「全員を見つけてあげられず、行方不明者の家族に申し訳ない」と唇をかみました。
行方不明者は、どこに
行方不明者の家族たちは、捜索中止が決まる16日、自衛隊のヘリコプターに乗って山頂の捜索活動の様子を見守っていました。
ヘリコプターの中から行方が分からない夫の名前を呼ぶ女性の姿もあったということです。
捜索中止を伝えられた家族たちは、「残念ですが、これまでの捜索活動に感謝します」と話したということです。
浅岡中隊長は「今回の捜索で得た経験を日頃の訓練に生かして、捜索再開に備えます」と話して御嶽山をあとにしました。
捜索は、雪どけや火山活動の状況をみて来年の春以降に再開される見通しです。