私のブログ記事へのコメントありがとうございました。最初に、先生が実名で、私が匿名という形での応答に関してはお詫びしておきます。
以下に、先生のコメントに対する私の考え、および、先生への質問を書かせていただきますが、まず今回のSTAP騒動について、先生の関与した部分や私のブログ記事も含めて、私の理解している概要を述べさせていただきます。なお、私からの質問に対して解答するかどうかは先生のご判断にお任せしますので、必ずしも解答していただく必要はありません。
STAP騒動は、マスコミを集めて大々的に成果発表をした1月に始まりました。直後から他研究者から再現できないクレームが出ていましたが、ネットブロガーによって画像に不審な点があることが指摘され、2月下旬には不正調査委員会が設置されて大騒ぎとなりました。再現性に対する批判に対しては、3月初旬にNature Protocol Exchangeに手技解説の論文が発表されました。そこでは、STAP細胞が分化細胞由来であることの証拠とされていたTCRの組換えが、STAP幹細胞においては起こっていないことが報告され、疑惑は更に深まりました。その頃、「先生はkahoの日記」においてSTAP細胞が存在しないことを、論文で報告された次世代シーケンサーのデータ解析を基に主張されていました。存在しない細胞の作製法を記載した論文には、先生もよほど腹にすえかねたのでしょう。この論文に対して、「なめてますね、これ」と先生は述べています。そして3月7日には「残念ながら政治的には勝てそうにありません」と危機感を募らせますが、11日には「とりあえず論文が撤回の方向に進んでいるようでいくらか安心しました」と述べています。
4月1日に理研調査委員会が不正に対する最終報告書を提出・発表し、論文において画像の改ざんやねつ造(小保方氏の主張では取り違え)が認定され、論文の撤回が勧告されました。これに対して、小保方氏は4月9日に不服申し立てを行いましたが、5月7日に却下されています。小保方氏は論文撤回については、「論文を撤回すると、国際的にはこのSTAP現象は完全に間違いと発表したことになる」という理由でずっと拒否していましたが、6月4日には撤回に同意し、7月2日に正式に撤回されました。私がこのブログを始めたのは4月後半ですが、研究成果の是非は置いても、「信用性を失った論文は直ちに撤回すべき」と主張していました。5月5日付けのブログでは、論文の即時撤回と「公開実験」を提唱しています。遠藤先生は6月20日に論文をGene to Cellsに投稿し、その論文は9月21日にオンラインで発表され、10月1日に論文についての記者会見を行っています。
先生は、3月7日には「残念ながら政治的には勝てそうにありません」と述べていましたが、その状況は大きく変わりました。6月12日には、先生も少し関与した理研改革委員会の答申が出されCDBの幹部の交代が提言され、8月26日にはCDBの改組、縮小が決定されています。CDB内で非常に影響力のあった笹井氏に対しては、NHKがこの騒動の黒幕と思わせるような報道を7月末に行い、笹井氏は8月5日に自らの命を断っています。
STAP現象の検証(再現)実験は、4月7日に相澤、丹羽氏らによって開始されましたが、6月30日に、小保方氏が7月1日から11月30日まで検証(再現)実験に参画することが公表されると、7月4日には理事長を初めとする数名の分子生物学会理事が「小保方氏の実験参画の凍結」を学会ホームページ上で強く主張しました。この分子生物学会の対応については、私はこのブログで批判し、阪大の近藤理事からもコメントをいただいています。8月27日の検証(再現)実験の中間報告では、実験はまったく進んでいない状況が報告されました。
SATP騒動に関する私の立場は、8月2日の記事に以下のように書いています。
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STAP騒動に関しては、科学に関与する人間の一人として、科学的合理性に基づいた手順と手法によって解明され、できるだけ早く決着することを願っている。また、その過程を通じて科学研究への信頼が回復されることも願う。
小保方さんに関しては、私は擁護派でもないし、また批判派でもない。そして、小保方さんに限らず、誰であっても不適当と思われる行為が行われれば批判するし、一方、改善されればそれ以上は批判しない。また適当な行為が行われれば敬意を示す。人の「身分」によって態度を変える気はないし、また私との「身近さ」によっても態度は変えない。
私が嫌う我が国の風潮は、「善」となるとすべてが良いということで批判が許されなくなり、その逆に、一旦、「悪」や「灰色」のレッテッルが貼られると、コンプライアンスが無視され、徹底的に叩かれるということである。この傾向をマスコミが煽っている。私が「小保方さん寄り」とも思われる意見を書いているのは、現在、彼女に対してフェアな状況が損なわれているように思うからであり、それと彼女が行った実験あるいは不正の解明はまったく別次元の話である。7月13日に「推定無罪」という言葉を使った時に、「研究界とはかけ離れた言葉の投下」という批判があったが、研究の場でも、社会の場でも、我々は「法」や「規程」を基にして活動をしているわけであり、コンプライアンスは重んじなければならない。
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撤回されたSTAP論文については、以下の見解を笹井氏が亡くなった直後の8月6日のブログに記載しています。この考えが今回の先生への論文批判の考えの基本にあります。
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論文撤回によって生じた疑いの無い事実は、「論文はもはや存在しなくなった」という事だ。NHKスペシャルにおいては、「もやは存在しない論文」を再度持ち出し、専門家たちは「笹井先生はデータを見る目がまったくない」と酷評したのだ。論文撤回は、特に笹井先生のようなトップクラスの研究者にとっては極めて屈辱的な出来事であり、後悔の念と責任感に苛まれただろう。その論文を再度取り上げ、一方的にそして、多くの人が視聴するNHKの番組で公然と酷評することは「死者に鞭打つ」行為に等しい。
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以上が騒動の経緯ですが、次に、小保方氏の今後について私の勝手な推測を述べさせていただきます。小保方氏は11月30日まで検証(再現)実験を行うことになっていますが、それが終わる頃には、4月1日に出された調査報告書に基づいて懲戒処分を受けるでしょう。9月3日には、4月に認定された以外の不正を調査するための委員会が設置されていますから、その報告書も年内には提出されるでしょう。おそらく検証(再現)実験の結果の如何にかかわらず、来年度の契約はないでしょう。早稲田大学の博士号については、再度指導を受けた後の審査で認められる可能性はある程度あると思いますが、彼女が博士号を持っていたとしても、国内で彼女を雇用する機関はないでしょう。ハーバード大のヴァカンティ氏も麻酔科の科長職を退任し、サバティカルを取っているような状態なので、小保方氏を呼び戻す可能性はそれほど高くないでしょう。笹井氏も亡くなり、若山氏は小保方氏とかかわり合うことはもうないでしょう。つまり、彼女は博士号を失わなくても、孤立無援であり、研究する場所はおそらくないだろうということです。
さて、STAP騒動は、メディアが関わったことで騒動が大きくなりました。センセーショナルなSTAP論文の記者会見から始まった理研の何回もの記者会見。報道ステーションの古館伊知郎氏から「理研っていうのは実験回数より記者会見の回数のほうが多いんじゃないでしょうか」などと揶揄されるほどでした。そして、報道が行われる度に、社会や科学コミュニティが騒ぎました。8月の中間報告後に報道がされなくなり、やっと騒ぎが収まって冷静な雰囲気が出てきたところで先生の記者会見が開催されました。その会見の内容は、先生の論文の主題ではなく、STAP細胞の有無についてでした。科学ライターを初めとして、小保方氏に批判的な人たちは「これで決着がついた」と声をあげました。私は「研究不正」に対しては、人権を考慮しながら、ルールに従って粛々と進めることが大切だと思います。報道によって周りが騒ぎ出す事で悪影響があると思います。
さて、先生の論文に対する批判ですが、上に述べましたように、論文撤回は「研究成果は発表されていない」ということと同等だと私は思います。「発表されていない結果」を引用されて論文を発表することに問題はないのかでしょうか?また、論文撤回は著者にとって屈辱的な出来事であり、後悔の念と責任感を感じていることが普通です。笹井氏は亡くなりましたが、責任著者の一人の若山氏は今も後悔していると思います。私たちが書いているブログの勝手な意見はそのうちに消えますし、そもそも影響力自体がありませんが、先生の論文はアカデミアの中で永久に残ります。つまり、若山氏は自分のミスにずっと直面していくことになります。最近、ネット上での「忘れられる権利」に関して議論されています。小保方氏についてもGoogleサジェストが変更になったらしいことが噂されています。「論文撤回」は「忘れられる権利」の行使でもあるのではないでしょうか。
二番目は、先生の開発した手法の「有用性」についてです。記者会見で先生は「広く使用する価値があるものである」と答えていますが、私には具体的にどのようなところで使われるのかよく分かりません。その点をご教授願えればと思います。ただし、「iPS細胞化の過程で遺伝子が不安定化する可能性」の検証にはおそらく有用だろうということは、10月25日付けのブログで述べましたので、その点は私も気づいています。ただし、遺伝子型が純系のマウスの交配では利用できますが、今後問題になるであろうヒトにおいて利用可能かどうかは私にはわかりません。
三番目は「未発表」という件についてです。先生が今回論文として発表された内容は、私の理解している範囲では具体的なデータを除けば、日経サイエンスの記事とほとんどまったく同じです。日経サイエンスの記事は「理研内部資料」となっていますが、古田記者だけでは記事を正確に書くのは難しかったと思いますので、実際には内容をよく理解している人がサポートして書かれたものと推察します。総説等で未発表論文を引用することは多々ありますが、日経サイエンスの記事は詳細で正確であり、内容を「公表」しているとも受け取れますが、先生の見解はどうでしょうか?これについては、私もブログの中で「公表」「未公表」両方の可能性に言及しています。
図1Bの件で「難癖をつけられているな」とお考えのようですが、私にはそのような意図はありません。その日のブログの最初で述べていますが、「遠藤氏の解析結果の妥当性については、まったく異議を唱えていない」です。ただし、「細胞が初期化される時に、B6系統へ遺伝子の発現パターンが偏る可能性」がiPS細胞で示されているので、FI-SC作製時に「起こりうるという可能性」があるのではないかと推測しただけです。「起こりうる可能性」と、二重に「可能性」の言葉を使っていますので、表現としては極めて弱いですし、さらに直後に「勿論、これは「可能性」だけの話であり、私はそれが起こっていたとは推測していない」と否定をしています。記事の最初で「解析結果の妥当性については、まったく異議を唱えていない」と述べ、「可能性」を言及した後で、「それが起こっていたとは推測していない」と書いているわけですから、そこを読んでいただければ「難癖をつけている」ことにはならないかと思います。
「酸に晒すのがiPS化よりも過酷な条件だというのが何の根拠も示されていません」についてですが、これはSTAP現象の概念に由来します。以下は撤回されたArticleからの引用です。Holtfreter hypothesized that the strong stimulus releases the animal cap cells fromsome intrinsic inhibitory mechanisms that suppress fate conversion or, in his words, they pass through ‘sublethal cytolysis’ (meaning stimulus-evoked lysis of the cell’s inhibitory state).つまり、「細胞が破壊されそうになるほど強い刺激が加わると、それまで抑制されていた初期化機構が起こる」です。実際、酸処理後にはほとんどの細胞が死んでしまいますので、細胞にとって「強い刺激」です。
「ある簡単な処理だけで100%に近いインプリンティングが起きるのだとしたら、それこそとてつもない現象を見つけたこと」と述べられていますが、これについては、STAP現象自体が「とてつもない現象」なので、もし本当にその現象があれば起こっていてもよいのかもしれません。ただしこれは純粋に「理屈」だけの話です。
「見出した新しい現象(iPS化における対立遺伝子間のバランスの問題)について発展的に研究を進めることは一研究者として当然だと思いますが、それを私がしていないと思われた(と解釈できる)理由」と述べられていますが、私は「この問題を「将来の問題」とせずに、iPS細胞の解析を詳細に行えば、科学研究論文として十分な価値があった」とだけ述べていると思います。
“Gene to Cell”誌での論文発表についてですが、上にも述べたように分子生物学会の幹部たちは、私からは過剰に小保方バッシングを行っているように見えます。7月4日の「再現実験への参加を凍結せよ」といった理事声明や、7月末のNHKで撤回論文をやり玉にあげて細かく批判することが「日本のサイエンスの信頼を取り戻す」ために貢献するとは思えません。また深く考えた上での行動でないことは、「小保方氏の実験参画は「権利」として認められている」とある人から指摘された大隅理事長は「したがって、本人参加の実験には正当性があり、11月末までそれを見守るしかないということのようです」とブログで書いていることからもわかります(8月30日の記事を参照ください)。
時系列を確認しましたが、先生が論文を投稿されたのは6月20日であり、分子生物学会の理事が「再現実験への参加を凍結せよ」というコメントを出したのは7月4日でしたので、先生は分子生物学会の理事の考え方を知らなかったことはわかりました。
ところで先生にお聞きしたいのですが、なぜ日本の雑誌に投稿されたのでしょうか?このSTAP問題は、日本の科学者コミュニティを揺るがす大きな問題であったわけであり、ほとんどすべての人がバイアスを持つ状態になっていました。遠藤先生も、当然、それをご存知だったと思います。それゆえ、純粋に学術的な目的でSTAPに関連した論文を発表しようと思えば、外国の雑誌に投稿し、STAPについてほとんどまったくバイアスを持たない審査員に審査してもらった方が客観性を示せたのではないかと私は思うのです。前のコメントが少し攻撃的な表現だった点は謝罪します。
最後に話は変わりますが、理研は「論文は撤回されたが、STAP細胞の存在は完全に否定されてはいないとし、検証実験も続けていることから、特許取得の手続きを進めることにした」とのことです。おそらく先生も残念に思われていると思います。
コメント
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これは、どうでしょう?確かにブログやtwitter等の発言は、時間が立つと目立たなくなりますが、ネットに残っている場合も多いし、不特定の人が見る事の出来る「公然と」表現されたものである事に変わりありません。閲覧者がプリントアウトしているかもしれません。
ブログ主さんや他のかたがたの個別の発言の評価とは全く無関係に、指摘しておきます。
おそらく、STAP事件は、ノンフィクションライターの手によって、何種類のドキュメンタリー作品として残るでしょう。その中で、ネットでこのような発言があった、といった事が記録される可能性もあります。
論文とネット上の発言の権威の差を述べておられるとは思いますが、公然と世の中に向けた発言であるという意味では、一時的なネット上の情報も同等の重みを持つものと私は思います。
>二重に「可能性」の言葉を使っていますので、表現としては極めて弱いですし、
えっと、仮説の上に仮説を乗っけるのは、科学者として恥ずかしい行為だという意味合いで指摘したわけですが、きわめて弱いと開き直っておられますね。驚きました。
じゃああなたの先の投稿は、きわめて弱い主張ですね。
>私が嫌う我が国の風潮は、「善」となるとすべてが良いということで批判が許されなくなり、その逆に、一旦、「悪」や「灰色」のレッテッルが貼られると、コンプライアンスが無視され、徹底的に叩かれるということである。この傾向をマスコミが煽っている。私が「小保方さん寄り」とも思われる意見を書いているのは、現在、彼女に対してフェアな状況が損なわれているように思うからであり、それと彼女が行った実験あるいは不正の解明はまったく別次元の話である。
あなたのこの姿勢は科学者ではない。科学は正しいか正しくないか、妥当か妥当でないか、で判断されるべきだ。「善悪」ではないし、「どちらより」ではない。このコメントはあなたは科学者ではないことを如実に示している。あなたこそ政治的意図や趣味趣向で立場と意見を変える、非科学者だ。
こんだけ長々と書いて、そこは結局スルーですか。
ここを見ている人は一般の人も気になってると思うよ。
自称小保方擁護派の方も、専門家がコンタミ認定するか否かは気になるところじゃないかな。
あなたがブログ主に強い反感を持っているのはわかるが、言葉使いをもっと気を付けられたらどうか。3のような物言いは読んでて非常に不愉快です。
ブログ主が研究者を名乗るのならば、その名に恥じぬよう、まずFI-SCがコンタミだという結論について論じていただきたい。
これだけ長い文章をしたためつつもその点について触れてすらいないのは、科学に対して真摯ではない。
おそらく一般の方々も含めて大きく注目しているはずだ
どうすべきか悩みましたが、一応私から簡単に反論してみます。
ブログ主の主張通り研究の動機は何でもよいならば、遠藤氏の動機も気にする必要はない。ブログ主の言動は完全にダブルスタンダードだ。研究自体の評価には何の判断材料にもならないものを挙げて、そこから邪推し難癖をつけている。動機は何でもいいなら今回の論文だって何でもいいではないか。論文自体の科学のみが重要だ。
そして研究者は「第一著者で発表しているか否か」という唯一の判断基準を以て判断されるべきではない。ブログ主はまるでこの基準が唯一無二のコンセンサスであるうかのように主張している。他にも沢山あるという非常に重要なインフォメーションを意図的に隠している。いまでこそ個人的な意見だと主張を収めているが、初出の時は決してそうではなかった。反論を受けて主張を収めた。
反論ついでに私見を申し上げると、研究者であるか否かは、人類の科学に貢献しているか否かだ。たとえば、筆頭著者であろうとも、誰も読まない論文であればそれは無価値だ。
なお、忘れられる権利など、誰にもありません。
足を踏んだ人は忘れるけど、足を踏まれた人は忘れない。
足を踏んだ人にも忘れられる権利があると言うのでしょうか。
韓国や中国があまりにうるさいので、「戦時中のことを忘れられる権利がある」と主張している日本人が増えていますが、なにやらそのような社会状況を反映した言葉に思えます。
なお、私はあなたのことは絶対に忘れない。あなたが書いた許せないことを絶対に忘れません。
そうそう、許すけれど忘れない、という言葉がありますね。
日本人はこれが理解しにくいようで、戦時中のことでまたこれが問題になる。
グローバリズムとかいっても、こういうメンタリティがものすごく根強い。
そんなに彼女が心配なら、自分のラボで雇ってあげればいいのではないか?
自分を犠牲にしても彼女を立ち直らせる気などないし、具体的に小保方氏を助ける行動をするつもりもない。
ただ、特定の人々を攻撃することで、小保方氏への同情心を満足させようとしている。
もしも小保方氏がこのブログを読んだら、喜ぶだろうか?
それとは別に、ブログ主の一方的な小保方氏への同情には、女性である彼女を見下している感じが常につきまとっている。
小保方氏は研究以外何もできない女性だと思っているのだろうか。
世の中には研究をあきらめて違う道に進む人はたくさんいる。小保方氏も違う道へ進み、成功する可能性はある。
彼女への異常な同情は、彼女を見下し、何もできないかわいそうな女と決めつけるに等しい。
そして、かわいそうな女のために戦う自分に酔っているのだ。
先日のコメントは山形方人先生のTwitterのリンクを開いてみたところ意外にも私について書かれていて驚いた、という経緯でコメントしたものであり、過去にここでどのようなエントリが書かれていたかは知りませんし、興味もありません。したがって誰の擁護派かどうかなども私のコメントとは無関係です。
残念ながらこのエントリは「質問に対し質問で答える」類のものであり、私がまず行った問いかけに対して全く答えていただけなかったと残念に思っております。例えば酸による処理ではなく、Fgf4による培養がiPS化よりも強い刺激であり、X染色体を全く別の細胞のそれと入れ替えるほどの奇跡を起こす理由にはなりません。ご自身もただの理屈とおっしゃるように、科学的な説明は一つも頂いておりません。
撤回された論文を引用することはおかしいというのは全く非合理な感想です。私が投稿した時点では論文は撤回されていませんでした。また「忘れられる権利」などという発言に至っては本当に研究者であったのかとさえ疑いたくなります。撤回された論文は記録が抹消されるでしょうか?どの雑誌でも撤回されたという記録とともに残されていますし、PubMedでも検索できます。これらの科学コミュニティのシステムは人権侵害だと、そうおっしゃっているのでしょうか。
iPSについての研究はヒトの細胞についても行っています。
フェアな状況をと言う割には私についてはずいぶんと憶測まみれでアンフェアだな、というのが正直な感想です。
何が問題なのかわらないですね。Genes to cellsは国際誌ですよ?結局、分子生物学会の対応が気に食わないんですね。
笹井氏は黒幕ではないかもしれませんが、STAP論文発表時に不当にiPSを貶め報道を煽り、また、STAP論文がNature誌掲載される前に内閣府に小保方氏とともに出向くという異常な行動をしています。この行動こそがSTAP騒動において無駄に政府関係者が関わってくるようになった一つの大きな要因でしょう。そしてSTAP論文に大きな問題が発覚したときに、その行動が自分自身を追い詰めてしまった。
確かに報道が過熱ぎみであったと思われますが、NHKスペシャルを責めるところがあるとすれば追及が中途半端だったことだと思います。笹井氏自身もマスコミを利用し、また小保方氏(あるいは彼女の代理人)もさんざん利用したことよりも、不正追及者に対して厳しく当たられるのは正直、理解できません。小保方バッシング?笹井バッシング?違うでしょ。彼らは当初はマスコミを大いに利用し、問題発覚後に跳ね返ってきただけでしょう?
笹井氏に関しては政府関係者を呼び込むという愚かな行動をした結果、研究者側からも政府側からも圧力があり板挟みのような状態になり自殺に至ったと私は考えています。きついことを言えば自業自得の側面もあると。
あなたは分子生物学会の批判に執着しておられるようですが、政府関係者にも痛烈な批判をもっと書いていただきたいです。彼らも笹井氏自殺の大きな要因であるはずですから。
公共のデータベースに残っているデータを使っての論文に何の問題があるんですかね?論文の評価はどの雑誌に投稿したか、ではなく掲載後の他の研究者によるものだと私は今まで信じていたのですが。ブログ主にとっては政治的に掲載されたかどうかが重要なんですかね?
それと、論文は撤回されてSTAPの成果は無い物になりましたが、何故このような論文が世に出てしまったのかを追求することはブログ主にとっては重要ではないのですか?
笹井氏の自殺は痛ましく思いますが、一方で原因究明が難しくなったと思うので、自殺を選んだことに対しては憤りも感じます。
先程もコメントしましたが遠藤氏個人に質問があるならばメール(出来れば実名)でやり取りなさってはいかがでしょうか?
「忘れられる権利などない」といふさんがおっしゃるほどの、何を小保方さんがしたのですか?
「忘れられる権利」というのは、生きていける権利ということです。人は忘れられなければ生きてはいけません。
人に対して「あなたは忘れられる権利などない」と言い放てるというのは、殺人などの凶悪犯罪を犯した本人に対して言うのを除けば、どう考えても解せませんが。
「足を踏んだ人は忘れるが、踏まれた側は忘れない」とおっしゃる。わたしは踏まれた方も忘れると思いますが、それはともかく。
では、誰が小保方さんに足を踏まれたのですか?
あなたは踏まれたのですか?
そして、「お前に忘れられる権利などない」「お前のしたことは未来永劫忘れないぞ!」というほどの恨みの中身を知りたいのです。
マニラ市街戦で両親を失ったフィリピンの女性が、「忘れられないけれども、許します」という言葉を言うのを聞いたことがあります。しかし、あなたがなぜ同じ言葉を言えるのですか?
繰り返しますが、戦争や大量虐殺などの人類史上の未曾有の悲劇を引き合いに出すほどの、何を小保方さんがしたのですか?
戦場での虐殺を苦にして自殺した日本兵が大勢います。小保方さんにも「死ね」と言いたいのですか?
私の意見をまったく理解していないようです。
忘れられる権利はない、というのは、忘れられる権利を行使できない、という意味です。
私も過去に恥ずかしいことはたくさんしていて、覚えていられたら穴に入りたいと思うことをたくさんしてきました。しかし、それを忘れてもらう権利がある、とは思いません。
ただ、コメントにも書いたとおり、許すことは重要です。
でも、許すと忘れるとは違う、なんでも忘れてしまっていいのか、歴史の教訓を忘れていいのか? そういう意味で書いたのです。
小保方氏のしたことを忘れるということは、教訓も忘れるということです。
小保方氏を攻撃しているのではないことは、そのあとのコメントを見ればわかると思います。私はブログ主を批判しているのです。
もう一度言います、忘れることを他人に要求することはできない、という意味で書いたのです。実際に忘れるかどうかは個人の問題です。
小保方批判者は小保方氏に死ねと言っている、と思っているのですね。
確かにそういう卑劣な人もいます。
しかし、心ある人なら、批判の対象は行為であるということはわかるはずです。
私の父は戦争当時兵士でしたが、幸い、虐殺の現場を見ることはありませんでしたが、戦後、日本が近隣諸国で行ったことについて罪悪感を感じていました。
あなたはそういう元日本兵の話を直接聞いたことがあるのですか?
父の世代は戦争中の苦労を私たちによく話していました。昔のことだから忘れろなどと言わず、むしろ、未来のためにと話してくれたのです。
忘れることを平気で讃えることに危機感を覚える人は、いまや、バカサヨと呼ばれています。その実情がとてもよくわかりました。戦争中のことを出せば余計バカサヨにされることもわかっています。それでも、忘れることを称賛する危機について、書かずにはいられません。
ただ、私をあまりに誹謗中傷するようですと、私も出るところに出なければなりませんが。私が人に死ねと言っている、というのはひどい中傷です。
私はまだ高校生で、その後、苦労して博士課程まで行きました。
加害者は徹夜明けで居眠り運転でしたが、私は加害者を許しています。
しかし、忘れることはできません。
teresa様、あなたにはこういう体験はありますか?
父の兄は南方で戦死しました。おじを戦争にやったのは大日本帝国ですが、別に恨んでいません。が、忘れもしませんよ。
>戦場での虐殺を苦にして自殺した日本兵が大勢います。
これの出典をお聞きしたいです。
元日本兵が大勢自殺したとか、これまで聞いたことありませんでした。
戦場での虐殺というのは、民間人の虐殺でしょうか?
それとも戦闘員同士の戦闘のことでしょうか?
純粋に興味から聞いています。
あなたのいふさんに対するコメントは、あなたが以前のエントリーで指摘していた藁人形論法そのものではないですか?
わたしが聞いたのは、ここで第二次世界大戦の例を出すほどの何を小保方さんはしたのですか?というものです。
ここで、その例が適切なのかどうかを問題にしているのです。
わたしから見ると、ブログ主は、小保方さんへのバッシングは、社会的バランスを欠いているのではないかという問題意識と読めます。
それについて、異常な同情と捉えたいふさんの感覚が解せないと言っているのです。
私の言っていることのどこが誹謗中傷だというのか、出るところへ出るというほどのものなのか?説明してくれませんか?
戦場での虐殺を苦にして自殺した日本兵は、中国での捕虜収容所で出ました。
あんたのコメントじゃ何の論証もない。
あなたは日本語能力に難があるのはこれまでのコメントでよくわかった。
藁人形も何もない。ただ、人の文章が理解できないだけだ。
小保方氏について書いたのではないと言ってるのに、それも理解できていない。
私が怒っているのは、ブログ主で、小保方氏ではない。
小保方氏のことを言っているのではなく、むしろ一般的に言ってるのに、小保方氏と戦争を比べたとかぬjかしてる。
もういい加減、日本語わからない人とは会話しない。
ただ、誹謗中傷がひどければ、プロバイダー通じてあなたを特定し、訴えるまでだ。
それから、異常な同情は別のコメントで、前のこととは関係ない。
こんどは私がブログ主を批判したのに難癖つけてるんだが、2つのコメントをごっちゃにしているところが(以下略)。
日本語の誤りは訂正しないと。
NHKアーカイブを探せって、
書名も言わずに本を探せっていうのと同じ。
マニラ市街戦もテレビですか・
読み書き不自由するわけだ。
中国側と日本側の両方の証言が見られると言っている。
そこで一般的な話として、戦争の話を持ってきた妥当性について疑問を呈していると言っているでしょう。
あなたは、ブログ主の書いた許せないことを絶対に忘れないとおっしゃった。
許せない上に忘れないとおっしゃった。
これは、戦争の例に続いて書かれている。それほど許せないこととは何なのか?
その上で、「異常な同情」とおっしゃった。だから、異常な、というほどのことだから、許せないのではないのか、と読んだのです。
なにもごっちゃにはしていない。そう判断した根拠を聞いているのです。
そして、わたしが、あなたがブログ主に対して書いた以上の、どんな名誉毀損を
彼女は「研究者」としては死に体だと思いますが、研究者以外ならば他にも生きる道はたくさんあります。それを彼女に自覚させることが親であり、代理人であり、その他彼女に近しい人たちの使命だと私は考えています。
なぜ、それを諦めさせるのが、周囲の使命なのですか?
不正をしたならまずは処分を受けねばなりません。
処分を受けた後であれば、山奥であれ海辺の寒村であれ、仮に仲間もおらずたった一人だけであったとしても、地道に研究を続けるというのなら(カルタヘナ法や動物愛護法などの諸法令の制約はあるにせよ)、貴方のおっしゃるとおりそれは小保方氏の自由です
これはその通りですが、そのためにはまず理研を辞め早稲田の大学院に再入学を請い、一から研究者教育を受けなければ同じことになると思いますが。(理研は「研究機関」であり「教育機関」ではないです。)ただ、歪な大学院教育を受けたまま30歳まで来ているので矯正が可能なのかという疑問があります。
>なぜ、それを諦めさせるのが、周囲の使命なのですか?
使命は言い過ぎだったかもしれませんが、自分の子供が同じ状況にあれば、研究者以外にも別の選択肢を提示します。彼女が研究者としての生き方に固執しているかどうかは現在のところはわかりませんよね?ならば選択肢は多い方がいいと思いますが。
コメントに「私は考えています」と書いたとおり、一般的な話ではなく私個人の考え方です。当事者にとっては大きなお世話かもしれませんが。
三木弁護士は、「論文の撤回に応じたのは、それが再現実験に参加するための条件だったからで、仕方なかった」という趣旨の発言をしました。「信頼性が失われたから」撤回したとは言っていません。それは今に至るまでそうです。
これで、「忘れられる権利」ですか?
ここからおかしくなったのに?
おかしさを積み残したまま忘れてしまっていいのでしょうか。
遠藤氏に対しては御本人も指摘されているとおり、ブログ主はかなりアンフェアですね。メディアが関わったことで騒動が大きくなったと言っておられますが、ご自身のブログも『Web』メディアであることをお忘れなく。
一般論としては否定するつもりはありませんが、STAP細胞問題に関する小保方氏、笹井氏、理研等に対する批判に対しては中らないと考えております。もちろん一部週刊誌の中にはそのような問題があったとは思いますが。それを除けばほぼ健全な批判と言えるでしょう。それなのに、引用したようなことをブログに書くことは、小保方氏、笹井氏、理研に対する批判の大多数がそのような悪しき批判であるかのような印象操作として批判されてしかるべきです。
私は、科学論文に対する批判は別な科学論文を書いて行うべきであり、当該論文執筆者に直接行う類のものではないと考えています。同業者の間でのプライベートな交流ならばあり得ますが、匿名のブログとして公開することには強い違和感を覚えます。
STAP細胞問題は理研で起こったものであり、日本の科学の信頼性を著しく損なっただけでなく、損ない続けています。同じ理研に所属する遠藤高帆氏がSTAP細胞の存否に関係する研究を真剣に実行しそれを学術論文として公表したことは、氏の責務を果たすことだと考えられます。さらに、この問題に関する理研執行部の現在までのスタンスを考えた場合、このような行為をすることには大きな勇気を必要とします。私が、氏と同じ立場にあったとした場合、同じことが出来た自信はありません。私は、氏に対して大きな敬意を抱いております。
このような問題に関して、「遠藤氏は一流の研究者か否か」などの枝葉末節的な問題で匿名ブログによって何回も公表することは褒められたことではありません。