私のブログ記事へのコメントありがとうございました。最初に、先生が実名で、私が匿名という形での応答に関してはお詫びしておきます。

 

 以下に、先生のコメントに対する私の考え、および、先生への質問を書かせていただきますが、まず今回のSTAP騒動について、先生の関与した部分や私のブログ記事も含めて、私の理解している概要を述べさせていただきます。なお、私からの質問に対して解答するかどうかは先生のご判断にお任せしますので、必ずしも解答していただく必要はありません。

 

 STAP騒動は、マスコミを集めて大々的に成果発表をした1月に始まりました。直後から他研究者から再現できないクレームが出ていましたが、ネットブロガーによって画像に不審な点があることが指摘され、2月下旬には不正調査委員会が設置されて大騒ぎとなりました。再現性に対する批判に対しては、3月初旬にNature Protocol Exchangeに手技解説の論文が発表されました。そこでは、STAP細胞が分化細胞由来であることの証拠とされていたTCRの組換えが、STAP幹細胞においては起こっていないことが報告され、疑惑は更に深まりました。その頃、「先生はkahoの日記」においてSTAP細胞が存在しないことを、論文で報告された次世代シーケンサーのデータ解析を基に主張されていました。存在しない細胞の作製法を記載した論文には、先生もよほど腹にすえかねたのでしょう。この論文に対して、「なめてますね、これ」と先生は述べています。そして37日には「残念ながら政治的には勝てそうにありません」と危機感を募らせますが、11日には「とりあえず論文が撤回の方向に進んでいるようでいくらか安心しました」と述べています。

 

 41日に理研調査委員会が不正に対する最終報告書を提出・発表し、論文において画像の改ざんやねつ造(小保方氏の主張では取り違え)が認定され、論文の撤回が勧告されました。これに対して、小保方氏は49日に不服申し立てを行いましたが、57日に却下されています。小保方氏は論文撤回については、「論文を撤回すると、国際的にはこのSTAP現象は完全に間違いと発表したことになる」という理由でずっと拒否していましたが、64日には撤回に同意し、72日に正式に撤回されました。私がこのブログを始めたのは4月後半ですが、研究成果の是非は置いても、「信用性を失った論文は直ちに撤回すべき」と主張していました。55日付けのブログでは、論文の即時撤回と「公開実験」を提唱しています。遠藤先生は620日に論文をGene to Cellsに投稿し、その論文は921日にオンラインで発表され、101日に論文についての記者会見を行っています。

 

 先生は、37日には「残念ながら政治的には勝てそうにありません」と述べていましたが、その状況は大きく変わりました。612日には、先生も少し関与した理研改革委員会の答申が出されCDBの幹部の交代が提言され、826日にはCDBの改組、縮小が決定されています。CDB内で非常に影響力のあった笹井氏に対しては、NHKがこの騒動の黒幕と思わせるような報道を7月末に行い、笹井氏は85日に自らの命を断っています。

 

 STAP現象の検証(再現)実験は、47日に相澤、丹羽氏らによって開始されましたが、630日に、小保方氏が71日から1130日まで検証(再現)実験に参画することが公表されると、74日には理事長を初めとする数名の分子生物学会理事が「小保方氏の実験参画の凍結」を学会ホームページ上で強く主張しました。この分子生物学会の対応については、私はこのブログで批判し、阪大の近藤理事からもコメントをいただいています。827日の検証(再現)実験の中間報告では、実験はまったく進んでいない状況が報告されました。

 

 SATP騒動に関する私の立場は、82日の記事に以下のように書いています。

 

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 STAP騒動に関しては、科学に関与する人間の一人として、科学的合理性に基づいた手順と手法によって解明され、できるだけ早く決着することを願っている。また、その過程を通じて科学研究への信頼が回復されることも願う。

 

 小保方さんに関しては、私は擁護派でもないし、また批判派でもない。そして、小保方さんに限らず、誰であっても不適当と思われる行為が行われれば批判するし、一方、改善されればそれ以上は批判しない。また適当な行為が行われれば敬意を示す。人の「身分」によって態度を変える気はないし、また私との「身近さ」によっても態度は変えない。

 

 私が嫌う我が国の風潮は、「善」となるとすべてが良いということで批判が許されなくなり、その逆に、一旦、「悪」や「灰色」のレッテッルが貼られると、コンプライアンスが無視され、徹底的に叩かれるということである。この傾向をマスコミが煽っている。私が「小保方さん寄り」とも思われる意見を書いているのは、現在、彼女に対してフェアな状況が損なわれているように思うからであり、それと彼女が行った実験あるいは不正の解明はまったく別次元の話である。713日に「推定無罪」という言葉を使った時に、「研究界とはかけ離れた言葉の投下」という批判があったが、研究の場でも、社会の場でも、我々は「法」や「規程」を基にして活動をしているわけであり、コンプライアンスは重んじなければならない。

 

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 撤回されたSTAP論文については、以下の見解を笹井氏が亡くなった直後の86日のブログに記載しています。この考えが今回の先生への論文批判の考えの基本にあります。

 

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 論文撤回によって生じた疑いの無い事実は、「論文はもはや存在しなくなった」という事だ。NHKスペシャルにおいては、「もやは存在しない論文」を再度持ち出し、専門家たちは「笹井先生はデータを見る目がまったくない」と酷評したのだ。論文撤回は、特に笹井先生のようなトップクラスの研究者にとっては極めて屈辱的な出来事であり、後悔の念と責任感に苛まれただろう。その論文を再度取り上げ、一方的にそして、多くの人が視聴するNHKの番組で公然と酷評することは「死者に鞭打つ」行為に等しい。

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 以上が騒動の経緯ですが、次に、小保方氏の今後について私の勝手な推測を述べさせていただきます。小保方氏は1130日まで検証(再現)実験を行うことになっていますが、それが終わる頃には、41日に出された調査報告書に基づいて懲戒処分を受けるでしょう。93日には、4月に認定された以外の不正を調査するための委員会が設置されていますから、その報告書も年内には提出されるでしょう。おそらく検証(再現)実験の結果の如何にかかわらず、来年度の契約はないでしょう。早稲田大学の博士号については、再度指導を受けた後の審査で認められる可能性はある程度あると思いますが、彼女が博士号を持っていたとしても、国内で彼女を雇用する機関はないでしょう。ハーバード大のヴァカンティ氏も麻酔科の科長職を退任し、サバティカルを取っているような状態なので、小保方氏を呼び戻す可能性はそれほど高くないでしょう。笹井氏も亡くなり、若山氏は小保方氏とかかわり合うことはもうないでしょう。つまり、彼女は博士号を失わなくても、孤立無援であり、研究する場所はおそらくないだろうということです。

 

 さて、STAP騒動は、メディアが関わったことで騒動が大きくなりました。センセーショナルなSTAP論文の記者会見から始まった理研の何回もの記者会見。報道ステーションの古館伊知郎氏から「理研っていうのは実験回数より記者会見の回数のほうが多いんじゃないでしょうか」などと揶揄されるほどでした。そして、報道が行われる度に、社会や科学コミュニティが騒ぎました。8月の中間報告後に報道がされなくなり、やっと騒ぎが収まって冷静な雰囲気が出てきたところで先生の記者会見が開催されました。その会見の内容は、先生の論文の主題ではなく、STAP細胞の有無についてでした。科学ライターを初めとして、小保方氏に批判的な人たちは「これで決着がついた」と声をあげました。私は「研究不正」に対しては、人権を考慮しながら、ルールに従って粛々と進めることが大切だと思います。報道によって周りが騒ぎ出す事で悪影響があると思います。

 

 さて、先生の論文に対する批判ですが、上に述べましたように、論文撤回は「研究成果は発表されていない」ということと同等だと私は思います。「発表されていない結果」を引用されて論文を発表することに問題はないのかでしょうか?また、論文撤回は著者にとって屈辱的な出来事であり、後悔の念と責任感を感じていることが普通です。笹井氏は亡くなりましたが、責任著者の一人の若山氏は今も後悔していると思います。私たちが書いているブログの勝手な意見はそのうちに消えますし、そもそも影響力自体がありませんが、先生の論文はアカデミアの中で永久に残ります。つまり、若山氏は自分のミスにずっと直面していくことになります。最近、ネット上での「忘れられる権利」に関して議論されています。小保方氏についてもGoogleサジェストが変更になったらしいことが噂されています。「論文撤回」は「忘れられる権利」の行使でもあるのではないでしょうか。

 

 二番目は、先生の開発した手法の「有用性」についてです。記者会見で先生は「広く使用する価値があるものである」と答えていますが、私には具体的にどのようなところで使われるのかよく分かりません。その点をご教授願えればと思います。ただし、「iPS細胞化の過程で遺伝子が不安定化する可能性」の検証にはおそらく有用だろうということは、1025日付けのブログで述べましたので、その点は私も気づいています。ただし、遺伝子型が純系のマウスの交配では利用できますが、今後問題になるであろうヒトにおいて利用可能かどうかは私にはわかりません。

 

 三番目は「未発表」という件についてです。先生が今回論文として発表された内容は、私の理解している範囲では具体的なデータを除けば、日経サイエンスの記事とほとんどまったく同じです。日経サイエンスの記事は「理研内部資料」となっていますが、古田記者だけでは記事を正確に書くのは難しかったと思いますので、実際には内容をよく理解している人がサポートして書かれたものと推察します。総説等で未発表論文を引用することは多々ありますが、日経サイエンスの記事は詳細で正確であり、内容を「公表」しているとも受け取れますが、先生の見解はどうでしょうか?これについては、私もブログの中で「公表」「未公表」両方の可能性に言及しています。

 

 図1Bの件で「難癖をつけられているな」とお考えのようですが、私にはそのような意図はありません。その日のブログの最初で述べていますが、「遠藤氏の解析結果の妥当性については、まったく異議を唱えていない」です。ただし、「細胞が初期化される時に、B6系統へ遺伝子の発現パターンが偏る可能性」がiPS細胞で示されているので、FI-SC作製時に「起こりうるという可能性」があるのではないかと推測しただけです。「起こりうる可能性」と、二重に「可能性」の言葉を使っていますので、表現としては極めて弱いですし、さらに直後に「勿論、これは「可能性」だけの話であり、私はそれが起こっていたとは推測していない」と否定をしています。記事の最初で「解析結果の妥当性については、まったく異議を唱えていない」と述べ、「可能性」を言及した後で、「それが起こっていたとは推測していない」と書いているわけですから、そこを読んでいただければ難癖をつけている」ことにはならないかと思います。

 

 「酸に晒すのがiPS化よりも過酷な条件だといのが何の根拠も示されていません」についてですが、これはSTAP現象の概念に由来します。以下は撤回されたArticleからの引用です。Holtfreter hypothesized that the strong stimulus releases the animal cap cells fromsome intrinsic inhibitory mechanisms that suppress fate conversion or, in his words, they pass through ‘sublethal cytolysis’ (meaning stimulus-evoked lysis of the cell’s inhibitory state).つまり、「細胞が破壊されそうになるほど強い刺激が加わると、それまで抑制されていた初期化機構が起こる」です。実際、酸処理後にはほとんどの細胞が死んでしまいますので、細胞にとって「強い刺激」です。

 

 「ある簡単な処理だけで100%に近いインプリンティングが起きるのだとしたら、それこそとてつもない現象を見つけたこと」と述べられていますが、これについては、STAP現象自体が「とてつもない現象」なので、もし本当にその現象があれば起こっていてもよいのかもしれません。ただしこれは純粋に「理屈」だけの話です。

 

 「見出した新しい現象(iPS化における対立遺伝子間のバランスの問題)について発展的に研究を進めることは一研究者として当然だと思いますが、それを私がしていないと思われた(と解釈できる)理由」と述べられていますが、私は「この問題を「将来の問題」とせずに、iPS細胞の解析を詳細に行えば、科学研究論文として十分な価値があった」とだけ述べていると思います。

 

 Gene to Cellでの論文発表についてですが、上にも述べたように分子生物学会の幹部たちは、私からは過剰に小保方バッシングを行っているように見えます。74日の「再現実験への参加を凍結せよ」といった理事声明や、7月末のNHKで撤回論文をやり玉にあげて細かく批判することが「日本のサイエンスの信頼を取り戻す」ために貢献するとは思えません。また深く考えた上での行動でないことは、「小保方氏の実験参画は「権利」として認められている」とある人から指摘された大隅理事長は「したがって、本人参加の実験には正当性があり、11月末までそれを見守るしかないということのようです」とブログで書いていることからもわかります(830日の記事を参照ください)。

 

 時系列を確認しましたが、先生が論文を投稿されたのは620日であり、分子生物学会の理事が「再現実験への参加を凍結せよ」というコメントを出したのは74日でしたので、先生は分子生物学会の理事の考え方を知らなかったことはわかりました。

 

 ところで先生にお聞きしたいのですが、なぜ日本の雑誌に投稿されたのでしょうか?このSTAP問題は、日本の科学者コミュニティを揺るがす大きな問題であったわけであり、ほとんどすべての人がバイアスを持つ状態になっていました。遠藤先生も、当然、それをご存知だったと思います。それゆえ、純粋に学術的な目的でSTAPに関連した論文を発表しようと思えば、外国の雑誌に投稿し、STAPについてほとんどまったくバイアスを持たない審査員に審査してもらった方が客観性を示せたのではないかと私は思うのです。前のコメントが少し攻撃的な表現だった点は謝罪します。 

 

 最後に話は変わりますが、理研は「論文は撤回されたが、STAP細胞の存在は完全に否定されてはいないとし、検証実験も続けていることから、特許取得の手続きを進めることにした」とのことです。おそらく先生も残念に思われていると思います。

 

 私が遠藤氏の論文について意見を述べたのは、科学論文としての価値に疑問をもったからである。遠藤氏の解析結果の妥当性については、まったく異議を唱えていない。それゆえ、「(論文としてではなくインターネット上での公開ならば)科学者として「STAP騒動」の解決に向けて貢献したことになる」と述べているのだ。この点を理解していれば、「遠藤氏の論文は「科学的視点」としてではなく、「政治的意図」で審査された可能性」という文章は、「科学論文の価値が考慮されなかった可能性」を指摘しているのであり、「結果の妥当性を疑問視したものではない」と読めるはずである。

 

 論文の価値については、1019日のブログで「手法の「有用性」を示す必要がある」のではないかと述べた。そして、これについては、「専門家の方が見ていたら、ぜひ意見を聞かせていただきたい」と述べたが、いただいたコメントはおそらく非専門家からのものであり、残念ながら私の考えを変えるような説得力のあるものはなかった。「残念」氏は「研究をしていればコンタミネーションの問題は常に付きまといますし、サンプルの取り違いも起こりえます」と述べているが、少なくとも私が所属してきた研究室で、B6マウスと129マウスの細胞が混じったことはない。コンタミネーションが問題となるのは、動物細胞培養時に微生物がコンタミすること以外では、臓器由来の細胞を単離している時くらいだろうFeeder細胞のコンタミについては、1015日のブログで述べた 。しかしながら、その場合は同じ動物由来の細胞なので、SNP(一塩基多形)解析では細胞のコンタミネーションは分からない。「サンプルの取り違い」も、実験の再現性を取っていれば必ずわかるはずだ。通常2回は追加実験をするので、結果が矛盾する。3回とも「サンプルの取り違い」をする人間は通常いない(小保方氏ならありえるかもしれないが)。

 

 「「バイオインフォマティクス」の分野では、「共同研究でスタイルを確立しているタイプの研究者」は欧米でもかなりの割合でいるのだろうか?」という疑問に対しては、「ヨーロッパ在住ポスドク」氏から「むしろヨーロッパの方は、ファシリティがしっかりしている分、共著者だけで生きている人が多いですよ」という答えが来たが、私が尋ねたのは「研究を選択できる権限を有した科学者で、共著論文だけの研究者が欧米にいるのか」という意味であり、質問を正確に理解していない。私自身の言葉の足りなさも少しはあったかもしれないが、1019日の記事を読んでもらえば、「研究者」は上の意味で使われていることはわかるはずだ。企業にも「バイオインフォマティクス」分野の「研究者」はいる。ただし、プロジェクトの選択権が極めて制限されているので、ここで指す「研究者」とは異なるのだ。「テクニシャン」もまた同様だ。

 

 「彼らをテクニシャンに過ぎないとい暴言を吐いたら、それこそ大非難を受けますよ。気をつけるべきですね」というコメントであるが、「過ぎない」という言葉はやや軽卒であったかもしれない。しかしながら、私はけっして「テクニシャン」の地位を軽んじているわけではない。特にヨーロッパでは高い技能をもった「テクニシャン」が、科学の発展に大きく貢献してきたことは知っている。ただし、彼らは「研究を選択できる権限を有した科学研究者」とは、職業コース(トラック)が異なっているのだ。研究の自由度が制限されている代わりに、彼らの雇用は研究者よりもしっかりと守られている。これは米国でも同様だ。一方、科学研究者は、原則として個人の自由な発想の下に研究を展開する権限を有するが、その代償として雇用が不安定であったり、研究費を獲得できなかったら研究室を縮小、最悪では閉鎖されてしまう。ほとんどの「テクニシャン」にはそういったプレッシャーはない。

 

 STAP問題は「日本の科学研究の信頼が問われる大問題」と述べている人もいるが、私はそうは思わない。前にも述べたが、STAP問題で日本の科学者の質に疑問を呈する外国人研究者は皆無といっていいだろう。もしそのように言われている日本人ポスドクが海外にいたら、それは単にからかわれているだけだろう。ノーベル賞を受賞した中村修二氏が、米国の同僚研究者にスレイブ・ナカムラと呼ばれたという逸話があるが、特に米国人は、それほど深刻に思っていないことでも「話題」として「自分の主張」を口にすることがある。

 

 私が今の日本の科学において深刻な問題だと思う事は、一つは前に述べたように、偏った研究資金の配分の問題であるが、もう一つは、研究への努力や成果とその見返りのバランスが崩れているということである。社会制度は「ハイリスク・ハイリターン」、「ローリスク・ローリターン」であるべきなのに、研究の世界では「ハイリスク・ローリターン」、「ローリスク・ハイリターン」が多々起こっている。つまり、不安定なポジションにいて、論文を発表していても研究職に残れない人が多くいる一方で、安定したポジションにいるのに、第一著者あるいは責任著者として論文を発表する努力を怠っても何も不利益とならないことだ。米国の大学においては、理系研究者は数年間研究費を得られなければ、例えテニュア(地位保証)を獲得していても研究室は閉鎖となる。また理工系の学部では910ヶ月分の給与しか所属機関から支給されないので(医学系は12ヶ月分支給されるところもあるようだ)、研究費を得られなければ、サマースクールの講師を勤める等によって給与を補填しなければならない。一方、日本では論文を出そうが、出すまいが給与は一緒であり、昇給も毎年行われる。

 

 「科学研究者」を名乗る以上は、「能動的に活動し、第一著者あるいは責任著者として論文を発表すべきである」というのが私の考えだ。それが、研究の自由を与えられた人間の責務だと思っている。すべての研究者が必死に努力して論文を発表していれば、研究職を得られなかった博士の不満も少しは緩和されるであろう。勿論、「高学歴ワーキングプア」の解決にはならないが、それが科学コミュニティに対して、各科学者が個人として行うべき最低限の貢献である。

 

 「遠藤論文に科学者としての意見を述べるべき」という声があるので、それには一応答えておく。私が一番興味を持ったのは図1Bである。以下に遠藤論文より転載しておく。


図1B

 左は129B6の交配でできたマウスから取り出した胚性幹細胞(ESC)、真ん中は129/B6マウスから作った誘導多能性幹細胞iPS細胞)、右は129/B6マウスから調製した胚線維芽細胞(MEF)である。ESC129由来mRNA量とB6由来のmRNA量が同じなので、50%の位置にピークが生じている。やや不思議なのは、右のMEFでは0100%にシグナルがあることである。この事は、ある種のmRNA129由来遺伝子のみから(0%)、あるいはB6由来遺伝子のみ(100%)から作られていることを示すはずである。これは実験上のエラーから生じたのかもしれないが、それはさておき、問題は真ん中のiPS細胞である。これは明らかに、B6由来遺伝子のみから作られているmRNAが多い(90100%で強いシグナル)。この点を遠藤氏はこの結果を以下のように解釈している。

 

The iPS cells generated from 129B6F1 had more homozygous SNPs of B6-type alleles. Although, as noted earlier, this may be the result of cellular contamination or this could be the result of differences in the properties of the cells used in the two experiments, there is also the intriguing possibility that the experimental process induced a transition of genotypes. As iPS cell engineering has been reported to induce genomic and/or epigenomic instability (Hussein et al. 2011; Chang et al. 2014), it will be important to examine allele frequencies of iPS cells in future studies.

 

 つまり、「コンタミネーション」と「2つの実験で使われた細胞が違う」という可能性を述べた後で、興味深い可能性として、「iPS細胞誘導時に遺伝子のタイプが(129からB6へと)変化した可能性」を指摘している。そして、その可能性を支持する論文(iPS細胞化によって遺伝子(やエピジェネテック)が不安定となる事)が発表されていることを述べ、この点を将来調べるべきだと結んでいる。

 

 しかしながら、これは「将来問題」としてはいけない点を含んでいる。なぜなら、iPS細胞の解析結果は、細胞が初期化される時にB6系統へ遺伝子の発現パターンが偏る可能性を示しているからだ。そうだとすると、STAP細胞では「酸にさらす」という、iPS化よりも過酷な条件で初期化させているわけであるから、遺伝子発現がほとんどすべてB6系統に変わることもありうるということだ。遠藤氏の論文の結論の一つは、「129B6の交配でできたマウスから作られたSTAP幹細胞(FI-SC)のmRNAの発現パターンは、ほとんどすべてB6細胞であり、それは矛盾する」ということだと思うが、iPS細胞の解析は「それは起こりうる」という可能性を示唆している(勿論、これは「可能性」だけの話であり、私はそれが起こっていたとは推測していない)。

 

 以前報告され、そして遠藤氏の解析で示された「iPS細胞化の過程で遺伝子が不安定化する可能性」は、今回のSTAP騒動とは関係ないが、iPS細胞を治療に使うことに対して注意を払うべき点であろう。この問題を「将来の問題」とせずに、iPS細胞の解析を詳細に行えば、科学研究論文として十分な価値があったかもしれない。




 1015日付けのブログ記事「遠藤高帆氏の論文についての私の見解」に対するコメントへの私の考えを述べたい。

 

 最初に、「非CDB系若手研究者」氏の意見についてである。氏は「専門家を名乗りながら他人の「業績」に難癖付けるのはみっともない」とコメントしているが、その前の9日付けの記事に対しても、「バイオインフォマティクスを専門にされている方の中には、他のいろいろなエット系の研究者と共同研究を行ことを、ご本人の研究の中心に据え置かれている方もかなりの割合でおられます」と述べた後、「共同研究でスタイルを確立しているタイプの研究者である可能性も十分ある」ので、私が「遠藤氏のこれまでの業績を意図的に低く見積もる」意図を持っていると主張されている。

 

 私が考える科学研究者の条件は、「第一著者として、あるいは責任著者(corresponding author)として論文をコンスタントに発表している」ということである。「非CDB系若手研究者」氏が指摘されるように、「バイオインフォマティクス」関連の研究者は、共同研究の申し込みが多く、第二著者以降の著者となる場合は確かに多いだろう。しかしながら、私の定義では、「研究者」とは、自然現象に興味を抱き、「主体的」にその原理を解明することを意図している人間のことを指す。「エット系の研究者」が共同研究を持ちかけてくるのを待つような受動的な人間は「研究者」ではなく、それは私の観点からは単なる「テクニシャン」なのだ。自分が主体的に研究に取り組めば、当然、第一著者として、あるいは責任著者として論文を発表するはずである。給与をもらって生業として研究に携わっているのであればなおさらのことだ。

 

 自らの主体的な研究成果を発表する時に、論文がトップジャーナルに出るかどうかは問題ではない。遠藤氏の場合は、発表はバイオインフォマティクス」の専門誌となり、一般の研究者にはあまりインパクトのない論文になるかもしれない。しかしながら、自らの興味を基本にし、能動的に研究に取り組み、自然の原理を解明する努力、あるいは解明する手法を開発しているのならば私は評価する。

 

 バイオインフォマティクス」の分野では、「共同研究でスタイルを確立しているタイプの研究者」は欧米でもかなりの割合でいるのだろうか?バイオインフォマティクス」の分野でも、「ポスドク」が共著論文ばかりで、第一著者としての論文が無くては次のポジションを得られるとは私には思えない。それはPIについても当てはまるだろう。ラボ運営の研究費やポスドクの雇用費は獲得できない。「非CDB系若手研究者」氏は、共同研究だけで成り立っている欧米の「バイオインフォマティクス」の研究者をご存知だろうか?遠藤氏の場合、日本で最も研究環境の良い理研にいながら、第一著者として10年間に渡って論文が発表されていなかったのでくだんのコメントとなった。

 

 遠藤氏の発表したものが、本当に科学論文なのかということについてはやや疑問を持っている」という結論については、私は3つの論点をあげている。第一は、「「白紙」となった研究成果のデータを持ち出して解析をするのではなく、他の論文を解析して手法の「有用性」を示す必要がある」のではないかという疑問だ。科学論文であるならば、そこが一番のポイントのはずである。今まで意見を述べられた方はすべてバイオインフォマティクス」については素人のようなので、もしこのブログを専門家の方が見ていたら、ぜひ意見を聞かせていただきたい。第二は、「「内容が未発表」ということにやや抵触するのではないか」という疑問だ。これについては、「「未発表」と言えないこともない」と、「既に「公表」していたという解釈も可能」と、二つの見方ができることを指摘している。第三は「論文が「政治的意図」で審査された可能性」だ。

 

 私はこれら三つの論点から、「本当に科学論文なのかやや疑問を持っている」という「総合的判断」を述べた。ところが、批判される方は論点の一つのみを持ち出し、しかも誇大解釈して反論される。これは、「ストローマン」論法の感がある(http://ja.wikipedia.org/wiki/ストローマン)。前の記事で指摘したが、遠藤氏の論文の内容は私から見ると「めったに起こりえないような状況(他細胞のコンタミ)を自ら設定し、それに対する解決法を提示」するという「ストローマン」論法的なのである。

 

 私が理解できないのは、なぜ遠藤氏は撤回されることが決まっていた論文のデータ解析を「科学雑誌に発表」したかということである。公表すること自体に疑問を挟んでいるのではない。以前は、雑誌に発表しなければ多くの人の目に触れる事はなかったが、今はインターネットがある。遠藤氏は「kahoの日記」を利用しているわけであるから、論文に発表した内容をそこで公開すれば済む話なのだ。それならば、「新規性」、「オリジナリティ」、「未発表」、「政治的意図」も関係なくなるので、科学者として「STAP騒動」の解決に向けて貢献したことになったはずであり、私も高く評価してこのような記事を書かなかったであろう。

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