洲崎球場:「幻の球場わかった」沢村栄治や藤村富美男活躍
毎日新聞 2014年10月27日 10時33分(最終更新 10月27日 11時56分)
◇大手電鉄会社広報マンが講談社から刊行
プロ野球創成期を支えながら短期間で姿を消し、謎に包まれていた洲崎球場(現・東京都江東区)の全容が明らかになった。一野球ファンが、不明だった解体時期を1943年8月に絞り込み、球場の規模もほぼ特定。伝説のエース・沢村栄治のノーヒット・ノーランなど歴史を刻んだ「聖地」の実態に迫る。
解明を進めてきたのは大手電鉄会社の広報マン、森田創さん(40)。その成果は30日、講談社から「洲崎球場のポール際」として刊行される。
同球場は、プロ野球最初のシーズンである1936年、球団「大東京」の本拠として埋め立て地に建造された。初代ミスタータイガースの藤村富美男らが活躍し、巨人・阪神による「伝統の一戦」の発祥地に。だが水はけが悪いなど問題があり、わずか3年で使われなくなった。記録に乏しく、規模や解体時期などは、野球の歴史を紹介する野球殿堂博物館も把握していない。
森田さんは2013年3月、毎日新聞の記事で同球場について知り、「忘れられた『聖地』を明らかにしたい」と、独自に調査を始めた。国会図書館などで資料を発掘。数少ない球場の写真から正確な位置や規模を突き止め、陸軍が撮影した航空写真などから解体時期を割り出した。
昨夏には、元巨人の川上哲治さん(同10月死去)に人を介して取材。「(プレー中)膝下まで海水が入ってきた」など貴重なコメントを得た。さらに37年5月1日の沢村のノーヒット・ノーランを観戦した東京都台東区、吉田幸雄さん(86)からも「達成の瞬間、グラウンドに座布団が舞った」と、熱気を伝える証言を引き出した。
森田さんは「劣悪な条件でプレーした創成期の選手たちがいなければ、今のプロ野球の隆盛はなかった。沢村をはじめ戦争で亡くなった選手も多い。彼らの躍動の舞台を記憶してほしい」と話している。【栗原俊雄】