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【社会】

第1次大戦 日英同盟で合祀1333人 「戦域限定」参戦なし崩し

2014年10月27日 07時00分

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 百年前に始まった第一次世界大戦の戦没者で、靖国神社に合祀(ごうし)された日本の陸海軍軍人ら四千八百五十人のうち、日英同盟を名目に海外に派兵され戦没した合祀者は、少なくとも千三百三十三人に上ることが本紙の調べで分かった。開戦当初、日本軍は「戦域限定」で出兵を求められたが、日英両国は戦況の変化を優先することで戦域を拡大させ、その結果、戦没者が増大していく状況が浮き彫りとなった。 (吉原康和、秦淳哉)

 『靖国神社百年史』(同神社発行、一九八三年)によると、第一次大戦関係の合祀者は四千八百五十人。一九一五年から計六回にわたって合祀されたが、どこで戦没したのかの具体的な内訳は、政府の公的文書でも明確になっていなかった。

 当時の官報と戦域別の死没状況が掲載された『靖国神社忠魂史』(陸海軍省監修、三五年)を基に本紙で独自に集計した結果、日英同盟を理由に参戦した陸海軍の合祀者数は、少なくとも千三百三十三人に達した。

 戦域別では、ドイツ領だった中国山東省の青島攻略で戦病死した陸海軍の軍人らの千五十八人が最も多く、次いで、ドイツ領の南洋諸島の占領などで犠牲となった海軍軍人百八十四人、地中海での戦没者九十一人。日英同盟以外で参戦し、合祀された残る三千五百人余の大半は、シベリア出兵に伴う戦没者だ。

 日英同盟を名目に日本がドイツに宣戦布告する際、英国は中国や太平洋への日本の権益拡大を懸念する中国や米国の意向に配慮し、日本の参戦地域を青島近郊の膠州(こうしゅう)湾以外に拡大しないように求めた。しかし、英海軍の極東での戦力不足や戦況の変化などに伴い、英国側から太平洋や地中海などへの派兵を求められた。

 地中海への派兵は日英同盟の適用範囲外だったため、日本政府は派兵に慎重だったが、米国や日本の商船がドイツの潜水艦部隊に沈没させられる被害も続出し、日本も海軍派兵を決定。参戦当初の「戦域限定」は有名無実化した。

<日英同盟> 1902年発効の軍事同盟。04年の日露戦争から第1次大戦まで日本外交の基軸となった。当初はロシアが仮想敵国。中国と朝鮮を対象地域とし、交戦相手が1カ国なら同盟国は中立を守るという変則規定だった。05年の改定で対象範囲をインド以東のアジアに拡大、参戦を義務づけた。大戦後の23年、米主導で日英米仏の4カ国条約を締結、同盟を解消した。

<平間洋一・元防衛大教授(軍事史)の話> これまで明確でなかった第一次世界大戦の合祀者がいつ、いかなる戦域で亡くなったのかをきちんと押さえることは重要。日本は日英同盟を理由に参戦したが人やモノ、情報を動員する総力戦で、戦域を限定することは不可能に近い。戦局の変化がその後の外交交渉をも左右することは最近のウクライナ危機の動向からも明らかだ。

(東京新聞)

 

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