目次


プロローグ

第一話 温泉で二人は出会った

第二話 半熟王子と温泉ドラゴン

第三話 帝国最強の男

第四話 第一次温泉大戦

エピローグ

イラスト/児玉 酉


プロローグ



「なんてこった……」

 極東の小国「ユ国」の王子である僕――ユ・アリマは、てんで絶望に打ちひしがれていた。

 浴室の壁を見れば、ここが王室ようたしの浴場であることを示す、三本の稲妻をあしらったユ家の家紋が飾られている。

 外を眺めれば、すり鉢状に広がる山間の森と、天に向かってそびえ立つ名峰ヌブル山が一望できる。露天風呂から眺める万年雪の霊峰は、まさに絶景だ。

 大陸全土を統治していた「古代魔法国家」が滅亡して四〇〇〇年余り。世界から魔法技術は失われ、大陸は百の国が覇権を争う群雄割拠の時代を迎えていた。

 そんな戦乱の大陸にあって、風光めいな景色を望める大浴場はユ国にしか存在しない。露天風呂はユ国王子である僕の自慢であり、心からくつろげる憩いの場でもあった。

 そんな憩いの場で、僕は湯にかりながら、書類の束を持って絶望に打ちひしがれている。

「金がないのは知ってたけど、まさかこれほどとは……」

 湿気でしわしわになっている書類はユ国の内部資料であり、ここ三年にわたる国家予算の収支が記されたものだ。

 ユ国は赤字だった。それはもう見事な赤字だった。目にも留まらぬ速さで突っ走る火の車だった。このままでは数年のうちに国が破産するであろう重大な危機だった。

「こんな状態になるまで陛下は何をしていたんだ」

 あまりの惨状に書類を正視できないまま、僕は、いつものほほんと笑っている父の――国王陛下の顔を思い出す。

 僕が十六歳の誕生日を迎えたとき、父は「そろそろ国政にかかわってみるか」と言ってくれた。やる気に燃えた僕は意気込んで国の内部資料をかき集め……。結果、絶望に打ちひしがれている現在である。

 早く手を打たなければ、三百年の歴史を誇るユ国が僕の代を待たずに滅亡してしまう。それだけは何としても阻止しなければ。

 僕は湯船に肩まで浸かりながら考える。どうすれば傾いた財政を立て直せるのか。

 だが、のぼせるほど湯に浸かっても何一つアイデアがひらめかない。そりゃそうだ。簡単にアイデアが閃くなら、火の車になる前にだれかが手を打っている。それほどまでにユ国はかねもうけに向いていない国なのだ。

 ――むにゅ。

 唐突に、僕の背中に弾力のある柔らかい何かが押しつけられた。

「何を一人ひとりで難しい顔をしているのだ?」

 聞こえてきたのはハスキーでつやのある女性の声。背後から抱きつくような格好で、細い腕が僕の首筋に絡みつく。マニッシュな言葉遣い、そんな態度、そして背中に押しつけられた温かくて柔らかな二つのふくらみ……。

 むにゅ、と柔らかな圧迫が加えられ、僕はだこのように顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

「ユフィ! 僕が入浴しているときは入ってくるなと何度言えば」

「良いではないか。きようだい水入らずで仲良くして何が悪い」

「姉弟でも男と女なんだから問題あるだろ!」

「ほほう。アリマは姉に欲情しているのか? 浴場だけに」

 くだらないダジャレを交えながら、ユ国王女であり僕の実姉であるユフィは、豊満な双丘をぐいぐいむにゅむにゅと押しつけてくる。密着されたうえに「ふっ」と耳に吐息を吹きかけられた僕は、たまらず姉を振り払い、ばしゃばしゃと水をけ逃げ出した。

 ユ・イン=ユフィは僕の四歳年上の姉であり、ユ国が誇る天才剣士だ。

 長身ですらりとした肢体。腰まで届くあでやかな長髪。目鼻立ちの整ったりんとした面立ちで、明るく人懐っこい性格は老若男女を問わず誰からも好かれる、ユ国のアイドル的存在。

 それほどのぼうでありながら、剣の腕前は国内では敵無し。大陸最強の兵団を有する武力国家「帝国」で行われた皇帝主催の御前試合でも、並み居る強豪を下して準優勝を果たすという快挙を成し遂げた剣の申し子。

 そんなルックスも、性格も、剣の腕前もかんぺきな彼女に、重度のブラコンという致命的欠陥があることを国民の大半は知らない。

「逃げることはないだろう。姉は傷ついたぞ」

「勝手に湯船に入ってくるユフィが悪いんだろ! 何しに来たんだよ!」

「何しに来たとはごあいさつだな。私はアリマが難しい顔をしていたから、体で慰めてやろうとしただけだ」

「言葉で慰めてくれればいいよ! 体はいらないよ!」

「いけずだな。それでは私が楽しくないではないか」

「僕はユフィを楽しませるために悩んでるわけじゃない!」

 ユフィに背中を向けながら怒鳴る僕。いまいち迫力に欠けるけど、裸の姉を凝視するわけにはいかないので仕方がない。

「で、さっきから何を悩んでいるのだ? 性の悩みなら姉が全身で受け止めて……むむ?」

 ユフィは僕がさっきまで読んでいた書類を見つけたようだ。ぱらぱらと紙をめくる音が背後から聞こえてきた。

「なるほど。アリマはユ国の貧しさに心を痛めているのだな」

「……そうだよ」

 隠しても仕方がない。僕は背を向けたまま素直にうなずく。

「このままだとユ国は遠からずたんする。国を存続させるには思い切った処置が必要だ。だけど、何をすればいいか思いつかなくて……」

 口では何だかんだ言いながら、根っこのところで僕はユフィを信頼していた。ブラコン以外は非の打ち所がない自慢の姉に、僕はついつい甘え、頼ってしまうのだ。

「そういうことならば私に任せておけ。ようは大金が転がり込めばいいのだろう?」

 どうやらユフィには秘策があるらしい。驚いた僕は思わず振り返り、全裸の姉を目にして大慌てで視線をらした。

「ど、どうする気?」

 顔を真っ赤にしながら尋ねる僕へ、ユフィは露天風呂から見える景色を――ユ国が誇る名峰ヌブル山を指差す。

「ヌブル山へ行く」

 ヌブル山は、多くの火山を抱えるユ国の中でも特に有名な活火山だ。美しい景観とは裏腹に、切り立ったがけや毒性の強い火山ガスなど、自然の脅威が人間を寄せ付けない。そこは秘境であり、そして……。

「危険だよ! ヌブル山といえばドラゴンの巣がある場所じゃないか!」

「それがねらいだ! 私はヌブル山のドラゴンを生け捕りにする。生きたドラゴンを捕獲して見世物にすれば、世界中から見物客が集まってくるぞ!」

 人の集まる所には金も集まる。ユ国を訪れた観光客の落としていくお金によって町が潤うという発想自体は理にかなっているけれど……。

「無茶だ! いくらユフィが剣の達人でも、ドラゴンを生け捕りなんて無理に決まってる!」

「安心しろ。私は強い。それに、アリマを残して死んだりしない」

 いつの間に近づいていたのか、ユフィの手が僕の肩をつかむ。視線を上げると、間近にユフィの整った顔があった。ユフィの澄んだひとみがゆっくりと近づいてくる。