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2014年10月25日 (土)

ワールドシリーズを争うKC、SFは昔から野球の街だった(第786回)

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 ワールドシリーズ第1戦の全米視聴率が史上最低の7・3%と発表されたが、対戦する両都市では、カンザスシティー(KC)が48・2%、サンフランシスコ(SF)でも29・3%の高率だった。チケットは全戦完売。1、2戦の行われたカウフマン・スタジアムは通常の収容能力より2000人以上多い4万人超の観衆を飲み込んでいる。一方、ジャイアンツの本拠AT&Tパークは、レギュラーシーズンも含め447試合連続満員御礼中。ともに野球好きでは負けてはいない。

 両都市にメジャーリーグがやってきたのは、KCが1955年。アスレチックスがフィラデルフィアから移転(1968年にオークランドに移転=ロイヤルズは1969年創立)してきた。SFは3年後の1958年、ニューヨークからジャイアンツが移ってきた。

 それまではメジャーの球団が米東部に集中していたためで、当地には強豪野球チームが君臨していた。KCには、有色人種がメジャーでプレーできなかった時代に「メジャーよりも強かった」と言われたニグロリーグで、計10シーズン優勝するなど最強と言われたモナークスが存在。史上最高の投手と言われたサッチェル・ペイジ在籍していたほか、20世紀黒人大リーガー第1号のジャッキー・ロビンソンもドジャースと契約する前の1945年にモナークスでプレーしていた。その関係で「ニグロリーグ野球博物館」=13年前のリポートは下段に掲載=がダウンタウンにある。

 SFには、当時、メジャーと遜色ない実力を誇ったパシフィック・コーストリーグ(現在も3Aとして存在)があった。同リーグで計14シーズン優勝したシールズ(ジャイアンツ移転で消滅)は、日本のファンには1949年に来日したことで知られる。米国では、何と言ってもヤンキースで56試合連続安打をマークした地元出身のジョー・ディマジオの出身球団として有名。1933年には同リーグで61試合連続安打という破天荒な成績を残し、ヤンキース1年目に打率3割5分2厘、29本塁打、125打点を残して、リーグのレベルの高さを証明したほどだ。

 ディマジオを育んだ街と、ロビンソンが鍛えられた街。1勝1敗だけに、ビッグスターを輩出した街同士、よりヒートアップするに違いない。

写真はモナークス時代のジャッキー・ロビンソン(2012年度メジャーオールスター戦プログラムより)

ニグロリーグ記念館(第27回=再録) 

2001年6月5日

 5月下旬、マリナーズのカンザスシティー遠征期間中にダウンタウンにあるニグロリーグ野球博物館を訪れた。1947年ドジャースのジャッキー・ロビンソンが黒人選手として大リーグ入りの道を開くまで、黒人選手は大リーグからシャットアウトされていた。その時代に黒人選手を中心に組織されていたリーグ。人気面では劣っていたものの、実力面では大リーグを凌駕する存在だったが、黒人選手の門戸開放で50年代に姿を消した。

 そんなニグロ・ナショナル・リーグが、1920年2月13日、カンザスシティーで発足された。有名なニューヨーク州クーパーズタウンにある野球殿堂博物館でもニグロリーグ関係の展示スペースがあるものの、展示品は限られている。後世にその偉業を残したい、という趣旨で1991年1月にオープン。現在の場所にリニューアルしたのは97年からだった。

 場所はカンザスシティーのダウンタウン。建物の一部にあるものでけっして大きくない。デーゲームが終わった後に駆けつけたために閉館時間間際で、受付嬢は「もうすぐ閉館時間だから無理です」と断った。仕方なく、グッズ・ショップに行くと、職員の一人トーマス・ブッシュさんが、「見たいんだったら、こっちから入れ。5分間だけだぞ」と、いつもなら博物館から出てショップに通じるドアを開けて、中に入れてくれた。

 室内はやや薄暗く、かつて虐げられたニグロリーグの選手の魂が飛び交っているような感覚に襲われた。その一方で、昔の映像を流す場所もあり、白黒の画面の中でグラウンドを自由奔放に動き回る姿に、選手がそこから飛び出してくるような気分にもなった。

 けっして広くないが、真中にレジェンド・フィールドと銘打ったグラウンドを模して、それを囲むように色々な展示物を配している。ニグロリーグを経て大リーグに昇格した選手も大きなパネルにしてあり、昔ロッテで活躍したジョージ・アルトマンの姿には懐かしさを覚えた。また、訪れた有名人のサインボールも展示。クリントン前大統領、ジェシー・ジャクソン氏らの名前もあった。

 ここの名誉館長は89歳を超えるバック・オニールさん。かつてのニグロリーグの名選手で生き字引のような存在だ。ロイヤルズの本拠地カウフマン・スタジアムにも顔を出し、マリナーズではドミニカ出身のパニアグア投手が自らサインをお願いするほどの有名人。大リーグ殿堂の特別表彰委員としても名を連ねいている人物だ。球場で初めて会った時に、「バック・レナードさんですか?」と名前を間違えると「いや、私はバック・オニール。カンザスシティーにようこそ」と言ってくれた。

  昔の思い出を聞くと「私は大リーグではプレー出来なかったが、けっしてニグロリーグでつらい思い出ばかりじゃなかった」と話してくれた。カンザスシティーの人気者でファンも気軽に声をかけ、また遠征してきたチームの首脳陣やベテラン勢が姿を見つけると、すぐに挨拶に来る存在だ。博物館では会えなかったが、平日の日中は同館にいるという。ニグロリーグ博物館は、市内の観光案内にも「街のベストプレース」として掲載されている。また市内マップにも掲載されている。野球好きの方には是非、お勧めしたい場所だ。

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蛭間 豊章

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