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元兵士、涙で和解 太平洋戦争から70年

佐藤中将の墓前で、和島さん(中央)と握手を交わすウェランドさん(左)

 太平洋戦争末期に旧日本軍がインドで展開したインパール作戦で、日本と戦火を交えた英国の元軍人らが25日、作戦を指揮した佐藤幸徳中将の出身地、山形県庄内町を訪れ、同作戦の追悼法要に出席した。法要では、元日本兵と握手を交わし、歴史的な和解を果たした。日英両軍で多くの犠牲者が出た作戦が終結してことしで70年。節目の年に両国関係者があらためて平和を誓った。

 訪れたのは、元軍人ロイ・ウェランドさん(93)と、英国の退役軍人団体関係者ら7人。ウェランドさんは、佐藤中将の菩提(ぼだい)寺であった法要で、同町在住で作戦に参加した元兵士和島孝一郎さん(92)と対面し固く握手を交わした。
 足の不自由なウェランドさんは和島さんの肩を借りながら焼香し、「敵だった自分をこんなに歓迎してくれると思わなかった。日本に来て良かった」と感慨深げな様子。和島さんはおえつを漏らしながら「作戦のことを思い出すと今でも涙が止まらない。英国軍の方と握手ができてほっとした気持ちだ」と話した。
 佐藤中将は、インパール作戦で英領インドへの侵攻を進めた際、飢餓や感染症のまん延から軍の命令に反して前線からの撤退を決め、多くの兵士の命を救ったとされる。一行は佐藤中将の墓にも献花した。
 日英の戦争和解活動を続ける「英国ビルマ作戦協会」のマクドナルド昭子会長が交流を仲立ちした。英国在住のマクドナルドさんは、陸軍中尉として作戦に参加した父親が佐藤中将の撤退命令で生き残った縁から、庄内町で平和講演会を開くなどしている。
 マクドナルドさんは「平和を心で思っていても、態度で示すことは本当に難しい。今回の対面が日英友好をより強くするきっかけになってほしい」と話した。
 一行は26日、鶴岡市羽黒山にある出羽神社に参拝し、あらためて世界平和を祈願する。

[インパール作戦] ビルマ(現ミャンマー)を占領した旧日本軍が1944年1月に命令した英国領インドの東北部インパールへの侵攻作戦。日本軍は惨敗し、7月に作戦は中止となった。飢えや病気で、日本の参加兵士約9万人のうち約7万2000人が死亡したとされる。英印両軍は約4000人が犠牲になったとの推計もある。


2014年10月26日日曜日

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