社会
【照明灯】「お互いさま」?
どっちもどっちという。そこにけんか両成敗のニュアンスが重なれば、善悪の判断はただちに放棄される。例えば殴られているいじめられっ子が殴り返す。どっちもどっちとみなした途端、先にあったいじめっ子の暴力の非は相殺される▼では、両者のやりとりはどう聞こえたか。橋下徹大阪市長と在日特権を許さない市民の会の桜井誠会長の面談である。のっけからのけんか腰に各紙は「互いを罵倒するのに終始」「主張は平行線」と報じた▼在日特権なるデマを振りまき、街中で「朝鮮人をたたき出せ」と唱道するグループである。代表者を「民族をひとくくりにした下劣な発言をやめろ」「おまえみたいな差別主義者は大阪にはいらない」と叱責することのどこが、お互いさまなのか。どっちもどっち論はかくも本質を遠ざける▼放置は加担に等しい。公人が差別を否定し、非難を表明することは、日本が加盟する人種差別撤廃条約も要請するところだ▼「『朝鮮人は半島に帰れ』は一つの意見」との桜井氏の弁が意見に聞こえるのは、深刻な差別として響いていないからだ。橋下氏の振る舞いが人気取りであったとしても、差別は許さないという姿勢に人気が集まるのなら、その方が健全な社会であることは言うまでもない。
【神奈川新聞】