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■特攻〈4〉

 特攻出撃で2度、死を覚悟した。それから5年後の1950年、桑原敬一さん(88)=横浜市=は、病床で3度目の「死」を覚悟していた。

 串良基地(鹿児島)の特攻隊が45年5月に解散した後、移動を重ね、台湾で終戦を迎えた。46年3月に復員し、郷里・岩手の金属メーカーに就職。さあこれから、という24歳の時、肺結核に倒れた。

 手術で右肺の大部分を摘出しました。息が苦しくてね。意識がかすむ中、母たちの声がぼんやり聞こえました。でもね、このときは、死ぬのが怖くなかった。特攻のときは、あんなに死を受け入れられなかったのに。