仏道とは
冒頭に書かれている言葉。
仏道とは本来、宗教でも儀式でもなく、お稽古をして歩むべき「道」でした。あたかも茶道や弓道のお稽古をするかのごとく、心のお稽古を始めることといたしましょう。
坐禅瞑想と聞くと、怪しいイメージを持つ人もいるかもしれませんが、坐禅とは心をキレイにして「集中力」「観察力」「平常心」を育てるトレーニングです。仏道の説く『欲・怒・迷い』の3つの代表的な煩悩を鎮めて、苦しみの少ない生活を目指しましょう。
坐禅とは
坐禅とは、何も考えずに座る練習です。本書では、その座り方・手の置き方が丁寧に書かれています。人が苦しいのは「考える」からです。考えごとは悲しいことであっても、楽しいことであっても、「苦」と捉えるのが仏道です。楽しいことも、楽しさが続かなければつまらなく感じ、苦しみとなります。過去や未来に考えごとを巡らせずに、今ここにある「感覚」に身を投じていくと心が穏やかになります。それを味わう手段が『坐禅』です。
坐禅のステップ
この本の良いところは、初心者から上級者まで、レベルにあわせたトレーニングが書かれているところです。
初心者はまず「考えない」トレーニングを。自分の呼吸にあわせて体が動く身体感覚に意識を向けていきましょう。途中で考えていることに気づいたら、また呼吸と身体感覚に意識を戻していく。
「意識がそれた」「呼吸に戻す 」「また、それた」「戻す」「それた」「戻す」。あたかも反復横跳びをしているかのごとく、この往復運動をたびたび繰り返す
大きな体の動きに集中できるようになったら、感じる範囲を鼻先に狭めて、呼吸の温度・長さ・性質・左右差など、より高い集中力を持って見つめていきます。集中力がついてくると、これがとても気持ちいい。何も考えごとのない研ぎ澄まされた心地よい感覚を味わうことができます。
感情を捨てる
集中力がついてきたら、今度は感情のひとつひとつをキレイに消すトレーニングに移ります。浮かび上がる感情について、何も思わずに客観的に見つめ続けていくと、いつしか「フッ」と感情は消滅していきます。「イヤだなぁ」と思わずに、「あ、自分は今『イヤだなぁ』と思っているんだな」と人ごとのように見つめること。そうすると、感情はキレイに消えます。このように感情をしっかりと消すことができると、心がどんどん軽くなります。
その他にも、意識のセンサーをはってミクロな「雑念」も見つけ出す方法が書かれています。今、自分は「苦」を感じているのか、「楽」な感じなのかを、センサーでキャッチしていくのです。まるでPCのデフラグをするように、細かい雑念が消えると、身も心も軽くなります。
現代人には『坐禅』が必要
情報社会となった現代では、望まなくても、さまざまな情報のシャワーを強制的に浴びさせられます。気がつくと、頭の中は考えごとでいっぱい。考えごとでいっぱいだから、余裕がなくなってストレスになる。ストレスが溜まっているから、ちょっとしたことでも怒りやすくなったり、そのストレスをごまかすために、不必要な欲望が生まれてきます。
電波も通じない山奥にキャンプに行くことを想像してください。スッキリと心が穏やかになる気がしませんか。
それだけ今の世の中はムダな情報に溢れかえっているのかもしれません。便利に扱っていたはずの「情報」が、いつしか「情報優位」となり、私たちは「情報の奴隷」になってしまっています。「もっと情報がほしい」と欲望のストレスが渦を巻いています。
最近では、それに気づく人が増えて「デジタルデトックス」なんて言葉の生まれてきています。「デジタルデトックス」も重要ですが、もっと積極的に自分の穏やかさを取り戻す「坐禅瞑想」がたくさんの人に広まるのは、時間の問題だと思います。