文部科学省の審議会に冨山和彦委員が提出した資料について、前回記事とは別の角度から考察します。
大学を、
に二分して、L型大学を「非大学化」せよ、という主張です。各論はともかく、総論としては的を射ています。というのは、大学(入学者)はどう見ても過剰であり、他の産業と同様に、適正規模まで縮小が求められるためです。
1992年と2014年を比べると、18歳人口は42%減ですが、大学入学者は12%増です。
そのため、大学進学率は倍増しています。1980年代であれば大学に進学しなかった人(人口の1/4)が進学するようになったことを意味します。
日本経済は1973年(石油危機)と1990年(バブル崩壊)の前後に実質成長率のトレンドを低下させています。高度成長期には上昇を続けた高校と大学の進学率も、1973年の成長率低下とともに上昇を止めていました。ところが、1990年の成長率低下においては、逆に大学進学率は上昇に転じています。
一般的に、経済成長率の低下は投資水準を低下させます。水準を下げなければ過剰投資→不稼働資産が増加してしまいます。潜在成長率が約4%の時に、高度成長期並みの水準の投資をおこなったのがバブルですが、必然的に崩壊し、膨大な過剰設備と不良債権を残しました。
同様に考えると、1973年の成長率低下に応じて進学率上昇が止まったのは合理的でしたが、1990年以降の大学進学率上昇は過剰教育投資ということになります。日本経済は1990年代後半から雇用・設備・債務の「三つの過剰」の解消に苦しみましたが、同時期に第四の過剰=過剰教育に突き進んでいたわけです。
장하준が指摘するように、大学進学率の上昇が国の繁栄につながるわけではありません。むしろ過剰投資につながります。
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教育の向上が国の繁栄に直接むすびつくことを示す証拠はほとんどない。教育で得られた知識の多くは生産性向上とは無関係である(もちろん知識は、より満足のいく自立した生活を送るのに役立ちはする)。
非工業化と機械化が進んで、ほとんどの富裕国では大半の仕事で知識の必要度がむしろ落ちてさえいる。知識経済で重要とされる高等教育にしても、経済成長との単純な関係はない。
誰もが大学へ行きたいと思えば、高等教育への需要が増大し、その需要を満たそうと大学の数が増え、入学率はさらに上がり、大学へ行かなければならないという人々の思いは一段と強まる。こうして“学位インフレ”が起こる。
スイスが1990年代半ばまで、10~15%の大学入学率で世界最高レベルの生産性を維持できたことを考えると、大学入学率をそれよりもかなり高くする必要はないと言える。
富裕国では、高等教育へのこだわりすぎが緩和されないといけない。このこだわりすぎで不健全な学位インフレが発生し、多くの国で高等教育への過剰投資がおこなわれることになるからだ。
学位インフレ=過剰教育投資は、多くの先進国で生じています。シンガポールもその例に漏れず、大学数と大学卒業者が急増中で、就職が困難になる兆しが出ています。
Study Hard, For What? - Channel NewsAsia
上のシンガポールの番組では、別の選択肢としてドイツの職業訓練制度を取材しています。その有効性は認められたものです。
若者の失業 解決策は大学進学だけにあらず - SWI swissinfo.ch
学歴が高いほど就職できるチャンスが増えるという定説は、国別にみても通用するのだろうか?定説通りにいけば、大卒の数が多ければ多いほど、その国の若者の失業率は低くなるはずだ。しかし、OECDが11年に発表した統計をみると、大卒の若者の数と若者の失業率全体にはあまり相関性がないことがわかる。さらに、定説とは逆に、ドイツとオーストリアは欧州内では大卒の若者の数が一番少ないが、若者の失業率はかなり低い。
つまり、カギを握るのは職業訓練制度なのだろうか?若者の失業率が比較的少ないドイツ、オーストリア、スイスでは、この制度がもっとも発達している。
世界銀行も職業訓練の重要性を説いている。同行による各国比較調査では、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスなど職業訓練と大学教育が併存する教育制度では、学校から就職への移行がスムースにいくことが分かった。また、これらの国々では若者の失業率は低く、失業を繰り返す人の割合も他国の平均に比べ低かった。
「L型大学=新たな高等教育機関」を職業訓練、「G型大学」を大学教育の場とすれば、冨山の提案は「オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイス」と似たものになります。
日本の場合、過剰教育の解消には大学進学率を1980年代の水準(約25%)に戻すことが必要のように思えますが、その場合、大学の半分(学生数ベース)を「新たな高等教育機関」に衣替えすることになります。*2
あまりにも過激に感じるかもしれませんが、激変する社会環境に適応しなければ、大卒失業者が溢れる悲惨な結果がもたらされるでしょう。銀行の不良債権と同じで、処理を遅らせるほどそのツケは大きくなります。
クルーグマンが「技術の復讐」で描いたように、技術進歩による社会の変化は止められません。
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カート・ボネガットは1952年のSF小説、『プレイヤー・ピアノ』で、技術の進歩によって、機械が人間に代わってほとんどの仕事をこなすようになる未来世界を描いている。小説では、こうした技術進歩が社会に悲惨な結果をもたらしている。ほとんどの人は金になる仕事にありつけず、失業手当で暮らすか、政府が提供する無意味な失業対策事業で働いている。意味のある仕事につけるのは、創造力など特別の能力をもつ人だけであり、しかも、機械化によって人間がすることがなくなっていくため、こうした人の数もじりじりと減っていた。
最近、『プレイヤー・ピアノ』を読み返してみて、ボネガットが40年以上も前に描いていた自動化工場に、現実味を感じた。しかし、いったいだれが工場を(あるいは、小説に登場する産業エリートの家を)掃除するのだろうという疑問がわいた。こうした日常的な仕事が自動化されているかどうかについて、いっさい触れられていないのは、決して偶然ではない。なんでもないと思われている仕事をこなせる機械、つまり、ふつうの人の常識を備えて、単純作業をこなせる機械をつくれるようになるのは、ずっと先のことであると、ボネガットはわかっていたに違いない。
もっとも、「日常的な仕事が自動化」されるのは意外に早いかもしれません。その時には一体どのような世の中になるのでしょうか。
「メイド表紙」で批判された人工知能学会誌、新しい表紙は"メイド視点"?
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