赤玉ポートワインのポスターモデルは松島栄美子!当時の反響が凄い
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朝ドラ「マッサン」で
登場する鴨居商店の「太陽ワイン」。
そのモデルとなっているのが
「赤玉ポートワイン」です。
現サントリーホールディングスの
前身である寿屋の創業者
鳥井信治郎氏が生み出した商品で、
その広告戦略によって
赤玉ポートワインは大ヒットします。
それは、当時まだなかった
ヌードポスターでの宣伝でした。
そのポスターに起用されている
女性の名前は松島栄美子さん。
松島さんの活躍によって
寿屋だけでなく広告業界にも
衝撃が走りました。
今回は当時の様子について
まとめてみたいと思います☆
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太陽ワインのポスター女優については
こちらの記事をご覧ください。
マッサン太陽ワインのポスターモデルは柳ゆり菜!謎の美女と話題!
日本発のヌードポスターが海外でも高評価!
日本の広告に女性のヌードが
登場したのは明治の末期で、
主に月経帯(生理用品)や
香水の宣伝に使われていたようです。
しかし、当時はどれも
絵や図像が使われていました。
それが本物の女性を起用した
セミヌード写真のポスターが
登場したものだから大騒ぎ。
肌を出しただけで警察から
目をつけられた時代とあって、
人々の度肝を抜いたようです。
両肩をあらわにするという
当時では考えられないアイディアが
話題を呼び、赤玉ポートワインと
寿屋の名を世間に広めることとなります。
そして、ワインへ視線が
引きつけられるよう計算された
画像構成が評価され、ドイツで
開かれた世界ポスター品評会で
この作品は1位になりました。
当然、他社はそれを真似して
様々なヌードポスターを作ります。
しかし、いずれも
取り締まりを受けるという
厳しいご時世だったようです。
片岡敏郎の斬新な発想で実現
撮影は、当時広告界の鬼才と言われた
片岡敏郎氏によって行われました。
片岡氏はそれまでも話題作を
次々と生み出していましたが、
鳥井氏に才能を買われ
寿屋の宣伝部長に就任します。
元々、森永製菓の宣伝部長などを
やっていた片岡氏に対し、
鳥井氏は森永のときの2倍の給料を
気前良く支払ったそうです。
当時の会社員の平均給料が
40~50円のところを
森永の2倍ということで
300円も払っていたそうですから、
かなりの太っ腹ですね。
そして、片岡氏の作品の中でも
傑作と言われる赤玉ポートワインの
広告を作り上げたのです。
ポスターのモデルは松島栄美子!
ポスターモデルには、
当時の赤玉楽劇座プリマドンナの
松島栄美子さんが起用されています。
当時27歳の松島さんは
浅草オペラの女優で、
赤玉楽劇座の一員としても
活動していました。
赤玉楽劇座とは、
赤玉ポートワインの宣伝用に
鳥井氏が結成した歌劇団のことです。
販売店主たちを招待し、
事業展開しながら全国を回っていました。
その劇団のプリマドンナが
松島栄美子さんです。
千秋楽興業を大阪で終えた後、
寿屋の宣伝部長である片岡氏から
「一生に一度のお願いや」と
ヌードモデルを頼み込まれました。
ドラマでふすまの隙間から見て
「合格」というシーンがありましたが、
実際もそうやってチェックされたようです。
胸の開いた舞台衣装に
慣れていたという松島さんは、
覚悟を決めて撮影を了承します。
撮影は絶対秘密で行われ、
モデルの松島さんはスタジオに
6日間も缶詰めにされた上に
1ポーズにつき50~60枚もの
写真が撮られたそうです。
最初は着物姿、次に肌着、
最後は上半身裸という風に
モデルの気持ちを自然に和らげ、
ムードを高めた上で完成した作品でした。
無彩色の背景にワンポイントの赤いワイン。
ドラマでも綺麗に表現されていましたが、
実はこのポスター、撮影から完成するまでに
約1年もかかったのだそうです。
それは、松島さんの白い肌に
グラスの中の赤ワインの色が合わず、
鳥井氏が色の研究をさせるために
担当者を半年間もアメリカに
派遣したからだったのだとか。
その結果、ワインの部分に
鮮明な赤を着色してポスターは完成。
「いいものを作ってもそれを知って
もらわないことには売れへんのや」
という創業者鳥井氏の信念のもとに、
試行錯誤した結果の作品でした。
ポスターの反響と松島栄美子の人生は?
ポスターが完成すると
その反響は凄まじく、
赤玉ポートワインは
驚異的な売上を記録します。
松島さんが寿屋本社を訪問した際には
問題のポスターモデルを一目見ようと
多くの人が集まったのだとか。
当時とてもインパクトが強く
広告戦略としては大当たりで、
松島さん宛のファンレターも
たくさん届いたそうです。
しかし、その裏で松島さんは
大変な状況に置かれていました。
この姿は若い娘がやることではないと
姉弟、親戚中からいやらしい子と
批判された松島さんは、とうとう
親から勘当されてしまいます。
警察からは風紀紊乱に当たると
取り調べまで受けるなど
波乱の人生を送っていたのだとか。
赤玉楽劇座は資金が続かず
1年で解散してしまったそうで、
その後松島さんは東京へ戻り
戦前にNHK職員の方と結婚されたそうです。
詳細はわかりませんでしたが、
老後は東京高田馬場のアパートで生活し、
幸せで静かな人生を送った様子。
これはご本人の写真ですが、
昭和58年4月7日に
90歳で亡くなったそうです。
赤玉ポートワインのポスターは、
鳥井信治郎・片岡敏郎・松島栄美子の
誰が欠けても完成しないものだったと思います。
当時タブーだったヌードを受け入れ
広告業界に新しい風を吹かせたのは
松島さんの功績と言えるでしょう。
朝ドラを見ているだけでは
知ることができない
当時の様子を調べてみて、
マッサンの国産ウイスキー作りも
並大抵のことではないのだな…と
改めて思いました。
個人的にはこのポスターの
制作エピソードについて取り上げられず
あっさり終わってしまったのが残念でしたが…。
みどりが今後登場することはあるのかな?
今後のストーリー展開も楽しみにしています。
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