私が佳苗さんと出会ったのは、昨年の秋です。ハンドルネームは、この手記を書くにあたり、佳苗さんが急遽つけてくれました。拘置所の面会室で佳苗さんから「その素敵なペン先の万年筆はどちらの?」と聞かれたので、私は「Pelikanだよ。」と答えました。ちょうど8月から万年筆を使い始めた佳苗さんは「私はPentelよ。せめてPelikanのスーべレーンを使いたいわよ。」と言っておりました。そして「あっ私、浅草のペリカンのパンが好きだったから、ダブルミーニングでニックネームをペリカンさんにしましょう。」と言われまして、これが、パン好きの佳苗さんにパンを差し入れる係である私の、命名の由来です。

 昨年、親友の自宅に呼ばれた際、唐突に「木嶋佳苗ってどう思う?」と聞かれました。「首都圏連続不審死事件の婚活詐欺師と呼ばれてる彼女?」と聞き返すと、そうだと返事がありました。私はアメリカのスーさんと違い、2009年から日本での報道を見聞きしていましたので、先入観はあります。しかし、その先入観は、決して悪いものではなかったのです。その理由は、20121月から4月まで行われた彼女の裁判員裁判を、私の息子がよく傍聴しており、その様子を聞いていたからです。

 当時息子は法学部の学生でした。実は、私も大学は法科出身で、裁判の傍聴経験は学生時代から数えますと、数十回あります。息子から、佳苗さんの百日裁判は、49の傍聴席を毎日抽選で決めるから。行列に並ばないといけないと聞き、オヤジの私は寒いのと人混みがイヤなもので、さいたま地裁まで行こうとは思いませんでした。しかし、くじ運に強い息子は、凄い確率で抽選に当たりまして、結構な回数、傍聴したのです。帰宅してから裁判の様子を話す息子は饒舌でした。

 「あんな面白い裁判見たこと無いよ。木嶋佳苗ってスゴイよ。こんなに騒がれてるのに全然動じないんだ。1日中平常心。仕草は上品で、ゆっくり喋る声は可愛いし。妹や彼氏に送ったメールも丁寧語だよ。演技じゃなく、素が真面目なお嬢様っぽい。俺さ、抽選外れた日に他の法廷で傍聴して女の被告人を見たんだけど、びっくりしたよ。スェット上下に髪の毛ボッサボサ、肌は荒れて女らしさなんて微塵もない。姿勢は悪いし、話し方もバカっぽいし、同じ拘置所に勾留されてる被告人と比べると、木嶋佳苗がいかにきちんとしてるかよくわかった。オーラが違うんだよ。肌は真っ白だし、唇はツヤツヤだし、髪は整ってるし、2年以上も勾留されていた女性とは思えないオーラがある。手錠をかける時まで物腰が優雅でさ。弁護士や拘置所の職員と話す時の表情は優しくて、何か魅力的なんだよね。」

 息子の話を聞いていると報道とは随分と違うなあ、と思いました。肝心の事件の審理は、自白も直接証拠もなく、状況証拠だけの争いで、検察官が感情的になり、演技じみたことをして裁判員に訴えている、と聞きました。

 息子は言いました。「これだけ長いこと希代の悪女だってメディアで報道されて、ネットで叩かれてたら、裁判員や裁判官どころか、日本中が彼女のこと犯人だと思ってるわけじゃない。怪しいことはたくさんあっても、グレーはどんなに重ねてもブラックにならないのに、裁判前からブラックのイメージが作られてるから、その空気で裁かれてる感じがするんだよね。死体の写真見せて、この女がこんな姿にしたんですみたいな演出で情に訴えられたら、ひどい犯行だなって思いそうになるけど、この女が殺したって前提が植え付けられてるから不審死が殺害事件なんだってことになるわけで、否認してる彼女側から冷静に見ると、検察のやってることの方が不審に思えてくる。
 目撃者もいなくて、物証も自白もないことから、検察は道徳観とか倫理性を持ち出して、こんな常識とかけ離れた価値観の女なんだから、付き合ってた男を殺すのも平気なんですって主張するしかない。被告人質問の追及の仕方も、嘘とか売春とか詐欺とか騙すとか、嫌悪感満載のキーワード連発して攻撃するわけ。検事や裁判官って、女は嘘つかないってホントに信じてるのかね。報道じゃ、犯人扱いでルックスのバッシングばかりしてるけど、女として魅力なかったら、あんなたくさんの男が本気で惚れて金出すはずないでしょ。
 殺した動機が、男性に嘘がバレたら困るからっていう検察の主張も無理筋だよ。全然説得力ないじゃない。貢いだ金を返せと言われたら他の男から貰って補填すればいいわけで、彼女はずっと男から貰った金で生活してきたんだから特に困らないでしょ。借りたんじゃなく貰ってるんだから、返せと言われる蓋然性も低い。常に複数の男と、本命の男と付き合うスケジュールの管理能力があって賢い彼女が、リスクを冒してまで男を殺す理由が見つからないんだよね。冤罪かはわかんないけど、これで有罪になったら確実に死刑判決でしょ。こんな茶番みたいな裁判で、死刑にしていいのかな。
 俺が一番陳腐だと思ったのは、遺族が書いて読ませた意見陳述。火事で死んだ千葉のおじいさんの息子が、なぜ木嶋佳苗なんかに騙されたのか情けなく思いますって書いてた。東京の青梅のおじさんのお姉さんは、出来が悪い中学生の作文みたいな文章で、木嶋佳苗を貶めまくるわけ。今そこで生きて何をしているのでしょうか、とか、亡くなった人を返すことはあなたには出来ない、とか訳わかんないこと書いて、挙句の果てには、他者の命を奪ったものは、奪われた人の命と等しい等価でいうなら、同じ命が絶たれることでしか合わないって、国家に殺人依頼してるんだよね。そんな陳腐な文章を検事が泣きながら読んで、法廷は白けてた。
 だってこのお姉さん、木嶋佳苗と1回も会ったことも話したこともないんだよ。法廷でも遮蔽されてるから、おじいさんの息子以外、被告人と遺族は1度も対面していない。警察と検察と報道の作った木嶋佳苗像のストーリーで、勝手に裁いてる。あの手紙の朗読聞いて、このやり方は卑怯だと思った。これが社会正義なのか。木嶋佳苗裁判傍聴して、検事と裁判官にはなりたくないと思った。」

 こう話していた息子は、現在も大学で法律を学んでおります。息子は小さい頃からスポーツが得意で、女の子に人気がありました。バレンタインデーには、女の子からチョコレートをたくさん貰ってくるものですから、ホワイトデーにお返しするクッキーを用意する妻は一苦労、というのが23月の我が家恒例の光景でした。息子は、モテない時期がない、と生意気なことを言う奴です。若造ですが、一般人よりは、リーガルマインドを持っています。そんな男が、木嶋佳苗を、魅力がある女性で、あの裁判はおかしい、と憤っていた。それが、2012年の4月のことです。朝日新聞デジタルの手記を読み「拘置所で判決を待っている時間に、こんな文章を書けるなんて才女だ。」と言っていたのには、私も共感しました。

 それから1年半経ち、親友から「木嶋佳苗ってどう思う?」と聞かれたのです。私は息子が、1審を傍聴していた話をしました。すると彼は「そうなんだよ。実は彼女、いい子なんだよ。」と言うので、愛人として付き合っていたのかと思いました。「やっぱり具合がいいのか?噂によると凄い機能だって聞くけど。」私はスケベなオヤジの本性丸出しで聞きました。「いや、違う違う、性格のいい子。チャーミングで可愛いよ。」「あっちは?」「だから違うって。そういう関係じゃない。」彼は否定し続け、話がなかなか噛み合いません。「実は拘置所で会ってるんだ、彼女と。」「えっ、あの木嶋佳苗と?」「そうそう、あの木嶋佳苗。佳苗さんはね、いい子だから応援してあげたいんだ。協力してくれないかな。」親友から、佳苗さんが書いた手紙を読ませてもらい、支援を決めました。何しろ我々は仕事が忙しく、家庭もありますから、支援活動を分担するため、信頼できる友人を紹介する形で、チームを作ることにしたのです。

 実際に拘置所で会った佳苗さんは、礼儀正しく、気品のある女性でした。彼女は予想外に気さくで、いつまでも話していたいと思わせる、魅力的な人です。知性があり優しく、女らしい人ですが、スーさんの手記にあるように、彼女はとてつもないレベルの「天然ボケ」でもあります。我々は、外で佳苗さんのことを話す時に「不思議ちゃん」という符牒で呼んでいます。私は正直なところ、彼女はどんな手練手管で男を騙してきたのだろう、と興味がありました。でも付き合ってしばらくすると、佳苗さんは、清純な女性だと気付きました。

 世の男たちは、佳苗さんの事件の話をすると「騙されたのはモテない馬鹿な男だ、俺は絶対騙されない。」と言います。そういう男が一番危ないんですけどね。佳苗さんと付き合うと、そういうことを学べます。彼女は婚活サイトで知り合った男性に、本名、住所を教えて堂々と交際しています。彼女の頭には、「男を騙す」という概念がないのです。男を自分の虜にさせたい、という思いもないようです。佳苗さんは楚々としていますが、媚びない大胆さのある女性です。水商売のホステスや風俗嬢の決まり文句のような「すっごーい」という褒め言葉も使いません。我々が佳苗さんから、お褒めの言葉を頂けるのはいつになるのか、見当もつきません。

 この手記を書くにあたり「俺たちが佳苗さんに惹かれる理由は何だと思う?」と聞いてみました。「あら、私に惹かれているの?魔術を使っているんです。ペリカンさんは、私に騙されているんじゃないかしら。」私は初めて佳苗さんからジョークを聞きました。しかし、彼女が冗談を言うはずがないのです。手紙にさえ、(笑)は、1度たりとも使わない人です。これは魔術かもしれません。私もわからなくなってきました。これが彼女の魅力です。

 スーさんの原稿が回覧されてきたので「スーさんとのテニスのラリーは、佳苗さんからするとうまくいってるの?」と聞いたのは、私です。佳苗さんは、当然といった表情で「うん。いつも私が勝ってるわ。」と答えました。彼女の言い分はこうです。「ガルシア・マルケスが他界したニュースを聞いて、「コレラの時代の愛」の主人公フロレンティーノのエピソードを思い出したから、スーさん宛の手紙に書いたのよ。自分を捨てて別の男性と結婚しちゃった初恋の人を待ち続けた、一途な恋心を示すエピソードが、いちいち面白いでしょう。1リットルのオーデコロンを飲んだり、手紙をバラの花を食べながら、何度も読み返して便秘になったり。だから、スーさんも、お花を食べながら私の手紙を読み返さないように!って注意したのよ。それが魔球だって言うスーさんがおかしいでしょう。スーさんはきっと、ガルシア・マルケス読んだことがないのよ。」佳苗さんは弟さんに差し入れて貰い、拘置所で「百年の孤独」を20年ぶりに読んだことや、高校時代に父親の書斎の本棚に並んであった、ラテンアメリカ文学叢書を読んだとか、故郷の図書館で、ラテンアメリカの文学シリーズを借りて熱中して読んだと、中南米文学について語っていました。「族長の秋」で、ガルシア・マルケスに挫折した私は、佳苗さんの教養に圧倒されました。

 彼女は、聞き上手です。本来は話すことが苦手だと彼女は言いますが、どんな人が相手でも話せるタイプだと思います。空気は読みません。彼女が本物の天然不思議ちゃんだと確信したのは、その言動で、彼女自身が損をしていることを何度か目にしたからです。スーさんが書かれていた「白衣の写真・御希望事件」は、我々も聞いていました。「アメリカ人の科学者と文通を始めたのだけど、何だかおちょくられている気がする。」と彼女は真剣に悩んでいました。「ピンク色だって言ってたのに、普通の白衣だったのよ。」とご立腹でした。埼玉の拘置所に通ってくる歯科医は、毎回違う色のラボコートを着てくる男性で、赤や緑、青とカラフルだったからピンクもあるはず、と言うのです。それなのにスーさんから「天然」と指摘され「意味がわからない。研究馬鹿なんだわ。変なジョークばかり言う人なのよ。」と戸惑っておりました。

 彼女は真面目で、いつも冷静な人ですから、冗談はほとんど通じません。佳苗さんは、スーさんの手記にある、本当の「木嶋佳苗」像とは?のA)C)の例は、どれも面白くないから削除した方がいい、と主張したのですが、我々はよく理解できるので、残すべきと意見しました。佳苗さんは「ふ~ん。どこが面白いのか全然わからないけど。」と不満顔でした。天然の自覚はなく、頑固な人ですから、今でも天然という言葉は拒絶します。彼女は言葉を真に受けるので、我々も軽率なことは言えません。社交辞令は許されないから大変です。男の仕事に対して要求するレベルが高いので、頼み事をされると、気を引き締めて取り組まねばなりません。女王様に仕える家来のように思われるかもしれませんが、彼女の人としての器の大きさは、大企業の経営者も顔負けの度量です。尽くすことに喜びを感じさせる魅力があるのです。

 拘置所という、社会から隔絶された特殊環境にいる彼女と、外で暮らす我々支援者が意思疎通を図るのは非常に大変で、かつ重要なことであります。しかし、彼女は自分の意図を正確に伝えることが上手でして、感情に訴える部分と、理詰めで迫る部分を無意識に使い分け、我々に指示します。彼女は各々の資質と適性を見極めて、役割分担を決めますが、采配を振る手腕は見事なものです。彼女は温厚で気長な性格ですから、我々が反対しても粘り強く交渉します。支援を受けている立場だからといって、意に沿わないことには迎合しない、芯の強い人です。彼女の情熱によって我々は、奮い立たされます。支援の方向性がはっきりしていると動きやすいですから、スピーディーに明確な方針を打ち出せる彼女は、チームの司令塔を担っています。ビジョンと戦略を提示する能力は素晴らしく、そのリーダーシップには驚かされるばかりであります。

 彼女は天才肌ですが、本人に自覚はないところも天然です。この才覚は天性のものもあるでしょうが、企業に勤めた経験がほとんどないことを鑑みると、若い頃からアッパークラスの男性と付き合ってきたことから培われたのではないかと窺われることが、多々あります。裁判員裁判までの過熱報道で「セレブ」と揶揄されていましたが、本人は判決までその報道を、全く知らなかったそうです。私が、佳苗さんはセレブ志向の派手な女性だと思っていた、と話した時に、こう言っていました。「私はセレブリティへの憧れは全くないんです。有名になると、面倒なことも増えるでしょう。私はずっと、静かで地味な暮らしをしていたのよ。好きな食材でお料理が作れて、ベンツに乗れる普通の生活で十分なの。」

 スーさんがリサイクルショップの社長から昼食を作るように言われた話を書かれていたので「佳苗さんは月の食費にどのくらい使ってたの?」と聞いてみました。「11万円で済むってことはないわよね、食材の宅配業者が週に何度も来るし、デパ地下やスーパーでもお買い物するし、築地の場外市場にも通っていたし、ホテルのラウンジやカフェで休憩したり、レストランで外食したり、何かと入り用でしょう。遠方まで行くと交通費だってかかるし、ネットショッピングでお取り寄せもしたし、月に数十万は使っていたと思うわ。」

 佳苗さんにとって、ベンツでドライブし、高級食材で料理し、グルメを楽しむ生活は、地味で普通なのです。千円で2人分の食事を作れるはずがありません。リサイクルショップの社長が1億円以上の報酬を与えた理由は、彼女と接すればわかります。彼女に千円の予算で、食事を作るといった世俗的な枠にはめて矯正すると、佳苗さんの魅力は損なわれてしまうと、社長は気付いたのでしょう。おそらく過去に関わったすべての男性が、同じようにありのままの佳苗さんを受け入れてきたことで、少女時代の純真さを保ったまま今に至るのだと思います。大人になるまで、テレビのない環境で育ったことの影響も大きいようです。佳苗さんとの付き合いは、帰国子女と話しているような錯覚を起こすことがあります。女子社会に揉まれてこなかったことで、穢れを知らないまま30代になったのでしょう。

 佳苗さんには、男の前では媚びるけど、女同士では酷評し男をけなす、という発想がないのです。思っていることは、男の前で言うのです。何しろ男性を礼讃する自伝を書いた佳苗さんですから、世の女性にありがちな、男への憎悪もありません。ひたすら清純な女性です。我々は佳苗さんが他人の悪口を言うのを、聞いたことがありません。「でも」、「だって」という言い訳もしない潔い人です。妬み、僻みもありません。この辺りの実像が、佳苗さんと直接交流したことない記者やライターでは、報道できない面だと思います。まして、真実とは呼べない報道から推察するしかない世間の人達には、想像も及ばないのは当然かもしれません。

 東京拘置所では夏にかき氷が買えると書いたブログを読んだ新聞記者の女性が、面会で「かき氷にシロップはかかっているんですか?」と聞いたそうです。私は「まさか拘置所で天然氷を削った宇治金時でも出されると思っているのかね。」と苦笑して言いました。すると彼女は「秩父の阿佐美冷蔵のかき氷食べたことある?小説にも書いたんだけどね、あんな美味しいかき氷ないわよ」と、埼玉にあるかき氷屋の話を始めました。スーさんの指摘通り、彼女は私の言った「天然氷」というワードにだけ反応し、自分の興味のあることにしか注目しないのです。彼女は言外の意味や、ほのめかしを汲み取ることが苦手なようにも感じます。暗黙のルールも通用しません。器用にできることと、不器用なことが極端なのも特徴です。突飛な言動もある彼女ですが、我々は、次はどんな楽しいことが起こるんだろうと、刺激的な時間を過ごしています。

 佳苗さんは心ない報道により、疎外感や喪失感、孤独や絶望を味わったはずです。ブログを始めてからも、読者のコメントや匿名掲示板への書き込み内容を知り、傷付いたと思います。それでも彼女は気丈に振る舞い、人権侵害や脅迫的な書き込みから、外で暮らすソフトターゲットである我々の心配をしてくれました。佳苗さんは、男ばかりの我々支援メンバーの誰よりも、度量の大きい、優しさにあふれた人物です。

 こんな素敵な女性を、法廷で誤った認識の人格を植え付けて、バッシングすることにより悪女のイメージを作って立証した検察は、正しいと思いますか?その主張を丸飲みした判決を下した裁判所は、正しいのでしょうか?裁判員と裁判官は自身の経験則ではなく、客観的な視点で、佳苗さんの価値観や人間性を理解しようと努力したとは、思えません。裁判所を出れば、傍聴記が載った新聞や雑誌があり、テレビをつければ、連日法廷での様子を面白おかしく報じているのですから、彼女が殺人犯であるという先入観にとらわれるのは、無理もないことでしょう。百日も裁判が続けば、裁判員同士が親しくなり、被告人の命を左右する議論を真剣に行う緊張感は薄れるのではないかと思います。これは事実、私の息子が複数の裁判員が閉廷後に、駅まで仲良く話しながら歩いているのを何度も見かけ、会話も聞こえた、という話を耳にしたからです。

 我々日本の支援者は、当初スーさんの手記掲載の申し出に快諾はしませんでした。佳苗さんを褒めることで、そうした魅力的な女性だから男は騙された、と曲解されることを懸念したのです。裁判が世論の雰囲気で有罪となり、推定無罪が成立していない現実を考えると、この試みは危険でもあると思いました。更なる攻撃を受けることになるのではないかと危惧し、この企画に賛同しない者もおりました。検察が大袈裟なパフォーマンスで、複数と平行して交際する彼女の男性関係を取り上げて、こういう価値観の女だから殺人事件を起こしても不思議ではない、という論理が認定されたのです。本来、貞操観念は殺人とは結び付かないにもかかわらず、人格や性を持ち出し、無理を重ねて導いた有罪判決です。我々が彼女の味方をすることで、より強い批判的な世論が形成される可能性もあり、迷いました。辛い環境での暮らしを強いられている佳苗さんの不安の種を増やすことは、したくないからです。

 新たな情報があるからメディアは報道し、ネット上では炎上するわけですから、情報がなければいずれ終焉します。世間を鎮静化させるために、おとなしくしているべきではないか、否、風化させてはならない、等と何度も議論をして、彼女が世間に誤解されている面を正しく伝えられるのは我々しかいないのだから、声を上げるべきだ、という結論に至りました。なぜなら、世間が木嶋佳苗と聞いて思い浮かべるイメージは、本人とあまりにも乖離しており、自分が天然だと自覚していない佳苗さんが、自身で修正することは出来ない、と思ったからであります。

 それは、名器発言で話題になった1審の被告人質問について、佳苗さんに聞いた時に確信しました。「1審でのセックスマスターアピールって弁護団の方針だったの?」と私が質問したところ、以下の会話が続きました。「えっアピールなんてしてないわよ。どうしてそんなこと聞くの?」「セックス自慢と報道されていたし、嫌悪感を煽りかねない危険性も高い発言だったと思うから、弁護士の了承を得て話したのか気になって。」「1審の弁護士さんとは2年以上も毎日のように接見して打ち合わせを重ねてきたんですもの、了承も何も、どんな問答をするか練習したに決まってるでしょう。どうしてあの発言が嫌悪されなくちゃいけないの?」「うーん、俺は、セックス観や恋愛観を批判されるのがわかっていたから、先手を打って、私は普通の女性とは違う価値観だし、名器なので男性にモテたんです、一般女性とは違うんだからそこでジャッジしないで下さいってアピールしたのかと思っていたんだけど。」「そんなこと1度も考えたことがないわ。愛人クラブとデートクラブに所属していたことを話さないと、若い頃、どういう生活をしてきたのか説明がつかないでしょう。そこで私を特異の存在だと認めてくれる男の人たちがたくさんいたから、性の奥義を極めてみたくなったの。男性は喜んでくれるし、私は気持ちいいし、お金は貰えるし、相互に幸せなんだもの、こんなラッキーなことないでしょう。そういう生活を10年以上続けてきましたって、本当のことを話しただけよ。どうしてそれが自慢になるのかしら。得意なことでお金を稼いでいましたってだけの話よ。」彼女はあっけらかんとして、言いました。「あっ私は男の人から貰った金額の何倍も競馬につぎ込んでいたけれど。馬券師だったから。」という爆弾発言もありましたが、そのことは自伝小説に書いたそうなので、本が出版されたら是非ご購読下さい。とても面白そうです。

 佳苗さんは、非常にまっすぐな人で、計算をして話をしないのです。法廷でも、自慢したいなんていう気持ちは更々なく、真実を裁判所にわかってもらうために、自分の本質的なことを正直に話したというわけです。百日裁判で毎回違う洋服を着ていたことも話題になりました。スーツを着る習慣がなかった彼女は、着慣れない堅苦しいスーツでは疲れてしまうから、長丁場に備えてリラックスできる服装をした、被告人ファッションにありがちなリクルートスーツのような格好は、反省をよそおっているようでイヤだった、初公判の午前と午後で上着を替えたのは、昼食代わりのウイダーinゼリーで汚れてしまったから、昼食をとる時間もなく裁判所と拘置所を往復し、書類を見ながらウイダーinゼリーのキャップを開けて、口につける前に手に力を入れたら中身が飛び出してしまった、水で服を洗って着たら、寒いし乾かないから着替えただけ。こういう話は、本人に聞かないとわからないことです。一般には、暖房のない1月の拘置所の寒さはわかりませんし、昼休みに拘置所に戻って食事をとっていたとは、私も本人から聞くまで知りませんでした。東京地裁に出廷する被告人には、昔から昼に弁当が出ると聞いたことがあったので、埼玉も同じだと思っていました。

 こうした思い込みで物事を判断するのは恐ろしいことです。それが人の命を奪う判断だとしたら、どうでしょう。私は佳苗さんに極刑を決めた裁判員が、記者会見で、達成感がある、充足感があると言ったことに、とてつもない違和感を覚えました。当時、佳苗さんのことをよく知らなかった私でさえ、あの言葉はおかしい、と思いました。私は以前から、極刑を求める被害者遺族や、被告人に死刑判決が下されて歓喜する遺族関係者のニュースを見るたびに、不快な思いをしてきましたが、実名と顔を出して、死刑判決に達成感があるという若い男の発言を聞いた時ほど、眉をひそめたことはありません。この国の未来は大丈夫なのだろうかと憂慮に堪えませんでした。日本はここまで、社会や人間の質が低下してしまったのかと、暗澹たる気持ちになりました。

 私は裁判員制度と死刑制度に否定的な立場ですが、佳苗さんの支援者全員が同じ思想ではありません。しかし、支援チームのメンバーの中に、死刑判決を言い渡した直後に達成感を持つことを肯定する人間は1人もおりません。死生観をわからぬ20代の若者に、死刑判決を決める権限を与えることが間違っているのではないでしょうか。国家に動員され権力を持った市民の恐ろしさは第2次世界大戦を見れば、歴然です。加害者は極悪人だから自らの命で償え、という浅薄な死刑制度を支えているのは、復讐心だけ、と言ってもいいでしょう。興味本位で狂騒的なメディア報道、臆測で盛り上がるネットの無責任な情報の夥しい数、死刑を求める被害者の遺族感情、それに同調する不健全な世論、重大犯罪が増えているという誤解、死刑制度がなくなれば治安が悪化するという根拠のない言説、凶悪犯罪に手を染めた人間は更生の可能性がないから社会から排除するしかないという虚妄。これらが重なって、日本の刑事司法は厳罰化が進んでいます。

 事実として、殺人事件の発生数は減少の一途を辿っており、治安は悪化していません。近年死刑判決が多少減っているのは確かですが、それは終局人員(判決を言い渡された被告人の数)が減っているからであり、終局人員の変化率にほぼ比例しております。事件の発生数も凶悪犯罪の件数も、一貫して減り続けているにもかかわらず、厳罰化に傾いたのは、警察が「体感治安」という言葉を持ち出し、メディアを巻き込み、市民を煽動していることも一因でしょう。私は積極的に死刑廃止運動にかかわったことはありませんが、佳苗さんと付き合う中で、先進民主主義国の日本がなぜ死刑制度を手放さず、執行を続けるのかを考えるようになりました。それは佳苗さんが、冤罪問題以前に、更生のための適切な矯正プログラムは何か、国家が人を殺して良いのか、世界の潮流が死刑廃止に向かっているのはなぜか、といったことを深く考えていると知ったからです。

 今の日本社会には、抑圧された人々が増えている故、自分の鬱憤を晴らすために他人を罵倒することに痛痒を感じず、暴力的な刑罰に固執し、仇討ちのように死刑を求めている気がしてなりません。死刑制度の存廃問題を措いても、状況証拠だけの否認事件に死刑判決が下されることは、看過出来ません。7月の読売新聞に、裁判員制度本社世論調査の結果がありました。裁判員制度の継続を望む人が7割、参加したくない人が8割という、興味深い回答でした。日本の司法を信用していない国民が多くいるのに、当事者にはなりたくない無責任さも垣間見えます。今年12月に最高裁が調査した「裁判員制度が実施されていることを知っているか」との問いには、98.8%が、知っていると答えています。読売の「制度の仕組みを知っているか」との問いには、54%が、知っていると答えています。国民の半数が仕組みを知らない裁判によって、市民が死刑判断にかかわる制度なのです。

 裁判員制度スタートにあたり、読売と毎日新聞の死刑問題をテーマにした連載は秀逸でした。スタンスは違いますが、事件や裁判報道とは別の枠組みで死刑制度を取材し、被告人や被害者、執行にあたる人の心情まで多角的に描こうという姿勢が見える記事でした。大概の報道は、無機質か情緒的で、本質がなかなか見えません。裁判員が評議室で、裁判官から死刑について説示されるのは、死刑の執行方法は絞首刑で、確定から6ヶ月以内に行われるということのみだそうです。実際のところ、6ヶ月以内に執行された例は聞いたことがありません。こんなレベルの情報しか与えられない乏しい知識の市民に、国家殺人に加担させることが許されるでしょうか。日本の3審制は名ばかりで、1審判決が覆ることは滅多にありません。ですから佳苗さんの1審弁護団は、控訴趣意書で、不当な心証形成への影響を除いた条件で裁判員も含む事実認定がなされなければならないと、破棄差し戻しを求めたのです。

 あなたは裁判員裁判の仕組みを知っていますか?3審制の具体的なシステムを知っていますか?佳苗さんは控訴審判決後に面会した出版社の男性記者から「上告審も出廷するんでしょう?」と聞かれ、驚いたそうです。記者の彼は最高裁の弁論に、刑事被告人が出廷できると思っていたそうです。佳苗さんが「最高裁への上訴は、弁護人に任せています。」と話したところ「上訴じゃなくて上告でしょう?」と聞かれたそうです。上訴とは、上級裁判所に判決や決定への不服を申し立てることで、控訴、上告、棄却決定に対する異議申立て、抗告等の総称であります。それぞれ申し立て期限も違います。記者ですら、裁判や拘置所の知識が浅いのですから、市民に正しい情報が伝わらないのは自明です。私は制度についての賛否を問う世論調査の結果にも、懐疑しています。制度の内容を知らない者に、賛成か反対かという設問自体が、ナンセンスだからです。人の自由や命にかかわることを、こんな軽率に決めて良いはずがありません。スーさんの手記にもあるように、日本の我々も、佳苗さんの裁判を通じて、日本の刑事司法の在り方を考え直す機会となることを願っています。佳苗さんの事件や裁判は、メディアが狂乱的なお祭り騒ぎをしてきたのに、1冊として、真実が書かれた読む価値のある本が出版されなかったことは、悔しくてしょうがありません。

 スーさんは「ブラックホール」と書かれていましたが、佳苗さんは低反発マットレスのように、どんなものをも自分の中に吸収し、フィットさせてしまう、驚異の柔軟性と包容力のある女性です。心根が優しく純粋な彼女の本質を捉えてくれる著述家がいなかったことは、大変遺憾に思います。しかし、彼女には自身で言葉を紡ぎ出す才能があります。残念なことに、彼女は誠実で有能な編集者に恵まれておりません。彼女の文筆活動をバックアップして下さる出版業界の熱意ある方がいらっしゃれば、どうぞ彼女に力添えして戴きたいと切にお願い申し上げます。

 スーさんが「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のグルートのセリフを引用していましたが、我々と佳苗さんの関係をズバリ言い当てている言葉だと思いました。佳苗さんは我々に男らしさを求め、我々は佳苗さんの女らしさに惹かれていましたが、いつからか、彼女との関係が何であるのか考えるうち、性別を超えたものだと思うようになりました。彼女は、男以上に男らしい女性でもあるのです。人として、木嶋佳苗に魅了されていることに気付きました。彼女と我々の間にあるのは、友情です。

 スーさんが最後に、佳苗さんからの手紙を引用していましたから、私は直接会えるメリットを活かし、彼女と話したことを書きたいと思います。ある日彼女は「Good Jobニッポン」というラジオ番組で、ジャーナリストの青木理さんが話題になっていたという話を始めました。拘置所で流れるラジオから聴いたのではなく、プリントで内容を知ったというのです。ラジオでは2週にわたって、「佳苗さんをメロメロにしてる青木さんの話」をしていたそうです。この日の佳苗さんは珍しく、少し興奮しておりました。会話は以下の通りです。「ちょっと、ねえ、青木さんってジゴロ風なの?」「ジゴロ!?テレビで見る限り真面目なコメンテーターだよ。」「私も今までそう思っていたんだけどね、泥酔した青木さんがニコ生に出たら、ジゴロモードだったんですって。」「ネット放送だと、テレビやラジオより緩いんじゃないの。酒が入っていたら尚更のこと。」「私、泥酔した男性とお話したこと1度もないわ。ネット放送も見たことないから、雰囲気がわからないのよ。」「俺もネット放送は見ないからなあ。どういうところがジゴロ風なわけ?」「あのね、青木さんの声って低いんですって。低くて渋い声でいやらしいこと言って、ボディタッチしてくるんですって。AVに聞こえてくるんですって。それがジゴロモード。」「へえ。『誘蛾灯』では鳥取のスナックでスマートに飲んでる感じだったけど。」「あのね、青木さん自身が誘蛾灯で、色んなもの誘ってましたって吉田豪さんが言ってたの。男の人の体に触るのよ。青木さんってそっちの人なのかしら。」「えっボディタッチの相手は男なの?」「そう。お酒飲んで話しながら、ナチュラルにガンガン触ってくるんですって。そんな人、見たことないわよ。青木さんって奥が深いわねえ。青木理ジゴロ説。泥酔ってどういう状態なのかしら。」

 こう話した佳苗さんは、11月に40歳になります。無邪気な少女のような愛らしさと、知的な大人の女性の2面性に、我々は惹かれるのです。彼女の人柄、事件の詳細を知り、彼女は犯人ではない、と確信しています。1人でも多くの人に、彼女の真の姿を知って戴きたく筆を執りました。

 我々だけのサポートには限界がありますから、異なる属性の人々と交流することで、彼女の視野が広がると思います。刑事被告人の支援は、我々にとって初めての経験でしたが、拘置所生活には実に多くの物品が必要だと知りました。拘置所や弁護士が、日常生活の必需品すべてを用意してくれるわけではないのです。男ばかりの我々では行き届かないこともあり、サポートやケアが得意な方のお力を貸して戴けると幸甚に存じます。より多くの人が支援してくれることは、彼女の精神的な支えになるとも思います。ブログ読者からの励ましの手紙や差し入れが届いたことの報告をする、彼女の明るい表情を見て、そう感じた次第です。究極の閉鎖的な環境で暮らしている彼女に、思いやりあるサポーターが増えることを願ってやみません。

 文通や面会を通じて、彼女の支持者、理解者が増すことを希望しております。まずは、彼女に手紙を送り、生身の「木嶋佳苗」と接してみてほしいです。きっとあなたの先入観は、ひっくり返ります。そして、切磋琢磨する楽しさを味わえるはずです。ブログ読者の方々の良心に、我々の想いが響くことを祈念いたします。