伝説の入試問題(数学)について

 特に高校生以下の学生に数学に興味を持って欲しいと思って作成したページである。逆に数学に恐怖を感じて萎縮しまう可能性もあるが(笑)。

 良問・難問・奇問であるが故に伝説となっている、または伝説になってほしい(と個人的に思う)大学入試の数学の問題を集めてみた。数学史上に残る面白いエピソードや数学の小ネタなどの関連事項も紹介していきたい(いつのまにかこっちがメインになってるかも)。

 このページはお遊び感覚で作ったページである。受験生には、このページよりもむしろ、高校数学のパターンや裏技を紹介している 高校数学総覧 のページを是非のぞいてみてほしい。




2013年 大阪大学 理学部 挑戦枠 専門数学 先人達が歩んだ円周率の歴史を辿る〜ルドルフの偉業〜

2013年 大阪大学 理学部挑戦枠

 大阪大学では、2013年から前期日程を「一般枠」と「挑戦枠」に分けて募集している。「挑戦枠」では、1日目に「一般枠」と同じ試験、2日目に専門数学の試験が行われる。そして、初めての「挑戦枠」の専門数学の試験では、挑戦枠にふさわしい問題が出題された。

 「円周率を小数第3位まで特定しよう」という趣旨はわかりやすいが、10年前の東大の問題と比べて非常に厳しい評価が要求されており、問題の√3の小数第7位までの評価をみた時点ですでに嫌な予感しかしない。下に解答を簡単に示した。(1)は、ライプニッツ級数に関する頻出パターン問題を学習していれば方針を迷うことはないだろう。問題は(2)である。不等式で評価するだけなので、発想や手順が難しいわけでは決してない。しかし、案の定嫌な予感が的中することになる。


2013年 大阪大学 理学部挑戦枠 解答

 「もうやめて・・・」と言いたくなる数値計算である。非常にシビアな評価になるため、少しでも途中計算を間違えると正しい結果が得られない。まあ、自分は電卓の力を借りたわけだが(笑)。思考力などよりも、「精神力」「持久力」「忍耐力」が問われている。もちろん、単純な計算力やうまく工夫して見通しをよくする先見性や正確さなども必要である。ただ、割と時間には余裕があるので、落ち着いて一歩ずつ確実に歩んでいけば答案を完成させることは難しくない。


数学者ルドルフの伝説的偉業 人類は円周率の小数以下を求め続けてきた。長い間、円周と内接・外接する正多角形の周の長さを比較することで円周率を評価してきた。しかし、この方法で高い精度の円周率を得ることは容易ではない。この問題と同じレベル、たった小数第3位までの評価であっても正160角形が必要である。紀元前3世紀頃、アルキメデスは正96角形を用いて 3.14084<π<3.14286 を示した。これは3.14までを正しく評価したことを意味する。この方法は1600年頃の数学者ルドルフ(ドイツ)まで続いた。ルドルフは、正262角形(正461京1686兆184億2738万7904角形)を用いて、一生をかけて小数以下35桁を正しく評価した。ドイツでは円周率のことをルドルフ数とも呼ぶという。


 17世紀頃になると、微分積分が登場したことで収束が速い無限級数を用いた評価が主流となる。本問は、無限級数を用いると手計算でも小数第3位程度までならば割と容易に評価できることを示している。手計算による方法は1946年の電子計算機による方法が登場するまで続いた。以降、計算機の発達に伴って飛躍的に記録が伸び続けている。

 計算機のない時代、数学者達は想像を絶する量の計算を強いられた。それに比べればこの問題の計算はお遊びにもならない。数学研究にはセンスだけではなく「精神力」「持久力」「忍耐力」も必要であるが故、受験生に対してもそれを求めたいということのなのだろう。

 歴史に関しては、円周率の歴史(Wikipedia)他、いくつかのサイトを参考にさせてもらった。



2013年 大阪大学 前期 理系/文系 第1問 公式丸暗記に対する警告?A

2013年 大阪大学 前期 理系/文系 第1問 

 毎年どこかの大学で普段当たり前のように使っている公式を証明させる問題が出題されている。しかし、難関大学で出題されるとそのインパクトは大きい。また、この種の問題は往々にして受験生の出来が悪いという。1999年の東大と同じく、第1問目でこの問題をみて「やられた」と唇をかんだ受験生も少なくなかっただろう。この種の問題が出来ないほど悔しいことはない。1回は答えを見たことがあるはずなのだから。「ちゃんと教科書を読んでいれば・・・」と後悔しても後の祭りである。それでも「何か書いておかなければ」と考えてあることないことを適当に殴り書きをしている受験生の様子が思い浮かぶ。

 文系の「点と直線の距離公式の証明」は、結局は「公式を知らないものとして距離を求めよ」ということだが、普通に考えるとやはり図形と方程式の知識で求めることになり、場合分けも必要で文系にとっては結構骨が折れる問題である。ベクトル・三角比・平面図形などを用いるとより簡単に示せたりもするが、そこまでこの公式を深めている学生は少ないだろうし、ぶっつけ本番の不確実な見通しの中で別の解法を試してみる勇気がそう簡単に出るとも思えない。

 理系の「sinx/xの極限の証明」は方法を暗記していないと難しい。三角形と扇形の面積の大小比較からはさみうちの原理を用いる方法は循環論法ではないかとよく話題になるが、教科書にも書いてあるし高校範囲ではそうするより仕方がない。導関数の定義を用いる(sinx)'=cosxの証明はまだやりやすかったかもしれない。



2013年 慶応義塾大学 総合政策学部 第4問 / 2012年 慶応義塾大学 薬学部 第1問
慶応は数独(ナンプレ)がお好き?

2013年 慶応義塾大学 総合政策学部 第4問

 こ、これは・・・数独(ナンプレ)そのまま・・・。背景に数学があるとはいえ、この問題を解くこと自体は数学と関係ない。もちろん受験勉強も役に立たないこの問題の出題意図は一体・・・。

 数独は暇つぶしにiPadアプリのものを多少やったことがある程度である自分が解いたところ所要時間は32分であった。アプリでは色づけなどの補助が成されるが、完全に紙と鉛筆だけでやったのは初めてである。高難度の数独では先を見越して多角的に絞り込むといったことが必要だが、特別に埋めにくい部分はなく数独としては難易度が低いものである。しかし、全くの無経験だったとするとなかなか要領よく埋めるのは難しい。さらに、一発勝負というとてつもない緊張感の中では落ち着くことも許されない。試験時間120分で大問5つがあることを考えると受験生は時間配分に苦心したことだろう。答えが要求されているマスは序盤で判明するものも終盤で判明するものもあるため、仮に全て埋めることができなくてもある程度の部分点が稼げるようになっている。その意味ではこの問題の出来が直接合否に影響することは少なかっただろうが、途中で間違えて訳が分からなくなった結果、他の問題にも悪影響を及ぼして無惨な結果に終わった人もいたのではないかと推測する。

 小学生から老人まで暇つぶしにどうぞ。解答の画像は こちら

 ちなみに、前年の2012年には薬学部で次のような問題が出題されている。こちらは数独を元にした数学力が問われる良問である。答えは288通り。解説が欲しい人は 数独の数理 へどうぞ。

2012年 慶応義塾大学 薬学部 第1問


2013年 センター試験 数学T・数学A 第3問 突かれた盲点!1ヶ所で27点が奪われた!


 この問題の図を描いてみると下のようになる。APの長さは三平方の定理ですぐに求まる。問題は次のODの長さである。この外部の点から円に接線を引いたときの2つの接点間の長さは、直角三角形の相似を利用するか面積を2通りに表して求めるのが普通で、問題作成者もそれを想定していたであろう。これらは中学図形ではよく使う方法であり、中学生にとっては普通である(というよりこれしかできない)。しかし、高校生にとっては中学図形の方法は逆に盲点となる。高校生が普通に受験勉強やセンター対策をしていても使う機会がほとんどない方法であり、尋常ではない数の受験生が求めることができなかった。円に内接する四角形の利用、2倍角の公式の利用、トレミーの定理(裏技)の利用、座標平面の利用など、実は他にも様々な解法があるのだが、センター試験という独特の状況下ではそういった発想に至るのは難しいだろう。


 この大問が真に恐ろしいのは、その後に続く問題が全てODの長さを起点としていることである。つまり、ODの長さを求めることができなければ、APの長さ(3点)以外が全滅し27点もの大量失点が確定してしまうのである。しかも、その後は少なくとも内接円の半径までは基本問題であることが明らかで、ODの長さが求まれば容易に解答できるはずである。受験生は本番中、「ODさえ求まれば後はいけるのに・・・ODさえ・・・ODさえ・・・ODODOD・・・ああああああああああ」とうなされていたことだろう。

 このような問題では真の数学力が問われることになる。国立2次記述試験対策の演習(パターンではない問題を思考力で解く訓練)をしっかり積んできている理系ならば1つの方法で求めることが出来なくても先に述べたような他の方法でその場をしのぐことも可能である。しかし、小手先のセンター対策やパターン問題演習だけでマーク模試で点をとってきたような文系や並レベルの受験生にとっては対応が難しく、点数にも精神にも大きなダメージを受けた。

 その日の内に2ちゃんねるでは次のようなAAが広まった。埋めれたのはアイの10だけで、第3問の残りを全て白紙にせざるを得なかった受験生の悲惨な答案用紙を再現したものである。

 そして、27点が奪われたショックもさめやらぬままに受けた数UBでは、三角関数が消えて図形と方程式となっていたり、ベクトルと三角関数が融合していたり、まさかの数学的帰納法が出題されたりという傾向変化に多くの受験生が翻弄された。

 この年、数IAの平均点は51.20で、2012年の69.97点から20点近くも下げた。その主要因がこの問題であったことは疑いようがない。また、第3問以外もそこそこ厄介な問題であった。さらに、国語が過去最悪の難度で、特に文系は2010年をも下回る過去最低の総合点となった。

 解説・解答が気になる人は 入試問題 of 高校数学教材-ikemath へどうぞ。

 センター試験の平均点推移は こちら へどうぞ。



2012年 信州大学 前期 理系 第7問 愛の方程式

2012年 信州大学 理系 前期 第7問 愛の方程式

 (1)は概形だけ示す。特別に、中身をピンクで塗りつぶしたよ

2012年 信州大学 理系 前期 第7問 愛の方程式 解答

2012年 信州大学 理系 前期 第7問 愛の方程式 解答


 これはもしや・・・問題作成者から受験生へのラブコール・・・受け止めることができた受験生は何人いただろう・・・

 この愛の大きさは、円(周の長さが一定である図形の中で面積が最大となる図形)をもってしても、定義域の端から端までが必要なほど大きい・・・ということは、「愛は大きすぎても小さすぎてもダメ。限られた中で最大の愛をあげる」というメッセージ・・・って、こじつけすぎか(笑)。

 素晴らしい問題である。結果がハートだからというだけではない。試験時間内で完答するには、グラフを書くときのポイント(対称性・極限・微分計算)を的確におさえ、積分計算なしで面積を求める方法を習得していなければならず、受験数学におけるポイントを多数含み計算量や難易度も受験生には適度であるという意味でかなりの良問である。実際にやってみると簡単ではなく、静岡大の問題と同様に受験勉強で一度挑戦しておいてほしい問題である。

 ハートの形になる関数は他にもいくつかあるので、興味がある人は検索してみるとよいだろう。

 詳細な解答が気になる人は、 非常に丁寧に解説している あすかの楽しく学ぶ受験数学 へどうぞ。



2011年 センター試験 数学U・数学B 第6問 コラッツ・角谷予想とその他の未解決問題


 少し長いが、要はある自然数に対し「偶数なら2で割る」「奇数なら3倍して1足す」を繰り返すといずれは1になるというものである。問題文中では10の例が示されているが、(1)を実際にやってみると次のようになる。

 6 → 3 → 10 → 5 → 16 → 8 → 4 → 2 → 1 より F(6)=8  (10の後は問題文と同じ)
 11 → 34 → 17 → 52 → 26 → 13 → 40 → 20 → 10 → 5 → 16 → 8 → 4 → 2 → 1 より F(11)=14 (結局10の後は同じ)

 自然数次第で1になるまでに必要な回数はかなり上下し、例えば27や31は100回以上の操作が必要になる。



未解決問題 コラッツ・角谷予想

 問題文中では105以下の自然数とあるが、コンピュータの発達と共に記録が伸び続けており少なくとも3×253までは反例がないことが確かめられている。1937年、コラッツ(ドイツ)は「全ての自然数はこの操作を繰り返すと有限回の操作で必ず1に到達する」と予想した。これは、2013年現在未解決であり、あくまでも予想にすぎない。一見すると、大学入試にも出題されそうなくらい簡単に思えるこの問題が未だ世界のどんな天才数学者をもってしても解決できていないのである。



その他の未解決問題

 数学の未解決問題は多くあるが、特に数論(整数)分野の未解決問題は中学生でも理解できるものが多い。その中から特に有名なものをいくつか取り上げよう。


 「双子素数(差が2である2つの素数の組)は無限にあるか」 (3,5),(5,7)など

 素数が無限にあることは、紀元前には世界三大数学者ユークリッドによって証明されていた。また、差が2である3つの素数の組は(3,5,7)のただ1組しか存在しない。このことは大学入試問題として適度な証明問題であり、次の早稲田大学(2004年)の問題が有名である。

 簡潔に証明しておく。n=3kのときn=3k=(3の倍数),n=3k+1のときn+2=3k+3=(3の倍数)、n=3k+2のときn+4=3k+6=(3の倍数)より、(n,n+2,n+4)のうちどれか1つは必ず3の倍数となる。よって、素数の中でただ1つ3の倍数である3を含む(3,5,7)の場合しか存在しない。(1は素数ではないので1,3,5はダメ)

 このように、素数が無限にあることと差が2である3つの素数の組が1組のみであることはわかっているのだが、「双子素数が無限にあるか」は未解決の問題である。なお、1組しかない(3,5,7)を三つ子素数としても面白くない。そこで、(p,p+2,p+6)または(p,p+4,p+6)と表せる3つの素数の組を三つ子素数という。例えば、(5,7,11)や(7,11,13)などがある。

 2014年4月追記:双子素数の問題は古代ギリシャ時代から2000年間あまり進展がなかったが、2013年大きく進展した。2013年5月、「差が7000万以下の素数の組が無限に存在する」ことが示された。差が2と差が7000万では大きな違いがあるが、差が無限から有限の7000万という定数になった意義は大きい。新たな着想による1つの発見を突破口にして一気に研究が進展しても不思議ではない。実際、半年後の2013年11月には「差が600以下の素数の組が無限に存在する」ことが示された。これを「差が2以下」にまでできるかが注目されている。


 ゴールドバッハ予想 「4以上の全ての偶数は2つの素数の和で表せる」

 例えば4=2+2、6=3+3、10=3+7=5+5のように、偶数を2つの素数の和で表すことを考える。これが全ての偶数で可能だと予想するのがゴールドバッハ予想である。コンピュータによって少なくとも5×1017までは確かめられている。


 「偶数の完全数は無数にあるか」「奇数の完全数は存在するか」

 完全数とは「約数の和(その数自身は除く)が自身に等しい自然数」のことである。例えば6の約数は1,2,3,6だが、6以外の和が1+2+3=6となり6自身に等しいから、6は完全数である。同様に、28の約数は1,2,4,7,14,28で、和が1+2+4+7+14=28であるから28も完全数である。完全数については紀元前から考察対象になってきたが、「完全数は無数にあるか」や「奇数の完全数はそもそも存在するのか」といった問題は未解決である。


 「メルセンヌ素数は無数にあるか」

 メルセンヌ素数とは「Mn=2n-1」で表される素数のことである。1644年、マラン・メルセンヌは「Mnが素数となるのは257以下の自然数ではn=2,3,5,7,13,17,19,31,67,127,257のときのみである」と主張した。しかしこれは誤りで、n=67,257のとき合成数となり、またn=61,89,107のときにも素数になることがわかっている。n=67のときに素数となるという予想は250年以上反例が示されなかったが、1903年フランク・ネルソン・コールがアメリカ数学学会において一言も言葉を発することなく黒板に「M67=193707721×761838257287」と書いて席に戻ると、しばらくして拍手が沸き起こったという。

 現在、コンピュータによるメルセンヌ素数探しのプロジェクトGIMPS(Great Internet Mersenne Prime Search)により次々と新しい超巨大素数が見つかっており、発見される素数の桁数は1000万桁を超えている。近年発見された巨大素数は全てメルセンヌ素数である。これは、メルセンヌ素数に関しては素数か否かを判定する効率的な方法が発見されているからである。このメルセンヌ素数が無数にあるかという問題は未解決である。



数学者にとっては悪夢?コンピュータで証明された四色問題

 四色問題とは「任意の地図が4つの色で塗り分けできるか」という問題である。地図を製作する際には塗り分けが必要になるので、数百年前から経験的に知られてはいたが、そのことの数学的な証明はなかなかなされず未解決の時代が続いた。ところが、1976年になって膨大な場合分けをコンピュータに任せることで考えられ得る全ての場合が尽くされた。未だコンピュータを用いない証明は得られていない。コンピュータを使った証明をどう扱うかは意見が分かれそうなところである。コラッツ・角谷予想を含め、上で取り上げた予想は多くの数学者がそれなりの根拠を元に正しい予想だと考えているが、もしかするとコンピュータによって反例が見つかる日が来るかもしれない。



 この項目の記述は、コラッツの問題(Wikipedia)やいくつかのサイトを参考にした。



2010年 センター試験 数学T・数学A 第3・4問 センターレベルを超えた高難度の問題2連発がもたらした惨劇

 2010年のセンター数学で起こった惨劇を順を追ってみていく。

 外部模試や過去問の傾向から、受験生はTAは簡単でUBが難しいと予想してセンター試験に挑む。第1問と第2問は普通の問題であった。受験生は「模試や過去問と同じだ。この調子でいけば高得点確実。」と考えていただろう。しかし、第3問でその期待は見事に裏切られた。「TAならできる」というおごりから難問に出会ったときの心構えが出来ておらず、パニックを起こしてしまった。その問題が次である。


 センター試験レベルでは難問である。難しさの1つは、非常に複雑な構図でどこに着目してよいかがわかりにくいところにある。実際にこの問題で描く図を下に示した。この図は本問で必要な点や線を全て1つの図に描き入れたものなので、最初からこの複雑さで解くわけではないが、この中から適切な部分に着目して解いていくことを15分程度で行うのはあまりに厳しい。


 内接円の半径OP、ORの長さは簡単だ。しかし、直後のQRの長さで行き詰まりやすい。「直角三角形の三角比の定義からcosAの値がわかり、あとは余弦定理を使うだけ」というのは言われれば単純だが、一旦パニックになるともう気付けない。パニックのあまり直角三角形の角度が30°、60°、90°と思いこんでしまった受験生もいたようである。QRの長さをクリアしても次の難関がSPの長さである。これも言われれば方べきの定理を使うだけだが、複雑な構図の解明に意識が奪われ方べきの定理が思考の彼方にいってしまった受験生が多かった。

 受験生は、早々にこの問題に見切りをつけて確率の問題に着手することにした。しかし、本当の地獄はここからだった。



 アイウは簡単だ。しかし、その後が難しい。色と数字の両方を考慮する必要があり単純ではないのだ。「円順列だ」「反復試行だ」などというパターン問題ではなく、「題意を把握してそれをもとに自分で考えることができるか」という思考力が問われている。2次試験レベルの演習を積み、場合の数の考え方に習熟している人が落ち着いて対応しなければなかなか答えにはたどり着けないだろう。しかも、制限時間は15分ほどしかない。第3問ですでにパニックになっている状態で、この問題を15分程度で解くことを要求されるのは厳しいものがある。

 このとき受験生は初めて自分がおかれている危機的な状況に気付いた。大問2つ(55点分)がほとんど埋めれないのである。「もう一度図形に戻ろう」「いや、やっぱり確率に」「あれ、なんで?」「一旦落ち着こう」「何か見落としているのか?」「これセンターだぞ」「やべえぞこれ」「どうすればいいんだ」「もう時間がないぞ」「このまま終わったらよくても60点だぞ」「神様、ヒントを・・・」「嘘だろおい」「こんな馬鹿な」「頼む、ひらめいてくれ」「くっそおおおおおおおお」という恐怖にも似た受験生の心の声が聞こえてくるようである。ただでさえ難しい問題である。パニック状況でさらには厳しい時間制限の中でのあせりも生まれもはや為す術もない。他の科目とは違い、数学は終わった時点で自分の点数がほぼ予想できる。多くの受験生はほとんど白紙状態である自分の答案を前に放心状態になっていただろう。数学が終わった直後、あるいは次の日の学校での採点の際に泣いていた女子学生も多かったと聞く。また、ある高校では「みんな悪かったので気にしすぎないように」などという校内放送が流れたとか・・・

 本番で数学の問題が解けないときの恐怖は味わったものにしかわからない。自然と手が震え涙が出てくるのである。高学歴芸人のロザン宇治原氏(京都大学法学部現役合格・京大模試全国2位)は、センター数学で200点取るつもりで挑んだが、30点の大問が解けずに焦ったあまり失神して保健室に運ばれた結果170点だったということをよくネタにしている。芸人ゆえどこまでが真実かは不明だが、数学が得意な人はその状況に現実味を感じることができるのではないだろうか。

 直前の模試で90点だったが本番で30点という受験生も少なくなかったようだ。他の科目では考えられない事態である。確かに第3・4問は難しかったが、解けるはずの部分を確実に取っていれば30点という結果で終わるはずがない。パニックになった結果、冷静であれば取れるはずのところでも失点を重ねてしまったのである。大問2つが難問であったことがより悲劇を増大させた。もし、難問が1つだけだったならば、他の問題を全て終えた後で最後に難問を粘ればよいだけの話である。しかし、難問が2つだったせいで、図形と確率のどちらにも集中することができず、無意味に往復し続けた挙げ句結局何もできないまま壊滅してしまった受験生が多かったのである。

 平均点は48.96点で、2008年の66.31点、2009年の63.96点から大幅に下がった。2次記述試験で難問が出題されて誰も解けなかったということは珍しくない。しかし、30万人以上の受験生が受けるセンター数学IAにおいて繰り広げられた惨劇であるがゆえ伝説となっている。ちなみに、この年理系で選択者が多い物理の平均点は前年比-10点、化学の平均点は-15点という悲惨さで、理系の総合点は最低だった。

 解説・解答が気になる人は 入試問題 of 高校数学教材-ikemath へどうぞ。

 センター試験の平均点推移は こちら へどうぞ。



2009年 一橋大学 前期 第1問 ハーディ・ラマヌジャンのタクシー数

2009年 一橋大学 前期 第1問 ハーディ・ラマヌジャンのタクシー数

 正直言って問題自体が伝説であるわけではない。しかし、この問題の背景である伝説の数学者ラマヌジャンのエピソードを紹介したいのでこの問題をここで取り上げた。以下に解答例を示す。因数の候補をしらみつぶしするだけで解けるが、その前に出来る限り絞り込んでおくと楽になる。



 これは、1729が2つの正の立方数の和で2通りに表されることを意味している。この問題が意味しているのはここまでだが、2009年入試問題研究:一橋大1番@青空学園数学科 では、さらに2つの小問を追加して「2つの正の立方数の和でただ2通りに表すことができる最小の自然数が1729」であることが示されている。



ハーディ・ラマヌジャンのタクシー数 ゴッドフレイ・ハーディ(イギリス)が、療養所に入っていたラマヌジャン(インド ; 1887〜1920)に見舞いに行ったとき、「乗ってきたタクシーのナンバーは1729だった。さして特徴のない、つまらない数字だったよ。」と言った。これを聞いたラマヌジャンは、即座に「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2つの立方数の和で2通りに表せる最小の数なのです。」と答えた。これは、ラマヌジャンがあらゆる数に興味を持ち、数に対する探究心が高かったことを表す逸話である。これに由来し、1729をハーディ・ラマヌジャンのタクシー数という。


インドの魔術師ラマヌジャン 次のような公式や定理を非常に鋭い直感力で次々と生み出した超天才数学者である。

シュリニヴァーサ・ラマヌジャン  


 数学者でもいかなる思考過程で得られたのかを辿ることが困難であったため、魔術にもたとえられる。特殊相対性理論はアインシュタインがいなくても誰かが発見しただろうが、ラマヌジャンが見つけた定理の多くはラマヌジャンがいなかったら今でも見つかっていないだろうといわれる。多くの業績を残したラマヌジャンであったが、正しい数学教育を受けていないために「証明」という概念を知らず、何故そうなるかを説明できなかった。熱心なヒンズー教の教徒であった本人によれば、「ナマギーリ女神が舌の上に書いてくれた」という。彼が26歳までに発見した定理に関してその後多くの数学者の協力で証明が行われたが、その作業が完了したのは1997年である。

 1887年、ラマヌジャンはインドのカースト制最上級バラモン階級の家庭で生を受けた。しかし、身分と貧富は一致せず極貧であった。教育熱心な母の影響で成績は優秀だったが、15歳のときに「純粋数学要覧」という数学の公式集(証明がなく公式だけ)に出会って以来数学のみに没頭するようになり、大学も退学した。21歳のとき、9歳の娘ジャーナキと結婚した(え!)ラマヌジャンはインドの港湾事務局の職に就いたが、ここでも数学に没頭した。その後、周囲の勧めを受けて自身の数学的成果を宗主国イギリスの数学者に送る。ほとんど黙殺されたが、「ケンブリッジにハーディあり」とも謳われた大数学者ハーディの目に止まった。ハーディも最初は半信半疑だったものの、精密な調査の結果ラマヌジャンの天才ぶりに気付いたのだ。ハーディーの強い招致活動により、バラモンの戒律に背いてはいたが、ラマヌジャンは宗主国イギリスに渡ることになった(1914年)。天才と秀才は最高の組合せである。毎朝天才ラマヌジャンが持ってきた5,6個もの定理を秀才ハーディが1日かけて証明した。こうして最高の数学を生み出し続けていたラマヌジャンであったが、イギリスの風土に馴染むことができずやがて病魔に襲われ祖国インドに帰国するものの、1920年32歳の若さで生涯を閉じた。

 ラマヌジャンは、32年の短い生涯の内に3254個の定理を発見した。そのうち2/3はラマヌジャンが新しく発見したもの、1/3は既に知られていたがラマヌジャンが独自に再発見したものであった。それらは、円周率の計算やフェルマーの最終定理の証明、宇宙論にも応用されている。かのハーディは晩年「私の数学上の最大の功績はラマヌジャンの発見だった」と述べている。


 ラマヌジャンに関する記述は、以下のような書籍やサイトを参考にした。

 天才の栄光と挫折―数学者列伝/藤原正彦/2002年
 数学のおもちゃ箱/クリフォード・A・ピックオーバー/2011年

   

 シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(Wikipedia)



2006年 京都大学 後期 理系 第6問 最も短い入試問題

2006年 京都大学 理系 後期 第6問 tan1度は有理数か

 もう少し丁寧に問えば長くなるが、余計な文言を完全に排除した結果大学入試史上最短問題となった。シンプルであるが故に思考力が問われ、ただし気付けばやはりシンプルに解答できるという良問である。

 有理数でないことは容易に予想できるから、有理数と仮定して加法定理や二倍角の公式を使って矛盾を示す(背理法)ことによって証明するのが普通であろう。以下に解答の概要を示した。数学的帰納法を用いてスマートに記述してもよいがわかりやすさを優先した。また、√3が無理数であることは既知とした。


2006年 京都大学 理系 後期 第6問 tan1度は有理数か 解答


2003年 東京大学 前期 理系 第6問 / 大阪大学 後期 理系 第4問
円周率を3にしようとするゆとり教育への警告?

2003年 東京大学 理系 前期 第6問 円周率が3.05より大きいことを証明せよ

 マスコミにも取り上げられるなど一般的にも大きな話題となった問題である。当時、新課程では「円周率を3にする」ということが話題となっていた(一部マスコミの誤解が原因だそうだが)。円周率を3とすると円周の長さが正六角形の周の長さと一致してしまうではないかと問題視する声が多かったのである。

 そんな時期に東大でこの問題が出題されたことに意味がある。東大が出題するからこそ話題になるのであって、他の大学が出しても話題にはなるまい。何よりも、問題の意味だけならば小学生でも理解できるシンプルさが秀逸である。ドラゴン桜 第10巻の中でも東大を象徴する問題として取り上げられている。以下に解答例を示す。



答え


 ほとんどの受験生が円に内接する多角形の周長との比較で証明しており、面積で比較していた人は1%ほどだったという。東大受験生にとっては基本的には簡単な問題だが、東大入試は時間制限が厳しいため、正何角形で考えるかや周長と面積のどちらで比較するかといった最初の方針を誤って完答できなかった受験生もいただろう。ちなみに、正8角形を用いても証明できる。また、正12角形でも√3を小数第3位までのより厳しい評価にすると3.1よりも大きいことまでを示すことができる。




 同年、大阪大学で次のような問題も出題された。円周率が無理数であることを証明させる問題である。

2003年 大阪大学 理系 後期 第4問 円周率が無理数であることの証明

 円周率は3なのか、あるいは3.14なのか。いや、どちらでもない。「円周率は、小数以下が無限に続く無理数なのだ」と主張しているように思えてならない。

 解答が気になる人は 2003年入試問題研究:阪大後期理系4番問題@青空学園数学科 へどうぞ。




複素数の図形的意味を知らないゆとり世代・・・そして文系はこれからも・・・

 2002年度から実施されたいわゆるゆとり教育と呼ばれる学習指導要綱で、高校の指導内容からそれまで数Bで学習していた「複素数平面」が削除された。「複素数平面」とは複素数の図形的意味を追求する分野である。2次方程式の解を求めるときに突如登場した虚数なる不可解な数には、実は図形的な意味づけがなされているのである。その理論は美しく高い実用性を持つ。特に、図形の回転移動における利便性は凄まじい。これほど重要な分野がまるごと削除され、多くの高校生がiを単に2乗して-1になる数としか認識しないまま高校生活を終えているのは悲しいことである。

 複素数の図形的意味とは何なのか。次の動画で非常にわかりやすく説明されているのでここで紹介しておく。ほんのさわりだけでも触れてみて欲しい。



 新課程の数Vで「複素数平面」が復活した。これ自体は喜ばしいことである。一方で、数Vを学習しない文系にとっては何ら状況は変わっていない。理系ならば大学で複素数平面を学習する機会もある。しかし、文系は複素数に図形的な意味があったことを知らないまま、図形を回転移動させる方法を1つも知らないまま一生を終えることになるのである。



2003年 日本女子大学 理学部 自己推薦入試 素数の謎を解き明かせ〜オイラー・ガウス・リーマンの挑戦〜


 (1)〜(3)はパターン問題といってよいだろう。その後は中々大変である。解答が気になる人は、2003年入試問題研究:日本女大理@青空学園数学科 へどうぞ。さて、全体としてみるとかなり重厚な問題だが、その結果として得られる(7)の最終的な結論は数学上計り知れない価値があるものである。(7)の極限を不等式で評価する問題は割とよく出題されるが、極限値そのものを明確に求める問題は難しく、一般入試では出題できないだろう。

 以下で、素数に魅せられた数学者達の足跡を辿りながら式の背景に広がる数学の世界を堪能してもらいたい。



 はじめに伝説となっている2人の数学界の巨人を紹介する。


18世紀最大の盲目の数学者レオンハルト・オイラー(スイス ; 1707〜1783)

レオンハルト・オイラー

 ニュートンが数学を自然界に応用し多くの科学的な実績を残していた18世紀初頭、オイラーはスイスで誕生した。人間離れした計算力と記憶力で膨大な計算を暗算で行うことができたオイラーは、数学のあらゆる分野、さらには物理学にも膨大な業績を残した。オイラーの公式、オイラー定数、オイラー方程式、オイラー関数、オイラー予想、一筆書きができる必要十分条件(オイラーグラフ)、オイラー線、オイラーの多面体定理など、様々な分野で頻繁にオイラーの名が登場する。π、sin、cos、e、i、y=f(x)など現在世界中で使用されている記号もオイラーが発明したものである。さらには、幾何学で表現されていたニュートン力学を「ma=F」という現在の解析的表現に変更したのもオイラーである。当時まだ市民権を得られていなかった虚数iを積極的に活用してその有用性を広めた功績も大きい。

 オイラーは1年間に普通の数学者の一生分に相当する平均800ページもの論文を書いたため、人類史上最も多くの論文を書いた数学者であったと言われる。悪環境やストレスから、30歳になる頃には片目を、60歳になる頃には両目を失明してしまうが、論文を書くペースは全盲になっても全く変わることはなく76歳で亡くなるその日まで数学に没頭していたという。オイラーの論文は5万ページを超える全集にまとめられて1911年から刊行され続けているが、その全集は100年以上たった今日でも完結していない。



19世紀最大の数学者カール・フリードリヒ・ガウス(ドイツ ; 1777〜1855)

カール・フリードリヒ・ガウス

 オイラーと並び称され「数学王」との異名を取る人類最高の数学者の一人であり、近代数学のあらゆる分野で先駆的な役割を果たした。言葉を話せるようになる前から計算ができ、3歳のときに父親がしていた職人達に支払う給料の計算の誤りを指摘したという。また、小学生のときには1から100までの和を現在でいう等差数列の和の公式を用いて瞬時に求め、教師を驚かせた。18歳のときには最小2乗法の発見、19歳のときには合同式を用いた合同算術を発明し、平方剰余の相互法則を証明した。また、同時期に正17角形が定規とコンパスだけで作図可能なことも証明した。作図可能な正素数角形の発見は約二千年ぶりのことであった。学位論文では、代数学の基本定理「n次方程式は複素数の範囲でn個の解をもつ」に完全な証明を与えた。

 正17角形が作図可能であることに興奮したガウスは、数学者になることを決意し、そのときから数学日誌をつけ始めたという。ガウスは性格上多くの結果を得ながらも公表しなかったが、この日誌のおかげでガウスの業績を確認できる。ガウスの業績は、代数学、数論、複素平面、関数論、非ユークリッド幾何学など広範囲に及び、電磁気学、天文学など物理学の発展にも大きく貢献した。そのことは、ガウス記号、ガウス曲率、ガウス関数、ガウス整数、ガウスの法則、ガウス平面、ガウス積分など、ガウスの名にちなんだものが多岐にわたることからも分かる。特に数論への貢献が大きく、1801年に発表された「ガウス整数論」をもって今日の「数論」という分野が誕生したとされている。発表はしなかったものの解析学でも時代を数十年を先んじた研究を行っていた。まだ複素数が市民権を得ていなかったが、20歳の頃には今日用いられている形式で複素平面(ガウス平面)を論じていた。その結果、アーベルによって世に発表される30年前にすでに楕円関数を発見していたという。

 1801年、天文学者達はケレスと呼ばれる小さな新惑星の発見に沸いていたが、太陽の向こう側の軌道に入ってから見つけることができなくなってしまった。このころの天文学者はただ望遠鏡を向けるだけで、軌道を予測する数学的手法をもっていなかったのである。そこに、24歳のガウスが登場して数学的に軌道を予測した結果、ケレスは難なく見つかった。数学者には既に知られた存在であったガウスはこの発見によって科学界の寵児となった。また、この偉業は科学が急速に発展し始めた時代において数学が持つ予測能力を象徴したものとなった。この功績によりガウスはゲッティンゲン天文台長に就任し、終生そこに勤めた。以降、物理学とりわけ電磁気学における重要な発見をいくつも成し遂げ、1855年に77歳の生涯を閉じた。



素数の配列の謎

 試しに、10000から10100までの素数を書き出すと次のようになる。

10007 10009 10037 10039 10061 10067 10069 10079 10091 10093 10099

 差が2ですぐに素数が出てきたと思えば、20以上素数が出てこないなど素数の並びには全く規則性が感じられない。オイラーは「素数の並びには必ず意味があり、自然や宇宙と関係があるはずだ」という強い信念を持ち、素数の規則性を探すために次々に素数をあぶりだしていった。しかし、5万を超えても一向に規則性が表れる気配はない。そんなオイラーに対し周囲は冷ややかだった。多くの数学者は、素数は何の意味も持たない単に無秩序な数だと考えていたのである。しかし、オイラーはそんな批判を一気にはねのける発見をすることになる。



オイラーが解決したバーゼル問題と素数の結びつき

 バーゼル問題とは、「平方数の逆数の無限和を求めよ」という問題であり、1644年に提起された。スイスのバーゼル在住のベルヌーイが挑んだものの解決できず、そのまま後世に託した問題であるためバーゼル問題と呼ばれるようになった。この入試問題はまさにバーゼル問題に対する解答を与えたものである。バーゼル問題は1735年にレオンハルト・オイラーによって解決された。ただし、その方法はこの入試問題の誘導とは異なる。わずかに高校範囲を超えてしまうがオイラーがとった方法を簡単に紹介しよう。

 sinxは、マクローリン展開(大学1年で学習)により、次のような無限和で表される。(これはこれで驚きだが)


 両辺をxで割ると


 一方、sinx/xを別の形で表すことができる。sinx/xは、x=±π、±2π、±3π、……を代入するとsinx/x=0となるから、次のように因数分解できる。「f(x)にx=α、βを代入して0になるとき、f(x)が(α-x)(β-x)つまり(1-x/α)(1-x/β)を因数にもつ」と同様である。ここで、有限の話が無限の場合にも成立するかという問題が生じるがとりあえず無視する。


 ここで、2通りに表されたsinx/xのそれぞれの式のx2の係数を取り出して等式を作ると


 両辺に-π2を掛けて


 このように少し乱暴ではあるものの、オイラーは非常に強い直感力と洞察力で2乗の逆数の無限和が(円周率の2乗)÷6に一致することを初めて発見したのである。オイラーはこのときのことを「エレガントな公式が見つかった」と記している。驚くべき結果だ。2乗の逆数の和を無限に足したものが円周率で表される値と完全に一致するというのだ。

 オイラーの凄いところは、この結果に満足せずにさらなる追求を続けたところである。オイラーは以下に述べるようにして、左辺の無限和を書き換えられることを発見した。

 例として、次のように分母が素数の2と3と5であるような無限和の積を作成して展開してみると、2と3と5で作られる全ての合成数の逆数の無限和ができる。分母に2、3、5以外の素数(7,11,13・・・)やその合成数が表れることはない。


 ここで、左辺の1つ1つの括弧内は無限等比級数(数V)であるから、次のように変形できる。


 これを一般化し、全ての素数の無限和の積を作成して展開すると、全ての自然数の逆数の無限和ができることにオイラーは気付いた。この素数のみで作られた積をオイラー積という。


 つまり、全ての自然数の逆数の無限和は全ての素数だけの数列の無限積で表すことができるのである。同じことを2乗で行えば


 結局、先の結果と併せると次の等式が成立する。


 左辺は無限に存在する全ての素数を1つ残らず用いて作られた式である。全く規則性が見えなかった素数だが、全て集めてみると自然界で最も美しい形である円を表す円周率が表れるのだ。かくして、オイラーは円周率πを介在することで、素数の中に何らかの調和性があること、自然と素数が全くの無関係ではないことを人類史上初めて示した人物となったのである。



ガウスが発見した素数定理

 オイラーに続いて、素数に隠された規則性に気付いたのは19世紀最大の数学者ガウスである。ガウスもまた素数の配列には何らかの意味があるはずだと考えていた。しかし、長年にわたって多くの数学者が素数の生成公式を見つけようとしては失敗してきたという事実から、そろそろ別の観点から考えてみてもよいだろうと当時15歳の少年ガウスは考えていた。

 この前年、ガウスは人から対数表と素数表の両方が載っている本をもらっていた。計算機がない時代、商人や航海士は当たり前のように対数表をもっていた。莫大な数の計算が容易になり役立つからである。一方で、普通の人にとって素数表は実生活には応用できない無意味なものであった。しかし、ガウスが虜になったのは素数表のほうだった。対数の動きが予想できるのに対し、素数の動きは不規則だった。ガウスは素数が表れるタイミングを正確に予測しようというこれまでのアプローチを止め、ある特定の範囲内の素数の個数を予想できないかと考えた。素数が存在する割合を調べていったガウスはそれが対数表と関連していることに気付いた。1792年、15歳のガウスは1から自然数xまでの数の中に存在する素数のおおよその個数が次の式で与えられることを発見した。この「素数定理」が証明されたのはガウスが予想してから100年以上経過した1896年のことであった。ここで、π(x)は素数の個数を意味するものであり、円周率のπとは無関係であることに注意して欲しい。


 対数は自然界にも頻繁に現れる。銀河や台風やアンモナイトなどに見られるような渦巻きは対数螺旋(極座標表示 r=ae)と呼ばれるものである。素数定理は、素数の個数がπと並んで自然界における重要な定数である自然対数の底eと密接に関係していることを示唆する。ガウスは自然対数の底eを介在することで、自然と素数が関連していることに気付いたのである。素数が自然界における2大定数円周率πと自然対数の底eに関連しているという事実は、素数が自然界の重要な構成要素であることを示唆している。



世界で最も美しい等式

 ガウスが素数と自然対数の底eの関連性に気付く45年前、オイラーは円周率πと自然対数の底eの不思議な関係式を発見していた。このオイラーの公式と呼ばれる等式は、π、e、iという別分野で誕生した定数を仲立ちとして指数関数と三角関数を結びつけるものである。


 この等式にθ=πを代入して=0とすると次の等式が得られる。別々の分野で独立に発見された5大定数、円周率π(幾何学)、自然対数の底e(解析学)、虚数単位i(代数学)、和の単位元0(足しても元の数が変わらない)、積の単位元1(掛けても元の数が変わらない)が非常にシンプルにまとまっており、「世界で最も美しい等式」とも評されている。


 自然界に潜む2大定数のキングπとクイーンeは、i(愛)で結ばれていたのだ。



未解決問題 リーマン予想

ベルンハルト・リーマン

 あのガウスを師にもつベルンハルト・リーマン(ドイツ ; 1826〜1866)は、素数の研究を行う過程でオイラーが研究していた以下の級数を複素数全体にまで拡張し、ζ(ゼータ)関数と名付けた。s=(整数)を考えていたオイラーに対し、s=(全ての複素数)で考えることにしたのである。


 このゼータ関数のゼロ点(ζ(s)=0となるような複素数s)が素数の並びと関連していることに気付いたリーマンは、自明なゼロ点(負の偶数)以外のゼロ点の位置を求め始めた。4個ほどゼロ点を求めてみると、複素平面において全てが一直線上(実部が1/2)に並んでいた。このとき、リーマンは完全に無秩序に散らばっていた素数がゼータ関数というフィルターを通して見ると高い秩序を保った姿に変わることに気付いたのだ。この4つのゼロ点だけが偶然並んでいるわけではなく、無数にあるゼロ点が全て一直線上にあるはずだという予想がいわゆる「リーマン予想」である(1859年)。


 リーマンの功績は「素数の配列に規則性はあるか」という漠然とした問いを「自明でないゼロ点は一直線上にあるか」という数学の問題に帰着させたことにある。この問題はリーマンの予想から150年以上経過してもまだ未解決のままであり、数学における最重要問題の1つとなっている。コンピュータを用いてゼロ点を10兆個まで求めても全く反例が見つからないことから、多くの数学者は正しいと信じており、既にリーマン予想が正しいという仮定の下数千の論文が発表されている。



リーマン予想と量子物理学とのつながり

 ヒュー・モンゴメリーはリーマン予想とは別の問題の解決のために、ゼロ点の間隔に着目し調べ始めた。当初、素数が無秩序であるのと同様、素数で作られるゼータ関数のゼロ点の間隔も無秩序であるはずだと考えていた。ところが、実際に調べてみると予想に反してゼロ点の間隔は完全に均一に散らばっているようだった。モンゴメリーは、間隔の分布をグラフにしてみたが、予想とは正反対の結果にその意味をとらえきれずにいた。

 1972年、プリンストン高等研究所に立ち寄ったモンゴメリーは物理学者フリーマン・ダイソンと話す機会を得た。それは研究所で日常になっているティータイムの間の軽い会話のはずだったが、モンゴメリーがゼロ点の間隔を表す数式について話し始めたとき、ダイソンの顔つきが変わった。

「それは重い原子核のエネルギー準位の間隔を表す式と同じじゃないか」

 数の原子ともいえる素数の間隔と自然や宇宙を構成する原子がもつエネルギーの間隔には密接な関連があったのだ。この2人の奇跡の巡り合わせは神から人類への贈り物であったのだろうか。人類は素数と自然界との真に深いつながりを発見した。リーマン予想の証明にもつながる素数の謎は、もはや数学者だけの挑戦ではなくなり、物理学者も含めて人類が力を結集して解明すべきものになったのである。



人類は素数と共に

 リーマン予想に対しては、2000年にアメリカのクレイ研究所によって100万ドルの懸賞金が懸けられた(ミレニアム懸賞問題)。かつて、素数は物好きな人間の好奇心の対象でしかなく、実際には何の役にも立たないと考えられていた。しかし、今やインターネット通信の安全性が巨大な素数を用いた暗号によって保証されているように、素数は我々が暮らす現代社会と切っても切り離せいない関係になっている。リーマン予想が証明されるとき人類はまた新たな一歩を踏み出すことになるのかもしれない。





 この項目の記述は、主に2009年にNHKで放送された 「リーマン予想・天才たちの150年の闘い ~素数の魔力に囚われた人々~」 [DVD] を元にしている。この番組は、BSで何度か再放送されている。


 その他、以下の書籍やサイトも参考にした。

 素数の音楽/マーカス・デュ・ソートイ/2003年
 素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~/ジョン・ダービーシャー/2004年

    

 リーマン予想(Wikipedia)
 レオンハルト・オイラー(Wikipedia)
 カール・フリードリヒ・ガウス(Wikipedia)
 ベルンハルト・リーマン(Wikipedia)


 NHKスペシャルではリーマン予想以外に、ポアンカレ予想(1904年にポアンカレ(フランス)が予想し、2003年ペレルマン(ロシア)が証明)を特集した「100年の難問はなぜ解けたのか 〜天才数学者 失踪の謎〜」や、「神の数式」(すべての自然現象を1つの数式だけで説明しようとする物理学者達の戦いの歴史;下に示した全4回)についても放送されている。

 第1回 この世は何からできているのか~美しさの追求 その成功と挫折~
 第2回 “重さ"はどこから生まれるのか~自発的対象性の破れ 驚異の逆転劇~
 第3回 宇宙はなぜ始まったのか~残された“最後の難問"~
 第4回 異次元宇宙は存在するか~超弦理論“革命"~

   


2000年 静岡大学 前期 理系 正確なグラフの図示で現れる世界遺産

2000年 静岡大学 理系 前期 富士山

2000年 静岡大学 理系 前期 富士山 解答

 富士山(世界遺産)キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!

 高校数学という山道を一歩一歩着実に歩んできた者だけが自身の答案というパノラマの中にこの景色が広がった。

 純粋に数学の問題として見た場合、4次関数、分数関数、三角関数、絶対値、平行移動、拡大・縮小、対称性といったグラフの図示における多くのポイントを的確に処理する能力が問われている良問である。その分グラフの図示の基本が怪しい人にとっては簡単なグラフではない。

 正答にたどり着いた受験生に対する素晴らしいご褒美だが、試験時間内に拝めた受験生は何人いただろうか。



全く関係のない話

 大都市圏の人にとって富士山は見慣れた光景なのかもしれない。一極集中でそびえ立つ3776mの富士山は実に美しい。一方で、3000m級の山々が連なる立山連峰の圧倒的な絶景は、富山県民には見慣れた光景だが他県民が見ると「これが日本なのか」と驚く。スマホで適当に撮ってみた写真が次である(クリックで拡大可能)。富山湾を挟んで氷見市(富山県の最左端)の朝日山展望台から望む立山連峰であり、海を挟んだこのような景色は世界的にも珍しいという。春や冬の寒く澄んだ快晴の日には常にこの光景が広がっている。拡大画像をよく見ると、画像中央部には富山市にあるタワーも写っている。

立山連峰


1999年 東京大学 前期 理系/文系 第1問 公式丸暗記に対する警告?

1999年 東京大学 文理共通 前期 第1問 三角比の定義と加法定理の証明

 東大受験生であれば、仮に意識していなかったとしても受験勉強する過程で大抵の公式の証明方法が自然と身に付いているはずである。しかし、加法定理の証明は盲点である。「公式は証明してから使うべき」という東大からのメッセージなのだろうか。あるいは、教科書の内容すら身に付いていない内に難しい問題集を解いている受験生に対する警告なのだろうか。第1問から意表をつかれて血の気が引いた受験生も多かったと予想する。

 本来、数学において証明が重要であるのは言うまでもない。証明できない公式を使うということは、土台が不安定な橋を渡るような危険な行為である。一方で、受験は効率の良さが大事であり、いちいち厳密な証明を気にしていては受験勉強がはかどらないのも事実である。しかし、そのような単純な効率重視の受験数学が蔓延することに危機感を感じた東大が、「学問としての数学」の軽視に対して一石を投じようとしたのかもしれない。

 解答は教科書や参考書に当然書いてあるし、検索するのもよい。「加法定理は図形的に回転を表す」と考えて余弦定理を使う証明が一般的だと思われる。



1998年 東京大学 後期 理系 第3問 大学入試史上No.1の超難問〜ガロアが遺したもの〜

 問題文の出典は、livedoor.blogimg.jp

1998年 東京大学 後期 第3問 1998年 東京大学 後期 第3問 1998年 東京大学 後期 第3問

 鬼畜ともいえる難易度の参考として、以下のような強烈なエピソードがあるので、引用させてもらった。

 入試数学伝説の良問100―良い問題で良い解法を学ぶ/安田亨/2003年 から引用。



 大学受験史上第1位にランクされる超難問である。難しいのは(2)で、実験をすると予想できるが完璧に論証するのは並大抵ではない。問題入手のとき、A予備校では解答作成を中断、帰宅することになったと聞かされた。最悪、翌日も解けないときはどうするかも話し合ったらしい。
 翌朝B予備校関係者から電話があり、予備校の解答を出さなければならないから至急解いてくれという。そこでフランスに長期滞在中の友人C(大学助教授)とメールで連絡を取り、概要を説明し、解くことにした。何度かのやりとりの後、解答を作り上げたのは翌日のことである。

 この正三角形の変換は大学の群論の最初に出てくる話だが、それを初等的な問題に応用したのは初めての経験である。
 試験では完全解は無理でも十分性などの部分点はとれるだろう。その意味では良問といえるかもしれない。なお、A予備校の解答はCの知人のD教授が書いたものを参考にしたらしい。



 さらに、Neural Fireworks から引用。

"誰もが入試史上最難問と認める問題がある.東大が本気を出していた97〜98年にその問題は現れた.数学オリンピックに出題されても解ける人はいないだろうと言われたその問題は1998年東京大学後期数学第3問.長いので問題文は省略するが,ネットでもそこらじゅうに転がっているので,一度見てみるといい.

 

グラフ理論を題材にしたこの問題では答えはすぐに分かる.しかし論証は最強の難問で,完答者はゼロ.

 

私は当時勤めていた予備校にいた.私がいた予備校は後期日程に関しては解答速報を出さないため,私は個人的にせっせと解いていた.しかし,第3問(2)で鉛筆が止まる.1時間以上考えたが論証が思いつかない.横で解いていた同僚も同じ.相当な難問だと思っていたが,さすがに大手予備校はもう解けているだろうと思い,河合塾で働く友人に電話する.しかし,河合塾はまだ解けていなかった.

 

大手予備校は東大の解答速報を当日にだす.しかし,どの予備校もなかなか解答速報が出ない.河合塾はその日の解答作成を断念,翌日にまわすことになったが,それでも解けなかったらどうしようと悩んだらしい.駿台も手も足も出ず,解答作成を急遽大数の安田先生に依頼した.

 

事態を把握してようやく,これは入試史上過去に例がないほどの超難問であると理解し,国際数学オリンピックメダリストの友人に電話する.ちょうど彼も別の予備校から依頼を受けて問題を解いている最中だった.その後,かなりの時間を要して友人は解答を出してくれた.

 

当時の東大は何がやりたかったのだろうかといまだに思う.97年・98年は前期後期ともDレベルの難問が続出(6題中Dレベルが3題,Cレベルが3題というセットもあった). たった2時間半では全完できた人は一人もいなかったであろう.良問もあったが,あれほど難しくしては差はほとんどつかない.

 

東大後期で数学がなくなった現在ではあのような難問が出題されることはあるまい.東工大AO入試も難問が多いとはいえ,本問に比べればはるかに簡単であろう.無理のない難問にレベルが抑えられ,適度に差がつくようになったが,たまに難問が大量に出題されていた当時を振り返り懐かしむことがある."




 群論に関連して、伝説の超天才数学者ガロア(フランス)のエピソードを紹介しておきたい。


5次方程式の解の公式

 2次方程式の解の公式は古くから知られていた。3次方程式と4次方程式の解の公式が16世紀中に発見されて以来、数学者たちは5次方程式の解の公式を探し続けたが、200年もの間見つけることが出来なかった。19世紀になって、ようやく大数学者アーベルが5次方程式には代数的な解の公式が存在しないことを証明し、この問題に終止符が打たれた。少し遅れて、アーベルのことは知らずに10代の少年ガロアがアーベルの証明を大幅に簡略化した方法を発表する。現在では群論と呼ばれる理論を用いたものであり、当時の水準を遙かに超えていた。


人類の至宝エヴァリスト・ガロアの悲劇的な最期

エヴァリスト・ガロア

 数学にすさまじい情熱を抱き、圧倒的な才能を秘めていたガロアだったが、激情型の性格で革命家として政治的な活動にも参加していたことが数学史上最悪の悲劇へとつなっていく。ガロアは17歳の頃から5次方程式に関する論文を提出するようになり、コーシーやフーリエという超一級数学者の目に止まったこともあったが、二度の論文の紛失などの不運が相次ぎ結局評価されないままだった。ガロアはこれらの不運は政治的な理由による故意のものだと考えるようになっていった。20歳のとき、男女関係のもつれから決闘を申し込まれる。この決闘は政府のハニートラップによるものだという陰謀説もあるが、真実は不明である。自分の死を悟ったガロアは決闘の前日から徹夜で自身の見つけた数学的発見やアイディアを必死に書き残し、友人に「ガウスやヤコビ(どちらも超一級数学者)にこの論文を送り、定理が正しいか否かではなく重要か否かを聞いてほしい」と託した。ガロアには自分の理論が正しいという確信があった。その重要さを理解できる人間を求めていたのである。遺書には「僕には時間がない」という悲痛な走り書きなども見られた。ガロアは決闘に負け、その若い命を散らした。人類は、10代にして当時の数学を遙かに超える領域に到達したこの偉大な超天才数学者を永久に失った。

 友人や弟は遺書に従ってガウスやヤコビらに論文を送ったが、ガロアの理論は当時の水準を遙かに超えていただけでなく、説明不足だったために当初は理解されなかった。しかし、死後14年経って、論文を入手したリューヴィルがガロアの天才ぶりに気づき、ガロアの論文を著名な雑誌に発表したことで多くの数学者の目に止まることになった。死後65年経ってガロア全集が発表され、さらに死後100年以上経って物理学に応用された。現在、群論は科学のあらゆる分野の基盤となっており、日本では大学の数学科の学生が3年生になってから学習する。人類史上に残る天才ガロア・・・時代を先取りしすぎていたが故に、生存中に評価されることはなく悲劇の人物となった。

 ガロアに関しては、エヴァリスト・ガロア(Wikipedia)他、いくつかのサイトを参考にさせてもらった。



1998年 信州大学 前期 文系 フェルマーの最終定理〜数学者達の350年間の戦い〜

1998年 信州大学 文系 前期 フェルマーの最終定理

 同種の問題は毎年どこかの大学で出題されるが、わざわざ問題文の中でフェルマーの最終定理に言及しているところがおもしろい。この前置きは問題を解く上で何の必要もない無駄な記述である。それをわざわざ書くということは、問題作成者にとって何かこだわりがあったのだろうか。あるいは、「数学では成り立つことが確定している命題を成り立たないと仮定した場合に何が起こるかを追求することが可能である」ことを示唆しようとしているのだろうか。実際、このフェルマーの最終定理が証明される過程において、「もし整数解が存在するとしたら解はどんなものなのか」を追求することで大きな進展があった。これにちなんだ出題なのかもしれない。

 指数部分が2、つまり三平方の定理の形x2+y2=z2の場合は、全て3の倍数と仮定し整数を3で割った余りで分類して両辺の余りの不一致によって矛盾を導く(背理法)ことで証明するという整数分野の基本問題である。この問題(3乗)の場合、結局9で割った余りで分類することで同様に証明できる。解答は簡潔に示しておく。






伝説の数学者フェルマーの遺言と数学者の初期の試み

ピエール・ド・フェルマー

 x2+y2=z2を満たす自然数(x, y, z)の組は(3, 4, 5)など無数に存在することが知られている。ところが、フェルマーは指数を3以上にするとそれを満たす自然数(x, y, z)の組が1つも存在しなくなってしまうというのである。17世紀、フェルマーは「この定理に関して私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」と書き残して亡くなった。フェルマーが残した多くの予想は後の数学者によって1つずつ解決されていった。しかし、この予想だけは解決されないまま残った。そのため、この予想は「フェルマーの最終予想」と呼ばれるようになった。

 長い間、特殊なnについての場合を個別に証明しようとする試みが続いた。元々、例えばn=3のときが証明されれば3の倍数のときが証明されたことになるので、結局はn=4の場合とn=素数の場合を証明すればよいのである。特定のnのときに証明されるなど少しずつは進展したが、根本的な解決がなされないまま300年という時が流れた。その間、無数の数学者が中学生でも理解できるこの命題の魔力に惹かれ挑戦したが、全員が敗れ去っていったのである。


証明の必要性

 フェルマー予想については20世紀までに、膨大な計算が必要ではあるが理論上は個別のnの場合を1つずつ処理できることが示されていた。そこにコンピュータが登場し小さいnの場合から次々に確認することが可能になった。1950年頃にはn=500まで証明され、その後n=400万までが証明された。しかし、素数は無限にある。仮にコンピュータを用いてあるnまでの場合を全て証明したところで無限のnについて証明されることは永遠にないのである。証明のない予想がどれほど危ういものなのかを示す例をいくつか挙げよう。


 この数列は一見するとずっと素数が続くようにも思えるが、実際に確かめてみると8番目で素数ではないものが出現する。

 他にも見てみよう。18世紀最大の数学者オイラー(スイス)は、フェルマー予想をさらに拡張した次の方程式には自然数解がないと予想した(オイラー予想)。


 この予想は200年の間証明もされず反例も見つからなかった。さらにコンピュータが数年がかりで調べても見つからなかったので、正しい予想であると考えられるようになっていたが、1988年になって次の解が発見され、オイラー予想は否定的に解決された。しかも、無数の解があることまでが証明された。



 次の例には恐怖すら覚える。18世紀末、当時15歳だったガウス(19世紀最大の数学者;ドイツ)は、素数の分布を予想する式を与えた。この式はかなり正確だったが、常に実際よりもわずかに多めの値が得られた。1兆まで調べても常に多かったので、数学者はこの傾向が無限に続くと考えていたが、1955年にスキューズ(南アフリカ)が下に示した数(スキューズ数と呼ばれる)の少し手前で予想を下回ることを示した。これは想像を絶する大きさの数であり、宇宙に存在する全素粒子数1088<10102をもってしても比較対象にすらならない。当時は「数学的意味を持つ最大の数」であった。現在はグラハム数のように10進法では記述することすら出来ないほど巨大な数が考察対象となっているようである。


 これらの例でわかるように、どんな大きな値まで調べたとしても、証明がない限りは予想はあくまでも予想にすぎないのである。



ゲーデルの「不完全性定理」

 証明に関しては、もう1つ面白い話がある。1931年、数学者クルト・ゲーデルが示した不完全性定理は数学者達に大きな衝撃を与えた。数学者達は「数学体系は一切の矛盾がない完全なものであり、いかなる命題も真偽が判断できる」ことを当然のように信じて疑っていなかった。しかし、ゲーデルは「数学が完全ではなく、数学的に証明も反証も出来ない命題が存在する」ことを数学的に証明してしまったのである。これは有名な嘘つきのパラドックス「私は嘘つきだ」を焼き直した次の命題でたとえられる。

「この命題は証明できない」

 もしこの命題が偽だとすると証明できることになるが、証明できないというこの命題自身に矛盾する。また、真だとすると命題自身が述べるように証明できないことになる。ゲーデルはこの命題を定式化することで真であっても証明不可能な問題が存在することを示した。フェルマー予想に取り組んでいて不完全性定理を知った数学者達が「もしかしたらフェルマー予想はそもそも証明不可能なのかもしれない」と考え始めたとしても何ら不思議なことではないだろう。




谷山=志村予想からアンドリュー・ワイルズ(イギリス)による最終証明まで

 1955年、谷山豊と志村五郎は「全ての楕円曲線はモジュラーである」と予想した。楕円曲線とモジュラーは全く別分野の概念であるが、それが同種のものだというとてつもない予想である。これを「谷山=志村予想」という。発表当初は全く信用されなかったが、志村が積み上げた証拠のおかげで広く信じられていった。現代数学において計り知れない重要さを持つ予想であり、谷山=志村予想の証明が数学界の最大の目標の1つとなった。証明はされていなかったにもかかわらず、谷山=志村予想が正しいという仮定のもと20年間で数百の論文が発表された。もし、谷山=志村予想が間違っていた場合それらの論文は全てゴミとなる。数学者達は、誰かが証明し土台を確固たるものにしてくれることを渇望していた。

 1984年、ゲルハルト・フライ(ドイツ)はフェルマー予想がもし間違っていたら、つまりもし仮に解を持つとしたらどうなるのかと考え仮想的な解を代入していった。するとモジュラーではない異常な楕円曲線が現れた。これは谷山=志村予想に反することになる。つまり、「フェルマー予想が偽ならば、谷山=志村予想も偽である」ことを意味する。これを逆に考えると、「谷山=志村予想が真ならば、フェルマー予想も真である」となる。この瞬間、フェルマー予想の証明は谷山=志村予想の証明に移り代わったのである。

 ワイルズは10歳の時にフェルマー予想を知り、自分が証明することを夢見て数学者になった。子供の頃の夢は封印して現代数学の主流である楕円曲線を研究をしていたが、自分の専門分野である楕円曲線がフェルマー予想と結びついたことで、全ての研究を止め谷山=志村予想の証明に自分の人生を賭けることにした。その後7年間自宅の屋根裏部屋にこもり、フェルマー予想の証明に没頭した。

アンドリュー・ワイルズ

 予想から350年以上経過した1995年、ついに最終決着がなされた。ワイルズがフェルマーの最終予想を完全に証明したのである。フェルマーの最終予想はもはや予想ではなくなり、フェルマーの最終定理となった。後にアメリカ数学界がこの完全証明に重要な役割を担った十数名の功労者を挙げたが、その中の6人が日本人であった。




 この350年間の数学史上のスペクタクルロマンが フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで/サイモン・シン/2000年 の中で恐ろしいほど詳細に描かれている。この項の記述はこの書籍を参考にしたものである。また、この書籍の内容の大まかなあらすじが やる夫で学ぶフェルマーの最終定理 【前編】 に一通りまとめられている。他に、フェルマーの最終定理(Wikipedia)やいくつかのサイトを参考にした。


 整数に関する入試問題に関しては次の書籍も興味深い。大学入試問題で語る数論の世界―素数、完全数からゼータ関数まで/清水健一/2011年 では、大学入試の過去問を元にしてその背景に広がる整数論を高校生でも理解できるように紹介していて、その中にはこの問題も含まれる。ほんの少し問題を拡張するだけで大学入試レベルの問題が一気に現在でも未解決となっている超難問と化けたりする数論の真のおもしろさや怖さは足を踏み入れた者にしかわからないのかもしれないが、その一端は感じることができるだろう。



1995年 京都大学 後期 文系 第4問 自分の点数を自分で決められる?

1995年 京都大学 後期 第4問 あなたの得点

 何と言っても「あなたの得点とする」という問題文が秀逸である。しかし、この問題の特徴は問題文だけではく衝撃的なからくりを秘めていることにある。それは問題を解いていく中で自然と明らかになっていく。以下に解答の概要を示した。


1995年 京都大学 後期 第4問 解答


 (1)は整数分野の頻出問題の1つで、「pを素数、nを整数とするとき、npをpで割った余りは、nをpで割った余りと等しくなる」というフェルマーの小定理を背景としており、余りで分類して倍数であることを証明することになる。ただし、7で割った余りともなると合同式を使わないと記述が面倒である。

 さて、誰もが気になる(2)である。一見すると「誰でも少しは点もらえるじゃん」と思うが、実際にやってみると上のようになる。n=5まで調べてあきらめた人がいたとしたら問題作成者の思うつぼである。ちなみに、ある程度整数問題に慣れた人ならf(n)は7で割った余りであるからf(n)の最大は6、よって最大18点もらえるのではないかということがすぐに予想できただろう。どちらにせよn=6まで調べなければならないのだが、n=6まででよいという先の見通しがあるかどうかの差は大きい。結局、「6の倍数を代入したときのみ18点もらえ、それ以外の値を代入した場合は全て0点になる」ため、原理的に満点か0点しかありえない。この鳥肌ものの一題こそ、まごうことなき京大の伝説である。



1993年 東京工業大学 前期 第4問 / 2008年 東京工業大学 AO入試
15年の時をまたいで難問再び!1行の記述で30点満点の10点?

1993年 東京工業大学 前期 第4問 / 2008年 東京工業大学 AO入試

 まず、入試数学伝説の良問100―良い問題で良い解法を学ぶ/安田亨/2003年から抜粋する。

 全員が0点に近い状態であったため、採点者は「平均点が0点という報告は出来ない。nについての帰納法で証明すると書いたら点数を与えよう」と考えて、30点満点のうち10点を与えた。

 日本語で1行記述しておくだけで30点満点で10点もらえたという話である。自然数nの問題で困ったらとにかく「帰納法で証明する」と記述しておいた方がよいということだろうか。「難問では方針が正しければ方針点として最大で総点の1/3を与える」という東工大の教官の発言が元であるとも聞いたが、実際のところはわからない。


 15年後の2008年、全く同じ問題がAO入試で出題された。

 東京工業大学に合格するためのスレ@Wikiから数学科の教授の話とされるものを引用しておく。

なぜI-2で過去問と同じものを出したか。
→93年の問題では、配点を小さくして出題をしたが、そのためか手をつけない受験生が多かった。また、学力低下の指摘があったりするが、それを確認するためにも採用をした。一般の入試問題なら、時間などの制約上手をつけないで終わる…ということもあるが、AOならそういうこともないので、学力を確認できる。


 解答が気になる人は 整数値関数[08東工大理特]@青空学園数学科 へどうぞ。




 東工大の問題は一般化されているために難問であるが、整数値多項式の問題自体は整数分野の重要パターンの1つであり、2次や3次の特殊な場合はたびたび出題される。特に、次の名古屋大学(1997年)と新潟大学(2011年)の過去問は実質同じ問題であるために有名である。

1997年 名古屋大学 前期 理系 第4問(b)
2011年 新潟大学 前期 理系


1993年 vs 2012年 センター試験 伝説のコピペが煽る驚愕の難易度差

 2ちゃんねるでたまたま見かける有名なセンター試験のコピペがある。

オッサン・ババァの馬鹿さは異常
日本を底辺に貶めてるのはこの世代のオッサン・ババァども↓

1993年 数学II(現在の数学IIBに相当)
(過去問の画像ファイルのリンク)
(↑大問1)

(過去問の画像ファイルのリンク)
(↑大問2)

たったこれだけで60分w
これだけ易しくて平均点が65点w
しかも1994年はさらに易しいw
ゆとりどころの騒ぎじゃねーぞwww
こんなのすらまともに解けなかったカスが「ゆとりwww」とか言ってんだぜ


 実際、1990年代初期と2000年以降ではセンター数学の難易度は次元が違う。比較するために、1993年と2012年のセンター試験の問題(いずれも60分・100点満点)を横に並べたものが次である。(クリックで拡大可能)

1993年 数学U (平均 65.48) 2012年 数学U・数学B (平均 51.16)
1993年 センター試験 数学U 2012年 センター試験 数学U・数学B

 恐ろしいほどの差であることが一目瞭然である。問題量の凄まじい差にはもう笑うしかなく、上のようなコピペができるのも当然だ。はっきり言って、1993年の試験は東大受験生であれば10分で満点が可能だろう。2012年と比較したのは、この年のUBは極めて高得点が難しい厄介な年だからである(ただし平均点は例年並)。分量が尋常ではない上に超難問が紛れ込んでいるという鬼畜さである。2012年は東大合格者の平均が91(理一)、87(理二)、97(理三)であり(河合塾調べ)、このレベルの受験生が60分フルに使っても9割とることが容易ではなかったことがわかる。これだけ分量が多いと丁寧にマークするという作業自体だけで約5分かかるため、計算や思考にかけられる時間は実質55分ほどしかない。点数配分を考慮すると、単純計算では大問1と大問2を18分、大問3と大問4を12分で解かなければならない。あまりに短い時間であり、完答するにはとてつもないスピードが要求される。数学U・数学Bというカテゴリになった1997年から難化し、ゆとり教育が叫ばれ出した2003年くらいからはさらにもう一段難化し、非常に厳しい試験となったのである。

 当時はそれが普通だったのかもしれない。しかし、時間が経ってから見直してみると当時とは全く違って見える、伝説とはそうして生まれるものだろう。



1986年 秋田大学 何がでるかニャ?

1986年 秋田大学

 図示してみると次のようになるニャ。

1986年 秋田大学

 猫ちゃんのできあがりだニャ。結果はかわいいニャ。でも、ちょっと問題が無理矢理すぎる気がするニャ。大変だニャ〜。ニャ〜ニャ〜しつこかったけど許してニャン。



早稲田大学 文系 トランプの確率:正しいのは、1/4?10/49?

早稲田大学 トランプの確率

 出題年は1980年頃らしい。これは条件付き確率の問題だが、インターネット上でたびたび答えが1/4なのか10/49なのかが話題になってきた。プログラムを組んでパソコンで繰り返しシミュレーションしてみた人もいた。元はといえば、ある参考書の答えが1/4と間違っていたことが原因で有名になったようである。

 1/4と答える人は、おそらく最初に引いた時点で確率が固定されているため、後から引いた3枚がダイヤであったことは関係ないという考えなのだろう。しかし、もっと極端な場合、後から13枚を引いてそれがすべてダイヤだった場合も1/4なのだろうか。どう考えても確率は0であろう。

 実は、後から新情報を得ることで確率は常に変動していく。情報を得たものは確定するからである。確率はもともと賭けから始まった学問である。賭けでは、あらかじめ得られる情報はできるだけ獲得し、それをすべて考慮したうえで未来の事柄の起こりうる割合を考えることが重要である。例えば、後から12枚を引いて12枚がすべてダイヤであるという情報を得たとき、最初の1枚をダイヤに賭ける人はいまい。ダイヤが出たという情報を得れば得るほど最初の1枚がダイヤである確率は減っていく。もし、盲目の人がいて後から抜いたカードのスートの情報を得ることができなければ、その人にとっては確率は常に1/4であり、最初に抜いたカードをどのスートに賭けても同じである。

 「最初に抜いた」という順番は問題ではない。「表を見ないで箱にしまった」こと、つまり「何の情報も得ていない」ことが問題なのである。情報が得られていないという点では、最初に抜いた1枚は残りの48枚と何も変わらない。「3枚がダイヤである」という情報だけを得たという条件つきの確率であるから、箱の中にしまった最初に抜いたカードがダイヤである確率は未知のカード49枚の内の10枚、つまり10/49なのである。



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