ただ、私としては、この段階で批評や感想を書くよりも、むしろ、読んだ文章を引用することをお勧めしたいと思います。とりわけ、文章を書くのが苦手な人は、この習慣を身につけるのが得策だと思います。
本を読んでいて(以下、便宜上、読書日記についてのみ記します)、感動して箇所、同感した部分、あるいは反発を感じたり、怒りを抱いた一節などを抜き書きして、日記に記載するのです。引用はアトランダムでもいっこうにかまいません。とにかく、自分で選び、自分が書き写すことが重要なのです。
では、なぜ、引用が大切なのでしょうか?
その理由はいろいろと考えられますが、一つは、その本についての情報として、引用に勝るものはないことがあげられます。百聞は一見は如かずといいますが、私に言わせれば、百の批評よりも一の引用、ということになります。引用をすれば、その作者の文体、癖、思想など、ほとんどのものがわかります。(中略)
第三は、引用の習慣を続けていくと、その読書日記が、ひとりでに、オリジナルな名句名文選(アンソロジー)になっていくことです。(中略)
第四は、引用だと、批評や要約などに比べて、ただ、写せばいいだけなので、プレッシャーがかからないという利点があります。(「まずは引用」pp.21~24)
引用になれたら、次にチャレンジしていただきたいのは、引用だけからなるレジュメ(要約)です。自分の文章はあまり使わずに、その本のエッセンスとなるような箇所を何箇所か選び出し、その引用だけで本を要約するのです。(中略)
この引用だけのレジュメに習熟したら、次になすべきことは、物語や思想を自分の言葉で言い換えて、要約してみるということです。フランスの教育では、これをコント・ランデュ(compte-rendu)と呼び、引用を使ってするレジュメとは区別しています。これをやると、引用の中にある言葉や句を使ってはいけないので、語彙を豊かにするのに役立ちます。また、言い換えが作者の言っていることと矛盾してはいけませんから、必然的に正しい理解を心掛けるようになります。(「レジュメに挑戦」pp.25~26)
かりに、引用によるレジュメとコント・ランデュを完全に習得したとしましょう。次はどんな段階があるのでしょうか?
ようやく、ここに至って、「批評」という言葉が登場します。言い換えれば、一冊の本のいわんとしていることを的確に引用してレジュメしたり、コント・ランデュすることができぬ限りは、批評という大それた行為に踏み切ってはいけないのです。(「批評という大それた行為」p.26)
全て、主張には証拠が要る。文章で何かを主張する場合、主張の証拠をその文章に書きこまねばならない。前述のように、事例も強力な証拠になる。また、他の文章の内容について主張するためには、その文章からの引用が不可欠である。
他人の文章の内容を引用無しで論ずるのは無礼である。証拠も出さずに何かを主張しているわけである。
また、読者にも〈どんな素材で論じているのか〉、〈どんな証拠で論じているのか〉を示さねばならない。引用が要る。
要するに、引用によって、筆者と読者、そして対象である文章の筆者は、同じ素材を共有し、平等の関係になるのである。(「第四章 引用によって視線を低くする」p.33)
「引用無きところ、印象はびこる」である。あるいは「引用無きところ、インチキはびこる」と言ってもいい。(同上p.41)
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Author:azev
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