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晴れ渡った青空にまるで虹のように鮮やかな風船が飛び立って行きました。2013年9月22日。
東京大行進は差別をなくそうという気高い志を共有し、街を歩きつつアピールを行いました。多くの参加者や報道で知った人たちの記憶に、きっと深く刻まれたことでしょう。
世の中には潮目というものがあります。東京や大阪でのカウンター行動。徐々に追い詰められて行く差別主義者たち。その一つの象徴が東京大行進の成功でした。あれから1年あまり。情況はさらに進みました。
差別集団に対するカウンター勢力は、さらに増えつつあります。地方議会や行政も動き出しました。国会でも人種差別撤廃基本法を実現する活動が熟しつつあります。
今年もみんなで歩きましょう。恥ずべき差別はやめろという声を高らかに叫びましょう。日本の動きは世界から見られています。私も「ひとりから」の思いをこめて、歩き、声をあげて進みます。未来に生きる子供たちのためにもーー。
見知らぬ者どうしが恐怖にかられて相手を傷つけたり不安におびえて
拒んだりせずにすむ社会を作っていきましょう。
連日ひねもす世界中で引き起こされる子どもたちの受難。根底にあるのは、他者に対する偏見、迷信、妄想が誘発するレイシズムだ。孤立した自分が、圧倒的多数に差別され忌避される状況を想像してみよう。無数の歴史的惨事下には、名前のある一人ひとりがいたのである。レイシズム、差別を断固として許さない一人ひとりが、語り出し、行動を始めることから、世界は少しずつ変わり始める。アンダーグラウンド・レイルロードは今の時代も続いていて、世界中の子どもたちは打ち鳴らされる音楽と手を取りあうように、自由を目指して行進している。そう、今も! そしてその道中に東京大行進はある。歩こう、ともに。世界中のどこにも、レイシズムの居場所はない。
あんな街、こんな街から、
あんな国、こんな国から、
あんな人、こんな人、
多種多様な人間達が集まってくる。
そして生きている。
東京の懐は深い。
田舎町を振り棄てるようにしてやってきた俺を、
はぐれっぱなしで生きて来た俺を、
今日も受け入れ続けてくれる街、東京。
雑多な人間達のエキスで煮え立つ東京。
様々な人間達の熱でグリグリと輪転を続ける東京。
偏狭。非寛容。差別。
そんなセコい街じゃねえんだよ、東京は。
俺は信じてるぜ、東京。
俺たちの東京!
自分が人種差別を受けることを想像してみてください。家族や友達、生活文化、
子供の頃から食べ親しんだ料理、懐かしい歌など、大切な全てを否定される悲しさを。
そしてマイノリティであるが為にヘイトスピーチに抗い難いことの悔しさを。日本人である僕が見て見ぬふりをすることは、
差別するマジョリティ側に立つことです。明確な意思表示が必要だと思っています。人種差別に断固反対します。
なるほど、こうした「アクション」について、君はある種の居心地の悪さを感じているのかもしれない。
「わざとらしい」「いやらしい」という感情を抑え切れないのかもしれない。
もしや、強い嫌悪を感じてすらいるのかもしれない。
ためらいつつ、もう一歩を踏み出せないでいるのかもしれない。
しかし、君の一歩は君ひとりだけの一歩だ。
一歩はみじかい。だが立ち止まっているより、どんなに大きな前進だろう。
ましてや、退歩するよりは。
君のその一歩は、差別のない世界という「夢」への旅程、その長大な旅程を確実に踏破する一歩なのだ。
確かに一人ひとりは微力だ。しかし君には君一人分の「力」があるということもまた、厳然たる事実である。
私も、ただ一人の市民としてともに一歩ずつ、歩みたいと思う。
きたるこの日に、偉大な先人たちも歩いた遙かな旅程をふたたび、
君と共に歩みはじめたいと思う。
ぜひ参集を。
この一日、皆で歩いた道程のながさだけ、われらは夢へ近づく。
僕の父親は戦後間もなく中卒で東京に出てきて同じく中卒地方出身の母親と結婚し僕たち子供を産み育てた。元から東京に住んでいたひとにとっては僕たち家族はよそ者だったはずだ。しかし「よそ者は出て行け」などと言われたことはない。戦後の東京にはそれだけの包容力があったのだと思う。そんな東京を取り戻そう。
「今の日本、差別なんてないよ」という人がほとんどかもしれない。
アメリカでも、そうかもしれない。
でも、それはそうなるために戦ってきた人がいたからだ。
でも、油断していると、レイシストが政治家と一緒に写真を撮りに行くように、奴らは亡霊のように戻ってくる。
この戦いは終わらない戦いなのかもしれない。
でも、キング牧師が夢みたように、いつの日か、世界中の人たちが何の諍いもなく、楽しく語り合ことが出来る日が来るということを僕は信じている。
僕の世代はそんな世界を見ることは出来ないかもしれない。
次の世代もダメかもしれない、でも、その次の世代は…
そのためには僕らは歩き、語らわなければならない。
東京大行進とはそういう日だ。
楽しくかっこよく遊びましょう。
それがきっと世の中を変える。
これだけ日本国内で差別主義が台頭しても、見て見ぬふりをすることこそが処世術だと勘違いしている人々はいまだに多い。
だが、目の前で行われている不正義に目を背け、自身が考え行動することを回避する態度は、怜悧なリアリズムでも処世術でも何でもない。たんなる最もいやしい恥ずべき行為である。
差別を絶対に許さない、そういう意志をわれわれがともに歩くことで社会として示そうではないか。
日本に暮らすすべての子どもたちが差別のない社会のなかで平和的に生きられるよう、国連人種差別撤廃委員会による厳しい警告を受け止め、31項目の勧告すべてを履行させるべく、私たち市民の声をさらに盛り上げようではありませんか!
朝鮮学校の高校「無償化」からの排除、補助金停止・削減など国家・社会レベルのイジメにNo!
イスラーム教徒への不当な監視にNo!
ヘイトスピーチにNo!
すべての差別にNo!
ヘイトスピーチなんか、やめて。
「死ね」とか「殺す」とか喚いて歩いて、
他人をおとしめてるつもりかもしれないけど、自分自身をおとしめてるよ。
「日本」が大好きなら、どうすれば尊敬されるか考えてよ。
「人種差別する国」が尊敬されるわけないじゃないの。
排外デモには、胸が悪くなる。それについては、ただもう、止めろとしか言いようがない。
罵り言葉を勇んで叫べば叫ぶほど、嫌悪感を募らせるばかりで、その分、一層、攻撃されている人たちへの同情を強くする。
何が悲しくて、一度しかない人生を、人種差別主義者として生きなければならないのか? 軽蔑され、後ろ指さされるために生まれてきたのか?
みんな仲良く、一緒に暮らしたらいいじゃないか。そういう考えの人たちに囲まれて生きることが大事だ。