小林一朗
版はこちら
■ハルマゲドンを待ち望む人たち
「人様が何を信仰しようが構わないさ」世界の宗教なんて自分には関りのないこと、のんびり暮らしていて何が悪いのさ、と思う。だが、超大国で実際に戦略核の発射ボタンを押す、その決定者が次のように考えていたらどう思われるか?「世界は病み、私たちを創りたもうた主は憂いている。これから起こる最終戦争(ハルマゲドン)で最後の審判が下され、すべての邪悪が滅ぶ。神は善なる私たちだけを残すことを望んでいる。私たちは最終戦争に必ず勝利する。そして地上に千年王国を作り上げるのだ。その
、再び救世主が私たちの前に降臨する」80年代にソ連との軍拡競争を拡大させたレーガン元大統領。彼はこのような信仰に深く傾倒していたことが知られている。それまでは「互いを滅ぼすだけの兵器を持ってしまった超大国同士は実際には戦争ができない」とされた。だから米ソの対立は“冷たい戦争”と呼ばれたのだ。冷戦時代の戦略は、MAD(相互確証破壊)を前提にゲーム理論で相手の出方を想定していた。戦争になったら自分たちも無傷ではいられない、だから実際には戦争はできず互いの武力を誇示するだけである、と。だが、レーガンの思考は理論の想定の外にあった。「個人の信仰なんだから仕方ないさ」そう遠目で見てはいられないのではないだろうか?また、破滅さえも辞さない信仰とはどのようなものなのか知る必要はないだろうか。
■「原理主義」を取り上げる理由
そして今、レーガンよりもはるかに性質の悪い人物が唯一の超大国となった国の元首として君臨し、“テロとの戦い”、“善と悪の戦い”を叫んでいる。彼も千年王国を信じる熱狂的な者たちの後押しで2001年に大統領に就任したのだ。彼の思考も常識の外にある。
また、世界で頻発しているテロの首謀者がイスラムの名において“ジハード=聖戦”を叫び、民衆を恐怖に陥れていることも事実である。(たとえこうしたテロの真の原因が超大国および経済的な侵略を続る者たちにあったとしても、私は容認も弁護もしない)ハンチントンは「文明の衝突」と称し、欧米とイスラムの対立という大雑把な括りで現代の衝突を説明する。しかし、対立に至る歴史的な経緯や価値観の相違について、丁寧に見なければならないだろう。
規模は違いながらも私たちの周囲でも“常識の外”で物を考えている人たちが極めて大きな決定力を持っている。いや、“常識”とされていること自体、“非常識”であるにも関らずまかり通っている。例えば経済成長神話や技術解信仰がそうだ。また、経営コンサルタントの船井幸雄に象徴的に見られるように、常識がもたらす破局的な未来の解決策として非常識・精神世界を持ち出す者もいる。一般に“原理主義”とは宗教の教義への原理的指向に対し用いられる言葉だ。だが、本稿ではより広義に原理主義解釈し、私たちの周囲にある非常識も原理主義として捉えることにする。
■キリスト教原理主義
昨年の9月3日、プロテスタントの牧師ポール・ヒル死刑囚に対し、死刑が執行された。彼は1994年に中絶手術を行った医師を殺害した罪で死刑を宣告されていた。こうした事件での死刑執行は今回が初てとなる。「中絶反対」はキリスト教原理主義者が掲げる中心テーマのひとつだ。他に「家族的価値の擁護」、「銃所持規制への反対」を彼らは強く主張している。中絶を認めないという立場は、意見としては理解するとしても施術した医師を殺すことは認めることができない。しかし、キリスト教原理主義者の中には聖書を掲げつつ殺人を犯す。アフガニスタン、イラクでは、彼らの後押しを受けブッシュ大統領はためらいなく虐殺を行った。なぜこうした殺人を彼らは容認するに至ったのか?キリスト教原理主義が成立する経緯を追うことで把握したいと思った。
現在ではイスラム過激派に対して称されることの多い「原理主義」は、元々はキリスト教に関する用語だ。1907年に設立したロスアンゼルス聖書研究所のパンフレットの名称が『諸原理(Fundamentals)』だった。これはキリスト教の中心となる思想を広める意味で作成された。当時はさして影響力を持たなかったが、時を経てキリスト教信者の中で過激な思想と行動を取る者たちが増えたことで「原理主義」という言葉も広まって行った。
宗教を過激に解釈する傾向は、どの社会でも起こることだが、取り分けアメリカではその傾向が強い。詳しく見るためには建国以来のアメリカ史へ遡らなければならない。1620年にアメリカに渡ったピルグリム・ファーザーズたちは、旧約聖書の出エジプト記にあるエクソダス(脱出)に自らの行動をなぞらえ、信仰が腐敗したヨーロッパではない地で約束された「神の国」を作ろうとした。リベラルかつアメリカ・インディアンの思想の影響を受けたワシントンらの反対で、合衆国憲法から原理主義的な色は排されたが、アメリカの原理主義の起点はここにある。
■世界の急速な変化が与えるストレス
19世紀まで長い間、原理主義の政治的影響力はさしたるものではなかった。それまで政治は偶像崇拝とみなされ、聖書の言葉通りに世界を理解しようとする者たちは反愛国的な態度を持っていた。産業革命を経た世界では、科学による発見が工業製品として物質化される。それらは生活の中に入り込み、また社会面でも生活環境を変える。次第に聖書を言葉通りに解釈することと現実との齟齬が拡大した。中でも進化論が登場は決定的な事件である。神によって創られた特別な存在であるはずの人間が、下等な生物から進化してきたという考えは彼らにとって容認しがたく、世界観の変更を迫る。信仰の基盤そのものを喪失する危機感が、信仰を先鋭化させたのである。
そして20世紀に入り転換を迎えることとなる。アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを守ることが彼らの神聖なる義務となり、愛国と原理主義が一体化していく。聖書の言葉通りの生活を送るならば、エネルギーや物質の過剰消費によって得られるアメリカ的生活は、忌避すべき対象のはずだが、そうした疑問は都合よく回避される。この前後に鉄鋼王アンドリュー・カーネギーやナポレオン・ヒルによって「成功哲学」が確立されていくが、その思想の源泉がアメリカのキリスト教社会にあると私は考察している。彼らは貪欲に富を追う一方で、慈善事業にも積極的である。巨万の富を蓄積した者の中には「自分が富を得ることができたのは神の思し召しである。何に富を使うかも神が認めたことである」と公言して憚らない者がいる。彼らの思想と行動を読み解く鍵を『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にてマックス・ウェーバーが与えている。単に貪欲さをカモフラージュするためだけの慈善ではなく、背景には社会的に浸透した精神があると考えられる。アメリカの権力者というと富のためには手段を選ばないという印象があるが、莫大な市場を生む可能性のあるヒトES 細胞の研究にブッシュ大統領が激しく反対している理由にも彼を含むキリスト教原理主義の精神が反映されている。
話を元に戻そう。聖典は一律に守られるのではなく、拘る箇所、無視する箇所は選択的である。これはどの原理主義を取ってみても同様の傾向がある。原理主義者は聖典や預言の時代の精神・社会のあり方に戻ることを理想とするので、必ず現在との軋轢が生まれる。自分たちに都合よく解釈することで、聖典の権威が失墜しないようにしているのである。彼らは社会の急速な変化についていくことができない。道徳の崩れや性の乱れも彼らが危機感と結集を強める原動力となっている。(この点こそ彼らとの対話の糸口となると思うのだ。キリスト教原理主義者の多くは、単に暴力的だったり、過激な主張をしているわけではなく、個人としては「いい人」が多い。しかし、自分が立っている位置を相対的に捉えることができず、異教徒には別人のような態度を示す。強い信仰に支えられているように見えるが、心の奥底には極めて強い現実への不安とストレスがある)
■権力に影響を与える戦略
70年代以降、政治への影響力を高めるために組織化が図られるようになった。“モラル・マジョリティ”を設立したジェリー・フェルウェルは2000万人にダイレクトメールを送り選挙活動を行った。現在、キリスト教原理主義者が集っている“クリスチャン・コアリション”では2000 万〜 3000 万の集票ができると言われている。TV ネットワークなど独自のメディアを持ち、TV 伝道師を通じて支持層を拡大する手法を取っている。現在、ブッシュ政権を支持していることからといって、彼らが元来の共和党シンパというわけではない。「自分たちの主張に合う政党を応援する」のが彼らのスタンスである。自分たちの主張が通りさえすれば、共和党でも民主党でもどちらでもよいのだ。現にクリスチャン・コアリションのパット・ロバートソンは民主党から共和党に鞍替えしている。
現在のアメリカの外交政策において、通称ネオコンと呼ばれる過激なエリートたちの影響力が大きい。彼らと関りの深いラムズフェルド国防長官やウォルフォウィッツ副国防長官らが政権入りしているが、ネオコンとキリスト教原理主義は一枚岩ではない。ネオコンは、強行的なスタンスでアメリカ式自由を、あくまでアメリカの覇権の元で世界に波及させることに狂信的な集団なのである。キリスト教原理主義者の求めるアメリカの「平和」を維持するには、圧倒的な武力が必要であり、ネオコンの荒っぽい手法と共闘しているだけで、元来は出自が異なる。ネオコンには3000 万票を集める組織力など望めないのだが、キリスト教原理主義者と共闘することで世界を脅かす力を持ち得るのである。
■イスラム原理主義
「イスラム原理主義」という言葉がメディアに繰り返し登場するので、イスラム教徒と言えば過激な宗教を信仰する人たちというイメージが定着してしまっているように思う。世界人口の約20%、世界の5人に一人はイスラム教徒だ。これほどの信者数がありながら、日本においてはメディアが作るイスラム像の影響が大きいと思う。911 同時多発テロ事件をきっかけに、イスラムへの誤解が拡大するのを避けようと努力している学者やNGO が、イスラム世界に関する勉強会を各所にて開催してきた。私もそうした会を主催し、自らの無知と偏見を改めて認識した。イスラムとキリスト教、ユダヤ教はそれぞれが唯一の神を信じる一神教だから互いに相容れないのだという見方がある。また、テロの根源にはパレスチナ問題があるという意見も頻繁に聞く。テロを実行する者たちの怒りと絶望は根深い。もちろん一般市民を巻き込むテロ行為を容認することはできないが、なぜ彼らがそのような行為に走るのか、またなかなかそこから抜け出せないのか、もう少し詳しく理解する必要があるのではないかと思う。
イスラムについて聞くうち、「多神教によく似ているな」という印象が残った。イスラムや中東情勢に詳しい板垣雄三東大名誉教授は「一言でイスラムを語れと言うならば、多くの信者から“タウヒード”という言葉が返ってきます」板垣氏によれば“タウヒード”とは“多元主義的普遍主義”という意味だという。仏教的な要素や多様性を認める態度がそもそも備わっているように感じた。最後の預言者こそムハンマドに限定しているが、キリストも仏陀も“ムハンマド以前の預言者”という解釈で、自分たちと関りのある者、尊重の対象にしてしまう。こうした性質があったからこそ、アフリカ大陸から東南アジアまで大きく文化が隔たるような地域でもイスラムは受け入れられ、それぞれ独自の形態を取るようになったのだろう。
■厳格な規律が過激な信仰へと転じている
しかし実際にイスラムの名の元にテロ行為を起す人たちは、信者全体からすると数千人程度、数%にも満たないが、コーランを引用して“聖戦”を呼びかけるので、あたかもムスリム全体が暴力的であるかのようなイメージを与えている。
板垣氏によれば「イスラム教は元来“原理的な”宗教」なのだという。しかしここで言う“原理的”とは過激であることを意味しない。テロを起すようなムスリム組織のことは“イスラム過激派”と呼ばれるが、日本やアメリカでは“原理主義者”と称することが多い。さて、イスラムにおける“原理的”とは?常に自己改革を迫る、原点に立ち返ることを求めるのがイスラム教なのだという。礼拝や断食などの“五行”なる儀礼ばかりが印象に残るが、現状に甘んじない精神の厳しい追及がある。イスラムは信仰のみならず、政治・経済・社会などあらゆる面でのルールを布いている。例えばイスラム銀行は、欧米・日本の銀行と異なり、利子を禁止していることが有名だ。貧富の格差を拡大させていくことを容認せず、喜捨の精神も行き渡っていた。イスラム教そのものによって成立している社会である。
ところが、そのような社会からテロが生まれている。しかも貧しい人たちが過激派に巻き込まれているというよりも、比較的に高度な教育を受けた人が、確信をもってテロを実行するケースが少なくないようだ。イスラム過激派によるテロは、アメリカを中心とする欧米のみならず、自国の権力者たちにも向けられる。ソ連のアフガニスタン侵攻に際しては、「神を信じぬ無神論者の侵略を許すな」という呼びかけにムジャヒディン(聖戦士)がイスラム世界から結集した。彼らの敵意はどこから発しているのか?その概要をつかむためには歴史を振り返ってみる。
■近代化への憧憬と嫉妬
ヨーロッパ近代の幕が開けるまで、世界で最も文化が発展していたのは他ならぬアラブ世界である。コロンブスが新大陸に到達するまで、ヨーロッパは閉ざされた世界だった。強大なイスラム世界に阻まれ、東に派遣を伸ばすことが当時のヨーロッパにはできなかった。その後、啓蒙主義や科学的・論理的思考を駆使し、産業革命を経たヨーロッパのアラブ世界との力の差は埋めがたいものになる。ヨーロッパ列強による植民地獲得競争、帝国主義の時代には中東もその軍門に下った。侵略が拡大するほどに「かつては自分たちの方が優れていたはずなのに」という鬱屈した意識が育っていった。ヨーロッパ近代の最大の成果は、科学技術の発展をベースとした強大な産業力を持つに至ったことだろう。それなしに世界を支配することは不可能だ。『原理主義 確かさへの逃避』の著者ヴェルナー・フートは、ヨーロッパと中東を分けた決定的な考え方として“啓蒙主義”を挙げている。今に至るまでアラブ・イスラム世界では啓蒙主義を受け入れることができていない、と指摘する。“啓蒙”とは宗教などの伝統的権威から人々の理性を解き放ち、事実に対し目を見開くようにしつつ進歩を求める思想である。啓蒙思想は科学
技術の発展を下支えする。聖典に書かれている世界像や聖職者の教えよりも、確認可能な事実を重視する。科学によってキリスト教の縛りをヨーロッパが克服できた理由は啓蒙主義があればこそである。
ヨーロッパに対抗しようとしたムスリムたちは、自分たちが後塵を拝している理由を“信仰の薄れ”に求めた。ムハンマドが預言を受ける前の世界、信仰が薄れたことによりジャーヒリーとよばれる無知と暴力が支配する無明社会に戻ってしまったという解釈が広まった。コーランには武力を容認するように解釈できる記述がある。しかし、それはあくまで自衛のための武力であり、ムハンマドは宗教を掲げて武力を用いることを禁じていた。キリスト教原理主義が聖書を都合よく解釈していることと同様、コーランも選択的に解釈されている。そうして初めて暴力に宗教の冠を被せることができる。
■エジプト、イランから原理主義の勃興を探る
原理主義者が生まれてくる背景は、イスラム世界の中でも特にエジプトとイランを取り上げることで輪郭がはっきりする。1928 年、エジプトにて後に様々な原理主義勢力を生むきっかけとなるムスリム同胞団が結成された。ムスリム同胞団は暴力に訴えることはなく、教育と信仰による社会改革を目指した。現在でも一方ではテロを起こす者たちが、政府の保障から無視されている人々への福祉や教育を担っている。スエズ運河の利用権をイギリスに支配されていたエジプトでは、イギリスへの反発と共に列強からの横暴に対し何も抵抗できない自国の政治家への反発が高まっていた。穏健な手法では侵略に対し対抗することができないと考える者たちは次第に武力闘争に身を投じるようになる。1948年にパレスチナ人を追い出しイスラエルを強行に建国したことがアラブ全体の激しい怒りと反発を引き起こした。
そしてヨーロッパからの独立を果たしたアラブ各国における政権の腐敗が人々の期待を裏切ってきたことも過激な文句に人々が引き寄せられる原因となっている。
サイード・クトゥブは「原理主義の父」と呼ばれる改革主義者である。彼は「ジハード」を暴力的に解釈し、「ジャーヒリー(無明社会)」との戦いを開始した。それまでジャーヒリーとは、イスラム教徒以外の状態を意味していたが、クトゥブはイスラム教徒の中にもジャーヒリーがあるとし、そうした人たちに対しても戦いを挑んだ。対象は前述したように主に強国にすり寄る世俗的な政治家だ。石油利権を欧米から取り戻した後も、富を独占する権力層に対する不満が募っていった。ムスリム同胞団が当時のナセル大統領によって非合法化されたことをきっかけに自国のジャーヒリーと戦うようになる。ナセルはソ連との関係を深め、科学的社会主義の実現を目指した。欧米の近代国家と対抗するには科学技術の導入が不可欠だった。しかし、ムハンマドの時代に戻ることを理想とするムスリム層からは、近代化=世俗主義であり、覆すべき対象に映る。しかし、近代化を達成できなければ強国と対抗することはできない。科学技術および産業を強化するために不可欠となる啓蒙思想にも反発がある。
第三次中東戦争でイスラエルに敗北した後、突然サダト大統領がイスラエルと平和条約を締結したことは、過激派のみならずイスラム世界全体の反発を招いた。サダトは欧米と接近することで産業の近代化を図ろうとしたが、国内ではますます貧富の差が拡大した。反対派を弾圧したサダトは1981年、イスラム過激派「ジハード団」のよって暗殺された。
■イラン革命
イラン革命はアメリカの介入への反発から原理主義勢力が拡大した典型的な事例である。1953年、欧米のメジャーに押さえられていた石油資源を国有化したモサデク首相が、CIAの策略により失脚しパーレビ国王の専制が敷かれた。民主的に選ばれた他国の政治家がアメリカの利益に反する行動を取った時、度々CIAを使って失脚させられている。イランの他にもチリのアジェンデ政権にクーデターを実行、アメリカに都合のよい者に国を支配させるのがこの帝国の常套手段である。反発しない方がおかしい。当然のごとくイランでは反米感情が高まった。パーレビは市民を徹底して弾圧。反米・反政府の感情が高ぶっていく。その際に人々を結集するための軸となった人物が宗教指導者ホメイニ師であった。1979
年、フランスに亡命していたホメイニ師の指導でイスラム革命が実行されパーレビ体制は倒れた。イスラム過激派に対し「イスラム原理主義」という呼称が使われるようになったのは、この革命の衝撃が大きかったからである。そしてホメイニ師は革命の「輸出」を指示。スーダンとアルジェリアに波及したが、ホメイニの師によりイスラム革命は沈静化した。革命の拡大を恐れたアメリカはイラクのフセイン大統領に肩入れし、怪物にまで育て上げたがフセインの後の処遇はご存知の通りである。
■オサマ・ビンラディンに何が投影されているのか
ビンラディンについては911 以来、多数の本が出版されているので詳しくはそうした本を参照していただくこととし、ビンラディンおよび彼の元へと集うものたちの性質について考えてみたい。よく知られているように、ビンラディンはサウジアラビア屈指の富豪の家に生まれた。父親はビンラディン・グループを創設し、建設業で財を成しており、ビンラディン個人としてはお金に困るような処遇にはなかった。しかし、彼はアルカイダ、イスラム過激派のトップにまで登りつめ、テロの恐怖に世界を陥れている。ビンラディンがアメリカおよび彼の生まれたサウジアラビアを激しく憎むようになった理由は、湾岸戦争においてイスラムの聖地のある母国に、異教徒の軍隊を駐留させたことがきっかけとなっている。また、アルカイダに集う青年に、概して高学歴、中流階級の出身者が多いことも特徴である。911 の実行リーダーとされたモハメド・アタもドイツのハンブルク大学で都市計画学を修めた秀才である。
よく「テロの原因は貧困にある」という、経済のグローバル化の負の側面を原因とする意見を目にする。それ自体は間違ってはいないと思うが、人間にとっての重要な側面を見逃しているように思う。私はテロに至る重要な原因のひとつに“誇り”があると考えている。ヨーロッパをはるかに凌いでいたはずのイスラム世界が、物質主義と異教徒によって貶められていることへの怒り、欧米のみならず自国のリーダーたちにまで踏みにじられた“誇り”が根底にあるように思えるのだ。本稿を書く際、参考にした『原理主義とは何か』(講談社現代新書)の著者、小川忠氏も同様の意見を持っているようである。小川氏は80 年代にエジプトの刑務所で行われた調査結果を紹介している。原理主義組織の受刑者の多くが20代前半の若者で、中産階級の出身であり、そして科学や工学の教育を受けていたという。
■大国の横暴への対抗として
アフガニスタン、イラクへの実質的な侵略戦争のみならず、大国の利益にかなうようにコントロールされているWTO、世界銀行、IMF が引き起こしている問題を解決しようとする場合、即座に歯止めをかけられる手段はない。多数の国の政策決定者が市民の後押しを受け、連携し、そして大国の横暴に歯止めをかけるという以外に方法はない。しかし、そのためには長い時間を要する。この先も看過できない数の人々が犠牲になることは避けられない。テロによって問題が解決するなどと実行者も考えているわけではない。しかし、彼らはテロに走る。大国の報復、そして恐怖のループへと世界を動かしている。小川氏は「西洋によって貶められているという屈辱感。根底にあるのは、この感情だ。(中略)いかに国際社会が中東イスラーム世界の開発に巨額の資金人材を投入しようとも、彼らの傷ついた自尊心を回復させるための対策を講じなければ問題の根本的な解決にはならない」と述べている。
■日本で過激な言動が支持を増やす理由について
日本においても「新しい歴史教科書をつくる会」をはじめ、欧米および左翼思想によって踏みにじられたプライドを回復させることを意図し、史実を大きく捻じ曲げて解釈する過激な言動が目立つようになっている。彼らに「あなたたちの考え方は間違っている」といくら説得したところで、本当の意味での対話にはならない。傷ついたプライドをゆっくりと回復させられるような器が対話を試みようとする者に求められている。しかし、残念ながら「運動」を称する言論の多くが、問題指摘に留まっており、かえって相手の敵意を掻き立てている。
イスラム世界の原理主義との大きな違いは「私たちの先祖は、西洋で生まれた科学技術を自分たち流に取り入れることに成功し、そして大国にまでのし上がった」というプライドを持っていることである。大国であり続けようという態度、それ自体が「強い経済、強い企業、軍事力」を求める。その結果、国内の貧富の差はますます拡大し、社会的な不安もいっそう拡大するのだ。しかし、彼らの誇りを昇華させられるだけの提示ができなければ、社会の不安が煽られるほどに右傾化していく人々が増えてしまうだろう。私たちの智恵が問われている。