まだやるの?編 第12回

 汁かけご飯(その3) 「行儀悪い」は「大食いさせない」ため?

<写真を拡大>伊予のさつま(ミルフォードさん提供)

 某日、同人有志が某寿司店で飲み食いしたとさ。様々な話題が出た中で「とろろ汁やカレーをかけたご飯を汁かけご飯に含めるのはおかしい」という意見が出たとさ。

 「そうだそうだ、サバ缶の汁やひじきの煮汁をかけたものは汁かけご飯ではない。やはり味噌汁や吸い物をかけたご飯について論じるべきである」という賛成意見があったとさ。

 「いやいや、これは汁かけ論におわるのではないか」という声もあったとさ。

 私は当サイトのテーマについてこのような激論が交わされたこと自体が嬉しいのさ。

 テーマを予告したときに紹介した「はまだ」さんからのメールは「ご飯vs味噌汁・すまし汁」を前提としての問題提起であった。したがって本テーマの基本はこれである。

近所のスーパーをのぞいたら…

 しかしながら同人の皆さんの頭の中で「汁一般」へと思いが広がっていくのはじゆ〜だ〜。じゆ〜だ〜と叫んでいた芸人さんがいまどうしているかは知らないが、ともかくじゆ〜だ〜。

 「話がどこに行ったかわからない」とならない程度に脱線もしてみたい。

 さてと、横手B-1が近づいてきた。

 近所のスーパーをのぞいていたら、このようなものがあった。B-1グランプリinYOKOTE 開催記念商品である。買ってきて家で作ってみたら、このような美しいものができあがった。

 改めて横手大会のプレスリリースを読み返すと、見落としがあった。B-1のほかに秋田県主催のA-1フェスティバル、横手商工会議所などが主催するC-1カーニバルがあるのは知っていたが、なんとD-3サミットというものも併催されるという。

このような美しいものができあがった!

 横手市内の飲食業組合の協力を得て1人3000円で飲み食いできる企画である。ということは協力店に行けば3000円で鯨飲馬食ができるのであろうか。そこまでいかなくとも、何かいいことがありそうな予感がする。

 今回、現地リポートは私の仕事になるが、そんなに回れるのであろうか。

 では本題の汁かけご飯。韓国ではどうなっているのか問題である。

「スプーン文化ならではの飯と汁の融合」(すりょんさん提供)

ご意見 韓国では「汁かけご飯」のほうがむしろ正統な食べ方だと思います。韓国語には「マルダ」という単語があります。これは、「汁かけご飯にする」という行為を表してしまう素晴らしい動詞です。「ご飯はちゃんとスープに『マルダ』して食べなさい」といったような感じになるでしょうか。
 『朝鮮語大辞典』(角川書店)という辞書での「マルダ」の語釈は「御飯や麺などを汁の中に入れる、御飯や麺などに汁や湯をかける」となっていて、補助情報として「朝鮮では汁と御飯を混ぜ合わせて食べるときには汁の器の中に御飯を入れるのが一般的である」と明記されています(お名前ありません)


 あっちには「汁かけご飯にする」という動詞まである。どうして?

 そして「汁の器の中に御飯を入れるのが一般的」。日本のトンネル関係者と同じである。

韓国のご飯の容器は金属製でかつ容量が小さい(すりょんさん提供)

ご意見 韓国在住ではありませんが40回以上通っていますので、印象の範囲ではありますが、下記のようなことがいえるのではないかと思います。
 1)「ご飯に汁」ではなく「汁にご飯」が基本
 クッパなど、あらかじめご飯がよそわれた上に汁を注いだり、ビビンバにスプーン1〜2杯の汁を回しかけたりすることはありますが、汁の器にご飯を入れるのが基本です。
 理由として個人的に考えるのは、韓国のご飯の容器は手で持ちあげないので金属製でかつ容量が小さく、そこに熱い汁を入れると容器を安定させるために添える指ですら熱くて火傷をするからではないかと
 2)スプーン文化ならではの飯と汁の融合がある
 器にどちらかを投入してしまうのではなく、スプーンにご飯を適量取り、それを汁の中にちょっとひたして食べるのも結構みかけます(すりょんさん)


デスク じゃ、ヨン様もチャングムも家では「ずるずる、ずーっ」って食べているってこと?ショック!

野瀬 いやいや、スプーンからご飯が音もなく口に流れ込んでいる。飯流。

いよさつま定食(松山の坂本さん提供)

 松山の坂本さんからのメールは、汁かけご飯に関する各種文献の引用集。よくぞ集めてくださった。その中から『韓国の食』(ファンヘソン・石毛直道著)の一部を。

 「両班(りゃんぱん)らしく食べようと思ったら、ガッと食べないんです。それから、おつゆをご飯にかけるということはしません。おつゆは、いちばんはじめの試食のようにお匙で飲んでもいいけれど、ご飯と一緒に食べたいと思ったら、ご飯をおつゆに入れるんです。

 石毛『つまり、汁かけ飯にしたらいけないんで、ご飯をつねにスプーンですくって、汁の中に入れて食べる』

いよさつま定食(松山の坂本さん提供)

 おつゆをみんな飲みたくて、ご飯を入れて食べたいと思うときには、ご飯を入れて、おつゆごとすくって食べるんです。そのときに、途中で匙を置いてお箸でおかずを食べてもいいんです。で、おつゆをみんな食べてしまうとその器は下ろすわけです」

 まさしく「すりょん」さんがおっしゃるようにスプーン文化。これは箸では不可能。やろうと思うと、汁とご飯を同時に口に入れるには器に唇を持っていって「ずるずる」か「わしわし」になる。

 いや、それ以外の方法がある?


我が家の「落としブタ」(本文と関係ありません)

ご意見 皆様が汁とご飯とを混ぜられるのは、椀(茶碗or汁椀)の中でだけなのでしょうか?私の場合は、椀の中では混ぜません。
 では、どうするか。ご飯を口の中に放り込んだまま、都度、その分に合う量の汁を口に…うまー! 麺類であればレンゲで汁をすくって口に運びますし、汁物や煮物であれば、器をそのまま……。こういう方式は「汁掛け」「ご飯投入」に次ぐ「第三勢力」』とか言われるかも知れません。
 汁を先に口に…は、汁がこぼれるので致しません(防人さん)


 腹に入ればみな同じ。

 で片付けてはいけない。何事にも理由はあるはず。ここで考察メールを2本。

ご飯茶碗はくちづけ禁止?

ご意見 ご飯に味噌汁などをかけるのはNGで、ご飯を汁の中に入れるのは許容する人が多いのは器の性質によるものと思います。
 ご飯茶碗は原則として直接口をつけるものではありませんが、汁椀は口を付けてよいという違いがあります。
 器に口をつけてよいか否かについては時代とともに変化がみられ、かつては可だった日本そばの丼にラーメン丼と同様にれんげが付いてくる例が増えてきました。外食では器に口紅を付けられると手間がかかるため全体として「くちづけ禁止」の方向に進んでいるようで、ご飯茶碗に汁をかけるのは将来にわたって市民権を得られないと思います。
 卵かけご飯が上品な食べ物と思われていないのはこれも理由の一つと考えられます(リスクコミュニケーターさん)


 日本人は食器を手に持つ数少ない民族である。食器を並べるものとして、まず折敷(おしき)があったが、これは床に直接置いたから食器を手で持ち上げないと食べられなかった。正座して短い足がついた銘々膳で食べるときにも、持ち上げる必要がある。

 それに箸を使うから汁ものは器に直接口をつけないと飲めない。

 ここがスプーン文化との違いである。リスクコミュニケーターさんの考察は、まさにこの点を踏まえた見解。

スープ入り炒飯

ご意見 幼少のころから感じていた疑問が一つ。それは(汁かけご飯は)「なぜ行儀が悪いのか」ということです。考えられるのは、どうしてもお茶碗に直接口を付けてご飯をすすり込むことが多くなるので、それを避けるためということがありますが、それは、その行為自体をさせなければすむことです。
 この10年ほど前から考えていることは「たくさん食べさせないための方便」ではないかということです。
 江戸時代は、武士も農民も貧困なるが故に大食を避けることが美徳とされて来ましたし、良くかんで食べるということも、健康法であると同時に、少量の食料で満足感を得る方策です。
 豊かさの上にその文化が成り立っているほかのアジア圏各国において、汁かけ飯が忌避されることがないのを見ても、これは日本の文化が生み出した独特の習慣ではないかと思います(ヨ飯喰らうぜさん)


 確かに「最後のひと口が入らない」というような場合に、汁かけご飯に救いを求めることがある。汁かけご飯だとすいすい食べてしまうので、大食を戒める意味でNGになったとの考察であった。

デスク そう言えば、体重100キロを超えていた祖父は汁かけご飯が好物だったそうで、「ご飯の方から、喜んで喉を通っていっちまう」と言ってたとか。

野瀬 ウーロンハイの方から喜んで…いかん、酒を減らさねばーギブアップ。

 これまでは食べる側からの見方。では農村方面からはどんなご意見が?

塩もいりません

ご意見 私の会社に、山口の稲作農家の倅がおりまして、その彼曰く「ご飯は、そのままで食べるのが一番美味しい。なのに、ご飯に汁をかけるとか、卵をかけるとか、丼モノにするなんぞ、邪道の極みである」。
 私の高校時代、試合の後の打ち上げで喫茶店に立ち寄った際、皆でスパゲッティとかカレーとかを食べ、食べ盛りの高校生ゆえお代わりとしようという話になりました。違う種類のスパゲティとかカレーを注文したのですが、おカネを潤沢に持ち合わせていなかった私は平然と「ライス」を注文しました。
 ウェイトレスさんは怪訝な顔をして「塩を持ってきましょうか?」というので、私は「いりません」と答えたら、仲間たちから「お前はおかしい! 普通おかずなしにご飯なんぞ食べられるはずはないし、まして塩も要らないなんぞ言語道断である!」と厳しく糾弾されました。「だって、ご飯だけで美味しいもん… それに安いし…」と言い訳しても聞き入れられませんでした(ミーメさん)


 汁もの、おかずどころか塩さえいらないという話。

 先日、息子の友だちG君が我が家に晩ご飯を食べにきた。炊事当番であった私は多めにご飯を炊いていたのだが、G君の食欲は並ではなく一粒残らずなくなった。G君が言うには「ご飯は別腹ですから」。

中華粥

ご意見 ご飯がおいしい新潟でも保温機のない昭和の時代は、炊き立てから時間が経てばご飯は固くなりそのまま食するには抵抗があったと思います。
 だからこそではと察しますが、残ったお味噌汁にご飯を入れて煮た「おじや」が小さいころのお昼の定番でした。父親を早くに亡くした私にとって、勤めに出ていた母親に代わってお昼に面倒を見てくれていた祖母の「おじや」は懐かしい思い出の味です。
 祖母は、最後に卵を入れてから卵のかたまり具合にこだわりを持っていました。ちょっと生の状態がベスト。ご飯が味噌汁を吸収しかなりぶよぶよになって、卵でとじるようにするのがおじやの特徴と思っています(やっぱり朝はパンよりごはんさん)


 優しいおばあさんの、優しいおじや。私はおやじでごめんなさい。

 ここにも同じような光景が。

南予の鯛めし(ミルフォードさん提供)

ご意見 特異な汁かけご飯の体験といえば祖母が健在であった20年以上前によく一緒に食した「カレイの骨汁」です。「骨汁」とは勝手に家族が言っていただけで他の人は言わないと思います。
 祖母はカレイの煮物が好きでした。魚を食べ終えた後その残骸にお湯をかけ、骨をキレイにとってそれを飲んだり、ご飯にかけるのが好きでした。私も一緒にやりました。たまに骨が引っかかるのが難点でした。
 骨汁といってもカルシウムが豊富ということはありません、当たり前ですが。
 祖母は骨粗しょう症になりました。祖母の体調が思わしくなくなってから、一緒に食事をすることもなくなり「骨汁」もやらなくなりました(横浜市  YKヒルビリーさん)


 優しくて、ちょっぴり胸の奥が酸っぱくなるようなお話。

 魚の缶詰の人気が衰えない背景には「プルトップ型だとお年寄りでも簡単に開けられる」「骨までやわらかく食べられる」というのがあるそうな。

 初回に北茨城では「おずよかけご飯が普通」というメールを紹介した。

おこげ入りスープ

ご意見 茨城中部の水戸周辺では、ふつうに「おつゆかけご飯」と言っていたので、きっと北に行ってなまっただけでは?
 水戸でもお味噌汁をご飯にかけるのは、行儀悪いと言われました。でも、おいしいのでやってましたが(のべさん)


 ということで茨城では一般的?

宮崎県の冷や汁(ちりとてちんさん提供)

ご意見 私の故郷である福井県の郷土料理に「ぼっかけ」(または「ぼっかけ汁」)というものがあります。私の地元ではなく奥越地域の郷土料理なので私は実際に食べたことはありませんが、ごぼうなどの野菜の煮物を汁ごとご飯にかけるようです。結婚式の最後に食べたりするみたいですよ(みずきさん)


 「ぼっかけ」は福井県の郷土料理。福井県にも汁かけご飯の伝統があった。

 牛筋とコンニャクを甘辛く煮た兵庫県の「ぼっかけ」は別物。

 郷土料理ということは、歴史を遡る伝承料理ということでもある。

汁かけカツ丼(いけずな京女さん提供)

ご意見 汁かけ飯と言えば、戦国武将の逸話が有名ですね。かの北条氏康とその息子の氏政が食事をしていたとき、氏政が汁を一度、飯にかけたが、汁が少なかったのでもう一度汁をかけ足した。
 これを見た氏康が「毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れんとは。北条家もわしの代で終わりか」と嘆息したというものです。
 このような逸話があるということは、かつて、日本には汁かけ飯のタブーはなかったということなんでしょうか。「大衆食堂の詩人」として知られる遠藤哲夫氏は、その著書『汁かけめし快食學』のなかで、汁かけ飯が下品だとしてタブー視されたのは、明治以降ではないか、と述べておられます(まきゃとしさん)


 各地に汁かけご飯が伝承料理として残っているということは、昔から広く行われていたことを示唆している。

 それが作法、行儀、箸の文化の制約やげんかつぎなど様々な理由によって「やってはいけないこと」のひとつになったのではないだろうか。

 しかし行儀のよし悪しと美味い不味いは別の問題。いつの世も美味さの誘惑に勝つのは難しい。

デスク 「誘惑が去ってしまわないうちに、誘惑に負けようではないか」(エピクロス)ということもありますし…。

野瀬 酒を減らそうと頑張っている人間を前にしてナンチュウことを…。

赤い液体

ご意見 両親共に3代以上東京という家庭に生まれ育った私ですが、汁かけご飯には多くの皆さんと同じ習慣がありました。曰く、「ご飯を汁に入れて食べる」です。逆は無作法と怒られました。
 最近の好みは近所に出来たセルフスタイルの讃岐うどん店でうどんを啜った残りのお出しにオプションで付けた昆布のおにぎりを投入し、ほぐして食べるというもの。高校の横(文京区なんですが)にあった讃岐うどん店でうどん啜り終わったお出しにライス入れて食べていたのが現代に復活しました。
 お出しが真っ赤になるまで赤い粉を振りかけるのがポイントです(こばりんさん)


 赤い粉、反対!

カルビクッパ

ご意見 幼いころから好きなのが茶碗蒸しご飯。まずエビやシイタケなどの具を食べて、残った卵をご飯にかける、もしくはご飯を入れる。我が家の茶碗蒸しは出しが多めなので、できるのでしょうか?
 卵丼つゆだくバージョン??(三十路の名古屋嬢さん)


 山口の稲作農家の倅は怒るであろう。

 でも美味いだろうなあ。

インスタント汁かけ飯.(いけずな京女さん提供)

ご意見 汁かけご飯はあまり食べませんが、シチューライスは大好物です。クリームシチューにご飯を投入して混ぜるだけですが、美味いんだなこれが。
 我が家では子どものころから食べてました。親も何も言わないどころか、むしろ推奨していたぐらいで。
 ただこのシチューライス、汁かけご飯と同様激しく賛否がぶつかり合う代物でして。実行するのはプライベートな空間にとどめておくのが無難かと(おにぎりさん)


 オーブンで焼く前のドリア。

今日の晩飯。残ったスープにご飯。美味い!(らーらーさん提供)

ご意見 10年以上前でしょうか、福岡近辺の「金龍」というラーメン屋に「ねこまんまラーメン」というメニューがありました。 一見、普通のトンコツ白濁スープのラーメンなのですが、麺の下を探るとご飯がぎっしり敷きつめられているという驚愕のメニュー。「一杯で二度おいしい」といったキャッチコピーがつけられていたのをうっすらと覚えています。
 しかししばらくすると姿を消し、挑戦できないままになってしまいましたが、最近になって一部店舗で復活しているという噂が。
 店の公式ホームページには載っていないようですが、九州一円にチェーン展開しているようですので、九州在住でねこまんまフリークのかたはぜひ挑戦してみてくださ(みんみん(♂)さん)


 ここでは「ねこまんま」という表現になっている。先週も紹介した「おとなの ねこまんま」というレシピ本も、汁をかけたご飯の類を「ねこまんま」と言っている。私にとっては「わんこ飯」なのだが。

ねこまんまは鰹節?

ご意見 汁かけご飯ですが、ねこまんまとの呼び方には違和感を覚えます。私もねこまんまとは、いけずな京女さんがご指摘のように鰹節をかけたものと定義しています。
 しかし、私の周りにも汁かけご飯をねこまんまと呼ぶ人間も相当数存在します。地方での差異だとも言い切れない気もしますので、そのあたりの考察もぜひお願いしたいところです(甲府のかんたさん)


 ということで話は「汁かけご飯は果たしでねこまんまであるのか、わんこ飯であるのか」という問題に逢着した。別に逢着してもどうということはないのだが、ひとつの食べ物、食べ方を個人によって異なった呼び方をする事例にぶつかるとほおってもおけまい。

謎の隊員梵ちゃん 「ねこ」か「わんこ」か、わんこには重要だ。

 次回は最終回だが、この問題について思うことがあれば書いていただきたい。

真っ赤っかなラーメン(中林20系さん提供)

 先週も今週もいただいたメールのごく一部しか紹介できずに、申し訳ないことである。ごめんちゃい。

アミー隊員 たくさんのメールありがとうございました! 写真も付けていただけるとうれしいです。

 中林さん、正解です。横浜のクレヨンさん、ありがとうございます。らーらーさん、そういうお仕事でしたか。宮古のアラサーさん、イルカはあくまで旧東海道沿いのことということで。てれび戦士さん、「本格的に生産され市場を確立したものとしては世界初」でしょうか。

 ではまた来週。新型インフルエンザの初期症状と軽い宿酔の症状が似ているという話があるので、十分に気をつけたいものである。

(特別編集委員 野瀬泰申)

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