私が遠藤氏の論文について意見を述べたのは、科学論文としての価値に疑問をもったからである。遠藤氏の解析結果の妥当性については、まったく異議を唱えていない。それゆえ、「(論文としてではなくインターネット上での公開ならば)科学者として「STAP騒動」の解決に向けて貢献したことになる」と述べているのだ。この点を理解していれば、「遠藤氏の論文は「科学的視点」としてではなく、「政治的意図」で審査された可能性」という文章は、「科学論文の価値が考慮されなかった可能性」を指摘しているのであり、「結果の妥当性を疑問視したものではない」と読めるはずである。
論文の価値については、10月19日のブログで「手法の「有用性」を示す必要がある」のではないかと述べた。そして、これについては、「専門家の方が見ていたら、ぜひ意見を聞かせていただきたい」と述べたが、いただいたコメントはおそらく非専門家からのものであり、残念ながら私の考えを変えるような説得力のあるものはなかった。「残念」氏は「研究をしていればコンタミネーションの問題は常に付きまといますし、サンプルの取り違いも起こりえます」と述べているが、少なくとも私が所属してきた研究室で、B6マウスと129マウスの細胞が混じったことはない。コンタミネーションが問題となるのは、動物細胞培養時に微生物がコンタミすること以外では、臓器由来の細胞を単離している時くらいだろう(Feeder細胞のコンタミについては、10月15日のブログで述べた) 。しかしながら、その場合は同じ動物由来の細胞なので、SNP(一塩基多形)解析では細胞のコンタミネーションは分からない。「サンプルの取り違い」も、実験の再現性を取っていれば必ずわかるはずだ。通常2回は追加実験をするので、結果が矛盾する。3回とも「サンプルの取り違い」をする人間は通常いない(小保方氏ならありえるかもしれないが)。
「「バイオインフォマティクス」の分野では、「共同研究でスタイルを確立しているタイプの研究者」は欧米でもかなりの割合でいるのだろうか?」という疑問に対しては、「ヨーロッパ在住ポスドク」氏から「むしろヨーロッパの方は、ファシリティがしっかりしている分、共著者だけで生きている人が多いですよ」という答えが来たが、私が尋ねたのは「研究を選択できる権限を有した科学者で、共著論文だけの研究者が欧米にいるのか」という意味であり、質問を正確に理解していない。私自身の言葉の足りなさも少しはあったかもしれないが、10月19日の記事を読んでもらえば、「研究者」は上の意味で使われていることはわかるはずだ。企業にも「バイオインフォマティクス」分野の「研究者」はいる。ただし、プロジェクトの選択権が極めて制限されているので、ここで指す「研究者」とは異なるのだ。「テクニシャン」もまた同様だ。
「彼らをテクニシャンに過ぎないという暴言を吐いたら、それこそ大非難を受けますよ。気をつけるべきですね」というコメントであるが、「過ぎない」という言葉はやや軽卒であったかもしれない。しかしながら、私はけっして「テクニシャン」の地位を軽んじているわけではない。特にヨーロッパでは高い技能をもった「テクニシャン」が、科学の発展に大きく貢献してきたことは知っている。ただし、彼らは「研究を選択できる権限を有した科学研究者」とは、職業コース(トラック)が異なっているのだ。研究の自由度が制限されている代わりに、彼らの雇用は研究者よりもしっかりと守られている。これは米国でも同様だ。一方、科学研究者は、原則として個人の自由な発想の下に研究を展開する権限を有するが、その代償として雇用が不安定であったり、研究費を獲得できなかったら研究室を縮小、最悪では閉鎖されてしまう。ほとんどの「テクニシャン」にはそういったプレッシャーはない。
STAP問題は「日本の科学研究の信頼が問われる大問題」と述べている人もいるが、私はそうは思わない。前にも述べたが、STAP問題で日本の科学者の質に疑問を呈する外国人研究者は皆無といっていいだろう。もしそのように言われている日本人ポスドクが海外にいたら、それは単にからかわれているだけだろう。ノーベル賞を受賞した中村修二氏が、米国の同僚研究者に‟スレイブ・ナカムラ”と呼ばれたという逸話があるが、特に米国人は、それほど深刻に思っていないことでも「話題」として「自分の主張」を口にすることがある。
私が今の日本の科学において深刻な問題だと思う事は、一つは前に述べたように、偏った研究資金の配分の問題であるが、もう一つは、研究への努力や成果とその見返りのバランスが崩れているということである。社会制度は「ハイリスク・ハイリターン」、「ローリスク・ローリターン」であるべきなのに、研究の世界では「ハイリスク・ローリターン」、「ローリスク・ハイリターン」が多々起こっている。つまり、不安定なポジションにいて、論文を発表していても研究職に残れない人が多くいる一方で、安定したポジションにいるのに、第一著者あるいは責任著者として論文を発表する努力を怠っても何も不利益とならないことだ。米国の大学においては、理系研究者は数年間研究費を得られなければ、例えテニュア(地位保証)を獲得していても研究室は閉鎖となる。また理工系の学部では9〜10ヶ月分の給与しか所属機関から支給されないので(医学系は12ヶ月分支給されるところもあるようだ)、研究費を得られなければ、サマースクールの講師を勤める等によって給与を補填しなければならない。一方、日本では論文を出そうが、出すまいが給与は一緒であり、昇給も毎年行われる。
「科学研究者」を名乗る以上は、「能動的に活動し、第一著者あるいは責任著者として論文を発表すべきである」というのが私の考えだ。それが、研究の自由を与えられた人間の責務だと思っている。すべての研究者が必死に努力して論文を発表していれば、研究職を得られなかった博士の不満も少しは緩和されるであろう。勿論、「高学歴ワーキングプア」の解決にはならないが、それが科学コミュニティに対して、各科学者が個人として行うべき最低限の貢献である。
「遠藤論文に科学者としての意見を述べるべき」という声があるので、それには一応答えておく。私が一番興味を持ったのは図1Bである。以下に遠藤論文より転載しておく。
左は129とB6の交配でできたマウスから取り出した胚性幹細胞(ESC)、真ん中は129/B6マウスから作った誘導多能性幹細胞(iPS細胞)、右は129/B6マウスから調製した胚線維芽細胞(MEF)である。ESCは129由来mRNA量とB6由来のmRNA量が同じなので、50%の位置にピークが生じている。やや不思議なのは、右のMEFでは0と100%にシグナルがあることである。この事は、ある種のmRNAは129由来遺伝子のみから(0%)、あるいはB6由来遺伝子のみ(100%)から作られていることを示すはずである。これは実験上のエラーから生じたのかもしれないが、それはさておき、問題は真ん中のiPS細胞である。これは明らかに、B6由来遺伝子のみから作られているmRNAが多い(90〜100%で強いシグナル)。この点を遠藤氏はこの結果を以下のように解釈している。
The iPS cells generated from 129B6F1 had more homozygous SNPs of B6-type alleles. Although, as noted earlier, this may be the result of cellular contamination or this could be the result of differences in the properties of the cells used in the two experiments, there is also the intriguing possibility that the experimental process induced a transition of genotypes. As iPS cell engineering has been reported to induce genomic and/or epigenomic instability (Hussein et al. 2011; Chang et al. 2014), it will be important to examine allele frequencies of iPS cells in future studies.
つまり、「コンタミネーション」と「2つの実験で使われた細胞が違う」という可能性を述べた後で、興味深い可能性として、「iPS細胞誘導時に遺伝子のタイプが(129からB6へと)変化した可能性」を指摘している。そして、その可能性を支持する論文(iPS細胞化によって遺伝子(やエピジェネテック)が不安定となる事)が発表されていることを述べ、この点を将来調べるべきだと結んでいる。
しかしながら、これは「将来問題」としてはいけない点を含んでいる。なぜなら、iPS細胞の解析結果は、細胞が初期化される時にB6系統へ遺伝子の発現パターンが偏る可能性を示しているからだ。そうだとすると、STAP細胞では「酸にさらす」という、iPS化よりも過酷な条件で初期化させているわけであるから、遺伝子発現がほとんどすべてB6系統に変わることもありうるということだ。遠藤氏の論文の結論の一つは、「129とB6の交配でできたマウスから作られたSTAP幹細胞(FI-SC)のmRNAの発現パターンは、ほとんどすべてB6細胞であり、それは矛盾する」ということだと思うが、iPS細胞の解析は「それは起こりうる」という可能性を示唆している(勿論、これは「可能性」だけの話であり、私はそれが起こっていたとは推測していない)。
以前報告され、そして遠藤氏の解析で示された「iPS細胞化の過程で遺伝子が不安定化する可能性」は、今回のSTAP騒動とは関係ないが、iPS細胞を治療に使うことに対して注意を払うべき点であろう。この問題を「将来の問題」とせずに、iPS細胞の解析を詳細に行えば、科学研究論文として十分な価値があったかもしれない。
コメント
コメント一覧
・なぜブログで結果を発信したのかという問いに対して
「科学者としては論文として発表すべきで、今考えると少々良くなかったと思う」
・未発表のデータを発表する考えはという問いに対して
「新規性がないので、論文にするのは難しい。もとの論文が撤回されていなければ意見をだすことは不可能ではないと思うが、今となっては出す場がない」
とのことです。
メディアで先にブログレベルの内容を発表したことは、科学者としてどうかとは考えれていないようです。
今後の新たなる(TCR再構成の有無に関する本命の)論文は期待できなさそうで、残念。
『私の定義では、「研究者」とは、自然現象に興味を抱き、「主体的」にその原理を解明することを意図している人間のことを指す。』
と定義しているが、今回のエントリーではいろいろと定義の条件が増えて限定されておりますね。
後付けはややこしいです。
そして筆頭著者でも主体的に原理を解明する意図のない人なんていくらでもおりますよ。
あと、iPSについて結論は出されていないのは確かですね。
しかし本論文でFI-SCをコンタミだと結論付ける上で、最も直接的なのはFig4のデータかと思います。
Gene-by-gene representation (Fig. 4B) and whole-SNP analysis (Fig. 4C) showed that FI-SCs shared TSC-specific SNPs.
もっとも重要な「FI-SCはコンタミである」 という今回の結論が妥当か否かを論じたいですね。
「STAP細胞では「酸にさらす」という、iPS化よりも過酷な条件で初期化させているわけであるから、遺伝子発現がほとんどすべてB6系統に変わることもありうるということだ。」
とブログ主は言いますが、これは仮説の上に仮説を乗っける例ですが、酸に晒すのはマイルドな処理じゃなかったっけ?というのが一つ目の感想です。
そしてサプリに載ってるSTAP Cellのデータでは50%を示してますがそれも含めて議論してほしいです。偏ってるのはFI-SCだけなので。過酷な条件云々で説明が付きますかね。
ただ、このブログのタイトルは「一研究者・教育者の意見」で、「一研究者」とはブログ主のことであり、ブログの中で定義された「研究者」はブログ主にぴったり当てはまらないといけません。
ブログ主がブログの中(自分の世界)だけで定義されたことに、ブログの外の人間は従う義務はありませんが、ブログ主だけは従う義務があります。
しかし、ブログ主が匿名であるため、ブログ主の定めた定義にブログ主が従っているかを知る手段はブログ主以外にはありません。
そういう定義をしている人を、世間は「研究者・教育者」と呼ぶのでしょうか。
あと、もう研究したってたいして成果が出ない研究者が老体に鞭打って、とりあえず何か論文出したからって、アカプアが救われるとでも言うのでしょうか。
そんなの、その人の自己満足ですよ。
自分はこれだけのことをしたからアカプアの不満が少しは緩和されるだろう、なんて思うこと自体、傲慢のきわみです。
ご意見をいただいた本人ですが、難癖をつけられているな、というのが正直なところです。
ご質問があれば直接ご連絡をいただければ科学的な面についてはお答えできましたが、メールボックスには見当たりませんでした。
率直に申し上げてご批判のただ一つも科学的に答える価値は見出せませんでした。
特に
>そうだとすると、STAP細胞では「酸にさらす」という、iPS化よりも過酷な条件で初期化させて
>いるわけであるから、遺伝子発現がほとんどすべてB6系統に変わることもありうるということだ。
これはあまりにも無理矢理な理屈だと思います。
まず酸に晒すのがiPS化よりも過酷な条件だというのが何の根拠も示されていません。
また上記の言明が非科学的であることのごく簡単な例をあげます。129B6F1細胞は母親が129マウスです。
「ほとんどすべてB6系統に変わる」のでしたらX染色体の遺伝子はどうなりますか?FI幹細胞のX染色体はB6マウスの遺伝型を示していました。つまり、インプリンティングが起きたどころか、マウスのX染色体がそこに存在しないはずの染色体に入れ替わるという現象を肯定していらっしゃるということです。
性染色体に目をつぶっても、ある簡単な処理だけで100%に近いインプリンティングが起きるのだとしたら、それこそとてつもない現象を見つけたことになると思います。
それにSTAP細胞、STAP幹細胞ではそのような現象は見られていません。酸で処理したことではなく、Fgf4で培養することは「iPS化より過酷な条件」である理由は何でしょうか。
このように全体を通じて極めて論理性のない批判ばかりだという印象を受けました。
iPS化における対立遺伝子間のバランスの問題は当然私も認識しており、来月の分子生物学会ではその件で発表します。
このようにある解析方法をもって見出した新しい現象について発展的に研究を進めることは一研究者として当然だと思いますが、それを私がしていないと思われた(と解釈できる)理由をご説明頂ければと思います。
方法論の論文においてある可能性を見出した時、生物学的な仮説と検証を同じ論文でせよ、というのは一つの考え方ですが、論文の主題が曖昧になるマイナスの方が大きいと考えております。
理論的な裏付けが必要であると指摘され、冒頭の数値モデルとFig.1に相当する部分は全てレビュアーからの指摘を受けて追加して解析を行った部分です。
おそらく話題的にセンシティブであることからでしょうが、通常より慎重にレビューされたとさえ考えている理由もあります。
一般論ですが、「お前の論文は科学的価値はゼロだが政治的理由で(あるいはコネで、賄賂でなど)出版されたのだ」と難癖をつけることは研究者に対する露骨な侮辱ではないでしょうか。しかもそのゼロと言える科学的根拠がほとんど示されていない中で。
それは著者よりむしろ雑誌および編集者、そしてレビュアーに対してもひどく名誉を傷つける発言だと思われます。